第四話
「水死体、最近多いのかしら?」
楓が涼子に問う。
じろりと睨みつける涼子。
「危険な真似はしないでと言った筈だわ」
「昼なのに危険な目に遭ったわ。放置しても、ただ川に落ちるだけだったでしょうけど」
怪異は、それを知らない者にとっては大きな力を振るえない。
先ほどの溺死体にしたって、相手が楓のような、メイプルのような存在でなければ、川に足を滑らせて風邪を引く程度のものだっただろう。
「怪異を知るものは怪異に惹かれる。常識でしょう、姉さん」
「だからといって、自分から怪異に向かっていく必要はないじゃない」
「草薙家を否定しているような言い方を」
「違うわ。そういったものは草薙家のようなものに任せなさいということよ」
「わたしだって草薙家よ、姉さん」
「ええ、あなたはわたくしの妹だわ、楓。でもあなたは管理者でもなければ退魔師でもない」
横柄な物言いに、腹が立った。
「退魔師ではあるわ」
むっとした表情で楓が抗議する。
「あなたが退魔師である必要なんてない。手は足りているし、わざわざ力を借りる必要も。ねえ?」
「退魔師は多いに越したことはないじゃないの」
「違うわ。怪異を知るものは少ないに越したことはないのよ。それくらい常識でしょう?」
ぐっと言葉に詰まる楓。確かに、涼子の言うとおりではあった。
「とにかく、あなたがどのような手を使って退魔師をしているのかは知らないけれど、今後一切そのような危険な真似はしないで」
「涼子お嬢様は過保護ですからね」
「島田!」
「あらら、怖いです怖いです」
「楓お嬢様、後でお時間をよろしいですか」
横からメイドの島田と家令の相田が口をはさむ。
「相田まで、何を企んでいるの」
「いえ、私はむしろ涼子お嬢様の味方でございます。僭越ながら、楓お嬢様の説得に一役をと」
「そう、ならいいわ」
「もう、相田さんだけずるいっ」
「姉さん、わたしは姉さんに危険なことはできるだけ避けて欲しいの。それだけはわかって」
「完全にこっちのセリフだわ、楓」
◇
涼子が島田と一緒に自室へと向かった後、楓と相田がテーブルに残された。
「で、相田さん。話って何かしら」
「その前に紅茶のおかわりはいかがです?」
「話しにくいことなんですか」
「……相変わらず、楓お嬢様は敏い方でいらっしゃいますね」
「このくらい誰でもわかります」
「そうとも限らないものですが。例えば島田さんなんて、鈍い方ですよ」
「あらそうなんですか。意外ですね」
「それに、涼子お嬢様も意外と……いえ、話がそれましたね。大切な話でした」
「ええ」
楓が先をうながす。島田は表情を改める。
「涼子お嬢様が楓お嬢様をわざわざ呼び寄せ、安全にあれほど気を使うのは、隼人様と理奈様――お父様とお母様が亡くなられたことが関係しています」
「続けてください」
「お二方はとても優れた退魔師でした。先日葬儀を執り行うのにも、大勢の関係者が集まってくださって……あ、いけません涙が」
「話がそれています」
相田はハンカチを出して涙をふき、咳払いし、仕切りなおした。
「……えー、お二人の死因についてなんですが、楓お嬢様は正確なところはご存知で?」
「流行病、と聞いたけど、でもそもそもおかしな話だわ。病が流行ってるなんて聞いていない。どこにも流行っていない病で、お父さんとお母さんが死ぬなんて」
「そのとおり。普通に考えて、ありえないことです。ですが、ある意味では正しいのです」
「どういうことなのかしら」
「その前に、お茶をどうぞ。つらい話になります」
「いいから先を話してください」
「いえ、つらくなるのは私なんです」
楓は嘆息した。これは、自分を緊張から遠ざけるための策だろうか。それとも素でやっているのか。相田は、底のわからぬ男であった。
「さて、一服したところで、お二人についてですが。死因は血液不足によるものでした。流行病などではありません」
「血液不足?」
「はい。そして昨今よく現れるリビングデッド、多くの場合これらは水を含んでいるものです。この二つは、偶然ではございません」
楓にも、話の終着点が見えてきた。血液、流れ水、その二つの符号が意味するものは。
「今、ここ津島の地には吸血鬼が現れています。おそらくはそれを狙うハンターも。吸血鬼に噛まれた死体を、流れ水に叩き込んでいる者がいる。これが、草薙家が対処している現状の問題です」
「……驚いた。そこまで話してくれるなんて。後で姉さんに怒られないかしら」
「楓お嬢様が黙っていてくださればバレませんよ。それはともかく、相手は吸血鬼です。それも、旦那様と奥様が負けるほど強力な」
「成程。姉さんの考えが読めたわ。危ないから家から出るな、という命令も。つまりは私が可愛いのね」
「そういうことです。楓お嬢様は大変可愛らしい。ですから、どうかご自愛ください」
楓の冗談だったが、相田のほうが一枚上手だった。
「……そして、姉さんは親の敵を探すのね。危険な吸血鬼を」
「それはそうですが。もちろん私や、分家筋でも力のあるものは犯人を追っています」
「じゃあ、わたしも戦わないと」
「ダメです。ご両親が亡くなった今、貴女まで失ってしまったら涼子様はどうなりますか。どうか事件の解決まで、安全な場所にいてくださいませ」
「それじゃあ、わたしが姉さんを失ったらどうなるの」
「……万が一、ということがあっても、楓お嬢様には玖渚家というもうひとつの家があります。それに、涼子お嬢様を倒せる怪異など、私には想像もつきません。あのお方は、本当に天才でいらっしゃいます」
「そう。わたしには姉さんを信じるしかないのね」
「おっしゃるとおりです」
「でも、嫌よ。わたしが戦えることを姉さんに伝えて。模擬戦でも実戦でもかまわないけれど、わたしが姉さんより強いと証明できれば、強く反対することはできないはずよ。だって、吸血鬼被害は今も続いているんでしょう。実際には、猫の手も借りたいほどの状況なはずだわ」
「例え楓お嬢様が涼子お嬢様より強くても、戦場に出すには難色を示すでしょう」
「では、姉さんと一緒に行動することを条件とします。それならば、守ることも守られることもできるでしょう?」
「……そしてなにより、死ぬときも一緒、ですか?」
「そのとおりよ」
「わかりました。そこまでの決意が楓お嬢様にあるのでしたら、どうぞ涼子お嬢様と決闘をなさってください。ですが、負けたときはおとなしく引き下がってくださいね。私との約束ですよ」
「日時はそちらできめてください。ただし、三日以内です。それ以上の時間、姉さんを一人にさせておくのは嫌ですからね」
「かしこまりました。涼子お嬢様にも伝えてまいります」
深々と頭を下げる相田。
「……やはり、楓お嬢様も草薙本家のお方なのですね。苛烈で、尋常ではない」
「当然のことです。わたしは姉さんの妹ですよ」
◇
「どういうことなの、相田」
「ですから、そういうことなのです。三日後までに模擬試合をして、勝った方が相手に要求を通すことができるよう取り計らいました」
「だから、なぜそんなことになったのかを聞いているのよ。あの子とわたくしが試合ですって?」
「恐れながら、涼子お嬢様。楓お嬢様の意思は堅く、力を持ってして説き伏せる以外の方法ではいかなる手段も通じません。いやはや、さすがは本家筋のお方といったところでしょうか」
「玖渚の家を人質にとるというのはどうかしら?」
「失礼ながら、本気でしょうか」
「もちろん冗談よ。そんな怖い顔をしないで頂戴」
涼子は大きくため息を吐いた。そして、頭を振る。やれ、と命じれば、この男はやるだろう。
たとえ相手が誰であれ――それが、相田という男だ。
「……いいわ。二日以内に首魁を倒せばそれでよし、そうでなくても、あの子に私が負けなければそれでいいのね。わかりました。必ず成し遂げるわ。どちらもね」