待つもの (ファルside)
長い長い夜が明けた次の日は、うんざりするくらいの晴れだった。
どうしてもダイニングルームに行く気になれなくて、俺が部屋から出ようとしないのを察して、ルアが朝食を持ってきてくれた。
「公子様、今日はルアと遊びますか?」
自室のテーブルに朝食を並べながら、ルアはそう聞いてきた。
昨日の言葉は慰めるために適当に言ったわけではなかったようだった。
ちらりとルアを見ると、ルアは昨日のつらそうな顔が嘘みたいに笑顔だった。
取り繕った笑顔なのはすぐにわかった。
ルアも俺も無理をしていて、2人で責務を放って遊んだら、どれだけ楽なことか。
ベッドの上で座っている俺は、ベッドシーツをぐしゃり、と握った。
「………いや、視察に行くよ。
本当はここでルアと遊びたいけど………公爵家として、責務は果たさないといけないから。それに、またわがままだって言われるのも困るし」
俺がルアを見て答えると、ルアは準備の手を止めてわざわざ俺の顔を見た。
目が合って、ルアが俺を痛ましそうに見る。
「公子様…………わかりました。
それでは視察から帰ったら、私とデザートを食べませんか?シェフが公子様に試食してほしいみたいです」
「うん、じゃあ楽しみにしてるよ」
ルアのせめてもの誘いは、俺の心を少し軽くした。
帰ったら、デザートが待っている。
今はそれだけでも嬉しかった。
準備を終えたルアは部屋を下がり、俺は1人晴れ晴れとした空を見ながら朝食を食べた。
「『シャルア』ちゃんと乗るから、あなたはメルオンくんと乗りなさい」
一瞬理解できなかった。
「………………はい、わかりました」
でも、すぐに俺は笑顔を貼り付けて母上に向かって頷いた。
俺はいらない子だから、一緒に乗りたくないのだろう。
聞いたところによると、今日の朝は『シャルア』と一緒だったらしい。
着実に俺と『シャルア』が入れ替わってきていた。
父上は俺のほうを見ていたが、もともと無口だからか、何も言わずに馬車に乗り込んだ。
俺が乗る予定だった公爵家の馬車に、今から『シャルア』が乗る────はずだった。
母上が乗り込んで、『シャルア』があと少しで乗る、というところで、『シャルア』は踵を返して、俺とメルオンの乗る馬車のほうへ歩いてきた。
「『シャルア』ちゃん………?」
母上が問い返すと、『シャルア』は母上を見て口を開いた。
「わたしは、公爵家では、ありません。
間違えないでください」
母上と言葉を練習しているとは聞いていたが、最初と比べて上達していることに、素直に驚いた。
諭すような表情で、母上に対して答える『シャルア』に、母上はたじろいでいた。
何も言えないでいる母上を見兼ねて、先に乗り込んでいた父上が母上を馬車の中に引き入れて、自らの膝に乗せた。
そして、「早く乗れ」と俺に言って扉を閉めた。
『シャルア』でいっぱいになっていて、つい忘れていたが、父上の膝の上は母上の特等席だ。
『シャルア』が来る前までは頻繁にあの光景を目にしていたが、俺が関わる時間が減ったせいか、すごく久しぶりに見た気がした。
『シャルア』が来ても、2人はまだ仲がいいことに複雑になりながら、俺たちは父上たちが乗っている馬車の後続を走る馬車に乗った。
「わ、わぁ!二人とも、街が近くなってきた、よ…………」
「「……………………」」
移動中、メルオンは頑張って盛り上げようと柄にもなくたくさん喋っていたが、俺と『シャルア』はまったく返事をしなかった。
俺はメルオンが嫌がると思って返事をしていないだけだが、『シャルア』はどうしてなのかわからない。
ただ窓の外を見る俺をずっと見つめてくる。
最初は気のせいだと思っていたが、これがずっと続くと話は変わる。
正直に言って、いたたまれなかった。
「…………言いたいことがあるなら言えばいいだろ」
俺が『シャルア』のほうを見てそう言ったら、『シャルア』はわずかに口を震わせた。
沈黙が続いて、メルオンがはらはらしながら俺たちを交互に見るなかで、『シャルア』はようやく口を開いた。
「……すぐに消えるので、そのうちぜんぶ、元どおりになります」
「何言って──────」
ガタンッ
『シャルア』の謎の発言の意図を聞こうとした途端、俺たちの乗る馬車は急に停まった。
目的地に着くには、まだ早すぎる時間だった。
「あ……着いたのかな?
早く降りないと待たせちゃうよね!降りない、と、………………」
メルオンの貼り付けていた笑顔が、窓の外に視線をやった瞬間に消えた。
一体何があったのかと、俺が窓の外を見ようとしたときだった。
ガァァンッ!
突然、俺と『シャルア』が座っているほうの扉が無理やり開けられた。
いや、壊された。
体が動かなかった。
視線だけを動かすことができて、壊された扉に視線をやる。
片耳についているダイヤ型のサファイアのピアスを揺らして、身体のラインがよく見える服を着た、全身黒色の細身の男。
明らかに異様な雰囲気を放つ男に、誰も動けなかった。
男はギロリと俺と『シャルア』を見た。
目が合った瞬間に殺されるのかと思った。
「銀髪の子どもってどっちだよ………まぁいいか」
男は小さく何かを呟いているのをただ見ていることしかできなかった俺は、次の瞬間、体が浮いた感覚に驚くしかなかった。
反応が遅れて、自分が男に抱えられているのがわかった。
俺の反対側には『シャルア』が抱えられている。
まだ視線だけしか動かせない俺が見た『シャルア』の表情は、今までにない絶望を宿していた。
今からどうなるのか、まったくわからなかった。
何が目的で抱えられているのか、頭が回らなくて、わからなかった。
「任務完了………っと」
男がまた呟いて、俺たちを抱えて動き出そうとして、俺はやっと、誘拐されかけていることに気づいた。
でも、気づくのには遅すぎて、大人の強い力に屈するしかなかった。
このまま、連れ去られるほかないのかと悔しさが募る。
何のためにいつも鍛錬してきたのだろう、と悔しくなる。
今連れ去られたら、城には戻れない。
戻れなかったら、ルアとの約束が守れない。
また、悪い子になる。
母上とも、仲直りできないまま────?
(もう…………いいか)
俺は諦めていた。
どうせ、いらない子なのだからこのまま消えて仕舞えばいいのだと。
そう思っていた。
ボゴッ
土が男の顎先にめがけて盛り上がった。
難なく避けてしまった男は俺たちを抱えながら、攻撃されたほうを向く。
必然的に俺も向くことになって、視線の先にいる人に目を見開いた。
「息子たちを返しなさい………」
母上が、立っていた。
自身の属性である地属性の魔法で作ったと思われる、巨大なゴーレムが母上の後ろに立っている。
母上は男を睨みながら地面に手を置いている。
地震や地割れのときの姿勢だ。
「面倒だなぁ………」
男は嫌そうな声でそう言って、右足で地面に3回、強く音を立てた。
「だめっ─────!」
男の行動にさっきまで絶望で萎縮していた『シャルア』が過敏に反応して、暴れて男の腕の中から解放された。
地面に叩きつけられた『シャルア』はすぐに立ち上がって、母上のもとへ走り出す。
「なっ、こいつ…………」
男は頭にきたのか、俺を投げ捨てると、母上に向かっていく『シャルア』を捕まえようと追いかけ出す。
投げ捨てられた俺は背中に痛みを感じて、動くのもやっとだった。
でも、あの男を止めないと後悔すると思った。
『вутукьдчшшглжжцд』
いつも剣術の稽古中に練習している『身体強化』をかけて、俺は立ち上がった。
走れ、走れ、とそう強く願って動き出した俺の体は、いつもよりも数倍速く動いた。
なぜかはわからないが、『シャルア』の必死さに焦りを感じていたのかもしれない。
本来なら追いつかないはずの大人の速さに、俺はすぐに追いついた。
『его ко ч сб мэчийдбшлэ』
『凍結』を詠唱して、男の足を氷で固定すると、男は身動きが取れなくなった。
男は後ろにいる俺を見て「クソが」と睨みながら吐き捨ててきたが、動けないままでいる。
「────『シャルア』!!」
後は任せたとは言いたくなくて、名前だけ読んだ俺を見て、『シャルア』は少し安心した顔を見せて母上の側まで駆け寄った。
「──────『結界』!」
『シャルア』の一言で展開された『結界』は、母上とシャルアを囲んだ。
なぜ『結界』を展開したのかは、すぐにわかった。
キィィィン……………!
突如、『結界』に攻撃が当たり、跳ね返された。
数秒後、俺たちを誘拐しようとした男とは異なる、サファイアのピアスを耳につけた男が空から落ちてきた。
『シャルア』が間に合っていなかったら、母上に当たっていた。
『シャルア』はこれを予測していたのだろうか。
何にせよ、『シャルア』のおかげで母上が助かった。
母上が無事でよかった。
安堵した俺は母上のもとへ行こうと走り出す。
「ははう──────」
ドゴッ
瞬間、後頭部に強い衝撃が生じた。
突然の衝撃に、俺の体は耐えられずにその場に倒れ込み、深い眠りについてしまった。
「…………ったく、手間かけさせるガキだな。
連れてくのはこいつじゃなかったみたいだし、殺すか……?」
男は倒れ込んだ俺をつまんで、物騒なことを呟いた。
男は『シャルア』を見ながら、俺を見せびらかすように揺らした。
「ファル…………っ!」
母上が目に涙をためて俺を見ていると、『シャルア』は母上の手に自分の手を重ねた。
安心させるために重ねたと思われるその手は冷たかったらしい。
『シャルア』が男のほうに歩を進める。
「はは……そうだ、そのまま来い!お前のせいで死ぬやつがまた増えるぞ………!」
男はずっと『シャルア』に向かってそう叫んでいたらしい。
男の目的は『シャルア』で、『シャルア』が近づくたびに口もとをほころばせていたという。
『シャルア』はただ、黙って近づいていくだけ。
母上がはらはらしながら見ていた次の瞬間だった。
グサリ
突然、男の心臓を氷の刃が貫いたという。
「ゴホッ…………お、前は………」
男は背後を見ようとしてぐらりと傾いて、俺を手放してばたりと倒れた。
手放された俺は男の背後に立った人物────父上によって保護された。
「片付けろ」
父上の一言で、どこに潜んでいたのか不思議な量の父上の『影』が処理を始めた。
父上のもとへ走り寄った母上は、父上と一緒に俺を強く抱きしめて離さなかったらしい。
ほとんどの疑問は次の話で回収する予定です。




