あなたを信じ、頼ること (5)
我が儘に育った貴族の子女ならばまず先にこの処遇への文句の一つでも言うだろうに、琳華はそれを言わずに侍女の安否を知るや否や強張っていた表情や張りつめて上がっていた肩を下ろす。
「ご息女、単刀直入に言おう。事態が急転した」
「ええ、はい……わたくしがこうなってしまったからにはきっと、と思っていました」
「運が悪かったな」
「そのお言葉だけで片付けてよい事態ではないと思うのですが」
「確かに、周先生が見れば卒倒してしまうだろう。いくら自由奔放なご息女でも布団部屋よりも酷い場所に置かれているなど……しかしこれは私の指示でもある」
偉明は勝手に卓のそば、琳華のすぐ隣にあった寝台にどすんと音を立てて座りながら「ここは東宮に近い。だから私の目が行き届く」と言う。
「だが、この事態を起こしたのは伯家だ」
「丹辰様の……?」
「ああ。まあ政と言う物は色々複雑でな……たとえばそうだな、ご息女。周先生の書物を読んでいると聞いているが基礎的な兵法は分かるな?」
「はい……参考程度ですが」
「申し分ない。初等訓練兵よりもマシだ」
兵法について予備知識がある女性などこの世では大変珍しいが偉明は軽く頷いただけで話を進める。それは彼女が周家の娘だからに他ならない。
「上層部でも伯家に対して確かに疑いは掛けられていた。あの父親にあの娘。ご息女も見ただろう?後宮での立ち居振る舞いが物を言うことを伯丹辰はよく分かっている。だが反面、何か下手を打てばすぐさま自らに疑いの目が向けられるのも承知していた筈だ」
「丹辰様の行動は言うならば大胆不敵な振る舞い……?」
「そうなるな。伯家は商売人として利益への追及が単純に強い。それは悪いことではない」
「はい。商売とはそう言うことをして大きくなるとも」
「それで、だ。言いそびれていた劉家についてなのだが」
琳華の腕の中でひどく潰れている枕を見ていた偉明の視線が上がり、彼女の瞳を捉える。
「劉愛霖、彼女は養女だ」
「では劉家の血筋を引いていないのですか」
「いや、ご側室とも言えんような……いわゆる“外で作って来た娘”だ。噂の範疇でしかないがとある妓楼で産まれた子、とも」
「ですがそれについてはそこまで極端に珍しいことでは」
「ああ……ご息女は本当に肝が岩のように硬いな」
「これでも世間について多少は」
箱入り娘と言えども、と少し唇の先を尖らせる琳華は枕を抱え直して偉明を見る。結婚が出来る年齢となり、こんなにも間近で親兄弟以外の男性と話をするのは偉明が初めてだったが嫌な感じはせず……今はむしろ、心強かった。
それにもう、偉明は何も包み隠さずに話をしてくれている。
「雁風は鼻が利く」
「お鼻……が?」
「ある日を境にご息女から、そして侍女から同じ独特な匂いを感じ取っていた」
「それって、まさか……っ」
「使用が禁止されている粉末香の匂いだ。雁風は都の商人の子であり、ガキ大将だった。悪い者を蹴散らす果敢な男だがそれだけ危険な現場も目にしている。それが嫌で俺が内宮の警備兵への志願を勧めたのだが」
偉明が一人称を変える。
丁寧な言葉遣いの端々が琳華の前でほころんだのはこれで二度目。
「アレは人を惑わす薬効があるのだ」
「そんな……それを愛霖様がわたくしに、なんて」
「皇帝陛下が治められているこの地では“禁制品”だが一部の国ではまだ生産が規制されていない為によく密輸されている。そう、特に妓楼周り……」
伯家が密輸した粉末香が劉家の下男に流れていた、と言う丹辰の言葉。
そんな裏取り引きにはお金が必要だ。侍女を連れて来ることが出来ない下級貴族の家の下男など稼ぎが良い訳もない。下男は遣いとして取引現場に出向いただけで他にお金を出した人物がいる。
「偉明様、わたくし……こちらに来る直前に丹辰様から告白を受けていたのです」
「内容は」
「伯家の方が禁制品の粉末香の取り引き現場で劉家の下男の方を見た、と」
悲痛な琳華の表情に偉明も天井を仰ぎ見ると瞼を閉じて深く息を吸い、呼吸を整える。それは琳華も父親から教わった呼吸法。乱れた心を整えるおまじないだと思っていたが偉明も実践しているようだ。
「まだ誰にも言っていないな?」
「はい。わたくしが拘束される間際に二人きりになった時でしたので」
「宗駿様との謁見の名簿の作成に不自然な点は無かった。いや、そうか。伯家は俺たちが思っているほどの醜悪さは……まあ抜かりのない家として警戒はするが」
何やら自己完結をしてしまっている偉明の視線がまた琳華に移る。
「ご息女、寒くはないか」
「えっ」
「女人は体を冷やしてはならんと」
突然、どこかで耳が痛くなるくらいに聞いた話を偉明が寝台から立ちながら語るといつも羽織っていた長羽織を脱いでしまった。
「これは官給品ではない私物だ。茶をこぼして汚しても構わん」
「そ、そんな」
枕を抱いて両手がふさがっていた細い膝に濃紺の羽織が掛かり……琳華の頬は真っ赤になってしまった。こんなこと、誰からもされた経験がない。逆に疲れて眠ってしまった梢に自分の羽織を掛けてあげたくらいしか経験はない。
「ああ、それと……」
まだ何か、と赤い頬のままの琳華は偉明を見上げる。
「いくら東宮から近いとは言え貴族の令嬢を座敷牢に押し込めた非礼と慰労を、と思ったのだが……また後日にするか」
「え、えっ」
「この誤解はすぐに解ける。何より今ごろ周先生がガラの悪い連中を大量に引き連れてしかるべき部署へカチコミに行っている。一人娘にアヤをつけようなんざ……ふっ、当の本人はしっかり夕飯の膳を平らげて……っくく」
綺麗さっぱり、空っぽになっている膳を見ておかしそうに笑っている偉明に琳華はついに涙ぐんでしまう。
そんなに笑わなくたって、の気持ちと……本当は怖かった気持ちが涙の粒になってしまいそうになる。
「だって、ちちうえ、が……っ、小さなときから、腹が減っては」
「戦は出来ぬ、だろう?」
いつしか琳華の言葉もいつもより少し幼くなっていた。梢と話をする時と同じような、気を許した相手にしか見せない姿が偉明の前にあった。




