魔物討伐 4:接触 (ミュゼside有)
時はクレアがセイルクたちを魔物から遠ざけたところまで遡る。
クレアは森の上空を飛びながら、自分についてくる魔物を見下ろした。
グォォォォォォ…………
真っ黒な霧のようなもので覆われた巨体から、何度も地を這うような声が聞こえる。
クレアを追いかける魔物の周りの植物は通った途端に枯れ始めていく。
『氷柱───落ちろ』
ギャァァァァァァァァァァ!!!!!
クレアが出した無数の氷柱が魔物に向かって雨のように降り注いで突き刺さる。
当たる範囲が広いせいで魔物は氷柱を避けきれず、ほぼすべてが突き刺さり、叫び声を上げる。
グルルルルルル…………グォォァァァァァァ!!!!!
何度も攻撃をしてくるクレアを追いかけても追いつかないことに苛立ちを覚えたのか、魔物はクレアに向かって自身がまとう黒い霧を吐き出してくる。
『清めろ』
しかし、黒い霧はクレアの一言で一瞬にして白くなり霧散した。
(……やっぱり瘴気か)
クレアは魔物がまとう黒い霧の正体に顔を顰めた。
討伐から感じていた魔物の強さに対抗して、クレアは魔法の威力を強めていた。
その強さの正体がこの瘴気だとしたら納得がいく。
もしかしたら、グラント公国も、瘴気が原因で魔物が凶暴化しているのかと思い、ふと公爵たちの顔がよぎった。
自分の攻撃が効かなかったことに驚いた魔物は歩みを止めた。
一向に動き出さない魔物を見て、クレアは息を整えながらちらりと後ろを見る。
あと少し進むと、討伐可能範囲の結界に当たる。
結界石が攻撃されて破壊されたときの被害は計り知れない。
できればここで仕留めたい。
(………亜空間に飛ばせば魔力が節約できる)
クレアは胸に手を当てて息を吐いた。
クレアはすでに魔力が半分ほど削られていた。
フレンティアで見せた巨大な聖魔法、『神の鉄鎚』は、大きさによって消費量が異なる。
しかし、どれだけ小さくして目の前の魔物を倒すことはできても、帰りに対峙する魔物を倒すのには心許ない魔力量になる。
その点、クレアが私物を亜空間へ飛ばすときに使う魔法、『収納』は、落とし穴と同じ要領で魔物を消すのではなく亜空間へ落とすだけ。後始末は魔力が回復したときに亜空間全体を聖魔法で満たせばいい。つまり未来の自分に託すのだ。
クレアは動き出さない魔物を見て、心を決めた。
魔物の頭上で大きさを見定めて手をかざす。
次の瞬間、魔物を囲むように大きな魔法陣が地面に現れた。
『しゅうの───』
クレアが魔法を発動させようとしたときだった。
「きゃあっ!な、何これ……?」
「──!」
地上から聞こえてきた女生徒の声。遠くてあまり見えないが、魔法陣に踏み入れているのはわかる。
『収納』には欠点がある。
亜空間は足さえ踏み入れて仕舞えば誰でも入れてしまうのだ。魔物のみ亜空間へ飛ばさないと一緒に飛ばされたものの命が危ない。
グルルルルルル…………グォォォォォォ………
突然違う声が聞こえた魔物は、クレアから意識を逸らし、女生徒のほうへ向きを変える。
「え………な、なに、なんで……?」
恐怖で動けないのか、女生徒が立ちすくんでいるのが見える。
このままでは魔物に、瘴気にやられる。
迷っている暇はなかった。
「───っ、『神の鉄鎚』!」
クレアの言葉に呼応して、魔物を四方で囲む魔法陣が魔物の頭上に現れ、容赦なく金色の光が魔物に降り注いだ。
ギャアアアァァァァァァァ………………!!!
魔物は嫌がるように暴れ回るが、魔法陣に囚われて逃げ場はない。
やがて断末魔と共に光の粒となって消えていき、この場には瘴気にまみれた土地とクレアと女生徒だけになった。
魔物のおかげと言っては悪いが、瘴気に晒された土地に木々は生えていなくて、すぐに女生徒を見つけられた。
クレアは地上に降り立つと、女生徒のもとへ向かう。
何が起きたのかわからないままへたり込んでいる女生徒は、近づいてくるクレアを見て、驚いたように目を見開いた。
そして、まだ木々が残る後ろを一度振り返ってから、立ち上がった。
そして、クレアも女生徒を見て驚いた顔を見せた。
「………ありがとうございます、クレアさん」
「あなたは………ミュゼ、さん?
一体どうしてこんな奥に?」
クレアの問いに、ミュゼはさっきまで魔物に襲われかけていたとは思えない笑みを浮かべた。
「パートナーとはぐれてしまって、逃げることも忘れて奥に来ちゃったみたいです。
結局見つからなかったし、もしかしたら先に帰ってるかもしれないので……一緒に戻ってもいいですか?」
ミュゼは助かったことで安堵して笑みを見せたのかもしれない。
事情を聞いたクレアは困り眉のミュゼを見て、すぐに口を開いた。
「いいですよ。どこを歩けば受付に着くかわからなかったので、案内してほしいです」
「あぁ……、もちろんです」
クレアの返答にミュゼは一層笑顔になった。
かくして、ミュゼが先導して受付を目指すことになった。
歩き始めてしばらく経った頃、クレアたちは木々が生い茂った場所に戻りつつあった。
不思議なくらいに魔物が出てこないため、どこを歩いているかわからないクレアは受付が近づいていると思った。
「そういえば、クレアさん」
先導していたミュゼは突然クレアのほうを振り返って口を開いた。
今までは必要最低限、どちらへ進むかくらいのときしか言葉を出さなかったミュゼから話しかけられ、クレアは少し驚いた。
突然のことで、驚くクレアに、ミュゼは目を細めて笑ってみせた。
「私、パートナーにクレアさんのことを教えてもらったんです。
クレアさんが逃亡しているって」
「………何を言ってるんですか?」
ミュゼの言葉に体を強張らせるクレアは、精一杯に取り繕う。
ミュゼは声を上げて笑った。
「とぼけたって無駄ですよ。
逃亡だなんて、罪人がすることですよ。
………そんな罪人は将来のためにも、この世に存在してはいけない。そうでしょ?」
ミュゼがじりじりと近寄ってくる。
クレアは少しずつ後ずさる。
縮まらない距離だが、クレアが後ずさる方向は森の奥、つまり魔物と遭遇する可能性を秘めている。
今のクレアでは魔物との対峙は苦戦する。
近づくミュゼにクレアは方向を変えて後退していく。
ミュゼと位置が反対になる。
しかし、ミュゼに焦りの表情は見えない。
(………?)
クレアがミュゼの顔色を伺っていると、ミュゼは途端に杖を取り出した。
「『у гг хит до о』!」
次の瞬間、ミュゼの呪文によって繰り出された石つぶてがクレアに向かって飛んできた。
反応に遅れたクレアは防御ができずに後ろに歩を進める。
そのときだった。
パキッ
何かが割れた音がして、すぐ、クレアの体は宙に浮いた。
不敵な笑みを浮かべたミュゼを見上げる構図になり、自分が落ちていることに気づく。
一緒に落ちていく周りの土や石が、スローモーションのようにひとつひとつ見える。
長く、長く続く落下の感覚が、永遠に続く気がした。
脳が危険信号を出している。
早く、何かを唱えろと。
「……………『ひ───』」
ガシャッ、ガサガサガサ、バキッ!
ドサリ
クレアの記憶はここで途絶えた。
《ミュゼside》
何かがぶつかる音がした。
きっと、あの女が落ちた音だ。
割れた結界の魔石を拾って、ごみ袋に入れた私は、自分の頬を両手で挟んでにやける顔をどうにかしようとする。
でも、どれだけやってもにやけは止まらない。
「………これで邪魔はなくなった」
私が喜びに浸っていると、背後、森の奥からガサガサと音がした。
すぐに振り返ると、出てきたのは、私のパートナーであり、交渉したフードの男だった。
この男は、急に森の奥へ行こうと言って私を連れ出して、あの恐ろしい巨大な魔物の目の前に私を突き出した。
あのときは殺されるのかと思ったけれど、計画のうちだったとすぐにわかった。
出てこなかったから、はぐれたと言い訳してあの女と行動できたのは不幸中の幸いだった。
あの女に痛い目を見させるという私の願いは果たした。
あとはこの男にあの女を渡すだけ────
「…………あ」
私はそこで、自分がやってしまったことに気づいた。
彼は逃亡したあの女を『五体満足』で捕まえることを望んでいた。
罪人なのに丁重に扱うことを不審に思ったが、彼は完全な状態からいたぶりたいと言っていた。
だけど、私はあの女を突き落とした。
この高さで彼のいう完全な状態を保てているのだろうか。
そこまで考えて青ざめた私に、男は口を開いた。
「ずいぶんと面倒なことをしてくれましたね」
距離があったはずなのに、男はいつのまにか私の目の前にいる。
怒気を孕んだ声だとすぐにわかる。
とても恐ろしくて、口をわななかせることしかできないでいる私を見て、男は舌打ちした。
「ちょっと気絶させるだけでいいのに突き落とすとは………。人との約束を忘れて突き落とした快感はどうですか?」
「あ、わ、たし………は……」
上手く声が出ない。
どうしよう。どうしたらここを抜け出せる?
どうやったら私を許してくれる?
どうすれば。
ビュンッ
次の瞬間、私と男のわずか数センチの足の隙間に、矢が突き刺さった。
なに、これ?
私が動けないでいると、男は「気づかれたか」と小さくつぶやいて、私の腕を掴んだ。
そして、私の片腕だけを持って、あの女が落ちた崖に私をさらした。
体の揺れる感覚、フードからは見えない男の表情。
何もかもわからない状況。
ただひとつだけ、わかることがある。
私は今からこの男に始末されるんだ。
「さようなら」
男の、何も惜しまない無機質な声を最後に、私の体がフッと浮かぶ。
一瞬飛んでいるように錯覚したけど、空が遠くなっていくのを見て、違うことがわかった。
あの女、クレアさんも、こんな気持ちで落ちていったのかな。
「────ミュゼ!!!!!」
何度も聞いたことがある声が頭上から聞こえたのを最後に私は目を閉じた。




