6.親子喧嘩の和解
数時間後。
ぼくは分厚いノートのような機械を地面に置き、ドラゴンと討論をはじめていた。
『何度も何度も、□※×●==%だと言っているだろうが!』
「だから、そのグオォにあたる単語は、人間の言葉にはないんだってば」
『なら▼▲$(@@ならどうだ!』
「残念なことに、それもないよ」
ドーニッヒ山脈にドラゴンの咆哮が響きわたる。雪が降り積もっていても、腹の底が震えるようなそれはよく響きわたった。
ぼくの翻訳魔道具の効果はそれなりにあったものの、やはりドラゴンと人間、使っている単語の種類が異なっていることが多かった。
それこそ人間でも、海辺の人間が使う単語と、山奥に住む人間が使う単語には違いがある。たとえば『海に沈む夕日』を指し示す単語は、山奥に住む人間は持ち合わせていないみたいな感じ。
今まさに、それの異種族版が起きていた。
「うーん、まだ同種族同士なら説明しあえるけど、異種族同士となると新しい言葉を創造しないといけなくなるなぁ」
『はっ、そのたいそう立派な頭でしっかり考えるといい、この&$#“!め』
「……何を言ってるかはわからないけど、罵倒されてることだけはわかるよ」
くわえて、ガルブの父親であるこのドラゴン――名前をネルビルトというらしい――が、思いのほか短気というのか、考えを放棄する癖があった。
たしかに出会ったときからその片鱗は見えていて、よく考えると、子供がいるかもしれない空島に火を噴いたんだよね。
ま、それは、子供思いからの大暴走、という感じではあるけれど。
「んー、さすがに今日一日で、未解読単語すべてを詰める時間はさすがにないな……また来るか」
『おい、ここは我々の土地だ。今回はガルブのことがあったから特別にいれてやったが、普通なら人間は入れないんだぞ』
「えー、ケチ……」
『なんだ、そのケチという言葉は――む』
ぼくの悪態に怪訝そうな表情をしていたネルビルトだったが、ふいに首を上げてアトリエのほうを向いた。
『ガルブが起きたな。はやく帰らなければ』
「あ、ほんと? って、そうだ。ねえ、ガルブの体調が悪いの、知ってた?」
ぼくにはわからないけれど、どうやら魔力の微かな動きというのもドラゴンにはわかるらしい。
すると、ネルビルトは誇らしげといわんばかりに胸を張った。
『もちろんだとも。だからはやく家に帰って休ませようとしていたんだ。だというのに、あいつはいつも家を勝手に出てはどこかへ行ってしまうからな』
「そりゃそうでしょ。魔力過多なんだから」
『なぬ?』
ギロリとこちらに目が向く。細い瞳孔がさらに細くなっていて、まるで蛇にでも睨まれたような気分だ。
『どこが魔力過多だというんだ。なんなら、今の魔力は少なすぎる』
「大人のドラゴンからしたらね。子供のドラゴンにしては多いんだと思うよ。お腹が熱いって言ってたし、魔力の分布を見る魔道具で見た限り、お腹にある魔力生成器官に魔力溜まりがあったもん」
『なんだと……!』
そう言うなり、ネルビルトの態度は一瞬にして、しゅんと気弱なものになってしまった。
おそらくネルビルトはこれが初めての子育てなのだろう。
ドラゴンはとにかく大量の魔力を持つから、子供についても同じ基準で考えてしまっていたようだ。
だから、魔力過多という可能性をスルーしてしまったんだろうね。
「たぶんだけど、あんたの血を受け継いでるからか、魔力の生成量は普通のドラゴンより多いんじゃないか?」
『当たり前だ! このドーニッヒ山脈を支配する一族だぞ。そうでなくては困る』
「だから魔力過多で体調崩してたんだけどな」
『うっ……』
そんなことを話していると、アトリエのほうからガルブが元気な足取りでやってきた。初めて出会ったときよりもどことなく元気そうに見える。
しかし、ネルビルトの姿を見た瞬間、その歩みは一気にぎこちなくなった。
まあ、そりゃそうだよね。家出してよくわからない人間の家で寝て起きたら、父親が待ってるんだもんね。
『ガルブ』
『……お父さん……』
ネルビルトが名前を呼ぶ声に、ガルブはびくりと体を震わせる。
有無を言わさぬ眼光に、ガルブは一瞬歩みを止めたがすぐに再び歩き始め、ネルビルトのすぐ目の前までやってきた。
こうやって見ると、体の大きさかなり違うんだな。
空島くらいの大きさの親ドラゴンが、中型犬サイズの子ドラゴンを叱ろうとしてるってんだから。
『あの……ごめんなさい……』
『ふむ。家出をして俺たちを心配させたことは、あとで怒ろう。だが……』
ネルビルトは大きな翼でガルブを包み込む。
『俺もすまなかった。お前の体調を見ていながら、考えが及んでいなかったようだ』
『お父さん……!』
感動の和解とでも言う感じだろうか。
ガルブの体からは震えも消えていて、もう一度『ごめんなさい』と言いながら、ネルビルトに抱きついていた。
これでひとまずは、ドラゴンの親子喧嘩は一件落着というところか。
『さて、では帰ろうか。人間、ガルブのこと感謝する』
「え、もう? こっちはまだ終わってないんだけど」
『……は?』
だが、ぼくのほうの用事はまだまだ終わってない。
「未解読単語、もっと詰めたいんだけど」
『いや、さっき「詰める時間がないからまた来るか」と言っていたじゃないか』
「すべて詰める時間はない、って言ったんだよ。魔法特務機関からここまで遠いんだから、たくさん今のうちにやっておかないと」
『…………』
『え、マヒリトのお手伝い、やる~!』
額にありありとめんどくさいと書いてあるネルビルトと、楽しそうにバタバタと翼をはためかせるガルブ。
もちろん、子供に弱いネルビルトは頷いてくれるはずだ。
ぼくは翻訳魔道具から、先ほど手に取った分厚いノートのような機械をさらに数冊取り出すと、彼らの前に置いた。
「んじゃ、よろしくね」
――その日、ドーニッヒ山脈から、過去一大きな咆哮が聞こえたらしい。




