第十一話
草薙家の中は正常を――清浄を保っていた。草薙の家は風水的に守られ、魔が増してもすぐに中和する一種の要塞だ。
「ついにこの時が来てしまったわね」
「姉さん。わたし、玖渚の家の様子を見てくるわ」
「俺も実家が心配だ」
「ダメよ。今外をでたら、どうなるかわからない。人間であることを維持していられるかどうかすらわからないのよ」
「ならば俺は既に吸血鬼だ。俺なら外に出られる」
「わたしも魔法少女よ。ひとであってひとでないものだわ。それに、ここでじっとしていたからって事態が良くなるとは思えない」
「……いざとなったら草薙家と教会が手を下すことになるわ」
「いざっていつよ! 手を下すって、それは人を皆殺しにするということではないの!」
「そうね。怪異は、闇は、人の想念から生まれるものだから」
「それは俺たちもそうなのか?」
「ええ、そうよ。人がいるから、わたくしたちのような者が存在するの。吸血鬼も、退魔師も」
「守るべき人たちを皆殺しにだなんて、絶対にさせないわ。姉さんがそうするなら、わたしは姉さんの敵になります!」
「わたくしだって、そんなことは嫌よ。それはあくまでも最後の手段だわ」
「じゃあどうするっていうんだ」
「異界濃度を下げるには、怪異を殺せばいい。外を歩いている悪魔を」
「そうして、全部を殺せば元通りになるのか?」
「ええ。世界が正気を取り戻せば、この悪夢のような世界は、夢幻として消え失せる。人はみな、悪い夢を見ていたものとなるでしょうね。ただし、怪異に関わり深い者にとって、夢は現実となるわ。たとえばわたくし、たとえばあなた」
「つまり、どういうことなんだ。今外で、犠牲者は出ていないのか」
「ええ、一般人に犠牲者は出ていないはずだわ。殺されたとしても、それは夢の中の出来事だもの。でも、あなたやわたくしは、死ねばそこでおしまい」
「今更死を恐れるものか。俺は既に吸血鬼なんだ」
「……そうね。では、人ではないわたくしとあなたで、外の化け物どもを鏖殺しにいきましょうか」
「わたしは……!」
「あなたはダメだわ、楓。あなたは人間ですもの。わたくしたちの帰る場所を守っていて頂戴」
「姉さん、わたしは、そんなに弱く見えますか……?」
「いいえ、あなたは強いわ。だから、相田や島田を守ってほしいのよ。外はわたくしたちで充分だから。草薙の屋敷には結界が張られているとはいえ、今となっては安全とはいえないでしょう。後方のことを気にしながら戦っていては、勝てる戦も勝てなくなるわ」
「……わかった」
「じゃあ、よろしくね。玖渚の方も見てくるわ。大事な家族ですものね」
こうして二人は家を出た。
◇
世界は、一言でいって捻れていた。時計は歪み、時刻ではなく命を刻んでいる。鴉が屍肉を漁り、鳴くではなしに泣いていた。ヒトガタの何かが闊歩し、血と脳漿が川に流れていた。電話は鳴り響き、新たな魔物を生産している。死者の一団が笛を吹き、仲間を捜して歩いていた。
「こりゃあ、ひどいな」
「心を強く持ちなさい。でなければ、あなたもわたくしも彼らの仲間入りだわ」
「本当にみんな大丈夫なのかよ。こんな世界で、人が何人も死んでいて」
「夢は夢だわ。とびきりの悪夢も、人を殺すことはできない。とはいえ、夢が現実となるのはもはや時間の問題だわ。そうなる前に、事態を解決しなくては」
「具体的にはどうするんだよ」
「そうね。わたくしたちがやることは、目に付くものすべてを塵に帰すこと」
「俺たち二人でやるのか?」
「いいえ、協力者がいるわ。草薙の退魔師も出ている。そして、なにより幸運なことに、ちょうど聖教会からの応援が届いたはずよ」
「あいつら、味方なのか」
「ええ。少なくとも以前戦ったあの男は味方だわ」
歩きながら、涼子は自分の髪の毛を一本ずつ一定間隔で地面に落とす。呪が込められたそれは、場を浄化する働きがあった。
琢馬が前方の一団をなぎ払う。怪異の王たる吸血鬼の力は、悪夢の集団など問題にならない強さだ。そうして、二人は街を掃除していった。
今、草薙の屋敷にエーテリンデが向かっていることを知らずに。