楓
縁側で一人の少年が俯いていた。風に黒髪が揺れ、その間から虚ろな瞳が見える。右手の横には木刀が一つ置かれていた。
その背中を廊下の先から見つめた弟は、ゆっくり近づいて彼の左後ろに立つ。兄は振り向かず、庭の枯れ木を見つめている。
楓の枯れ木は、弟が生まれた年に一緒に植えたものだ。もう十五年になる。北風の吹く静かな空に枝を伸ばして、木は竹の塀の前でどっしりと座っていた。落ち葉は片付けられてすっきりとし、冬の訪れを待っている。
――頑張らなくていいんだよ。そうやって耐えて立ち向かって、沈んでいくのを見るのは辛いんだ――
「大丈夫……」
兄はぽつり呟いた。
――なんて言葉は欲しくない。頼ってよ、僕に。何の為に兄ちゃんの近くに僕がいるの?
二人で支え合って、生きていく為に僕と兄ちゃんは出会ったんだよ。
いつも無理して我慢して、強がりで。僕は寂しい。我慢なんてしなくていいから。僕に縋っていいんだから。だから、一人で泣かないで――
兄は、かつて弟がくれた言葉を思い出していた。
――閉じこもって一人で涙を流してるのを知ってる。そんな時、僕は世界が孤独に感じる。きっと振り返ってくれたら、顔を上げてくれたら、僕がそこにいるから。
無理しないで。悔しいって、もう無理だって、言っていいんだよ。
あなたが崩れちゃう前に。
僕がその受け皿になるから――
兄は、俯いていた顔を上げて楓の木を見つめた。
「お前がいたらな……」
楓は静かにそこに立っている。兄は鼻を啜った。
――僕はね、兄ちゃんとならどこでだって生きていけるよ。何にだってなれる。兄ちゃんは僕を強くしてくれるから。
心配いらないよ。兄ちゃんが弱くなる為に僕がいる。強い兄ちゃんが羽を休める場所になりたい。あなたが笑顔で歩き出せるように。
僕も全部だって預ける。大好きだから。
僕は兄ちゃんにとっては、まだ守られるだけの存在なのかもしれない。だけど僕は、兄ちゃんの手にもなれるから。使ってよ、頼ってよ。その為に僕はあなたに出会ったんだから――
「いなくなるのが早すぎだ。バカエデ」
兄はなんの躊躇いもなく涙を流して、袖で拭うこともしない。それは袴にぽつりぽつりと染みを作っていく。
『ごめんね』
弟は静かに兄の隣に座った。触れても兄が分からないことを知っていても、そっと肩を抱いて。
「俺、ほんとは弱いからどうしたらいいのか分からない……お前は最期まで笑顔だったのに、俺だけずっと苦しくてっ」
『うん』
「俺、ちゃんとお前の力になれてた? 死ぬ時、怖くなかった?」
『怖かったよ。でも、兄ちゃんが一緒にいてくれたから、手を握っててくれたから、寂しくなかった』
兄の嗚咽が、障子がかたかたと鳴る間に挟まる。
「お前がいなくなって寂しい。ずっと助けてもらって、一緒にいて。楽しくて」
『大丈夫? これからやっていける?』
弟は少し心配で、届かないことは分かっていながらも優しく聞いた。
兄は何回も「俺」と繰り返し、しゃくり上げている。心配だな、と弟は思って、抱いていた肩を少し撫でた。と、
「俺、今全然大丈夫じゃないけど、その内大丈夫になるっ。お前のお陰で、ちょっと強くなったから……っあんま、心配すんなよ」
兄は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま笑った。視線の先には楓の木がある。兄は右手側に置いていた木刀を握った。
「俺、きっとさ、めっちゃ強い奴になって、誰かのこと守っても傷付かないようになるから。見ててくれよ。兄ちゃんのこと」
『……見てるよ』
弟は肩に触れていた手を放し、微笑む。少し涙が零れそうだった。
「あ」
兄が突然弟に向いた。一瞬ばっちりと視線が合って、兄は自分の左後ろの床板に目をやる。そこには楓の葉が落ちていた。
『……だよね』
見える筈がないのにと、どきりとした弟は残念に思いながらも、赤色のそれを拾い上げた兄を見つめる。
「楓、来たのか?」
『……! ……兄さんが泣いてないか心配になったんだよ』
視線は合わない。会話はしていない。それでも弟は返した。
「心配しなくていい。俺はお前の分まで生きるし、のびのび空に枝を伸ばしてやるさ」
『……うん。楽しみにしてるよ』
ぽろぽろ零れる涙は染みを作らず消えていく。それでも弟は届いたらと、とびきりの笑顔で兄を見つめた。
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