心が割れる音13
アランが私から魔弾を託されているのだと知ったギデオンの荒れ狂いようは凄かった。凄惨だった。構えた銃で手当たり次第に人々を攻撃し始めたのだ。
「みんな逃げて!」
幼い私が必死に声を張り上げてそう叫んでも、銃声にかき消されてしまう。《聖女》たちも竜ならばともかく、人間相手で戦った経験なんて無いからとにかく逃げ惑うしかない。そして銃弾の被害者となるしか。
「ギデオン! お願い、もうやめて!」
必死にそう懇願しても。
「ぼくのモノになる?」
「なるから! もうやめて!」
その問いに頷いても。
「じゃあ、その素晴らしい異能で隣にいるアランを殺してよ」
その願いにだけは応えられない。
その願望だけは叶えてはいけない。
「なぁんだ、アグリアの嘘つき」
そうしてまた止めていた手を動かして銃弾を放ち出す。
貴族の護衛や執事たちも武装の状態には整えたものの、貴族の息子相手にどこまで立ち向かっていいものかと考えてしまっている。
──私が。私が、なんとかしなくちゃ。
自分のせいでギデオンが狂ってしまったなら、自分でギデオンを取り戻さなくてはならない。そう思うくらいには私は責任感が強かった。
「アラン、みんなを逃がして」
そう言い残して、私は走り出した。
「待てっ! アグリアァァァァァアアアアアアッ!!!!」
悲痛な悲鳴が響き渡る。その声が長く続くせいで、私の名を呼ぶせいで、心が痛む。
──本当は怖かった。
今すぐにでも逃げ出してしまいたかった。
それでも立ち向かったのは、ギデオンの変わり果てた姿に少なからず責任を感じたからで。貴族として《聖女》として人々を守ろうと思ったからで。
──誰かを守るには犠牲が伴うことを、その時の私はまだ知らなかった。
「咲き誇れ、火炎!」
前へ前へと伸ばした指先から炎の矢が飛んでいく。けれどどうしたって、友人相手に最大火力は出せなかった。
心の中では、一刻も早く、彼が多くの人を殺してしまう前に拘束、あるいは、そう、最悪とどめを刺してしまうことが彼への最大の餞になると理解しているのに。心を鬼にして友人を救えない自分がもどかしかった。私には力があっても強い決意がなかったのだ。
「もうぼくは、疲れたよ」
ギデオンが悲しげな顔をしながら、そう呟くのが聞こえた。それでも彼の引き金を引く指の力は弱まらない。自暴自棄になっているのは誰が見ても明白だった。
「どれだけぼくが愛しても、アグリア、君はぼくを見ないんだもの」
隣で転んだ女性がいた。立ち上がらせて、ひとまずテーブルの下にでも隠れるように言ったけれど、それを見ていたギデオンは非情にも彼女が私の手を離しそうとした瞬間に狙い撃ちした。私は女性の手を握ったままだった。でも、怖くて離してしまった。引き寄せることすら出来なかった。私の手を離れた女性の身体は、滑稽なくらい一人で踊っていた。数多の銃弾を浴びて黄色のドレスはドロリとした赤に塗れ、足元はおぼつかない。それでもロンドを踊っていた。貴族としての嗜みの舞いは、死を相手に披露されていた。
そうして悲鳴すら上げることなく女性は死んでいった。元から細かったとはいえ、魂を失ったその身体はより一層軽くなっていた。地面に転がった時の音はドサリではなく、コトリ、と言った方が正しいようだった。
「ハハハハハハッ!」
ギデオンの笑いと銃声だけが透き通るように脳内で響いていた。
私の手にはまだ、女性の手の温かさが残っていた。酷い血の匂いを感じて、私は吐き気がした。とにかく気持ちが悪かった。一人だったならとっくに地面に向けて腹の中身をぶちまけていただろう。それでも手で口を押さえて、もう片手で炎を吐き出し続けた。
血と死の匂いで頭が回らなくなってきていた。幼かったこの頃はまだ竜と戦ったことすらなかったから、飼い猫の死くらいしか知らなかったのだ。それが突然、あちこちで大人が倒れていくのだから、むしろよく立っていると褒めるべきであった。……この元凶が私であるということを除いたならば、褒めるべきであった。
「たとえばさ、君が、アランを好きで、付き合ったとする。それならばまだ分かるよ。でも君は誰とも付き合っていない。なのに、ぼくを避けるの?」
ギデオンの声が遠く感じられた。距離としては少しずつではあるけれど、近づいているはずなのに。
「アランも、ギデオンも、大切な友よ」
今ならまだ、間に合うんじゃないか。
今ならまだ、手を取り合えるんじゃないか。
そう思って掠れ声でもいいから勇気を出して言葉を返す。
「友だちになりたいんじゃないよ、アグリア」
深淵のように深く冷たい声だった。
「ああ、もういいや。全部殺そう。アグリアも殺そう。そしてぼくも死ぬ。あの世で会おうよ、アグリア。それでいいじゃんねぇ?」
悲観と楽観をごちゃ混ぜにしたギデオンの心はついに壊れた。ここまでとは違って、本当に壊れたのだ。己の願望すら捨ててしまった。あの世だとか来世だとか、そんな不確かなものに運命を委ねてしまった。こうなってしまったらもう収集が付かない。さすがの私も、解決は不可能だと悟った。
ギデオンが銃弾を装填し直した。その隙を狙おうとしたけれど、無駄だった。ギデオンが持っていた銃は一つではなかったのだ。彼の前に座る男性に、小さな拳銃が向けられていた。男性はカイだった。人質に取られてしまったのだ。屋敷によく出入りしていたから、私と仲の良い執事を知っていてあえてカイを選んだのだろう。
恐らく、逃げ惑うカイに銃口を向けて自分の目の前に座らせたに違いない。そして、私やアラン、護衛の人たちが弾の装填中に下手に動けば殺すつもりなんだ。
カイを殺したくはない。
仕方ないから、隙をつくのはやめて周りを確認しておくことにした。護衛の人はもうほとんどいなかった。怪我をした貴族たちを連れて逃げた人もいるからだ。さらに言えば、草の上に倒れ伏した人もいた。
「だれ、か」
護衛の一人が骸となって倒れているその場所に、下敷きになる形でうずくまっている少女が見えた。まだ四歳くらいだ。どこかの貴族の子供か、あるいは使用人の子か。どちらにせよ、護衛が死んだ理由がその子を庇ったことだったのが伝わってくる。怖くて動けない少女が助けを求めているのを見て、私は走り出した。一刻も早く彼女を他の大人の元へ届けなくてはと思ったのだ。
「ちょっと、よそ見はやめてよ、アグリア」
けれど無意味だった。いつの間にかリロードを終えたギデオンがこちらに拳銃を向けていたのだ。
私は少女の手を掴むと、少し離れた場所で地面に転がせた。その上に私が覆い被さって、さらにその上には棘でシールドを作る。弾丸は棘に食い込んで、私たちには当たらない。けれどもやっぱり意味などなかった。
「あ、そう、じゃあこっちでいいや」
少女を殺すことを諦めたギデオンはカイの後頭部に銃口を当てた。
「や、めて………やめてえええええええええええッ!!」
声帯が壊れるくらい、自分の声で鼓膜が破けるくらい、それくらい吠えた私だったけれど、ギデオンはカイを撃ち殺した。カイはパタリと倒れた。目は私を見ていて、その口は『生きて』と紡いだところで止まっていた。
さらにギデオンは私が動揺したことによって棘に穴が生まれていたことを見逃さなかった。乱雑に放たれた十発ほどの銃弾のうち一つが、少女の腕を射抜く。それだけで幼い少女は死んでしまった。
「なん、で」
守るものを失った私は無意識のうちに棘を展開するのをやめていた。スルスルと地面に戻るようにしていなくなっていく棘の動きは、主人の願いに応えられなかったことを詫びるようでもあった。
「なんでって、そりゃ、全部殺さないと」
一足す一が二となることと同じくらい簡単そうに彼はそう答えた。
その時、少し離れたところで声がした。アランの声だった。ギデオンから目を逸らして見れば、アランが少年を庇って倒れていた。腹のところを銃弾が掠めたようで、命に別状はないものの流血していた。
その様を見て、先ほどの護衛と彼が守り私が殺した少女が思い浮かんだ。このままじゃ、アランはあの護衛のように死んで、少年もまた死んでしまう。そしたらアランは無駄死になってしまう。それはダメだ。それだけはダメだ。とにかくダメなんだ。アランは死んじゃいけない。死ぬことは許さない。誰が? 私が。主人の私が許さない。アランは私の暗殺者なのだから。私より先に死んじゃいけない。
もう、私の思考回路は停止していた。
ギデオンと同じように、考えるという人間特有の行いは形を失っていた。
頭の位置が固定されていない赤子のように、私は頭蓋骨部分を揺らしながら左右にふらりとしつつ歩き始めた。身体から熱が漏れ出ていたみたいで、辺りの地面が焦げていく。炎の異能の恩恵だった。
「ギデオンが、止まらないなら」
自分でも何を考えているのか分かっていなかったけれど、やけに理屈が通っているような気がした。
「私が、止めてあげるから」
ギデオンの方は何か私の異変を感知したようだった。銃弾を無駄に打つのをやめて、アランに向ける。何があろうと私はアランを助けることを優先すると判断したのだろう。
「ギデオンが、罪を重ねるなら」
アランに向かって撃たれた銃弾は、私の熱が溶かしてしまった。炎の壁、陽炎のようなものに触れたところで、金属でできている鉛は一瞬にして液体のようになっていく。
「私が、終わらせてあげるから」
ギデオンは驚きの顔をして止まっていた。もはや銃弾が意味をなさないことを理解したのだ。重くなった空を吹き抜ける風が彼の金の長い髪を揺らし続ける。私が彼の濃い青の瞳に恐怖を感じることは、もうなかった。
「や、めろ、アグリア、ぼくは、きみの、ために」
懺悔の言葉も贖罪の言葉も私の耳は受け付けなかった。
そもそも、多くの貴族と使用人を殺した彼を待つのはどのみち死刑ただ一つだ。なら、私が終わらせてあげたかった。それはエゴか、あるいは私は本当はサイコパスなのか。そんなのは知らないけれど、元凶の私がトドメを刺すべきだと感じた。
「死んでよ、破壊者」
数多の棘と薔薇が私の周りに集った。
棘が七歳の少年の身体を容易に持ち上げ、地上から一メートルほどの高さで吊るすようにした。そんな彼に棘が纏わりつき、顔色は恐怖に染まる。先ほどまで逃げ惑っていた人々と同じ感情がこもっている。
「やめ、て、あぐ、り、あ」
棘に咲いていた蕾が花開く。
そして真っ赤な薔薇が姿を見せると同時に、首に巻き付いていた棘が彼を締め殺した。トゲによって肌からぽたりぽたりと血が滴る。
何を思ったのか私は薔薇で傷つくことを厭わずに、死者となった彼を抱きしめた。私のドレスは鮮血に塗れ、トゲで穴が開く。
そこで意識は覚醒する。なんて嫌なタイミングで冷静になってしまうんだろうか。自分が彼を殺したのだという現実が、服に染みついた血から伝わる。
棘で拘束できたのに。
捕まっても死刑にならないかもしれないのに。
なのに。
そんな思いが今更溢れ出す。
「あぐ、りあ」
震える声が私を呼んだ。
振り返ればそこには、少年の頭を撫でながら歯を食いしばって傷の痛みを堪えるアランがいた。
思わず駆け寄った私は、彼に手を伸ばした。
怪我をさせてごめん。
怖い思いをさせてごめん。
ギデオンを殺してしまってごめん。
謝るべきは、たくさんあった。
告げるべきは、山ほどあった。
でも。
伸ばした手を恐れるようなアランの瞳が、見えた。
自分でも手のひらを見た。トゲで傷つき、血に塗れた手だった。
後ろを見れば、まだ、少年の骸が罪人を見せびらかすように吊るされていた。それでも美しいのは薔薇の魅せる力か。
辺りを見れば、大人たちが私を遠巻きにして眺めていた。
さっきまで、ギデオンを恐れていた人たち。
事実、私以外ギデオンを止められなかったのだ。
それでも誰も私に礼を言わない。
狂気に晒された幼子の私を心配しない。
それどころか、皆。
──別に、感謝してほしいわけじゃない。
──それでも、心配してほしかった。
──私の行いを正当化しろとは思わない。
──ただ、そんなふうに。
ギデオンを見ていた双眸に宿っていた以上の畏怖の感情を目に閉じ込めて、私を見ないでよ。
「鮮血の女王」と誰かが小さく言った。それに頷く者はいなかったけれど、咎める者もいなかった。
「薔薇の姫様」と誰かが呟くように言った。それに数名の者が頷きかけた。
「薔薇姫様」と誰かが震える声で言った。それに皆の心が賛同してしまった。
そして私は気絶した。
最後に聞いた音は、ぽちゃり、だった。
それはギデオンから流れる血でできた水たまりの音だった。私に向けてそれが跳ねたせいで、視界が赤く染まっていく。護衛を振り払ってこちらに駆け寄る両親が見えたけれど、どこか赤色をしていた。
私の心が目に見えない何かに屈する音は、ガラスが割れる時のバリンでもパリンでもなく、重い者が落ちる時のドカリでもガシャンでもなかった。
コロン、パリ、シャラン。
中身が入っていないみたいな、空虚な音だった。
□■□■□
今でもたまに、夢を見る。
助けてと。
どうしてと。
愛していると。
そう、ギデオンが言うのだ。
あのあと目覚めた時、アランは申し訳なさそうにして私の隣に座っていた。それからアランは気を使って私にギデオンの話をしなかった。貴族たちも使用人も誰も彼も、ギデオンのことは忘れたことにしてしまった。彼らは惨劇を思い出したくなかったのだ。そのおかげでアランと私は前のように友達として仲良くなれた。
それでもたまに、夢をみる。
ドロリとした液体が私を沈めてしまうのだ。何かに足を掴まれたみたいで、私は赤に溺れてしまう。それは言うまでもなくギデオンの残した呪いだろう。
ただずっと、後悔している。
幼い三人が出会わなければ。
本音など捨てて付き合っていれば。
そうすれば会場にいた人も、ギデオンも、誰も。
「死ななかったのよ」
真っ暗な世界が、突如赤に染まりゆく。偶然か、あるいはあの謎の女の成す技か。全ては夢と同じ光景だった。
ギデオンの声がした。
アグリアと、優しく私の名を呼ぶ。
真剣に剣を振るう姿と、アランと馬鹿をして怒られる姿。庭を賭ける姿。案外涙脆い姿。私を褒める姿。本を読む姿。
幸せだった日の何もかもが、走馬灯のようにして脳裏をよぎっていく。
あの白い部屋の女の思惑通りだということは分かっている。それでもなお、この赤の先に見える光を目指してしまった。目指したくなってしまった。それだけは夢と違う部分だったから。その先に、幸福がある気がしたから。
赤に溺れ沈み、深海まで落ちたところに見える光を探して、私は自ら下へと向かって泳ぎ始めてしまった。
調べてみると出てきますが、ギデオンとは、破壊者という意味を持っているようですよ。




