第五話 第二章 吸血姫と血の滾り
さびれた公園へ足を運ぶ涼子。ダウジング、八卦、草薙家の調査、それらすべてがこの一帯を示していた。
吸血鬼被害にあった人間らしきもの、つまり失踪者の数も、他の地区と比べて多い。
吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼になる。多くのなりたての吸血鬼は太陽によって滅び、灰となる。
吸血鬼に気に入られた『寵児』は生きるすべを『親』から学び、生きながらえる。そうして吸血鬼は、闇に生きる生粋の狩猟者となる。
極稀に、吸血鬼に吸われ、放置され、しかし生き延びる者がいる。
ダンピィル。意識は人間の彼らは、半人半妖と呼ばれる。
ある者は人類の守護者となり、またある者はその力を奮って人類に害を成す。
そして今、草薙凉子の目の前で、その半人半妖と、完全なる妖かしが戦いを繰り広げている。
白い女と黒い男が、目にも留まらぬ速さで舞踏を踊るかのように、爪を繰り出し、舞い、そして心臓を狙っていた。
凉子はその二人の舞闘を、隠形をしながら見据える。
女は黄金を櫛った見事な髪、艶やかな白のドレスに、ルビーを溶かして模ったかのような瞳と、白い面にひときわ輝くルージュの唇、一見して結婚装束かと思わせるような、見るものすべて老若男女問わず魅了する扮装である。天使のような――悪魔のような美しさであった。
対して男は、いかにもなぼろのコートを纏い、とろけるような表情の女に対して不釣合なほど滾っていた。ざんばらの髪に、意思だけは強い瞳。よく見れば整っていそうだが、咆哮を上げる表情で鬼のような顔つきになっている。
女の爪が男を抉る。男から血飛沫。男の爪は当たらない。
何度振るおうとも身を掠めることすら出来ず、それがますます男を焦らせていた。
不意に、一撃当たった。かと思えばその箇所は霧となり、次の瞬間には元通りの白く細い、芸術品のような腕が顕現していた。女のカウンターだ。
男は頭を吹き飛ばされ――文字通り、吹き飛ばされて――次の瞬間にはもとに戻る。だが、勝負の優劣は明らかだった。
凉子は息を飲んだ。犯人と思しき者を見つけはしたが、どちらがダンピィルでどちらが首魁なのか判然としない。いや、力量差からしておそらくは女性の方が探していた吸血鬼なのだろうが、二人の激しい攻防に割って入ることが出来ずにいた。
「我が愛し子よ。その程度か?」
不意に、両者が動きを止めた。聞くものを闇に魅入らせる艶やかな声。凉子には耐性があるが、一般人が聞いたらその瞬間に虜となるだろう。
男は膝をつき、肩で息をしている。
誰の目に見ても限界であることがわかった。だが、瞳は諦めてはいなかった。
「つまらぬ。では、今日はここまでじゃな。どれ、ついでに食事でもしていくか」
熱い視線が、隠形をしているはずの凉子へと向けられる。
まずい、と判断し、身を躱しながら短刀をふるった。短刀の残滓線が女に当たり、わずかに傷をつける。
「む、これは……」
女が気を取られた一瞬をついて、短刀を閃かせながら凉子は男に駆け寄る。間違いなく、女は吸血鬼であり、凉子の敵だ。
幾重もの結界を張りながら、凉子は男の横に立った。
「戦うか、逃げるか、どちらかすぐ決めなさい!」
凉子の叱咤。
「戦う。戦うさ。戦うとも!」
男は立ち上がり、構える。そうしている間に凉子は両手に短刀を持ち、閃かせ、結界を重ねていく。十、二十、三十……百、二百!
十分に重なったところで、両手の短刀を仕舞い、拳銃に持ち替える。二刀流・二丁拳銃を自在にスイッチさせるのが凉子のスタイルだ。
「呵々、これは驚いたわ。そなた、人間のくせになかなかやりおるわ。その銃弾も銀じゃろう。まさかこの街に、まだこれほどの逸材がおるとはの。この前に喰うたのが最高じゃとおもうていたが、いやはや」
女は笑いながら、結界に手を触れる。凉子の銃撃。決壊し、たわみ、収縮し、炸裂する。
「いやはや、この力、この前に喰うた者共よりもさらに上か。確実に我が愛し子よりも強いわい。これは嫉妬すればいいんじゃろうかなあ」
結界と銃弾相手に爪を振りまわし、魔力による竜巻を生成しながら、白い女は歌うように言った。
「弾が尽きます。援護を」
「仕方ねえっ」
我が身を顧みず、男が前に出る。
弾のきれた拳銃を投げ捨て、短刀に手を伸ばす。男の腕が飛んだ。かばうようにして凉子が突きを繰り出す。男は身を捻り、もう一方の腕を横薙ぎに振った。裏拳だ。
左右からの攻撃に、白い女は対応しきれず、左右どちらとも受け流し切れなかった。だが、傷は即座に癒える。
「今日は面白いのう、我が愛し子よ。これまで我と汝のみでの睦み合いであったが、ずいぶんと可憐な花が迷い込みおったわ。だが愛し子よ、目移りするでないぞ。汝は我のみを観ていればよいのだ」
男の苛烈な攻めに、涼子は見事についていった。
突き、斬り、払い、時に結界を張り、男の腕が四本以上あるかのような攻めに、白い女は徐々に押されていく。
一体となった二人を支えているのは、涼子の卓越した洞察力であった。
どれだけ速かろうとも、涼子にとって人型の行動を読み取ることは容易い。防げない箇所から攻撃を行い、また、防げない攻撃を逸らす。そのことに集中すれば、後は男が相手を攻撃するに任せるだけでよかった。
右かと思えば左、左かと思えば右、あるいは両方からの斬撃に、白い女は押されていく。
「愉快痛快ぞ! 血が滾るわい。今宵、月が出ておらんことが残念で仕方がない。全霊を持って相手してやりたいところじゃが、そうできぬ我が身が口惜しい!」
「泣き言か!」
「力が出し切れないというのなら結構です。このままとどめを刺させていただきましょう」
「呵々、そう焦るでない。今宵は月が出ておらぬということは、より相応しき時があるということじゃ。今日のところは、まあ、これくらいで勘弁してやらんでもない」
女が一層大きく身体を振るう。涼子は堪えたが、男ははじき飛ばされ、別々に離された。
――拙いっ!
男と涼子は同時に同じ思考にいたり、そして、白い女は目にも留まらぬ速度で二人の間に入り込んだ。さらに腕を振るい、再度男を吹き飛ばし、涼子の首を掴んだ。
こうなってしまっては、結界も作れぬ涼子はただの人間である。純然な怪異たる吸血鬼の身体能力には、為す術もなかった。
首を切り裂かれるか、捻切られるか。しかし涼子の予想とは異なり、白い女はそのどちらも選ばなかった。
代わりに最悪の手段を持って涼子を害する。
「いただきます、じゃ」
にいっと嘲笑い、涼子の首筋に牙が突き立てられた。
「あっ、あっああああああああああああ!」
「呵々、最高に甘く、熱い血じゃ。たまらぬのう」
口の端から血を垂らして、白い女は言った。
「我が愛し子よ。兄妹を創ってやったぞ、喜べ。呵々、呵々呵々呵々!」
「きっさまあああ!」
「ではの。我が愛し子たちよ。次の夜にまた逢おうぞ!」
言うと、白い女は白い霧へと変化し、夜の闇に融けた。
吸血鬼の、霧になれる特性だ。
こうなってしまっては、怪異は人の触れられる次元ではなくなる。涼子の結界であればそれを封じ、霧から人型へと定めることもできたが、今の涼子はそれどころではなかった。
「ぐ、うう、うああああああ!」
「お、おいあんた大丈夫か」
「大丈夫な、わけ、ないでしょう! ぐ、があ!」
凉子の体内で吸血鬼の血と退魔の血が混ざり合い、せめぎ合っていた。獰猛に暴れる吸血鬼の血を抑えようと、退魔の血が滾る。
決着がつくまで、凉子は地獄の苦しみを味わうこととなる。
黒塗りのリムジンがきた。中から相田があらわれ、凉子に駆け寄る。
「凉子お嬢様! まさか、吸血鬼に……!」
「あ、相田。ぐ、ううぅ」
「ああ。吸血鬼に噛まれた。俺を噛んだやつと一緒だが、しかし、なんだってこんなにこいつは苦しんでいるんだ?」
「あなたは……?」
「俺は藤堂琢馬。こいつを噛んだ吸血鬼と同じ奴に、吸血鬼にされた。だが、俺の時はこんな、苦しさみたいなものはなかったぜ」
「藤堂……草薙の分家筋の方ですか。私は草薙家の家令です。お嬢様は、退魔師の血をとりわけ濃く継いでいるので、おそらくはアレルギー反応が出ているのです」
「なんだって? 退魔師?」
「ええ、そうです。このアレルギー反応により、凉子お嬢様のご両親は吸血鬼となることなく、その場で亡くなってしまいました」
「おい、それってやばいんじゃあ……」
「はい。しかも、こうなったら外部からの回復手段はありません。お嬢様の血が勝つか、吸血鬼の血が勝つか。どちらの血が勝つにせよ、お嬢様の肉体が持たなければ、死にます」
「なんかあんた……妙に冷静だな」
「そう見えますか? だとしたら、あなたの目は節穴です」
相田の手は強く強く握られていた。自身の不甲斐なさを責めるように。
「いや、すまなかった」
「わかればよろしい。では、お嬢様を屋敷に連れ帰り、安静にさせます。あなたにもいろいろお聞きしなければならないので、御同行願えますか」
「ああ。わかった。俺からも聞きたいことがあるしな」