初めまして灰色狼
空へと飛び出した私は迷うことなく、この上空からの光景で最も悲惨かつ一般市民及び兵士たちでは行くのも脱するのも難しいであろう方向へと駆けて行った。
そこは王都の中でも外れにあるわけではないが、獣を飼っている。簡単に言えば、先日のように森から出てしまった獣を確保した後に連れていく場所だ。動物園というか、獣園というか。最悪の場合獣を殺してでも人を助ける必要があるが、なにしろ貴族や王族が所有する建物になる。一兵士が獣を殺せばその責任を取らされるかもしれない。
「うわぁ……」
近づいて見れば、さすがの私でも呻き声を上げたくなるような光景だった。数多の種類の獣たちが檻を出てしまっていて、このまま檻を出てもいいのかと伺うように恐る恐る外へと足を踏み出している。その種類はというと、先日見た大きな熊ワグマもいる。しかし、どうやら中階級魔獣もいるようだ。近くの森から発生して、獣の匂いを辿って園まで来てしまったのであろうポーカーラビットの大群が見えた。その数はおよそ四十くらいだろうか。ちなみに兎のいる背後にはやけに厳重に建てられていたのが分かる扉の外れた分厚いレンガ造りの建物がある。
ポーカーラビット。中階級魔獣に指定された極めて残忍な性格の可愛らしい桃色兎。どこにでも生息する強さを見せ、野菜や草を好む草食動物。人がいることに気がつくと一匹が近づき、可愛い見た目で相手の緊張が抜けた途端攻撃、隠れていた群れの仲間が姿を現して袋叩きを開始するという。春になると冬眠を終えたポーカーラビットが増えるため傭兵たちは討伐任務で金を稼ぐそうだ。
そんな危険な生物が、群れをなしている。これが人に遭遇すればまず死ぬだろう。いくら兵士であっても、高性能の銃を持たない限り体力と戦力という人数差の勝負に持ち込まれて死だ。
「倒そう」
鼻から相手が残虐極まりない魔獣だと分かっていれば、どんなに愛らしい姿であっても殺すことができる。心は大して痛まないものだ。
敷地の上空へと行き、徐々に花弁を下げて降下していく。地面から一メートル少しまで下がったところで、ポーカーラビットたちがこちらへ気がついた。猫のように自由自在に隠すことのできる爪と、普段は隠れて見えない長い牙を剥き出しにして駆けてくるが意味がない。こちらは炎を飛ばすことが可能なのだから。ちなみにあの牙と爪は生命体の血管を軽く食いちぎる力を有していると聞いたことがある。肌の柔らかい人間では喉元を噛みちぎられて即死間違いなしだろう。
ああ嫌だ。竜のように分かりやすく真っ直ぐな攻撃を仕掛けて来るならばともかく、可愛い見た目で相手を惑わせるなんて嫌な戦略だ。小賢しい。
目を赤く血走らせて数十匹の兎がやって来る光景はたとえ魔獣でなく普通の愛玩兎であったとしても恐怖を抱きかねないものだ、なんてことをのほほんと思いながら私は無詠唱、カッコつけた台詞も無しで炎の球を発生させ睨み返してやる。私の視線に寄り添うようにして火球は勢いよく飛び、命中。爛々と兎が燃えている。ちなみに鳴き声はニャアでもワンでもない、人の言葉では形容できないものであった。
とはいえたったこれだけの攻撃で全ての兎に命中するわけもなく、仲間の死骸と炎の壁を超えて向かって来るポーカーラビットたちがいた。まあ、その覚悟は讃えよう。
私が再び炎を出現させて飛ばそうとしたその時、クウゥン、という低い唸りが聞こえた気がした。これはまずい。だいぶまずい。魔獣の園にいる、クウゥンと低く唸る、獣。そうよ、さっき空から兎を見たときにその背後にある頑丈な建物を見たじゃないのよ。
冷や汗を感じながらも、兎のやって来る炎の向こう側を見据える。冬にはふさわしくない陽炎のあちら側に、レンガ造りの建物。そしてその壁には大きく張り紙がされていた。もうボロボロで剥がれかけのポスター曰く『この先ギャングウルフ飼育域』。
「しまった」
思わずそう言葉を漏らす。とりあえず、半分無意識のうちに兎を倒し切っておく。血の匂いと兎肉の焦げる匂いが漂っている。ああ、ほんと、何やっているんだか。ギャングウルフは竜のような巨大さこそないが極めて厄介かつ私との相性が悪いと推測される、中階級魔獣の中でも最強クラスの動物なのに。
白銀の毛は威嚇時には逆立ち、鈍な剣では折れるほど硬い。さらに熱に強く、光を反射して輝きを放つ白銀の体はあらゆる攻撃を弾いてしまう。鋭い牙も脅威だが、それ以上に恐るべきなのは戦闘中に吐き出す青い炎。青の柔らかい陽炎は人間の視界のみを惑わせ、さらにあたりの空気をやや低くしてしまう。
跳躍力は最高到達点十メートルとされていて、これでは私がある程度上空へ飛んでも無意味だ。とはいえそれ以上上に飛ぶと空気が薄くて長時間の戦闘は厳しくなってしまう。そのくせにギャングウルフは怪我無しならば最大火力の状態で三時間は戦えるとかなんとか。五十メートルを二秒くらいで走り終わるとかいうしもうそれって瞬間移動じゃないのよ!
『くぅ……ん』
あー!! あー!! どうしよう! 絶対に逃げられないかつ見過ごせないこの状況でよりにもよって熱と炎を弾くギャングウルフが敵とか、運尽きたかなぁ。でも…………私が戦わないとたくさんの人が死ぬ。ギデオンを殺してまで生き残った意味も、なくなる。
脳裏に一瞬ギデオンの最後の姿がよぎったけれど、頭を思いっきり振って光景をどっかへと追いやった。
「よし、一回近づいて様子を見るわよ」
位置は地上一メートル上辺りを維持しつつ、花弁を横に平行移動させることでそうっと近づいていく。
『くぅぅ』
徐々に声がはっきりと聞こえてくる。あ、そういえばギャングウルフはそのあまりの賢さゆえに言葉は話せないけど人間が一方的に話しかければ理解はしてくれるんだったかしら。魔獣なのに言葉が分かるなんて他に例がないくらい珍しいけれど……せっかくだし、試しに何か言ってみようかな。
「ごほん、えっと………私は異能を二つ持つ者よ。お前に勝ち目はないわ。それでも戦うなら吠えなさい。戦わないなら何も言わないで」
少し大きめの声でそう告げて見せると、その後十秒ほど、なにやら荒い息の音以外は何も聞こえなかった。もしかしたら敵対するつもりはないのかもしれない。ギャングウルフは認めた人間にはとことん信頼を持って接し、その大きな背中に乗せてくれると聞くし。異能持ちの私を認めたのかしら。あるいはポーカーラビットを難なく倒していたのを見て強さを認めたのか。
「ちょっと近づくわよ!」
本で読んだくらいでしか知らないギャングウルフに緊張を持って距離を詰めていく。段々と炎が薄れ始め、赤い陽炎もなくなって、その姿がハッキリとしていく。
ふわふわの毛は威嚇していないことを示している………いや、違う、これは────。
「怪我をしていて、戦えないの……?」
毛の色は白銀ではなく赤に染まっていて、体長一メートル半ほどのまだ幼いに入るギャングウルフは荒い鼻息を立てながら横たわっていた。
ポーカーラビットは食べられます。
最初に食べた人曰く、「人を襲うけど草食だから腹に人肉はないはず!なら俺が食べても共食いにはならない!それにただ馬鹿にされて終わるのも悔しいから食してやる!」だそうな。サイコパスめ。
ギャングウルフはある意味アグリアにとって竜よりも厄介な相手です。




