2.バルザンクス村
バルザンクスは人口が100人に満たない小さな村。
しかし周囲には圧巻の小麦畑が広がっていて、肥沃な作物栽培地域だとうかがわせる。
冷涼な土地だからか、夏を過ぎても小麦がまだ収穫されていない。前調べた限りでは、いつもは秋の初めくらいに回収するみたいだから、ちょうど今の時期くらいだ。
「んー、どこに降りればいいかな」
さすがに空島を、収穫間近の畑に降ろすわけにはいかない。
小一時間バルザンクスの周囲を散策して、集落から少し外れたところに見つけた空き地に島を着地させた。
「おい、島が降りてきたよ」
「はー、なんだって島が浮いてたんだ?」
「わ、人間だべ!」
すると、村人のおじさんが数人、農具を携えてわらわらとやってきた。まあ、謎の空島が飛来してきたら、そりゃ何事かと疑うよね。
ぼくはサッと魔法特務機関のローブを着ると、空島の内側にある階段を下りて地上の土を踏みしめた。
「すみません、突然驚かせちゃって。ノイ・ベールくんの上司のマヒリトと言います。ベールくんのご両親っていらっしゃいますか?」
おじさんたちは少しばかり呆然としていた様子だったが、すぐに「あぁ!」と合点が行った様子で、構えていた農具を下ろした。
「あんた、ノイ坊の話してた人か!」
「なんだお偉いところの先輩さんとやらが来てくれたってことか! ノイ坊がいつも自慢げに話してるやつだべな」
どうやらノイくんは、実家に帰るたびにぼくのことを話してくれているようだ。なんだか照れくさいね。
「村長さんだべな、ちょっと待ってな。呼んでくっから」
「あ、いえ。ぼくが行きますよ。突然訪問してしまいましたし、ちょっとお話ししたいこともありますので」
「わかった、んだら、こっち来てくれ」
まあそもそも、家庭訪問は立ち話するようなものではないというのはあるけれど、それ以上に村の中を見てみたくて、おじさんたちの案内でノイくんのご両親、村長さんの家に歩いていくことになった。
魔法特務機関のある島のように大きくて高い建物があるわけもなく、木や草でできた家がいくつか見えるだけだ。
道も綺麗に舗装されているわけではなく、荷車が最低限動けるくらい、といった具合。
言ってしまうなら、ド田舎の村、だね。
とはいえ、村の中や離れたところにある山には木が生えているけれど、小麦畑が広がる範囲には木が一切生えておらず、景色は良好。
青空と小麦畑が広がり、いっさい邪魔するもののない光景は、とっても美しかった。
バルザンクスはこの国の端っこのほうにある地域だから仕方ないとはいえ、この人数だけで広大な麦畑を管理しているのはすごいな、と率直に思ってしまう。
「こんなに大きな畑を、この村の人たちだけで管理するって、大変そうですね」
思わず言ってしまうと、おじさんは「ガハハハッ」としわだらけの顔を愉快げにほころばせた。
「昔からやってるから慣れだな慣れ。それに、この村だけじゃなくて、近くの村と協力してやってんだ。だから大変だけど、無理じゃないな」
どうやら、バルザンクスの近くには4、5個ほど同じ規模の集落というか村があるらしい。
そこで日を調整して、みんなで収穫したり、種をまいたりしているんだとか。
とはいえ、地平線が見えるくらい向こうまで広がる麦畑だ。水まきとかは大変そうだなぁ、とぼんやり考えていると、おじさんが振り向いた。
「それに、ノイ坊がいろいろと考えてくれたんだべ」
「ノイくんが?」
誇らしげに話すおじさんの話を聞くに、このあたりで栽培されている麦は、ノイくんが独自に品種改良を重ねて作った、乾燥にめっぽう強い品種なんだとか。
大して水やりこそいらない小麦とはいえ、冷涼でさほど雨の降らないこの地域では、少しばかり水やりが必要なときも出てくる。
すべての村をあわせても500人いかない人たちで水やりをするのは、何日もかかる重労働で大変だったそうだが、そこに現れた救世主がノイくんだ。
ノイくんは、水をやらないでも枯れなかった小麦たちを交雑させて、この村の気候と状況にあった小麦を開発したそうだ。
そのおかげで、水やりが必要な回数がぐんと減り、農作業の手間がかなり減ったらしい。
そしてそれがあの、美味しいパンの原料の小麦、というわけだ。
「すごいなぁ、ノイくんは」
「だろう? ノイ坊のおかげで、俺たちゃ餓死せんですんだってわけだ!」
「それでなんか、王都で勉強して、すげえとこで働きはじめたんだろ? ノイ坊は本当に、この村の希望の星だべ!」
「あんたはノイ坊の先輩なんだろう? あとでノイ坊の話でも聞かせてくれや」
おじさんたちとそんなことを話しているうちに、あっという間に村長さんの家に着いてしまった。
おじさんのうちの一人が、ゴンゴンゴンとドアを叩く。
すると、「はいはいはい、今行くわよ」と言いながら、一人の赤髪の女性が現れた。
4、50くらいの女性で、目は細く目尻があがっている。まるでノイくんの生き写しみたいだ。確実にこの人がノイくんのお母さんだろう。
女性は訝しげにぼくのことを黙って見つめていたが、おじさんの一人が「ノイ坊の上司だってよ!」というと、「まぁ!」と目を見開いた。
「いつもノイがお世話になってます。母のシルヴィアと申します」
「こちらこそ、急な訪問となってしまい申し訳ございません。ノイくんの上司のマヒリト・ダグラメンケンと申します」
ぺこりと頭を下げられたので、こちらも頭を下げ返した。
「こんなおじさんだらけの中でお話しするのもあれですから、よかったら中へどうぞ」
「おい! 誰がおじさんだ!」
「あんたたちだよ! さっさと散りな!」
……ぼくを相手にするときと、おじさんたちを相手にするときとじゃ、全然ちがうな……
それにしても強気なところは、ノイくんのお母さん、って感じだ。
「ふふ、ごめんなさいね。さ、どうぞあがってください。辺鄙な村ですから、大したおもてなしはできませんが……」
「いえ、とんでもないです」
そう促されて、ぼくは村長さんの家に足を踏み入れた。




