第七話 第三章 半月の日々
屋敷の一角にある訓練場で、涼子と楓は対峙していた。涼子の手には短刀サイズの木剣と、リボルバー拳銃。楓の手には普通の木刀。
楓は変身済みだった。これは剣術の立ち会いではない。退魔師としての腕の競い合い。必要な装備は許可された。涼子の拳銃には模擬弾が装填されている。
「本当にいいんですか、姉さん。そんな調子では、安静にしていた方がいいでしょうに」
「言われるまでもないことだわ」
涼子は誰の目に見ても明らかに不調だった。
「わたしは今までひたすら闇と戦ってきました。人に向ける剣、手加減などを知りません。もしかしたら、姉さんに大変な傷を負わせてしまうかもしれません。それはわたしの本意ではありませんが」
「ご託はいいわ。来なさい」
「大きな怪我をすれば、安静にしてくれるでしょうかね」
「お二人とも、それでは準備はよろしいでしょうか。立会人はこの私、相田が勤めさせていただきます」
「いつでも」
「いいわよ」
空気が無限に引き延ばされるかのごとく張り詰め、針の一刺しを待っているようかのだった。そうして、緊張が最大に高まったとき。
「では、始め!」
声と同時に、楓が切り込んだ。上段からの素直な一撃。肩口を狙い、やや斜めに斬り落とす。
涼子は身を捻り、間一髪でそれを躱す。しかし追撃の一撃が下段から跳ね上がる。逆風の太刀だ。とっさに木刀の腹を木剣の先で付き、位置をずらす。横一線に木刀が振るわれるのを屈んで躱し、追撃の斜め切りを横っ飛びで躱し、そうするうちに、楓の結界は完成していた。
五芒星。
それはただ浮いているだけで場の調和を保つ見事な練度の代物だった。生半可な結界では、傷一つつけられないだろう。
だが、涼子も負けてはいなかった。鋭い――鋭く、鋭く鋭い一撃が、ものの見事に楓の五芒星を突破し、不可視の斬撃が楓に届く。
楓はわずかに身を捻っただけでそれを躱す。
楓に一瞬の隙ができた。涼子は結界を蜘蛛の巣のように張り巡らせる。手で印を結び、髪一本を依り代に結界を強固にする。呪を唱えながら木剣を突き出す。十字に木剣を振るい、交差する一点、楓の心臓部の直線上に拳銃を発射。
剣の残滓線が回転しながら楓の身体の中心へと向かう。
「活ぁっ!」
裂帛の気合いと共に、楓が左腕を振るう。それだけで涼子の攻撃は消えてしまった。だがそれは涼子のフェイントでもあった。次の瞬間、楓の身が開き、無防備になったところの間合いを詰める。
楓の横には既に結界が張られていて、無傷では躱せないはずだった。
交差。当たったと思った木剣は空を切った。一瞬、涼子には何が起きたかわからなかった。ただ、嫌な予感がしてとっさに頭を低くして前へ飛ぶ。
空中にいた楓からの渾身の斬撃が、涼子の髪を掠めていた。
「凄まじいですね。涼子お嬢様様の腕前はもちろん知っていましたが、まさか楓お嬢様がここまでの腕前とは。一体お嬢様に何があったのでしょう?」
島田が相田に問う。
「楓お嬢様の言ですが、伊達に五年間を戦い抜いてきたわけではない、ということですか。いや、それにしてもこれは凄い」
「草薙って、凄かったんだな」
どこか間の抜けた三人の感想。
斬撃の勢いを殺さずにそのまま楓は振り返った。楓の左右にあった結界は、いまや涼子に向かって牙を向いていた。
楓のトラップだ。また、この戦法は楓が戦慣れしている証拠でもあった。相手の力が大きければ、それを利用して打ち倒す――戦闘の極意を、楓はその若さで掴んでいた。
涼子は結界の軌道修正に手間取っている。それすらも刹那の出来事であったが、楓にとってはその隙で充分に過ぎた。
神速で繰り出される突きが涼子の目前まで迫る。
「それまで!」
瞬間、木刀がピタリと止まった。あと一瞬制止が遅ければ、致命傷となっていたのではないか。そういった、一切の手心のない突きであった。
「勝者、楓お嬢様。いや、すばらしい試合でした」
「どうかしら、姉さん。わたしだって戦えるわ。少なくとも、今の姉さんなんかよりはずっと」
楓はその凛とした面で告げる。楓にとっても、今の涼子が本調子でないことはわかっている。おそらく本気の姉相手には、自分が勝てないであろうことも。
だが、敵はこちらの調子などおかまいなしにやってくる。そういった、生の戦闘を楓はその身でよく知っていた。
「……悔しいけれど、どうやらそのようね」
涼子も負けを認める。言い訳は一切しなかった。
夜のエーテリンデ探索に、楓は参加することになった。
変身した恰好と、そもそも魔法少女に変身することに対してのコメントは、楓が封殺した。
余計なことを言おうとした琢馬は、戦闘訓練と称した楓の扱きを受けることとなった。