食後の運動
リュークに連れられてやってきたのは、闘技場のような場所だった。
中央の砂が敷いてあるだけのフィールドを囲むように周りが高くなっている。観客席だろうか。
まばらに人が観客席に座っているが、フィールドでは何もしていない。
これから始まるのか、ただたむろしているだけなのか。
席に座る1人が、リュークを見つけて声を上げた。
「リューク!この前来たばっかだから、当分来ないと思ってたよ!今日も見せてくれんの?」
少し興奮気味に席からリュークに向かって話す男は、さっきの街の人たちのようにリュークの顔見知りのようだった。
リュークは軽く手を振った。
「今日は運動しに来た」
「え、運動?」
リュークはそれだけ答えて、クレアの手を引いてフィールドの壁に埋め込まれた機械を触り出した。
途端にフィールドを包むように球状の結界らしきものが展開されていく。
「ここ、普段はイベントとかで魔法や剣術の大会に使われるんだ。使わないときは、今みたいに一般開放されていて、誰でもここで練習できる」
操作を終えたリュークがクレアのほうに向き直ってそう言った。
クレアはそこまで言われて、食後の運動で何をするのか察した。
その様子に、リュークはクレアに手を差し伸べた。
「食後の運動、つきあってよ」
「…………わかった」
断れない雰囲気にクレアは渋々手を取った。
「それじゃあ……合図は俺がやるから、『はじめ』の合図で魔法を使うこと。フィールドの設定上、一定のダメージが入ったらその時点で強制終了されて、受けた傷は全部回復するから、いくらでも暴れていい。
でも、ダメージを受けたときの感触は残るから、あんまり酷いことはしないこと。
じゃあ、準備ができたら2人とも手を挙げて」
その場に居合わせたうちの1人の男が合図をしてくれるというので、その言葉に甘え、2人はフィールドに向かい合って立った。
何も言わずに、お互いに手を挙げる。
高らかに挙げられた2人の手を確認して、男は息を吸った。
「────はじめ!」
合図の「め」で、動き出したのはリュークだった。
『цитаты с то у』
開始早々にして短縮した詠唱でリュークはフィールドの地形を変形させた。
大地が立っていられないほどの大きな揺れを伴って変わっていく。
いろんな高さでそびえる地の柱が所狭しと張り巡らされ、視界は奪われたと言っても過言ではない。
変わっていく地形の地面の揺れと、どれだけのダメージを受けると終わるかわからないクレアは風魔法で少しだけ地面から浮いた。
まだ向こうが何も仕掛けてきていない手前、あまり高く飛んでも不利になるだけだと思ったのだろう。
それとクレアにはもうひとつ悩みごとがあった。
(氷は魔力を消費しやすいかな……)
大きく魔力を消費する魔法や属性をあまり使いたくないということだった。
クレアはここに来る前に訪れた魔法の国、ルクレイシアで無茶な魔法の使い方をして『傷』を増やしてしまった。
診察した医師や一緒にいたファルには魔法を控えるように言われていた。
そのためにクレアはできるだけ魔力を消費せずに終わらせることを考えている。
(さて……そろそろかな)
そんなふうに考えていると、地面の揺れが止まった。
そこからクレアは何かを感じ取ったように足元の地面に炎を叩きつけた。
炎の跡からは地面に黒い人影が動けずにいた。
「やっぱりね」
クレアがそうつぶやいてその黒い人影に近寄った瞬間。
ぐさり、と左肩に何かが刺さる感覚がした。
突然の痛みにクレアが振り返ると、大小さまざまな地の柱の影から『生えた』たくさんの黒い人影がいた。
クレアは柱は目隠しのためでもあるが、リュークのこの魔法のためでもあったのだとようやく気づいた。
「最初の一撃が見抜かれるのは分かっていたから、第二の手も考えておいたんだ。前よりも面倒になっただろう?」
無数の人影たちの方から声が聞こえる。
リュークはどうやらこの中に紛れているようだ。
クレアは昔のことを思い出していた。
リュークは珍しい闇属性の使い手だ。
物陰さえあれば溶け込んで移動することだってできるし、闇で包むこともできる。
昔何度か手合わせをしたときは、クレアが策を練り出して地面に発光の魔法をかけたせいで、なすすべなく負けたことがあった。
クレアはそれを見越して、最初の一撃の炎を地面に向けて叩きつけたのだ。
いつもならそれで勝っていたが、今回は少し違う。
あのときはもう一つの属性である地属性を上手く使えておらず、対策のしようがなかったが、リュークも時を経て成長しているようだ。
しかも、クレアは大きな魔法を使うことを避けているため、地面を発光し続けるのはできない。
クレアが考えているうちに、人影たちは数を成して襲いかかってくる。
上へ飛んだとしても、柱の大きさによってはフィールドの結界まで届いているものがあるため、影も伸びることができる。
地上にとどまるだけでも、それはそれで影が襲いかかってくる。
そうなると、やはり柱をどうにかしなければならない。
しかし、今思いついた方法では結構な魔力を消費するだろう。
そうして考えているうちにも影は数を増やしてクレアを襲ってくる。
少しずつクレアに傷を負わせている。
このままでは一定ダメージというものでクレアが負けるだろう。
(負けたくはない、な)
クレアはそう思って何かを決心した。
1番高い柱の上に立つと、クレアは下を見下ろした。
影が集まって、大きくなろうとしていた。
「たしかに、面倒になったけど、いくらでも攻略の仕方はあるよ」
クレアは聞こえないほどの声の大きさで呟くと、足元に魔法陣を出現させた。
『───飲み込め』
その一言で、クレアの魔法陣は青白く光って、勢いよく大量の水が溢れ出した。
明らかに巨大な魔法だが、クレアは一回だけなら許してくれるだろうと思って使っているようだった。
顔にはファルが怒った顔で連絡してくる未来を心配する色が伺えた。
水はフィールドのほぼ1番上から地面へ落ちてくるため、勢いが増していく。
滝のように流れてくる水に当たった小さな柱は、一瞬にして跡形もなく泥となって砕け散った。
そして、フィールドが結界に覆われているため、徐々に水が溜まりだす。
「………そうきたか」
リュークは悔しそうにつぶやいて影から体を戻した。
その時点でリュークの膝あたりまで水はやってきていた。
影は水の中では光の反射が揺れるために体を維持できない。
そのため、分裂してクレアを襲うことができない。
きっと、このままでは水に飲み込まれて溺死して終わるだろう。
しかし、ここで終わりたくはない。
リュークが指をパチンっと一度鳴らすと、今まであった柱がすべてなくなった。
そして、次の瞬間、結界を覆うように土が張り巡らされていき、光が遮断された。
(陰さえあれば───)
リュークは少しだけ笑った。
『дугокбпж чгуСуыгпойп』
その詠唱で、リュークの体は一瞬にして消えた。
しかし、クレアはその状況に焦ることはなかった。
水はまだ、フィールドの半分くらいしか満たしていない。勢いをつけてもリュークの影が到達するのが早いだろう。
それでもクレアは1番上から動くことなく、囮にでもなったようにリュークを待っている。
(どうして動かない?怖気付いたとか?)
壁を伝う影のリュークはクレアが動かないことに少しの疑問を持ちながらも1番上を目指していく。
クレアは下の溜まっていく水を見つめながらリュークの来訪を待つ。
そうして、もうクレアが目の前というところで、リュークが影となって他の影と姿を現した。
それが引き金だった。
「────いらっしゃい」
クレアは笑ってそれだけ言うと、『飛行』を解除して、水のほうへまっすぐ落下をはじめた。
「………負ける気?」
リュークは岩肌の影から呆然とクレアの落ちる様を見ている。
フィールドの半分以上を占めている水でも、まだ1番上までは距離がある。
ここから落ちてしまうと、水と接触したときの強いダメージでクレアの負けはほぼ確定だ。
一体何が狙いなのか、わからずに呆然としているリュークを見て、クレアは勝ちを確信した。
『────反転』
クレアはそう言って指を鳴らした。
次の瞬間、落ちていくクレアが目にしたのはフィールドの『上部』を覆った水だった。
空間属性の『反転』により、水の位置を上下反対にしたのだ。
『反転』は対象自体にかかる重力に干渉しないため、水が落ちてくることはない。
ただ、水の中はこれまで通りの水だ。
(………詠唱ができない…………!)
水に巻き込まれたリュークは形を保っていられず、元に戻ったが、水のせいで詠唱できないことにしてやられたという顔をした。
クレアは『飛行』を使って、ゆっくりと地上に降りると、また指を鳴らした。
途端に、水の中に渦が現れて暴れだす。
風魔法で作った大きな水の竜巻が水中に現れる。
ものすごい勢いで暴れだす水の竜巻は、リュークが出したフィールド伝いの土を飲み込み、濁流となっていく。
あとは時間の問題だ。
リュークが抜け出すか、クレアが仕留めるか。
しかし、リュークはあの中では何も詠唱ができない。
クレアの勝ちが濃厚だ。クレアもほぼ自分の勝ちを確信していた。
ドゴォォォンッ
上から土の剣が落ちてくるまでは。
クレアが上を見ると、リュークは大きな土の柱にしがみついて、水面から顔を出していた。
どうやったのかはわからないが、あの土の柱で浮上してきたようだ。
リュークはクレアの頭上に無数の土の剣を落としていく。
クレアはリュークの魔法に少しあたりながらも、水の勢いを風魔法で増していく。
リュークは荒波に飲まれてフィールドの結界にあたるのを繰り返している。
持久戦に持ち込まれるかと思われたときだった。
ビビビッ!
ビビビッ!
フィールドにけたたましく音が鳴り響いたと思えば、次の瞬間には最初の向かい合った姿勢に戻っていた。
色々と戻って、状況が飲み込めずにいると、開始の合図をしてくれた男が慌てて口を開いた。
「た、ただいまの結果──────」
白熱して書いてしまったので、食後の運動にしてはなかなかハードになってしまいました。




