第十二話
「たのもう! たのもう! だれかおらぬのか、いや、おるはずじゃろう! 我を拒むな、そなたらにとっていい話があるのじゃ! ええい、扉を開けんかい!」
屋敷の前で怒鳴っている者は、まさしくエーテリンデであった。吸血鬼は、招かれない家には入れないという呪いが種族的にかけられている。
インターホンを連続ノックするエーテリンデ。
ピンポピンポピンピポピンポーン。
『……何かようですか』
楓が答える。
「おう、おまえの持つブローチが必要じゃ。我に返せ」
『返す?』
「おうとも。それはそもそも我の物ぞ。永いこと手を離れておったが、今それが必要なんじゃ」
『……返せません。これは、わたしにとっても大事な物だから』
「ええい、ならば貸してくれるだけでもいいのじゃ! その宝石があれば、この地を異界から正常な世界へと戻すこともできるのじゃぞ!」
『詳しく聞かせてください』
「ならば我を門の中に入れぬか!」
『あなたを信用できないからそれは無理』
「なんじゃなんじゃ! そんなに我が貴様の姉を吸血鬼に変えたことが許せぬのか! それとも我が両親の仇じゃからか! かーっ! 心が狭い女じゃわい」
『帰ってください』
「ええい、それもこれも、必要なことじゃったのよ。この地はもう我が手を出さずとも、いずれこうなっていたのじゃ。じゃから、我はこの地を異界化させる原因を取り除いただけに過ぎぬ。あとは一度異界化させて、関係者各位を皆殺しにすれば、それで万事丸く収まるというものだったのじゃ。しかし、それにはそなたの持つブローチが必要不可欠なのじゃよ」
『つまりあなたは、わたしの敵ですね』
「敵でも味方でもないわい! ブローチのもつ異界生成能力を使えば、一発でこの世界を元通りにできるのじゃ。そなたのような力の使い方も知らぬ小童に持たせておくのは宝の持ち腐れじゃわい」
『その方法を教えて』
「よいか、そのブローチは異界の敵を物理的に倒すことが可能になる代物じゃ。それの異界化能力を、街を覆うほどの広さで行使し、しかる後に縮小すれば、今街を闊歩している有象無象はすべて一つにまとめられる。そうして出来上がった怪物を、我が血を吸い力に変えて倒してやろうと言うのじゃ。どうじゃ、誰もが得をするいい話じゃろう」
『話がうますぎる。信用できない』
「つくづく頭の固い小娘じゃのう。ちょっとは試してみようという気にならんのか。いったいどうすれば信用してくれるというのじゃ」
『姉さんを吸血鬼から人間に戻して』
「無理じゃ。覆水盆に返らずというてな、吸血鬼になった者は人間に戻ることはできぬ。まあいいではないか、幸い退魔師なんぞという堅気ではない存在だったのじゃろう? むしろパワーアップしたと考えるのじゃ」
『……やっぱり、信用できない』
「かあ! もう嫌じゃ! そなた以外の者を呼べい!」
『でも、この世界を元に戻せるなら、協力はする。ブローチは渡せないけど』
「ああもう、それでいいわい。おぬしがブローチの力を使って、怪異を我が倒す。それで終わりじゃ」
門が開かれた。変身した楓――マジカルメイプルが、そこに立っていた。
「私も怪異を倒す。それが条件だわ」
「呵々、商談成立じゃな。ではさっそく作戦会議といこうか。我を屋敷の中に入れてくれ」
◇
屋敷の中で、作戦会議をすることとなった楓とエーテリンデ。その輪の中に、相田も加わった。
「楓お嬢様おひとりで交渉ごとに当たるのは危険です。相手は悪魔、どのような嘘を吐くかわかったものではありませんから」
「嘘なんぞ吐かんわい。人間ではあるまいし」
「では、本当のことを言わないで、都合のいい情報だけを渡すことは?」
「呵々、聞かれなかったからのう。言わずとも良いことを、言わねばならぬ道理はないわな」
「何だっていいわ。異界を元に戻せるなら」
「しかし、たとえば一般人は無事なんですかね。異界をさらに異界化させるわけですから、死者が死者として定義されてしまう」
「おう、よくわかっておるではないか。それはその通りじゃ。当たり前のことじゃが、そのブローチを使えば、それはもう取り返しの付かんことになるわい。我はそれでも全くかまわんがの、呵々」
楓もその問題には気付いていた。過去、失った仲間達は、異界が消えても帰ってくることはなかった。
「それを何とかするための作戦会議だわ。草薙の力でなんとかならないかしら」
「聖教会の協力も取り付けました。エーテリンデ様に関することに対して、全力でサポートしてくださるそうです。どこまで信用できるかはわかりかねますが、二つの結界を合わせれば、なんとかなるでしょう」
「具体的にはどうするつもりじゃ?」
「結界を徐々に狭め、異界を凝縮します。異界が現実を侵すぎりぎりのところまで範囲を狭めた後、草薙の敷居内にすべての怪異を呼び込み、そこで楓様の持つブローチを使います」
「ふむ、なるほどのう。確かにそれなら一般人に被害は出ないじゃろうな。まあ我にとってはどうでもいいことじゃが」
「わたしにとって、津島の地すべての民は、守るべき対象です」
「草薙家も同じです。一般人に被害が出ることは許されません」
「うまくいくなら、それに越したことはないかの」
大まかな作戦が決まったところで、相田がエーテリンデに問うた。
「エーテリンデ様は何故、異界を正常に戻そうとしてくださるのでしょうか。怪異たる吸血鬼のあなたには、むしろ異界の世界の方が心地よいのでは?」
「なに、つまらぬ理由じゃよ。昔の盟約に縛られているだけじゃ。それに、怪異の親玉の血を吸えば、自分の力が一気に増すことになるからのう。願ったり叶ったり、じゃ。呵々」
言いながら、エーテリンデは遠い目をしていた。かつての盟約。それはブローチにまつわる悲劇。人間の友を得て、それを失ったことが今のエーテリンデの始まりであった。
「我は、基本的に人間なぞどうでもいい。じゃが、すべての人間がどうでもいいわけではない。たまには特別な人間が出来たりするのじゃ。今なら、我が愛し子たる藤堂琢馬などじゃな。特に理由などない。ただ、吸血鬼とて、一人は寂しいのじゃ。辛いのじゃ」
「そうですか。出過ぎた質問をして申し訳ありませんでした」
「勝手に語ったのは我じゃ。謝罪はいらぬよ」
「では、さっそく行動に移りましょう。相田さん、島田さん達はどうするの」
「私も島田も少しばかりの心得はあります。有象無象ごときに後れを取ることはありません。それよりも楓お嬢様が心配です。そのブローチで創られた異界は、現実となるのでしょう?」
「ええ、だから私は、屋敷で時がくるのを待ちます。歯がゆいけれど、仕方ありません」
「我は外で殺戮を楽しんでくるわい。いや、表立って暴れられる機会なぞ、そうそうあることではないからのう。腕が鳴るわい」
「では私は、関係者各位に連絡を入れましょう。作戦を伝えるのはお任せください」
「我の名は出さぬ方がよいかもしれぬぞ。いらぬ警戒を抱かれては厄介じゃ」
「ええ、もちろんですとも」
「それと楓とやら。そなたが我にブローチを渡さぬのであれば、施術をほどこす必要がある。後で我と共にこい」