泣こうが喚こうが (1)
事態が急転したのは翌日の昼だった。
午前中は昨日の続きの座学、昼からも今度は後宮の内部の散策が予定されていた……筈だったのだが今、寄宿楼の各部屋の雰囲気はばたばたとしていた。
ただ琳華と梢の部屋だけはあまり空気は変わっていないが午前中の座学が終わる頃、見慣れない色の衣裳を纏った女官が広間にやって来て秀女を統率する担当女官に短く耳打ちをしていったことに端を発した急な事態。
「皇子様と謁見できる可能性がある、だなんて」
「お嬢様、髪はどうなさいましょう」
「……あまり無難でいるのも逆に目立ってしまうわよね。皆、相当気合を入れて着飾るでしょうし」
それなら思い切って“気合を入れた”姿になった方が良いかもしれない、と琳華は梢に伝える。
「小梢、この際だからわたくしのとっておきの紅を出して」
「例のブツですね」
ぐふふ、と若干変な笑い声が出ている梢は琳華の化粧用の小箱から美しい貝の入れ物に入った紅を取り出す。
「私が塗りますか?それともお嬢様が」
「小梢に任せるわ」
「承知いたしました」
着替えた羽織も持って来た中では珍しい青みがかった濃灰色のもの。一見、とても地味な色合いをしているが偉明曰く「花が咲いたような」場所に一人、暗い色の羽織は目立つ。何よりそれは琳華が持っている羽織の中で一番高価な物だった。
見る目がある者ならばその品質が分かる。
普段から最上級品を身に着けている宗駿皇子の側についている女官や兵が見れば価値が分かる品物。襟元や袖口に施されている刺繍も銀糸に青い糸が一本だけ含まれ、光が当たれば美しい色合いを見せる逸品だ。
その羽織は華美と言う雰囲気ではなく、気品と厳かさがあった。
「いつぞや母上から賜った勝負の紅……これを塗ると不思議と背筋に力がみなぎるのよね」
昨日まで、と言うかつい先ほどまでの琳華とは気配がまるで違う。
気高さを象徴する結い髪には襟もとの銀刺繍と同じ銀細工の髪飾り。
梢の手に握られた細筆によって深い赤の紅が掬われると琳華の唇の輪郭は丁寧にふちどられ、最後に目元にもごく細い針先のような筆で紅が引かれた。
「ッ、はあ……はぁ」
迫真の表情と指先で琳華の美しい顔をさらに美しく彩った梢は完成した主人の姿をすすす、と数歩後ろに下がって確認する。
「良すぎる」
俗な言葉が漏れ出ているが椅子に浅く座り、すらっと背が伸びた琳華の姿は既に若き皇后や寵姫と見まごう輝きを放っていた。
これならば宗駿皇子の隣に座っていても見劣りしない迫力がある、かもしれない。
「良い」
「っふ、ふふ」
梢の言葉と表情についに吹き出した琳華は卓の上にあった鏡を手にして確認する。
「確かに良すぎる、わね」
言葉遊びに付き合ってくれる琳華に梢も笑う。
「ちょっとやりすぎたかしら」
「ぜんっぜん!!そんなことありません!!」
「すごい迫力」
ぐっと両手に握りこぶしを作って首を横に振る梢は、主人がこうして完全武装をしてくれることが何より嬉しかった。日頃はそれなりに化粧もするがあっさりした風合い。それでも琳華は健康的で美しいのだがそれとこれとは話が別である。
「小梢もね、あなたに似合うのは……この色」
おいで、と呼び寄せた梢に琳華は化粧用の小箱の中から一つの入れ物を取り出して小指の先に付ける。
とん、とん、とそっと小指の先で乗せられた淡い色の紅。すると可愛らしい梢の唇に瑞々しく柔らかな桃色の花が咲いた。
「よ……よすぎる」
「ええ、とっても似合ってるわよ」
「お嬢さまぁ~、絽梢は一生お嬢様についてゆきますぅぅ~!!」
感極まっている梢、そして年相応に気高く美しく着飾られた琳華。仲の良い二人は「いざ、出陣」と布団部屋から揃って出た。
既に他の秀女たちも廊下に出て集合場所へと向かおうとしていたが寄宿楼付きの下女たちも仕事をするふりをして様子を見に来ていた。
ひそひそ、と言う声に混じって「あちらの方が例の?」やら「最年長と言うだけあって迫力が凄いわね」などの会話が交わされている。その中でも「儚げな感じだったのにしっかりとしたお化粧をするとまた印象が変わるのね」とどうやら直接、琳華の顔を近くで見たことのある……配膳時か何かに会ったらしい者の言葉が琳華たちの耳にも入った。
「ぐふふ。お嬢様はとーってもお美しいんですから」
梢も胸を張っている。
ひそひそ話をされるくらい美しい主人をさらに美しく化粧で彩ったのは侍女たる自分。
周家はとても待遇が良く、侍女にも化粧や良い衣裳を着させてくれる。今、梢が身に纏っているのも琳華からのお下がりだが汚れやシミなんて一つもないし、あれば自分が丁寧に洗濯をしていたもの。琳華も浪費癖はなく、ひとつひとつ物を大切にしているのでお下がりだなんて到底見えない。
琳華はなんとなく梢が今思っていることが分かってしまい、こっそりと笑う。そんな渋くも麗しい琳華の姿に他の秀女たちも僅かにざわついていた。
やはり皆が色とりどりの華やかな衣裳を身に纏っているが琳華のように落ち着いた色合いの者は誰一人としていなかった。
これこそが上級貴族の令嬢、最年長者なりの着飾り方なのだと言わんばかりで。
「まあ、琳華様!!」
可憐な小鳥のさえずり、では無く伯丹辰のはっきりと通る張りのある声が上がる。
「なんて素敵なの……薄い紅しか差されていなかったけれどきっと濃い色の方もお似合いになるとわたくしはずっと思っていましたの」
「そ、そう……?有難う。丹辰様も華やかな御顔立ちが朱の衣に映えてより一層素敵よ」
日、一日と丹辰の取り巻きは増えているが丹辰本人以外の琳華に対する視線はあまり好意的ではない雰囲気。それでも直接的には言ってこない。
「皆様もお綺麗で」
にこっと微笑み、当たり障りのない褒め言葉を投げかける琳華に対して途端に満更でも無さそうにしている取り巻きたちはやはりまだ気が幼いように見える。
「そう言えば丹辰様、劉愛霖様はどちらに」
「ああ、あの方ですか……」
琳華が未だ姿が見えない愛霖を心配するとその場の空気が瞬間的に冷えた。




