9.お土産 《第1章終わり》
「マヒリト先輩? 何か言うことは?」
「えーと……ただいま?」
その日の夕方。
魔法特務機関のある島の、端に空島を下ろしたぼくを待っていたのは、笑顔をたたえながらも仁王立ちをするノイくんだった。
彼のさらりとした赤髪が風になびき、切れ長の目元が細められていて、端から見れば綺麗な男の人に見えるが、いま彼の周囲では濃い魔力が渦巻いていることだろう。こういうとき、自分に魔力がなくてよかったな、と思う。
空島から下りて彼のもとに歩み寄る。4つほど年は下だけど、ノイくんのほうが頭一つ背が大きいから、見上げる形だ。
「あ、会議代わりに出てくれてありがと――あだぁっ!?」
「正解です」
「じゃあなんてデコピンするんだよ!」
「会議を代わりに出ることになったからです」
ため息を一つついて、ノイくんはぼくに資料を寄越してきた。
痛む額をさすりながら目を通すが、経営戦略だの、新人育成のための特別講義だのまで目に入ったところで、読むのをやめた。
「まったく……2年目のペーペーをこんな重大な会議に出させないでくださいよ」
「でも、ノイくん優秀だし学校次席で卒業してるんだから、平気だったでしょ?」
「……大学の成績と魔法の腕がまったく関係なかったことを教えてくれたのは、あんたですよ」
ノイくんはもう一度だけため息をついてから、魔法特務機関のあるほうへ歩き始めた。
そろそろ陽が完全に落ちてしまうし、このあたりは野生動物が生息するエリアだから、魔力のないぼくが一人でいるのは危ない。
「あ、ちょっと待ってー!」
ぼくは彼の背中を追いながら、魔法特務機関の自室へと戻るのだった。
魔法特務機関の中にあてがわれているのは、端も端のほうの古びた部屋。
ぼくにあてがわれているのは、外から見ただけでは小さなワンルームだけど、空島のアトリエと同じく空間拡張の魔道具を使っているから、中身はもっと広い。
魔法特務機関では、上から指定された先輩後輩タッグは同じ部屋で過ごすことが慣習となっている。
先輩と後輩が共に切磋琢磨し教え合うことで、技術や知識の向上に繋げたいという思惑があるんだって。
ぼくの師匠は「んな馬鹿な」って言って一笑に付していたけど、師匠がこの機関のトップから降りた直後からそんな制度になっている。
とはいえ、ぼくがやっている魔道具研究と、ノイくんがやっている魔法研究は、似ているようで全然やっていることが違う。
それに、生活サイクルも結構違うので、空間拡張の魔道具で玄関だけは同じにしつつ、まったく別の部屋を生成した、というわけだ。
「そうだ、マヒリト先輩」
古びた扉の向こうにある、空間拡張で生成した新しめな扉に手をかけようとして、ノイくんに呼び止められる。
「ちょっと、相談に乗ってほしいんですけど」
「いいよ。ちょうどぼくも、お土産渡したいと思ってたから」
とはいえ、一人で研究させているとわからないところとか進みが悪いところとかは出てくるから、そういうのはちゃんと先輩として見てあげている。
師匠も言ってた。下を成長をさせることは、いずれ自分を楽にすることだ、と。
そして彼の部屋の研究部屋にたどり着くと、実験器具やら何やらでごちゃついた大きなテーブルの近くの椅子に腰を下ろした。
「ノイくん、いま何やってるんだっけ?」
「人体の魔力を結晶化させる方法を研究してます。これをすることで、魔力を物理的に貯蓄したり携帯したいなと」
テーブルの中央には大きな紙が敷かれていて、そこには結晶構造の推測だったり、計算式だったりといろいろ描かれていた。
ぼくは魔力を持たないからできないけど、魔力というのは人体の内部で生成され、使用することで減り、減った分を臓器が生成して補填する、という仕組みになっている。
しかしそうなると、大きく消費したあとは少しばかり休憩をする必要が出てくる。
魔術師はそれを、『天使が分け与えた休憩時間』と言って崇拝しているが、ノイくんはそれを打破したい、と機関に入ってきたころから言っていた。
ま、それで上に目を付けられて、ぼくや師匠の下につくことになっちゃったんだけどね!!
「結晶化する際の構造にはある程度の目星が付いたんですが、魔力の構造的に少し難しい構造しか残らなくて」
「ん-、なるほどねぇ……」
ノイくんはとても優秀というか、この機関に入ってから無駄な固定概念が消えて、柔軟な思考になった。
昔は「こんな構造なんてありえない! 大学ではこんなのやっていない! うわあああ!」って叫びはじめていたから、だいぶ変わったなぁ。
「そんなノイくんに、お土産です」
「ああ、そんなこと言ってましたね。ドーニッヒ山脈でしたよね、行っていたの」
「うん。ちょっとドラゴンとおしゃべりしに、ね」
「…………とりあえずそれについては、いったん脇に置いておきましょう。理解するのに時間を要しそうだから」
ノイくんは、深いしわが寄った眉間を指で押さえる。だいたいこういうときの彼は、疲れた頭を無駄に消費したくない、と思っていることが多い。
きっといまノイくんがやってる研究に目途がついたら、「詳細を聞かせてください」と目をらんらんにして突撃してくるから、そのときにでも話そう。
そう考えながら、ぼくはローブの内側からとあるものを取り出した。
「はい、これ」
「石? って、これは!?」
一見すると、水晶のように透明な鉱物。
一般人からすれば、キラキラして綺麗な石、程度で終わるが、今のノイくんにとってはまさに欲していたものだろう。
「ほら、ドーニッヒ山脈ってドラゴンがたくさんいるから、必然的に魔力が高い地域でしょ? だから自然と空気中の魔力が鉱物として結晶化するんだ。ドラゴンとおしゃべりするついでに拾ったから、あげるね」
もともとノイくんがどのあたりで詰まっているかは把握していたんだけど、ドーニッヒ山脈からの帰路でたまたま見つけて、持って帰ってきていた。
人間の住む地域ではこういった結晶はできないし、鉱物を採取しようにも、魔力の濃い地域は危険生物が数多くいて採取は難しいから、手に入ってよかった。
参考になるものがあるかないかは大きく変わるから、これでノイくんの研究も進みはじめることだろう。
「あ、ありがとうございます……!!」
「うん、頑張ってね」
ノイくんは、普段の真面目で硬い表情からは想像がつかないほど笑顔になり、全速力で分析機械へ行ってしまった。
機械を覗く目は大きく見開いていてほとんど瞬きしていないけど、まあ突破口が見つかったのなら良しとしよう。
「ちゃんとご飯は食べるんだよ~」
かつて、研究に没頭しすぎるあまり餓死しかけた後輩にそう声をかけ、ぼくはノイくんの研究部屋をあとにした。返事はなかったけど聞こえてはいるから、大丈夫だろう。
「さてと、ぼくもやりますか」
今日はまだ、やり残したことがあるのだ。
そうしてぼくは自室に戻り――
会議をサボったことで科せられた反省文を作るために、魔道具の電源をつけるのだった。




