豹変
この章は折り返しなので、どんどん大事な情報が開示されていく予定なのですが、どんどん謎を増やしている気がしています。
「いい運動になった?」
そう言ってコップ一杯の水を差し出してきたリュークを見て、クレアはコップを受け取りながら苦笑した。
「あれは、食後の運動ではないかもね……」
結果は引き分けだった。
クレアとしてはファルに叱られる覚悟で大きな魔法を使ったため、勝てなかったことは結構残念なことだ。
全体的に劣勢だったリュークも、まだまだだと自覚したようだ。
「それにしても、空間属性の魔法を使われるとは思ってなかったよ。昔は使ってなかったから」
「グラントで教えてもらって習得したの」
「……そういえば、クレープのときもグラントの話をしていたよね。グラントに長く居たの?」
リュークの質問に、クレアはコップを持つ手に力が入った。
昔話は、どこからが昔話なのだろうか。
グラントに居ることになった経緯を話すには、彼女の死が必ず入ってくる。
クレアは少しだけ沈黙して、また口を開いた。
「………そうだね。5年くらいは居た。いい人に恵まれたから、魔法とかこの世界のこととか、色々と教えてもらったんだよ」
振り絞るように答えたクレアを見て、リュークはただ、「……そうなんだ」と言うほかなかった。
2人の間に微妙な空気が流れる中、何人かがクレアのところへ寄ってきた。
「なぁなぁ!さっきの試合、ちょー最高で痺れたよ!リュークが苦戦してるのも珍しかったから余計に面白かった!」
「お嬢ちゃん強者だね!リューク相手にここまで戦ったやつ、初めて見たよ!」
「特に水がひっくり返ったときは、俺もひっくり返りそうだったよ!あんな魔法が世の中にあるなんて面白いな!」
「あ、えと……ありがとうございます……?」
どうやらさっきの運動がてらの試合を観ていたようで、興奮冷めやらぬといった雰囲気でクレアに話しかけてきた。
この観客もリュークのことを知っているみたいだった。
クレアに話しかけた調子でリュークにも気軽に話しかけている。
「リュークって、結構有名人……なんですか?」
気になってしまい、感想を伝えにきたうちの1人の女に問うと、彼女は朗らかに大きく頷いた。
「リュークは突然この地域に来たんだけどね、毎日人助けしてるんだ。ここに来た日から毎日ね。犬の散歩から店の手伝いに看病、サプライズだってやってくれる何でも屋でね。最初はあの顔だから怖がられてたけど、みんな助けてもらってからは親しみ深くなったよ。
なんでも、昔助けてあげたかった子が居たみたいだけど、そのときは動けなかったからその罪滅ぼしにやっているんだとさ。範疇を超えているんじゃないかってくらいだけどね。おまけに、イケメンで魔法もうまいと来た。優良物件だなんて、子持ちの奥方に狙われてるのさ」
「へぇ………」
クレアはまだ話しているリュークを何か遠いもののように見つめた。
クレアの様子を見て、リュークのことを話してくれた女は、話を変えようと口を開いた。
「それはそうと……お嬢ちゃんは、魔法が上手いんだねえ」
「えっ?あぁ……それほどには」
突然の話題転換と、まだ話しかけられたことに驚いたクレアは、肩をびくりと動かして、女のほうを見て答えた。
女はすごく、嫌な笑顔をしていた。
さっきの朗らかな顔と打って変わっていた。
クレアが警戒していると、女はその笑顔のままでまた口を開く。
「さっきの試合、お嬢ちゃんは無詠唱だったねえ?どうやって習得したんだい?」
その目は、明らかに獲物を捉える目だった。
何が目的かわからず、クレアは警戒を解けないまま女に質問する。
「……………それを知ってどうするんですか?」
「ん?……どうもしないさ!子どもがいるからねえ、ちょっとした参考にできないかなと思ったんだよ」
(───嘘だ)
クレアは女の生気のこもらない目を見て確信した。
ただの言い訳だ。
一体何がしたいのだろうか。
しかし、答えないと女はずっと聞いてきそうな雰囲気だった。
そのくらい、欲に塗れた瞳がクレアを離さなかった。
「…………無詠唱は、物心がついたときにはできていました。なので、何の参考にもならないと思います」
コップを握る力が、また強くなる。
クレアが女に対して答えると、女は嫌らしく目を細めて笑みを浮かべた。
「へぇ、そうかい!
それじゃあ、お嬢ちゃんはどこ出身なんだい?」
「は……………?」
質問の意図が理解できなかったクレアは、思わず聞き返してしまった。
女は笑ったまま、クレアの答えを待っている。
何が狙いなのだろうか。
頭の中で、この質問には答えてはいけないと、警告している。
それは言われなくてもわかることだった。
真意をつかめずにいると、突然、女に腕を掴まれた。
それは本当に突然で、とても女性とは思えないほどの強い力で掴まれた。
「いたっ!やめてください!」
「やめてあげたいけどねえ、お嬢ちゃんが答えないからこうするしかないよねえ?」
「何を………」
あまりの痛みに訴えるも、女は焦点の合わない目で意味のわからないことを言い出した。
恐ろしくてたまらない。
一体なんだと言うのか。
抵抗を続けると、掴まれた腕から謎の感触が伝ってきた。
『変なもの』が自分の体の中に入ってくる感覚。
初めてじゃない、何度も『された』ことのある感覚。
「──────嫌だ!!」
バチィッ!!!
クレアが叫んだ瞬間、電気が走ったような音が鳴って、女は手を離した。
クレアの手も痺れたように動かせないでいる。
女は痛みの衝撃に顔を歪ませている。
女はとても人に向けるものとは思えない視線を肩で息をするクレアに向けた。
とても、恨みがましそうな目で、クレアを見ていた。
クレアが動けないで、震えていると、ゆっくりと誰かの手が握られた。
驚いて手の先を見ると、リュークが焦った顔で、心配した顔で、クレアのことを見ていた。
「大丈夫か?嫌なことがあったんだな?」
温かい言葉と握っていないほうの手で背中をさするリュークに、震えが止まった。
クレアはただ頷くだけ頷いて、リュークのその手に甘えた。
クレアのその様子に、リュークは目の前にいた女を睨む。
彼女もリュークの知り合いのはずだ。
クレアが原因で、亀裂を入れてしまうのだろうか。
リュークは小さくため息をついて、クレアの目を見た。
「『ちびっ子』、悪いけど僕はやることができたから先に家で待ってて」
「それって……私がいたら都合が悪い?」
先に帰らせようとするリュークにそう聞くと、リュークは少しだけ悩んだ顔をした。
「………ごめん」
その一言だけを告げた。
都合が悪いようだ。
クレアはそれだけ言われて、大人しく頷き、リュークの魔法でその場を去った。
クレアのいなくなった闘技場は、重々しい空気が流れていた。
「────誰の所属だ」
リュークは女を見て問いかけた。




