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おーばーどらいぶ


 先々月にAT限定運転免許を取得したばかりのミカがドライブに誘ってきた。次の連休、予定をあわせてちょっと遠乗りデビューに付き合ってくれ、とのこと。宿の予約も行き先も、彼女が引き受けるというし、怖いもの見たさもあって了承した。

 当日、自宅の前に横付けされた彼女の車の助手席に乗り込むと、ミカはヘヘヘ、と嬉しそうに笑った。

 「どうした?」と聞くと、はにかみながらミカは答える。

 「じつはミカね、初めて助手席に乗せるのはお父さん。次に乗せるのは大好きなたっくんって決めてたの」

 「へえ、それは…恐縮です!」

 「あはは、なにそれー?でもほんとだよ。まだお母さんだって乗ってないんだから」

 「まじでー?」

 「まじで」

 「あ、じゃあ、中越さんも助手席乗せてないのか?」

 中越さんとは、ミカが大学のころからの親友で、免許も一緒に取りにいったらしい。何度か面識があるが、ミカが天真爛漫キャラとしたら、その真逆の物静かな美人だ。

 「うん。乗せてないよ。この前も後ろに乗ってもらったし」

 「はは。徹底してんなあ」

 「でしょー?」

 

 ナビに目的地を設定し、車は緩やかに滑り出す。ミカの運転は予想していたよりもずっとうまく、同乗者としてストレスを感じることはなかった。

 「なかなかうまいじゃないか」

 「ほんとー?ありがとー。いっぱい練習したんだよ」

 「うん。よくわかるよ」

 「はずかちー」

 ミカは反射的に、顔を手で覆う。

 「いやいやいやいや、前見て運転して!!」

 「はーい」

 危なっかしいったらありゃしない!!と内心の動揺を隠しきれない。

 「まあ、なんだ。疲れたら言えよ。運転代わるから」

 「えー?たっくん、ちょーやさしー」

 そりゃあもう…、命がかかっていますから。

 「でも朝弱いでしょ?寝たかったら寝てていいからね」

 「いえ、道中目を見開いていきたいと思います!」

 「ひどい!」

 しばらくして高速に乗り、北上を続けるミカカ―。

 「そういや、どこ行くんだ?」

 「んー。このまえゴッシンに地元のいいところ教えてもらったから、そこを廻ってみようかなって」

 ゴッシンというのは中越さんの愛称である。ミカ専用の。

 「ふーん。なんだ。そういうことなら中越さんも誘えばよかったのに…」

「えー?私一人じゃ不満―?」

 「いやいや、そういうこっちゃなくてですね…ミカさん目が怖い…。こっち見ないで前見て!まえ!!」

 

 そうして中越さんオススメのみたらし団子を食い、中越さんオススメの野猿パークで猿にえさやりをし、中越さんオススメのご当地ソフトクリームを食い、中越さんオススメの高台から景色を眺めた。

 「いやあ、意外といろいろ一日で回れるものだねえ!」

 「そうだな。意外と近いんだな、東京から」

 「いやあ、意外な穴場だね」

 「中越さんに感謝だな」

 「まだまだあるよ!中越セレクション!」

 「なに…バカな!!これ以上のものが!?」

 「遠出と言ったら、やっぱり最後は温泉でしょ~」

 

 最後に見かけた土産物屋から、景色がすっかり山一色になったころ、旅館が見えてきた。日は沈みかけ、絶好の景観。

 豪華、というほどではないが落ちついていて、よさそうなお宿のようだ。

 「ここはホントに知る人ぞ知る、見たいなところでー、地元の人がお湯にだけつかりにきたりとか。あとは、芸能人がお忍びで来たりするんだって!」

 「へえ」

 「むー。なんかリアクション薄くない?」

 そう言って、わき腹をつかみに来るミカ。やめて!そこ弱いの!やめて!

「ごめんて…。いや、旅館に泊まるのとか久しぶりだからちょっとぼうっとしちゃってさ」

 「なにそれ~。変なの!」

 どうせ一泊なのだから、と最低限の手荷物だけ後部座席からとって、受付へ。

 予約した名前をミカが告げる。婿入り設定らしい。いかにも『番頭さん』みたいな人に伝えると、いかにもな丁寧な対応でチェックインは滞りなく行われた。

 ほどなくすらっとした長身の仲居さんが現れ、「こちらです」と部屋まで案内してくれた。

 いちいちキョロキョロするミカ。よっぽど旅館がめずらしいのだろうか。普段の好みから推し量れば、味のある温泉旅館よりは高級ホテルの方が縁があるのだろう。しかし、ここを押さえたのは彼女であるからして、文句のつけようはないはずだが。

 「ねえねえ」

 「なんだよ」

 「芸能人いるかなあ?」

 「…やめろよ、お前」

 「えー?宿帳とか見せてもらえたりしないかなあ」

 つい、小さく舌打ちをしてしまう。

 「あのなあ…ダメに決まってんだろ。ってか、芸能人が芸名や本名で書いてるとは限んねーし」

 「あ!そっかー。だよねーごめーん」

 やけにあっさりとミカは引いた。


部屋は広すぎず、狭すぎず、窓からの景色も悪くなかった。ミカのはしゃぎっぷりに気押されて、心の底から楽しめなったのもあるけれど、それが精一杯の感想だ。

「よし!ひとっ風呂あびてくるか!」

 すでに浴衣にタオルの彼女がそこにいた!

 「準備万端だな」

 「へへへ。あれ?たっくんは行かないの?」

 「ああ、露天は混んでるだろうから、後にするよ。内湯もあるみたいだし」

 「ふうん。じゃあ、行ってくるね」

 「おう」

 お互い風呂に入った後、しばらくうだうだした。

 「たまにはいいねえ。こういうの~」

 まったく。はげしく同意と言わざるをえない。

 

 夕飯はわりと豪華だった。しかし、山の中のわりに海の幸が多い。

 あとは、まあしっぽりと…


 早朝と言うのはおこがましい時間にお互い目が覚めた。もう少しで朝食を食いっぱぐれるところであった。あぶないあぶない。

 「あぁあ…やっべ、寝すぎた~」

 「だね~」

 「もうちょっと早く起きてればもう一回露天に入れたんだけどな」

 「あはは」

 チェックアウトを終え、車に乗り込む。

 ミカは朝からご機嫌で、鼻歌なんかを歌っている。

 しばらく山道を行く。

 「今日はどこ行くんだ?」

 「んー?ないしょ~。ゴッシンのイチオシ中のイチオシにつれていくよ」

 「なんだよ。気になるなあ」

 「ふふふ。おったのしみに~」


 「ん?」

 いつの間にか寝ていたらしい。車の揺れで起きた。

 どうやら砂利道のようだ。がんらがんらと音がする。

 「どこ走ってんだこれ?」

 「おはよう。ごめん、ちょっと道に迷っちゃったかも…」

 「えぇ!?なんだよ…はやく起こしてくれりゃあ…」

 「ごめんね…。気持ち良さそうに寝てたから」

 助手席で寝こけていた手前、強く言えるわけもなく、とりあえず適当なところに停車した。

 ナビは山の中。少なくとも道路を走ってはいない。

 「本当に、どこに向かっているんだ?」

 「おっかしいなー。方向は間違ってないはずなんだけど…あ、そうだ!ゴッシンに書いてもらった地図がそこに入ってたかも」

 助手席前のダッシュボードの収納部をミカが指差す。

 「ええ?なんだってこんなところに」

 そう言って腕を伸ばした瞬間、バチィ!という音と共に体に激しい衝撃が駆け抜けた。

 叫び声もあげられず、かと言って気絶もできぬまま、体勢もそのままに、耐えながら運転席を振りかえる。

 ミカが、スタンガンと思しきものを手に持って、にっこりと笑っていた。

 「なっ…え…?」

 事態がよく呑み込めないのは、体に与えられたショックによるものなのか、それとも精神的なものだろうか。

 「ごめんね、たっくん。痛かった?でも抵抗しないでね。もっと痛くしちゃうから」

 「いや、痛いとか痛くないとかいう問題じゃないっつーか…あっ」

 また、バチっと来た!嫌な汗が全身から溢れる。

 「ねえ、たっくん」

 この期に及んで、ミカの口調は変わらない。甘えるように甘ったるく、鼻にぬける辛みがある。

 「聞きたいことがあるんだ~」

 「な…なんだよ」

 「あの旅館にさあ、他のだれかと行ったことある?」

 「はあ?あるわけないだろ?あ…うっ…っつ」

 またまたバチッと来た。

 「じゃあ、なんでロビーから部屋に直行したのに露天風呂があるって知ってたの?」

 「へ?ああ、なんだ。そんなの。ロビーでたまたま見かけたんだよ。『露天・大浴場こっち』みたいな看板をさ」

 「ふうん。じゃあ、露天風呂が混む時間をなんで知ってたの?」

「そんなもん…混むだろ!露天は、飯前だし」

 我ながら支離滅裂なことを言っているな、と思う。だが、そんなことはいい。とりあえずこのわけのわからない状態をどうにかしなければ。

 「じゃあさあ、なんであの時間、男が露天風呂の時間って知ってたの?」

 「え?」

 あの旅館は、露天風呂と大浴場の使用を時間によって男女に振り分けていた。そして、その告知は、露天風呂と大浴場を選ぶT字路に設置された看板でしかされていない。

 こればっかりは、どこかで見た、という言い訳は通じない。合理的な疑いもなく、アウトだ。

 どうする?どうするどうするどうする?

 「ねえ、なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?…」

 「ははは…やだな。実は前に中越さんに聞いてたんだよ。でもさあ、せっかく連れて来てもらったのに、『知ってる』って言ってもアレだろ、なんつーか、盛り下がるし」

 息も絶え絶えに、すがる思いで一言一言を口にする。

 ふと、ミカの表情が和らいだ気がした。

 救われる…、そんな淡い期待が乾燥わかめみたいに膨らむ。

 「そっかー!ゴッシンが言っちゃったのか~。ごめんね~私変な想像しちゃってたー」

 「へ…変な想像って…」

 「んー?いいのいいの。誤解だったみたいだし」

 「誤解?なんの誤解?」

 「聞きたい?」

 ミカの表情を正面から見てしまった。にっこり。

 聞きたくない。聞きたくないが、しかし、聞かなければならないらしい。

 おそるおそる、首を縦に振った。

 「たっくんとーごっしんがー浮気してるんじゃないかって」

 「へえ。そりゃ、そりゃあ…」

 二の句が継げないとはこのことだ。

 やっと出てきた言葉はこんなものだった。

 「信じて、くれるのか?」

 「なんで?ミカは~たっくんを信じてるよ」

 「そ、そうか」

 命拾い、という言葉を生涯で初めて実感した瞬間だった。

 「もう。ゴッシンもひどいよな~あんな嘘つくなんて」

 「え?」

 「ゴッシンたら、たっくんと地元を回ったって言うんだよ!」

 「へえ」

 「一緒にみたらし団子食べたり、一緒におさるさんにエサやったり、ソフトクリーム舐めたり、高台でいい眺めを寄り添って見た、とかすごく具体的な嘘をつくんだよ。ひどいと思わない?」

 「え?うん…え?」

 「それで温泉入って、一泊してとか言うから、ミカちょっと怒っちゃった」

 「えと、一つ確認していいかな?」

 「ん?なあに?たっくん」

 「中越さんは今、どこに?」

 「え?ちゃんと後ろに乗ってるよ?見る?」

 息ができない。尋常じゃない汗が出る。目の焦点が合わない。

 「たっくん、言ったよね。ゴッシンも誘えばよかったのに、って…」


 「実はずうっと一緒に乗ってました~」



 まさか読んでくださった方々へ。本当にありがとうございます。


 

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