第一話:僕とみんなと幸せと
というわけで、ある意味では新連載ではない物語。
第一話は初心者でもそれなりに読めるようになっておりますが、なるべくなら『僕の家族のコッコさん つヴぁい!』を読了してからお読みください。
では、まずは軽いジャブから。
私の名前は山口コッコ。月ノ葉光琥と呼ばれることもあるけれど、そっちはまぁあだ名みたいなもので、今はこっちの方が本名みたいなものだ。
服装はいつものように、着るのにいちいち時間のかかる可愛いメイド服。
黒のワンピースにエプロンドレス、カフスとカチューシャと純銀製のイルカのブローチを身につけて、歩きやすく丈夫なブーツを履いて、私はいつものように部屋を出る。
まぁ、部屋とはいっても私が勤めている宿屋に作られた従業員が寝泊りする部屋なのだけれど……ある意味、監獄という気がしないでもない。
「……やれやれ、かな」
この宿に来た時から口癖のようになってしまった言葉を呟きながら、私は歩き出す。
今は朝の六時。普通の人が起きて活動するには少々早い時間だけれど、私の相棒というか主というか恋焦がれている相手というかキツネというかこの宿屋の店主というか……まぁ、そんな感じの存在を起こすために私はそれより早く起きているわけだ。
前の職場(古いけどそこそこ豪華なお屋敷)に居た時は、もっと自由奔放にやりたいことをやっていたのだけれど、そのせいで色々と面倒なことになって、私は今こうしてツケを払い続けている。……つまり、自業自得で損をしているわけだ。
ホント、なんであんなコトをしたんだろう。四年前の自分にもし出会えたら、フルパワーでぶん殴ってやりたい。
さて、それはともかく、私はいつも通りに目的の部屋に到着する。
毎朝のように部屋を訪れてはいるけれど、毎朝のように心臓が爆発しそうになる。
ああ、開けたくない。今日はどんなドッキリが待ち受けているやら……。
「失礼します」
「………………んー」
嫌な予感が、私の背中を走り抜ける。
どうやら、彼は極めて不機嫌らしい。彼が不機嫌だということは、つまり彼が不機嫌になるようなことがあったということで、それは大抵私にとっては愉快なことじゃない。
ついでに言えば、彼は不機嫌だからといって人に当り散らすような人ではなく、かといって仕事にいちゃもんをつけるわけでもない。ただ……心臓に悪いことを平気でやらかすようになる。
「えっと、失礼していいですか?」
「……心の準備ができたならどうぞ」
「………………」
うう、帰りたい。今すぐ部屋に帰ってお茶飲んで寝たい。
仕方なく弱気をねじ伏せて、私はドアノブに手をかけて扉を開けた。
開けなきゃ良かったと、毎度後悔してるのだけど。
不機嫌そうにぼんやりと欠伸をしながら、彼はベッドに寝転がって小説などを読みながら、ぷかぷかとタバコをふかしていた。
短い髪に鋭い目つき、傷跡の残る左目は瞳まで赤く、右目は真っ赤に充血している。今日はなぜか普段はしていない眼鏡をしている。服装は猫柄の甚平。とてもではないが成人男性が着る服とは思えなかったが、彼は可愛いものが異様なまでに大好きなので、普通にその甚平を着て眠っている。
問題なのは、彼じゃない。
問題なのは、彼の隣で心地よく眠っている同じような寝巻きを着た少女の方だ。
彼女は私の同僚で、名前は黒霧冥。垂れ目が似合う可愛い顔立ちと胸の辺りがちょっと羨ましい女の子で、とても優秀……というより、なんでもできるメイド。彼の右腕のような役目をしている。
ただ、神出鬼没すぎて普段なにをやっているのかよく分からない。普通の仕事をやっている時もあるし、丸々三日ほど宿を留守にすることもある。
まぁ、それはともかく。
えっと……もしかして、そういう状況なんだろうか?
「コッコさん、一応言っておきますけど違いますから、拳を握るのはやめてください」
「この状況は勘違いする余地もないんじゃないかと思いますが?」
「んー……まぁ、そうかもしれませんね」
不機嫌そうな顔のまま、それでも優しく冥さんの頭を撫でて、彼は口元を緩める。
「信じるも信じないも自由なんですけど、これは仕方がないことの一つです」
「……どういう意味ですか?」
「コッコさんと同じです。心の傷に心の病。一生治らないものと向き合わなきゃいけないことが、世界にはたくさんあります。冥のこれだって似たようなものです」
一生治らないものと向き合う。
四年前の私にはその覚悟がなくて、結局暴走して迷惑をかけた。
今は覚悟があると思う。傷と向き合う覚悟は、ちゃんと決めたと思っている。
「コッコさんは本質的には強い女性です。でも、冥はそうじゃない」
「………………」
「詳しいことは省きますが、やったことは残ります。一生ついて回ります。……後悔してるぶんだけ、心の傷として。これもその一つです」
なんとなく、分かったような気がした。
前の職場にいた時、私はそれなりに早い時間で眠っていたのだけれど、それにも関わらず冥さんが『一緒に遊びませんか』と言って部屋にやってきて、そのまま一緒に寝てしまったことが何回かあった。
今になって思えば、あれは伏線だったんじゃないかと思う。
その日に限っていつも冥さんを構っているはずの人が、徹夜仕事で冥さんに構う暇がなかったのだから。
「……冥さんは誰かと一緒じゃないと、眠れないってことですか?」
「今はそうでもないらしいんですけどね。一ヶ月に一回か二回くらい、不安定になる時期があるそうです。……ま、この程度なら許容範囲内だから別にいいんですけど」
ゆっくりと溜息を吐いて、彼はちらりと時計を見た。
「冥、そろそろ起きる時間だよ」
「………………くぅ」
「冥」
「……あと、ごふん」
「ほぅ……そんなにおはようのちゅーがご所望か、ウチのメイドさんは」
「っ!?」
一瞬で目を覚ました冥さんは、眠ったままの姿勢から腕の力だけで跳躍。そのまま空中で体を捻って一回転し地面に着地した。
そして、何事もなかったかのように恭しく礼をする。
「おはようございます、ご主人様」
「おはよう。昨日はよく眠れたかな?」
「はい、そりゃもうばっちふぎゅっ!?」
最後まで言わせることなく、彼は冥さんの頬をつねり上げた。
「よーし、体調はいいようだな僕のメイド。それならさっさと服を着替えて仕事に行くといい。言っておくが、毎度の通り生殺されて僕はそれなりに不機嫌だ。今から機嫌をさくっと直して仕事にかかるから、君もいつも通りによろしく」
「ひゃい。ごひゅひんはま」
彼が不機嫌を隠そうともしないのに対し、顔色一つ変えることなく、むしろにこにこと笑いながら応じる冥さん。
……なかなかに混沌とした関係の二人だった。
それからはさすがというかなんというか、二人はあっという間に身支度を整えた。冥さんは一旦部屋に戻って私よりもデザインが控え目なメイド服を着て再登場し、彼は一旦私を退室させてから、いつも通りのダークスーツに着替えた。
「じゃ、とりあえず仕入れはこんな感じで。友樹とアンナさんの所には話は通してあるから。その通りに頼む。なにかあったらいつも通りに連絡するように」
「宿泊客が少ないのがちょっと問題ですね。集客はどうしましょうか?」
「なに、正義の味方や自分を悪だと言い張っているお人好しは金貯め込んでる連中がほとんどだからね、上客を一人か二人捕まえてくればすぐに採算は取れる」
「外道っぽい手法ですねぇ」
「そのあたりは、『普通』の側に属することができなかった代償みたいなもんだよ。仕方ないと割り切ってもらう代わりに、この宿じゃゆっくりとくつろいでもらうだけさ」
「了解、ではその通りに」
二人がどんな打ち合わせをしているのかまではよく分からなかったけど、わりとあこぎなことをしているのは、よーく分かった。
うーん……これも成長と言えるんだろうか。
そんなこんなで手早く打ち合わせを終えて、冥さんは一礼を残して部屋を出て行った。その後姿を見送ってから、彼は首筋をコキコキと鳴らす。
「やれやれ……さすがに寝不足はちょっと辛いかな」
「コーヒーでも煎れましょうか?」
「んー……まぁ、これから出かけるからコーヒーはいいや」
「外出ですか?」
「うん」
…………ん? 今ちょっと女の直感らしきものに引っ掛かったような気がする。
いや、でも気のせいだろう。彼はダークスーツのまま準備を整えているし、鞄に入っているものも、ぱっと見では怪しいものは一切存在しない。
でも……なんだろう。こう、言葉にはできない違和感が付きまとっている。
「じゃ、ちょっと行って来るよ。帰りは明日になるから」
「あ、はい。……行ってらっしゃい」
彼は口元を緩めながら、いつものように部屋を出て行く。
ドアが閉まり、私はなんとなく苦笑する。
「まさか、ね」
「そのまさかだったらどうするね、メイドさん」
「いえいえ、彼の好みのタイプは働き者でかつ綺麗で自分に厳しい女性です。それ以外の女性には一切にしかなびかないという徹底っぷり。彼の好みにドストライクな女性なんて、この宿でも4人しかひゃあああああああああああああああああああっ!?」
「うむ、驚くのが遅くて実にいい感じだぞ、メイドさん」
いつの間にか、本当にいつの間にやら、彼女は私の背後に立っていた。
緑の外套に同色のベレー帽。膝裏まで届く長すぎる黒い髪、つり目、黙ってれば十人中五人が可愛いと評する顔立ち、スレンダーな体つきはなんとなく針金を思わせる。
確かこの宿の宿泊しているお客様の一人で、名前は確か……。
「そう、人呼んで奇ノ森ぜつむ(仮名)! 職業は名探偵だっ!!」
「さーて、今日も一日忙しくなりそうですねぇ」
「ふっ、私にそんな口を聞いていいのかな、メイドさんっ! 私の名前は奇ノ森ぜつむ(仮名)。ありとあらゆる縁やら物やら人やらを探し出す、本当の意味での名探偵! 人の秘密とかそういうのもお見通しなんだぞっ!。……そうだな、今日のメイドさんの下着の色は淡い水色でぐぶっ!?」
私の放ったボディブローをまともに食らい、ぜつむ(仮名)さんは倒れ伏した。
「……き、客に容赦なく手を上げるとは。さすがは彼の雇用する女性だ。全員例外なく容赦がなさすぎる」
「………………」
私ならともかく、みんなにまでなんかしようとしたのか、この人。
怖いもの知らずというか、なんというか。
「冥ちゃんは『おっぱい大きいね、触らせて♪』って言ったら音速で殴ってくるし、舞ちゃん先輩は『腰細いですね、触らせて♪』って可愛く言ったら糸で逆さ吊りにするし、ロリ京子さんはなんか私の顔を見ただけで嫌そうな顔をする上に食事は手抜きだし、美里S貴婦人はなんかやたら可愛い服を私に着せようとするし、キツネ先輩は『宿泊料は一泊3000円な』とかひどいことを言うし」
「……殺されても仕方がないような気がしますが」
私は口元を歪めて思い切り溜息を吐いた。
というか、従業員のほぼ全員にセクハラを働いてよく生きてたものだと思う。
言葉から察するに、奇ノ森ぜつむ(仮名)という少女は彼の後輩で、ついでに言うならそのコネを使ってこの宿に泊まっているらしい。
自分に厳しい女の子が好きな彼だけど、実は年下には滅法弱かったりする。
一泊三千円は、かなりどころか明らかに破格だ。
「まぁ、それはそれとしてだメイドさん。彼の動向についてなのだが、興味はないのかな? なんか浮気とか、そういうのって気にならないかな?」
「うーん、気にならないと言えば嘘になりますが、そういうのを過剰に気にするのもアレかなぁって思いますしね♪」
「め、めいどサン? なんだか貴女の指が私の首を締め付けているんだケドッ!」
「あー……でも、ちょっと気になってきちゃったかな? でも、私にも仕事があるし、彼の後を追うわけにはいけないし、どこかにいる探偵さんが『自主的』に教えてくれるんだったら、私としても不安が消えて万々歳なんだけど♪」
「教えます、教えますから……お願いだから殺すのは、ぐふっ」
顔が真っ白になった頃合を見計らって、私は自称名探偵の首を離した。
「……げほっげほっ、うう……なんてメイドさんだ。死ぬかと思った。キツネ先輩がどーしてあんなになってしまったのか、理由の一端を垣間見たような気がするぞ」
「それで、彼は普段外出した時なんかはどこでなにをしてるんですか?」
「私を殺しかけたのは華麗にスルーして本題に入るとはなかなかできることじゃないと思うよ、Vメイドさん」
Vってのはヴァイオレンスの略かなんかだろうか。
うーん……さすがに毎回ストレートパンチっていうのも芸がないから、そろそろ別の方面でアプローチをした方がいいのかもしれない。
……やっぱり、締め技か?
「Vメイドさん。少なくともそれだけは違うと言っておく」
「しかし、締め技なら多少の手加減はできますが、関節技や技巧を凝らした打突となるとこれはもう致死率も高くて非常に危険なんですよ?」
「頼むから暴力から離れてくださいっ!!」
さっきまで厚顔不遜だった少女が、半分泣きながら懇願してきた。
まぁ、そこまで言われて殴るのはただの鬼畜でしかないので、教育的指導はここまでにしておこう。それよりも、今は聞かなければいけないことがある。
「それで、彼はどこに出かけたんですか?」
「いやいや、Vメイドさん。それを聞く前に依頼料とかそういうものを」
「気功の達人になると、五百円玉で樫の板を打ち抜くことも可能だそうですが、それはご存知ですか?」
「な、なんでも暴力で解決するのはよくないと思うんだっ!」
「しかし、私も手持ちはそんなに多くありませんよ」
「なら、ここは割り勘ってところだな」
「でしょうねェ」
今一番聞きたくない声が、耳朶を打つ。
振り向くと、そこには小さな巨人のコックさんと、一見淑女に見える彼女がにやにやと笑いながら立っていた。ちなみに、二人とも目は笑っていない。
小さな巨人のコックさん。宿屋で料理全般を取り仕切っている彼女。名前を梨本京子という。可愛らしい顔立ちに身長百四十三センチという、小学生と見間違えんばかりの小柄な人だが実質は一番の大人な人だ。私もちょくちょくお世話になっている。年齢は24歳で今が一番の女盛りといったところで、とても羨ましい。ロリ、ちっちゃい、可愛い等の言葉にとても敏感。根深いコンプレックスらしい。
一見淑女に見える彼女。宿屋を実質取り仕切っている彼女の名前を橘美里という。身長は167センチ。ほっそりとした体つきに反し、出るところは出て引っ込むべきところは引っ込んでいる美女。腰まで伸ばした髪の毛をお団子にしてまとめている。温和な微笑を絶やさない菩薩のような人に見せかけて超絶ドS。彼のとの年齢差は12歳で、たぶんショタコンだと思う。現在の年齢は32歳。特技は合気道五段に見せかけた、なんだかよく分からない超絶気功術。青竜刀くらいなら素手でへし折れるのではないだろうか。
「コッコちゃん? なんだか悪意を感じるのだけど、気のせいかしら?」
「いえ、全然さっぱりまったくの気のせいでしょう。それはともかく、二人は一体なにをしているんですか?」
「ああ、山口を探してたらなんか面白そうな話をしてるみたいだったから、一口乗ろうってわけだ。最近暇だしな、刺激はほどほどにってわけだ」
「彼が外出してる時、なにをしてるのかちょっと気になりますしね」
そんなことを言いながら、二人ともさっきからちっとも目が笑っていません。
うーん……藪を突いて虎と竜が出た、みたいな気分だ。
と、私があらゆる意味で困っていると、自称名探偵が申し訳なさそうに口を開いた。
「あのー……ところで、依頼料の件なんだけど」
「1000円ずつでいいですかね?」
「えー? あたし昨日こいつに昼飯奢ったぞ?」
「そもそも、宿に飾ってあったイミテーションの絵画を破った時点で2万円ほどの罰金なんですが、その辺はいかがお考えでしょうか? お客様」
「……すみませんでした。無料で結構です」
自称探偵は泣いていた。
なんかもう、これ以上にないってくらいに泣いていた。
ああ、世は無常。こうして弱い者は強い者に搾取されるのだった。
まぁ、普段の行いの賜物とも言うけれど。
そんなこんなで、追跡開始。
宿のことはちょうど大学が休みだった冥さんの姉に頼んでおいたので心配はない。
さすがに宿屋の制服で外出するのは抵抗があるので、私たちは私服に着替えている。私は白の上着と紺色のロングスカート、美里も似たようなもので地味めなセーターとロングスカートにカーディガンを羽織っている。
ただ、なぜか京子さんだけは紺色のワンピースという可愛い服装だった。
軽やかにギアチェンジをしながら、運転席に座った京子さんは口元を緩める。
「どうやらけっこー遠い場所だな。微妙に道が整備されてる山奥。ちょっとした村って感じだな。寂れているわけでもなく、人が多いわけでもないって感じ」
京子さんの車に設置された液晶画面には地図が映し出されている。一見カーナビゲーションのようにも見えるが、実は彼に取り付けられた発信機の場所を地図上に映し出すというシステムである。どう考えても一介のコックが所有する技術ではないけれど、それを深く考えてはいけない。
「釣りでもしてるんでしょうかね?」
「ま、そんな呑気な事態だったらいいんだけどな」
「あの人の場合、女の子が絡む問題はむしろ少ないですからね。放って置くとあっちこっちに顔を出しては人に説教をして立ち去って行くような人ですから」
後部座席に座っている美里は、なんだか困ったように苦笑していた。
「寂しがり屋のお説教屋さんなんですよ。努力してるのに報われない人、努力しなければいけないのに足りない人、才能があるくせに程々で諦めてる人。……そんな人たちに腹を立てて、言った後で『なにやってんだか』みたいに後悔してる」
「心が狭いんだろうよ。ったく……毎度毎度人騒がせな」
そんな風に言いながら、京子さんは吸っていた煙草を灰皿に押し込んだ。
まぁ、京子さんはそんなことを言いつつも宿の面子じゃ冥さんの次くらいに彼にやられている人なので、どっちかといえば浮気の方を心配してるんじゃないだろうか。
前の職場と比べると、さりげなーく甘える頻度が増えてるし。
この前、私に調理場を任せておいて、作ったデザートをうきうきしながら差し入れしに行って、にこにこしながら帰って来ていたりしたし。
ホント……京子さんは甘い時はとことん甘くなっちゃう、可愛い女の子なのだ。
「山口、なんか失礼なコト考えてない?」
「いえいえ。そんなことはありません。……で、探偵さん。彼について知っていることがあったら、今回のコト以外にも色々と教えてもらえませんか?」
「あっはっは、知りたいんだったら追加料金をいただきたいところですなっ!」
「じゃあ、みつやの割引券。1000円ぶん」
「カツ丼&そば(うどん)定食の食券。現金に換算すると1000円ぶんくらい」
「えっと、じゃあ岩盤浴の割引券。2000円ぶん」
「あんたら情報の価値とかなめてないっ!?」
自称名探偵はもう半泣きどころか、泣きが入っていた。
それでも貧乏性なのか、あるいはこれ以上の利益は望めないと踏んだのか、私たちが渡したものをきっちりと受け取って、重々しく口を開いた。
「あー……なんというか、最初に断っておくけどキツネ先輩はとにかく最低だ。高校時代なんていくら私がコナかけても鼻で笑って嘲笑するし、そのくせ舞先輩には大学までべったりだし、竜胆先輩やら山田先輩をめっちゃひいきするし」
「普通ですね」
「普通だな」
「普通ですねぇ」
「それが普通ってのはありえんでしょ、人としてっ!」
自称探偵さんはかなり本気で叫んでいたが、彼は基本的にそういう男の人だ。
女性に関しては、好みの女性はものすごくひいきするけれど、好みじゃない女性に対しては辛辣なことこの上ないという、なかなかにいい性格をしているのだった。
まぁ、ある意味では最低と言えなくもないけれど。
「三条院みたいな大きな所とも繋がりがあるみたいだし、意味もなく孤児院に顔出してるし、喫茶店でなにやら可愛い少年と会ってたし、最高におっかないハッカーとちょくちょく会ってるみたいだし、それに、仕事がらみだかなんだか知らないけど、最近じゃなんかこう……包容力溢れる女性とちょくちょく会っては楽しそうに話してるみたいだし」
「……ふむ。どう思いますか、二人とも」
「前半部分はいつものことだが、後半部分がちと気になるな」
「あの人の知り合いの女性は大抵見目麗しい人ばかりですけど……大体が変人か奇人ばっかりですからね。包容力と言われると、私以外心当たりがありませんね」
「美里、一応言っておきますが貴女に包容力はありません。皆無です」
「自分の娘にべったりで、今も隙あらばあいつに甘えまくる女のどこに包容力があるのかちと疑問なんだがよ」
「それを言うなら、コッコちゃんや京子ちゃんだって同じようなものでしょう? コッコちゃんはヴァイオレンス系だし、京子ちゃんはロリだもの」
「私の場合は教育的指導です。大体、彼を殴りつける人間がいなかったせいであそこまでねじれて曲がって歪んで人間としてちょっと面白い感じになっちゃったんじゃないですかね? 京子さんも美里も、その辺は甘いですから」
「その辺は否定できん部分があるが……まぁ、あれだ。色々あるし仕方ない」
京子さんは、煙草を灰皿に押し込んで苦笑する。
少し考えてから、私は思ったことをぽつりと口に出す。
「色々っていうか……単に、大好きすぎて殴れないだけじゃないですかね?」
「ぶっ!?」
驚きのあまり、思い切りハンドルを切ってしまう京子さん。
車は追い越し禁止の車線をあっさりと乗り越えて隣の車線へ。そこにちょうどいいところにトラックが突っ込んできた。
「うおああああああああああああああああああああああああっ!?」
京子さんが雄叫びを上げ、信じられないようなハンドル捌きでトラックをぎりぎり回避。そのまま停止することなく最高速度で走り抜け、あっという間にトラックは見えなくなった。
「おー……すごいですね、京子さん。今のはさすがに肝が冷えました」
「……山口。あたしらを殺す気か?」
「いや、だってそこまで動揺するとは思わないじゃないですか」
「うるせぇよ。……つーか、四年前は山口も似たり寄ったりだったじゃねーか。この四年で一体なにがあったんだよ? 男と付き合ったりして耐性でもできたのか?」
「男性と付き合ったことはありませんけど……まぁ、流されるまま生き地獄を味わうよりは、素直に生きた方が人生って楽しめると思いません?」
「……本当になにがあったんだ?」
「聞きたいなら詳細をお聞かせしますが……本当に、聞きたいですか?」
「いや、いい。ごめん」
京子さんは私の顔色で全てを悟ったのか、これ以上の追求を諦めて車の運転に集中し始めた。
うん、本当に京子さんは空気の読めるいい人だ。
私だって……楽しそうだからという理由で異世界の秘法とか賢者の石とか訳の分からないものを探した経験など人に話したくはない。確実に頭がおかしいと思われる。
「まぁ……私のことはともかくとして。美里、彼の方はどうなっていますか?」
「そろそろ追いつくわ。……とはいえ、こんな所にどんな用事なんだか」
美里の言う通り、私たちが今走っているのはのどかな田舎町の一角。周囲を見渡せば一面の田んぼで道路が開通しているのが不思議なくらいだった。
「結構いい所じゃないですか。都会の喧騒から離れて休養するにはうってつけです」
「そーだな。釣りもできそうだし、キャンプとかもいいかもしれない」
「あの人のことですから、別荘でも作ってそうですねぇ」
「先輩のことだから、浮気相手の1人や2人くらい作ってそうな気もするケド」
ぼそっと呟いた自称探偵の言葉に、私は思わず口元を引きつらせる。
「あはは、悪い冗談です。彼がそんな怖い真似ができる人なら、今頃世界の一つや二つくらいは支配しててもおかしくないですね」
「全くだ。もしもあたしがあいつの立場だったら、絶対にそんな真似はしないね。撲殺か斬殺か惨殺か……とりあえずロクな死に方はしない」
「気がついたら遠距離からの狙撃で頭が吹き飛ばされてましたってことも、十分に考えられますしねぇ」
「………………」
私たちがどんな顔をしているのかは分からなかったが、自称探偵は顔を真っ青に染めて黙ってしまった。ちらりと京子さんと美里の方を見ると目がまるで笑っていなかったので、もしかしたら私も似たような顔をしていたのかもしれない。
まぁ……なんだ。
人間には理性を保っておける限界値というものが存在するわけで。
「ま、彼を見つけてから対応を決めましょうか。取り越し苦労だと思いますけど」
「だろうな。……ったく、感情ってのはこれだから厄介だ」
「最悪のイメージと理想のイメージ。それらはあって然るべきですから、仕方がないでしょう。幸せな日々はいつ壊れてもおかしくないけれど、幸せに生きようと努力することは誰にだってできるでしょうから」
美里の言葉に、私と京子さんは口元を緩めて頷いた。
苦労する日々。決して平和ではないけれど、私たちはそこそこ幸せだ。
その中心にはみんながいて、彼がいる。一般的な『幸福』とは違うかもしれないけれど、私たちはそれでおおむね満足している。
あとは、嫉妬とか羨望とか妬みとか恨みとか、人間関係なら当たり前のように無視できる程度の痛みを適当に解消すればいいだけ。
それだけで幸せになれるなら、本当に安いものだと私を含めて全員が思っている。
ただそれだけのことだ。大したことじゃない。
「あの……お三方。なんで貴女たちはそこまで先輩を信頼できるんだい?」
信じられないものを見る目で私たちを見つめる自称探偵は、本当に不思議そうに聞いてきた。
だから……私たちは、いつものように当たり前に、平然と答えた。
『ま、惚れた弱みってやつかな』
ただそれだけの当たり前なことを、口に出して笑い合った。
「ぶえっくしょいっ!」
風が冷たいせいか、あるいは誰かが噂しているのか、なぜか大きなくしゃみが出た。
「あー……今日はなんか温かいものでも食べようかなぁ」
「へへ、ずいぶんと余裕じゃねえかキツネ。そんなんで俺に勝てると思ってるのか?」
「そっちこそ、そんな様で僕に勝てると思ってるのか、小僧?」
「ぐげっ!」
僕に挑みかかってきた高校生の少年の背中を容赦なく踏みつけて、僕は言い放つ。
僕が今居る場所は、ある民荘の裏庭。学生や社会人に月額1万円という破格のお値段で部屋を提供してくれるその民荘は、それなりの年代が経過しているにも関わらずよく整備されていて、ついでに庭のほうも綺麗に整えられている。
「なぁ、火焔正義。お前は頭が悪いのか? 僕に挑みかかってきて負けるだけならまだしも挑発するなんて愚の骨頂も極まれりだ。ここは命乞いをする場面であって、意地を張る場所じゃない。生き延びなきゃ意味なんてねぇんだよ」
「……うるせぇ。俺は、強くならなきゃいけないんだよっ!」
「やれやれ」
一回どころか十回ほど痛い目を見たのに分からない。あるいは……分かっているが止められない理由があるか。どちらにしろ馬鹿には違いない。
まぁ、そういう馬鹿は嫌いじゃないけど。
止められないなら……何百回でもへし折ってやるまでだ。
彼の背中から足をどける。口元を緩めて笑いながら、僕は間合いを取った。
「さて、じゃあ十二回目の勝負といこうか正義の味方。お前が正義を主張するのなら、この僕程度は突破してもらわないと困るんでな」
「抜かしてろ、キツネぇっ!」
木刀を握り締めて、少年は吼える。一昔前の僕のように。
精悍な顔立ちにツンツン頭。少しだけ童顔。体は鍛えているのかそれなりに引き締まっていて、事務仕事に忙殺される僕よりも運動性能は高い。剣技及び体術の心得もある。少なくとも空手を齧っている程度の人間じゃ、火焔正義の足元にも及ばない。
及ばないからいつも通りに凌駕する。
足元の砂を蹴り上げる。真っ向から突っ込んできた正義は即席の煙幕を避けることもできず、思い切り突っ込んだ。
正義の足が止まったのを見計らって、僕はゆっくりと間合いを詰める。
「おらぁっ!」
とはいえ、目潰しはこれで3回目。あらかじめ予想していたのか、正義は砂をかけられた時点で既に目をつむって目潰しを防いでいたらしい。躊躇なく近づいてくる僕に向かって木刀での刺突を放ってきた。
それを、あっさりとかわす。
「狙いは悪くない。が、それを予測してりゃなんぼでも対処はできる」
ただの想像力。先を見越して手を打っておいただけ。
両足を大地にどっしりと構え、拳を正義の胸に添える。足から腰へ、腰から肩へ、肩から腕へ、腕から拳へ。全身の力を使って、正義の胸を打ち抜く。
「がっ!?」
たったそれだけで勝負は決する。正義は絶息して地面に膝をついた。
「――ぐ、くぅっ」
「甘い。なにもかもが全部甘い。どうして敵がお前の必殺を読んでいないと思った? どうして敵がお前の必殺をかわせないと思った? お前の年月はたかだか16年。僕の年月はたかだか20年。しかし……4年もあれば、いくらお前が強かろうが経験値で凌駕されて当然だろう?」
「く……そ」
「今度手合わせする時はもう少しましになってろ。……何回も繰り返すが、僕程度は越えてもらわないと困るんだよ」
吐き捨てるように言い切って、僕は正義を助け起こすことなく歩き出す。
元々、ここに来た目的は正義を叩きのめすことじゃない。
ちょいと生きるのに難儀している後輩の、住処を探しに来ただけだ。
「相変わらず容赦がないね、さすがあいつの息子ってところかな」
縁側で正義が容赦なく叩きのめされている所を見ていたこの民荘の管理人は、口元を緩めて笑っていた。
細い目に長い髪。戦闘能力は僕の知り合いには珍しく皆無で、特殊能力の方も僕の知り合いには珍しく、なんにも備えてはいない。路傍の草のように地味で、花には成り得ない十人並みの顔立ち。少しだけ細い目が特徴的と言えば特徴的。身長も極めて平均的。スタイルの方もおとなしめ。……だが、それでも誰よりも彼女は綺麗だった。
その女性の名前を、夜叉黒螺旋という。……名前に関して色々と突っ込みを入れてはいけない。
「その《あいつ》っていうのが、僕の父親と母親どちらを指しているのかはあえて聞きませんが……で、螺旋さん。後輩のことですけど、こちらに入居させてもらえますか?」
「ま、根は悪い子じゃなさそうだからね、こちらで引き受けるよ」
「ありがとうございます」
僕が頭を下げると、螺旋さんは口元を緩めた。
「お礼を言いたいのはこっちの方だよ。キミが色々な人を紹介してくれたおかげで、この民荘は潰れずに済んでいるんだからね」
「お客様の中には訳ありな人もいますけど、いつまでも宿の方に居座らせているわけにもいきませんからね。持ちつ持たれつってところですよ」
「あはは、じゃあそういうことにしておこうか」
螺旋さんはクスクスと笑うと、不意に不敵な笑みを浮かべた。
「キミは幸せだね」
「……かもしれませんね」
「そう思うんだったら、幸せをくれる人を大切にするんだよ?」
「はい。分かってます」
僕はしっかりと頷いて、頭を下げた。
夜叉黒螺旋。恐らく、本当の意味で強い女性。
強くて弱くて儚くて強靭で。自分を大切にして人も大切にできる人。たぶん、世界でも最高に属するほどいい女だと思うけれど、彼女を幸せにするのは僕の役目じゃない。
誰か、彼女に匹敵するくらいにいい男、どっかにいねぇかなぁ。
「それじゃあ、今日はこのへんで失礼します」
「うん。またいらっしゃい。今度は釣竿でも持って、みんなで遊びに来るといい」
「はい」
頷いて、僕はゆっくりと歩き出す。
歩きながら僕は僕のために口元を緩めて笑う。
「さてと……じゃ、どっか楽しい場所でも行ってきますか」
どうせ、京子のことだから僕の服に発信機くらいはつけてあるだろう。
もちろん、並大抵のことでは動かないだろうから、炊き付けたのは後輩か美里ってところか。もしかしたらコッコさんも来るかもしれない。
「信用されてねぇなと嘆くところか、愛されてるなぁと惚気るところか……微妙だね」
まぁ、どちらにしろ心配されていることには変わりない。
螺旋さんにも念を押されてしまったことだし、みんながここにやって来るんだったらもうついでにどこかに遊びに行くのも悪くない。
「ま、惚れた弱みだしね」
口元を緩めて空を見上げる。
いつも通りに真っ青な青空は、見てて憎々しくもあり清々しくもある。
僕は見慣れた空を見限って、ゆっくりと前に向かって歩き出した。
さて、それじゃあいつも通り。
豊かで幸せでみじめったらしく格好悪く。穏やかでいつ壊れてもおかしくない日常。
そんな楽しい日々を、生きていこう。
と、綺麗に締めようと思ったのだが『先輩にはこんな美女どもに好かれる資格なんてねーもん』とばかりに嫉妬に狂った後輩が三人にないことないことを吹き込んでくれやがったおかげで、コッコさんに殴られるわ京子に頬をつねられるわ美里にぶん投げられるわで危うく死にかけた後、全力でぶちキレて後輩を追い回す羽目になったりと、色々と大変な目に遭うことを、その時の僕は知らなかった。
第一話:僕とみんなと幸せと……END
というわけで、ジャブ終了。
次回からはAランクエンド集スタートです。
Aランク第一話は冥ちゃんEND。猫のお城に住むある青年と、一人のメイドの物語。
よろしかったら見てやってください(笑)