信用の所在 (1)
あまり騒がしい事は苦手、と言いたげな琳華の落ち着いた様子に丹辰もこれ以上は強く出られないようで引き下がる。しかしここで彼女を取り巻く秀女たちは若干、琳華について付き合いの悪い女性と言う印象を持ってしまった。
「ひと口ずつだけど、皆さんで食べて」
ね?とにこっと笑ってから梢を連れて広間から立ち去る琳華に対する評価が秀女たちの間でごく僅かに二分し始める。
ある者には最年長者としての余裕、ある者には年下に対する付き合いの悪さ。どちらかと言うと女官や宮女たちからは前者、丹辰の取り巻きからは後者の雰囲気が漂うが琳華は元布団部屋に戻って来ると椅子に座り込んでしまった。
「お嬢様も少し甘い物をお食べになりますか」
短く頷く主人に梢は家から持って来た大きな方の包みを開く。
「小梢も座って。一緒に食べましょう?」
「はい」
ふう、と息をつきながら瞼を閉じる琳華。これは兄たちから教わったちょっとした精神統一の行為だ。すう、と呼吸を繰り返して意識を整えた琳華は包みを開いてくれている梢を見上げる。
「小梢も見ての通り、わたくしの苦手な分野すぎてどう振る舞ったら良いのか……。それにどこにでも人の目や耳があり、いっときも休む間を与えられないと言うのはなかなか堪えてしまうわ」
「でもお嬢様、とっても順調に感じますよ」
「小梢にはそう見える?それなら良いのだけど」
小皿に出して貰った干し杏を口に運びながら物憂げな表情をする琳華。この後宮にたった一泊をしただけだと言うのに梢はもう、何度もその表情を見ている。
話によれば十日間は帰れない。長くなればひと月程度、後宮に滞在することになる。
「不敬なことだけれど、選べるだけ良いのかしら」
誰が扉の向こうで聞き耳を立てているかも分からない状況。琳華は小声で囁くように皇子の正室と側室選びについて言及する。それは自分たち女性には結婚相手を選ぶ余地を与えられず、嫁いだその日に初めて相手の男性と顔を合わせることが珍しく無い世の中の慣わしを風刺しているようだった。
宗駿皇子についてもそれは同じように、選び出された秀女数名からしか契りを結ぶ相手を選べない。
「尊い立場がおありだとしても、自由に恋愛をなさることがあっても良いとわたくしは思うのだけど」
木の実をつまんでいた梢にそっと問いかける琳華もまた、女主人として一人の女性の自由を縛っていることは忘れずにいた。梢からは「家族がいない私にとっての幸せはお嬢様のそばにいることです」と言われたこともあったが、やはり……。
「周琳華はおしとやか。重いものなど持ったことがない。秀女の中では最年長で……」
再び自分に言い聞かせているような琳華に梢は少し心配になる。これは琳華にしか出来ない内定調査と言う役目だ。父親にそんな気がなくても末娘を手駒としている事に間違いはない。それでも琳華の父親は梢の生家である絽家がままならぬ事情で一家離散となった際に奴隷として買われる寸前で助けてくれたのだ。
梢の父親は行方知れず、母親は幼かった梢を悪い商人から引き離す為に犠牲になり、それから消息が分からない。
――時刻を知らせる鐘が鳴る。
機敏に椅子から立った梢はつまんでいた菓子をさっと片付けて軽く琳華の髪を櫛で梳いて整えてから部屋から出て貰った。
小休止の後に集まるようにと言われていたのは寄宿楼の廊下だったのだが今日は天気が良かったので「回れる内に外を案内します」と担当の女官から伝えられる。
その音頭と共にわらわらと十二名の秀女たちの集団と後方には侍女たちが庭から後宮内の散策に繰り出した。
「案内図では大体、どこへでも出ても良いとありましたが」
我先に、と積極的な者に押し流されて列の一番後ろになってしまった琳華は隣にいる自分より四つも若い、まだ少女の可愛らしさが残る女性に話し掛けた。
「ひゃ、っはい!!そうですね……」
「劉家、愛霖様……ですよね。周琳華です。最年長ですがよろしくお願いしますね」
琳華と同じくらいの背格好の愛霖はとても驚いた様子だったがその訳は急に話し掛けられた、と言うだけでは無さそうだった。廊下に集まった時から他の秀女たちにあっという間に押し出されてしまった愛霖。琳華は後方でも問題は無かったのでそのまま後ろに居たのだが愛霖はなんとなく、引っ込み思案な印象を琳華に持たせる。
それに午前の座学のあと、自然と数人で固まり出している秀女たちのなかで愛霖はぽつんと一人でいたのを見ている。
「琳華様、わたくし……あの」
「どうかなさったの?お加減が優れないようでしたら」
琳華の優しさにまるで条件反射のようにすぐに首を横に振った愛霖は「大丈夫です」と言って俯いてしまった。
庭の散策と建物の説明を受けながら歩く秀女たちだったが仕事をしている宮女たちから強烈な視線を浴びていた。昨夜はかがり火だけ、人の行き交いも少なかったせいで分からなかったが逗留している楼内でさえすぐに噂話が立つのだから昼間の後宮の庭など夜間の比では無く。
愛霖はまだ人の目に慣れてないのだろうと琳華は思う。
秀女の半数が貴族の箱入り娘たちだ。好奇の目も多少は浴びているだろうがここの雰囲気や鋭さは世間とはまるで違う独特さがあった。
「もし本当にお加減が優れないようでしたらわたくしに言ってくださいね」
琳華の何気ないその一言が愛霖の心を救う。年下の梢と一緒に暮らしていれば声掛けの一つなど当たり前。周家では皆がそう、教えられてきた。
「琳華様……」
小さな声ながらも有難うございます、と礼を述べる愛霖は集団に遅れないように歩いてゆく。毎日の散歩のみならず、家庭教師として頼まれていた貴族の家に通っていた琳華にとって長く歩き続ける事は日常の動作の一つ。しかしそんな健脚さが仇となり、いつの間にか最後尾から一番前に出て来てしまっていた。
足腰の強さも秀女――いずれ皇帝の子を産まなければならない正室や側室にとっての重要事項だった。軟弱な体はお産に耐えられない。ましてやこの後宮、精神的な負担は世間とは比べ物にならなかった。正室が皇子を生んでしまえば継承権は一位であるが、側室も皇子を産めば揺るがぬ地位になる可能性はぐっと高まる。
(あの衣の色は……)
女官から説明を受けながら散策をする一行の前に突如現れたのは濃紺の一団。宗駿皇子専属の親衛隊だった。先頭を行くのはもちろん偉明。彼の側近である体の大きい武官を含めて全員が帯刀しているものの他の兵とは違い、親衛隊自体、厳めしい鎧などは普段から身に着けていないようだった。
偉明と側近の後ろに控えている数名も略式の革の胸当てや肩当を付け、帯刀をしているだけ。
その腰にはこの女の園の後宮内を自由に歩く事が出来る印としての揃いの白い組紐飾りが提げられていた。
それについても「ちょうど良いところに」と説明をする担当女官は親衛隊長に挨拶をする。
女官は秀女たちにも自分に倣うよう促し、偉明たちも形式的に挨拶をしてくれた。
たまたま偶然、前に出て来てしまっていた琳華は偉明と昨夜の体の大きな武官の後ろにいる一行の四人の内の誰かが宗駿皇子なのだと知っていた為に偉明の美麗さよりも必然と目で皇子を探してしまう。
「美しい姫君たちが勢揃いで……庭に花が咲いたようだ」
社交辞令の口上とは言え偉明から発せられる言葉に視線を外していた琳華は「は?」と思わず声に出てしまいそうになって袖口で口元を覆う。今、彼は何と言った?と、ぎょっとした視線はそれでも一瞬だけに留まる。いや、留めなくてはならなかった。そうしなければまた次に偉明と会う機会があったなら、絶対にグサグサと遠慮のない棘のある言葉が全力で投げられるに違いないから。




