勇者一行を外された荷運び係、地図にない「帰還路」だけは全部覚えています
前へ進む人がいるなら、戻る道を覚えている人も必要です。
これは、戦えない荷運び係が「帰還」の仕事を任される話です。
「ラウル。最終攻略隊から外れてもらう」
勇者エミルにそう言われた時、腹が立たなかったと言えば嘘になる。
八年。
俺はこの遠征隊で荷を運んできた。
食料。
矢束。
薬。
幕布。
鍋。
靴底用の革。
折れた荷車の車軸。
剣を振るより長く、荷縄を結んできた。
「理由は?」
「魔王城の内部は狭い。最終突入は六人までだ」
エミルは机の上に地図を広げた。
「俺、セラ、ティル、宮廷魔術師二人、神官一人。補給班は城外の第三拠点まで」
「荷運びはいらない、と」
「内部ではな」
言い方に棘はなかった。
それが余計に腹立たしい。
「分かった」
「すまない」
「謝ることじゃない」
実際、正しい判断だった。
俺は戦えない。
短剣は持つが、狼一匹ならともかく、魔族の兵と斬り合う腕はない。
魔王城の中へ連れていけば、守る人数が一人増える。
最終攻略が近づけば、役割が変わる。
そんなことは分かっていた。
それでも、八年一緒に進んできた最後の最後で「ここまで」と言われれば、面白いはずがない。
「後方の第二補給所を任せたい」
エミルが続ける。
「好きにしろ」
俺は地図を畳まず、そのまま部屋を出た。
◇
第二補給所は、魔王城から徒歩三日の位置にある。
石造りの旧関所を利用した拠点で、遠征隊の食料と薬の半分が置かれていた。
「機嫌悪いですね」
着いた日の夕方、斥候のセラが言った。
「悪い」
「隠さないんだ」
「隠して何になる」
彼女は最終攻略隊の一人なのに、まだ第二補給所に残っていた。
翌朝、前線へ向かう予定らしい。
「エミルを恨んでます?」
「そこまでは」
「自分なら外さない?」
少し考えた。
「俺が指揮官なら外す」
「ですよね」
「だから腹が立つ」
セラが笑った。
「面倒くさいですね」
「知ってる」
その夜、俺は補給所の棚を確認した。
乾燥肉、十二日分。
硬パン、十日分。
治療薬、四箱。
水袋、予備三十。
縄、百二十尋。
油脂、樽二つ。
数字は足りている。
前線から戻ってくる人数が予定どおりなら。
遠征では、「予定どおり」が一番信用できない。
◇
三日後。
朝から地面が鳴った。
最初は荷車が通ったのかと思った。
違った。
棚の瓶が揺れ、天井から砂が落ちる。
「外へ!」
誰かが叫んだ。
全員が関所の外へ出た直後、大きな揺れが来た。
山の方から、低い音が長く響く。
木々の上へ、茶色い土煙が上がった。
「崩れた……」
若い兵が呟いた。
北東。
第一街道の方向だった。
◇
夕方までに、街道確認へ出ていた斥候が二組戻った。
一組は徒歩。
もう一組は、途中で馬を一頭失っていた。
「第一街道、黒角峠の手前で完全に崩落!」
「第二路は?」
補給所長のヘルマンが聞く。
「岩橋が落ちています。徒歩なら手前までは行けますが、その先は未確認です」
「第三路は」
「南の監視所から赤煙です。魔獣の群れが街道へ流れています」
前線そのものからの報告ではない。
それでも、第二補給所から先へ伸びる三本の道が同時に使えなくなったことは分かった。
部屋にいた全員が黙った。
前線には、勇者一行だけではない。
騎士。
神官。
工兵。
運搬兵。
六十人以上いる。
「前線の食料は?」
「昨日届いた定時報告では、四日分です」
「水は?」
「拠点脇に沢があります。ただ、揺れのあと濁っている可能性が」
昨日までなら、定時便は一日一回届いていた。
今日、それが途切れた。
ヘルマンが地図を見る。
三本の道には、全部赤い印がついた。
「救援隊を出す」
「どこから?」
「第二路を徒歩で」
俺は地図を見た。
「無理です」
ヘルマンが顔を上げた。
「何?」
「岩橋が落ちたなら、その先の崖道も割れてる可能性が高い」
「確認していないだろう」
「してません」
「なら」
「でも、あの道は行きと帰りで状態が違う」
全員の視線が集まった。
「どういう意味だ」
「北側から南へ下る時は、崖を背にして歩けます。逆は谷側を通る。荷を持った負傷者を連れて戻る道じゃない」
「代案は?」
俺は壁の地図を見た。
載っていない。
当然だ。
「古い巡礼路があります」
「どこだ」
「第三路から西へ半日入ったところ」
「地図にないぞ」
「今は使われてないから」
「通れるのか」
「全部は分かりません」
ヘルマンの眉が寄る。
「分からない道を使えと?」
「地図にある道が全部駄目なんでしょう」
◇
巡礼路は、七年前に一度通った。
正確には、通らされた。
第一街道が増水で使えず、荷馬十頭を連れて迂回した時だ。
その後は使っていない。
道幅が狭い。
途中に廃鉱の横穴がある。
馬車は通れない。
ただし、水場が三つある。
「救援隊は二十人」
ヘルマンが言った。
「ラウル、お前が案内しろ」
「俺?」
「道を知っているのはお前だけだ」
「七年前に一回だぞ」
「他にいるか?」
いなかった。
「分かった」
言ったあとで、胃が重くなった。
◇
翌朝。
救援隊は十七人になった。
工兵六。
神官二。
斥候三。
兵士五。
そして俺。
「二十じゃなかった?」
セラが言う。
彼女は前線へ向かう予定だったが、地鳴りの日に第二補給所へ戻っていた。
「狭い道に人数を入れすぎても動けない。それに水場が生きている保証がない」
「三人減らした分は?」
「補給所に残す。帰ってきた時、ここが空じゃ困る」
「それもそうか」
前線には神官が四人いるという昨日の報告もあった。
救援隊の二人は、道中と重傷者の搬送を補うための人数だ。
俺たちは背負えるだけの薬と食料を持った。
荷車は置く。
馬も六頭だけ。
残りは帰路用に温存する。
出発前、俺は記憶から巡礼路を紙へ描いた。
沢、石柱、廃鉱、谷。
縮尺は適当だ。
セラたち斥候には、俺より先へ出て道の状態を確認してもらう。
「全部覚えているんじゃないんですか」
若い兵に聞かれた。
「道筋はな。七年前の橋まで残ってるとは言ってない」
その違いは、出発前に全員へ伝えた。
「ずいぶん捨てますね」
若い工兵が言った。
「救援で一番邪魔になるのは、持ってきた物に執着することだ」
「八年の経験?」
「半分は失敗」
◇
最初の半日は順調だった。
第三路を外れ、森へ入る。
古い石柱を一つ見つけた。
「これが巡礼路?」
セラが聞く。
「たぶん」
「たぶん多いですね」
「七年前だからな」
石柱には、かすれた太陽の印がある。
これを三本追えば、廃鉱へ出る。
はずだった。
二本目がなかった。
「ないですね」
「倒れたか、埋まったか」
「どうします?」
俺は周囲を見る。
森は以前より深い。
左に小さな沢。
右に岩壁。
「沢沿いを先に見てくれ」
「根拠は?」
「昔の巡礼路は、水場をつなぐように作られてたはずだ」
「はず?」
「俺が使った七年前にはそうだった」
「それなら先に確認します」
セラともう一人の斥候が、荷を置いて沢沿いへ消えた。
二刻もしないうちに、布切れを枝へ結びながら戻ってくる。
「石畳の跡、ありました」
「助かった」
「覚えてるだけじゃ駄目ですね」
「今それ言う?」
「今だから言います」
否定はできなかった。
◇
昼過ぎ。
最初の失敗が出た。
七年前に使えた湧き水が、枯れていた。
岩の隙間は乾いている。
「水、どうします」
神官が聞く。
「次まで二刻」
「予定では?」
「予定では、ここで補給だった」
全員が俺を見る。
「悪い」
謝ってから、水袋を数えた。
余裕はある。
ただし、帰路に負傷者が増えれば足りない。
「配給を三分の二に」
セラが言う。
「今から?」
「今から」
文句は出なかった。
それがありがたかった。
道を知っていると言って連れてきたのに、最初の水場から外した。
胃が痛い。
◇
夕方、廃鉱に着いた。
入口の半分が崩れている。
「通れます?」
工兵がランタンを持ち上げる。
「昔は」
「また昔」
「うるさい」
内部を確認すると、主坑道は無理だった。
天井が落ちている。
ただ、右手の排水坑が残っていた。
人一人が屈めば通れる。
馬は無理。
六頭連れてきた馬を、ここで戻すことにした。
「全部?」
「全部」
「救援物資は?」
「人で持つ」
「帰りの負傷者は」
「担架」
工兵が嫌そうな顔をした。
「きついですよ」
「知ってる」
本当は馬を残したかった。
でも馬を通すために主坑道を掘る時間はない。
また捨てる。
この遠征では、そればかりだ。
◇
排水坑を抜けたのは、夜半近くだった。
出口の先は、谷だった。
そこにあるはずの木橋がなかった。
「……橋は?」
セラが聞く。
「七年前はあった」
「今日一番聞いた言葉ですね」
「覚えてる」
谷幅は十五歩ほど。
下は暗くて見えない。
工兵が岩肌を調べる。
「渡せます」
「橋を?」
「縄を二本。人だけなら」
「担架は?」
「帰りに増設します」
俺は頷いた。
工兵が岩へ金具を打ち始めるのを見て、肩の力が抜けた。
俺が分かるのは、「ここへ道があった」というところまでだ。
今も通れる形にするのは工兵の仕事だし、先を読むのは斥候、負傷者を見るのは神官だ。
自分の記憶だけで全員を連れ回すより、その方がずっといい。
◇
二日目の昼。
前線拠点から上がる煙が見えた。
白。
救援要請の煙だ。
「着いた」
誰かが言った。
足が急ぎそうになる。
「走るな」
自分に言うつもりで口にした。
帰りがある。
◇
前線拠点には六十三人いた。
重傷五。
歩行困難九。
軽傷多数。
勇者エミルもいた。
左腕を吊っている。
「ラウル?」
俺を見て、本気で驚いた顔をした。
「何でここに」
「救援」
「第一街道は」
「死んでる」
「第二は?」
「帰りには使えない」
エミルが笑った。
「そうか」
「何だよ」
「いや」
彼は周囲を見た。
「来ると思わなかった」
「俺も」
「最終攻略隊から外したのに」
「それとこれとは別」
少し沈黙した。
「すまなかった」
「今それやる?」
「いや」
「帰ってからにしろ」
◇
問題は帰路だった。
六十三人を、来た道そのままで戻すことはできない。
排水坑は狭すぎる。
縄橋も、重傷者を担架で渡すには危険だ。
地図を広げる。
俺の記憶に、もう一つ道がある。
「ここ」
谷の北。
「何です?」
ヘルマンから預かった副指揮官が聞く。
「炭焼き道」
「また地図にない?」
「ない」
「いつ通った」
「四年前」
セラが笑った。
「新しいですね」
「比較的な」
ただし問題がある。
途中に急坂。
荷車は無理。
でも担架は通せる。
そして、途中に小屋がある。
「水は?」
「沢が一本」
「七年前?」
「四年前」
「信用度が上がった」
◇
帰還には三日かかった。
一日目。
重傷者の一人が熱を出した。
神官が止まりたがった。
俺は進みたかった。
結局、二刻だけ休んだ。
そのせいで予定していた炭焼き小屋まで届かず、森で夜を越した。
二日目。
沢はあった。
ただし土砂で濁っていた。
工兵が上流へ行き、別の湧きを見つけた。
三日目。
急坂で担架の一本が折れた。
荷縄と槍二本で作り直した。
予定どおりだった区間より、予定を直した区間の方が多かった。
俺の記憶も外れたし、工兵の見立ても一度は外れた。
神官から休憩を増やせと言われ、セラには夜営地を変更された。
それでも、第二補給所の方向だけは失わなかった。
◇
第二補給所の石壁が見えた時、先頭の兵が叫んだ。
「帰ったぞ!」
後ろから声が広がった。
六十三人。
救援隊十七人。
全員が同じ速さでは歩けなかった。
だから最後の一人が門をくぐるまで、かなり時間がかかった。
俺は門の外で人数を数えた。
八十。
出た時より、ずっと多い。
◇
三日後。
エミルに呼ばれた。
「最終攻略隊は編成を変える」
「また?」
「魔王城への突入は続ける。ただ、その前に帰還計画を作り直す」
「今までなかったのか」
「一応はあった」
「地図に赤線を引いただけ?」
「……だいたい」
「よく八年もやってたな」
「返す言葉がない」
彼は机に新しい書類を置いた。
『遠征路務担当・試行案』
「何これ」
「名前からして仮だ」
「誰がやるの」
「まずはお前。あと二人付ける」
「俺、荷運び係なんだけど」
「給金区分は当面そのまま。試してから決める」
「そこは先に上げろよ」
「成功したら交渉しろ」
ご褒美というより、面倒な仕事が増えただけに見える。
書類を読む。
行路確認。
補給地点。
水場。
退路。
季節による通行可否。
撤退時の優先順位。
今まで俺が勝手に覚えていたことを、記録にする仕事らしい。
「戦闘隊には戻さない」
エミルが言った。
「知ってる」
「城にも入れない」
「それも」
「でも、行きと帰りの両方を見てほしい」
俺は書類を置いた。
「なら条件がある」
「何だ」
「俺一人の頭に入れる形にはしない。地図に書く。記録に残す。最低三人は同じ道を歩く」
今回、俺が倒れていたら、誰も巡礼路の入口まで行けなかった。
「分かった」
「水場は毎年確認」
「分かった」
「古い橋は記録だけで信用しない」
「分かった」
「給金は?」
「そこは後で」
「そこだけ返事が悪いな」
◇
一か月後。
次の遠征候補は、南の灰沼だった。
魔王城とは逆方向だ。
「湿地か」
俺は地図を見た。
描かれているのは一本道だけ。
横では、試行担当に回された若い兵が二人、まだ新しい記録板を抱えている。
「まず、何を確認します?」
一人が聞いた。
「帰りに使える道があるか」
「出発前に?」
「出発前に」
地図へ一本目の印を付ける。
「行けるかどうかより、戻れるかどうかを先に見る」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、勇者一行から外れた荷運び係が「帰還路」を仕事にする話です。
戦闘力ではなく、遠征で人を生きて戻すための経験に焦点を当てました。
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