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心が割れる音12


 次の光景が、最後の景色であり、少年時代の最期の瞬間だった。


『お誕生日おめでとうございます、アグリアお嬢様』


 誰もが私を褒めてくれる日。そう、ついに六歳の誕生日パーティの日が来たのだ。少しだけ曇ってはいたけれど、そう悪くはない天気だった。みんな冬ということで厚着していたからむしろ少し涼しくてちょうどいいくらい。

 パーティは屋敷の庭にいくつもテーブルを並べて、国花であるピンクコスモスと私の咲かせた赤い薔薇で彩られている。

 大人はワインの入ったグラス片手に、子供はジュースの入ったグラスを片手にそれぞれ持って、最近の流行だとかレーランド家のことだとかを話している。


『こちらをどうぞ』


 私もオレンジジュースの入ったグラスを持ちながら、スピーチを終えて一息ついていると、アランが忙しそうに働いているのが見えた。飲み物を配り終えたら暇になるだろうから、そしたら声をかけよう。


 そう思うと同時にギデオンのことを思い出してしまった。あれ以来話していないどころか会ってすらいない。アランはギデオンに嫉妬されていた人物だから一応軽く事情を話したけれど、彼だって十歳だ。馬鹿っぽいくせに責任感が強くて他人の感情に敏感なタイプだから、詳しくは言わないでおいた。

 それでも何か察したみたいで、ギデオンのことは話題に出さなかったり、いつも以上に明るく振る舞って笑わせようとしてきたりする。こういうところはやっぱり年上だなぁと感じてしまう。


『おーい、アグリア』


 いつの間にか仕事を終えたアランがこちらに向かってくる。今日は執事の服装だ。白の長袖シャツに灰色の質のいいズボン、黒のベスト。胸のところには小さな青色のリボンが付けられていて品がある。


『もう仕事は終わったの?』


『ああ。今日はもう遊んでいいってさ』


『そっか』


 二人だけでいると、どうしてもギデオンがここにいないことに疑問を覚えてしまう。彼だって好きであんな風になったわけじゃないだろうから、少しだけかわいそう。きっと苦しくて、誰よりも悩んで、傷ついて、その末に堪えきれなくなって感情が暴れただけに違いない。


『……誕生日、祝って欲しかったなぁ』


 漏れてしまった言葉にアランが反応する前に、私は気を取り直してグラスを呷ると、中身のジュースを飲み干して薔薇を見ようと誘った。私が咲かせたのだと自慢しようとしたのだ。


 でも、その直後だった。


 会場が不思議とざわつき始めて、薔薇の前にいた私たち二人は舞台の方を向いた。さっき私がスピーチをしたところだ。他の場所よりもやや高くなっているからよく見える。そしてその壇上に立つ人物を見た途端、凍り付いた。アランでさえ口を開けたまま何も言わない。


『なん、で』


 私が言えたのはそれだけだった。


『アグリア』


 あの日と少し似ている、低い声のその人物は、見間違うこともない相手、ギデオンだった。パーティに相応しいスーツを着て髪を整えているにも関わらず、寝不足なのかクマのある酷くやつれた顔が目立つ。強い風が吹くたびに頼りなく揺れる身体は、この三日ほど何も食べていない人のように細い。心配になるくらいだ。


『ああ、アグリア、そこにいたんだね…………アランも一緒か』


 相手はこちらを見つけると、にこやかに笑ってそう言った。アランに対してだけはやや敵意のある瞳を向けていた。その目の色がまだ、光を吸い込んで闇を放出するような青だと気が付いた時、自分の背骨がカタカタと音を立てた気がした。


『お誕生日おめでとう、アグリア』


 その場にいる誰もが困惑していた。

 みんな知っているくらい仲良しだった三人組のうちアランを除く二人がこの数日部屋から出ないくらい引きこもって、しかもあの雨の日はその片方が異能を使うくらいだったのだから、貴族も使用人も喧嘩をしたのだろうと噂していた。そのおかげで大きく詮索されることはなかったから楽だったけれど。


 それが突然、ギデオンが遅れてパーティに現れるものだから、仲直りか、あるいは喧嘩の延長かと招待客も使用人も緊張していた。


『あのね、アグリア。この間のことを謝りたいんだ。ぼくは少し焦っていたよ。無理に迫って、ごめん』


 謝罪だわ。そう思うと私は嬉しくなった。思い直してくれたのならば、お互いにこれ以上傷つけ合わなくて済む。ギデオンとアランだって元は仲良しなのだからきっと上手くいく。そんな風に淡い期待を胸で膨らませていた。愚かだった。幼稚な私はここまできても、歪んでしまった恋愛感情の強大さを知らなかったのだ。


『ぼくたちはまだ十歳にもなっていないんだ』


 続きを語り出したギデオンの目は、何故か爛々と輝いているように見えた。私の目がおかしいんじゃない。大人たちだって、何か様子がおかしいと、ざわめき始めていた。


『これから先、何十年ってあるんだ。もっとゆっくりでいい。ぼくはアグリアが好き。大好き。そのことはこれからゆっくりと、一つずつ伝えればいいんだ。そうすればアグリアだってぼくを好きになってくれるはずなんだ。いや、好きになる』


 ギデオンが反省したのは感情をいきなり押し付けたことであって、感情の出所が間違っていることではなかった。むしろ前よりも悪化しているようにすら思えた。少しずつ伝えて好きにさせるなんて、洗脳して離さないみたいなものじゃないか。


 自分の趣味嗜好がギデオンの色に染められていく未来が、想像したいわけじゃないのにありありと浮かんだ。何とも形容しがたい未来像に強い吐き気がした。


『そうでしょ? アグリア』


 貴族も使用人も、そろそろ話の全貌が見えてきたらしかった。一人の少年が少女に異常な愛着を持っているという、一見可愛らしい御伽噺(おとぎばなし)のような仮面を被った悪夢のような話の。


『ギデオン、そこまでにしろ。これはアグリアの誕生日パーティだ。お前が好きにしていい場所じゃない』


 私が怯えていることに気づいたアランが一歩前に出てそう言った。その行動は嬉しかったし、聞き慣れた声は止まりそうな思考を現実に引き戻してくれたけれど、ギデオンにとってそれは逆効果だった。


『はぁ』


 ギデオンは一つ、深いため息をついた。世界に呆れたような、世界を諦めたような。心という心から闇を吐き出したような吐息だった。これが物語ならば、あの口から漏れた息は禍々しい紫色をしていて、呼吸器官を狂わせる毒を持っていたことだろう。


 実際、七歳の子供とは思えない、その背後に見える悪魔のような黒い影に誰もが一種の恐怖と気味の悪さを覚えて息を止めていた。


『アラン、君は本当に邪魔だよ。君さえいなければアグリアはぼくの物なのに』


『アグリアは誰の物でもないだろう? お前、一回落ち着いた方がいいぞ』


『そういう意味じゃないって、分かっているんでしょ?

ああ、それとも、馬鹿のアランにはこの状況が分からないのかな』


『お前には馬鹿って言われたくないな、クソ餓鬼が』


 いつもはヘラヘラして口喧嘩を止めに入るアランも今回ばかりは怒っていた。友人である私が危機に瀕しているということもあるだろうし、彼自身が根拠も理屈も通っていない嫉妬の対象にされているせいでもあった。


 青筋を浮かべて怒るアランはさすが訓練を受けている将来有望の暗殺者なだけあって、迫力があった。

今日でちょうど彼とは六年間一緒にいることになるけれど、こんなにも感情的な彼を見るのは初めてだった。暗殺者になる以上当然かもしれないけれど、アランはいつも本音を隠すようなところがあったから。


『ああ、本当に馬鹿なんだね、アランは』


『あ? あんまオレを舐めんなよ? 年下相手でも力加減しねぇぞ』


『はは! かっこいい! でも、ぼくを傷つけるとアグリアは泣くんじゃないかな? だってぼくは友達だもんねぇ!! 天使のように優しいアグリアはぼくを傷つけないさ』


 どこまでいってもギデオンは卑劣な考えを持っていた。これまでの優等生な彼の面影なんてどこにもなくて、むしろ今までが演技でこれが真の姿なんじゃないのかと疑いたいほどに悪役顔は似合っていた。


『オレがそんなこと気にすると思うか?』


 ただ、アランもアランだった。


『オレは大事な奴が一方的に攻撃されるのを黙って見たりしねぇんだよ。分かるか? オレはお前とは違うんだ。たとえ罪背負ってでも、敵の思うようにはさせねぇ』


 彼の主人(アグリア)への信頼と忠誠はこの当時から決まっていた。


 このまま放っておけばギデオンの言葉を受け続けるしかない私は苦しむ。そしてアランがギデオンを倒したとしても、ギデオンが自分に惚れたことがきっかけでアランと殴り合いをするという結末に私は苦しむ。そんな時アランは迷わず心を鬼にして後者を取れる人だ。どうせ大切な人が苦しむならばせめて敵を倒したい。そういう考えだ。


 かつて使い手と駒は似ると言った人がいた。それは正しい。現代において私は傷つきながらも竜を倒す役割を強者として生まれた宿命として背負おうとしているし、アランは私のためならばたとえ私に嫌われてでも私を守る。何かのために命を捨てる覚悟と、報酬に何もないかもしれないということを受け止める覚悟。自己犠牲の星に生まれた究極の二人組だった。


『あ、そう。でもやっぱ、アランは馬鹿だよ。今ここで退けば、命だけは助かったのに』


 冷たく言い放ったギデオンは、コートのポケットに手を入れた。


『悪いね、アラン。君は邪魔だから、サヨナラだよ』


 そこから取り出されたのは連射可能な銃だった。家から持ち出したのだろう。弾が何発あるかは分からないけれど、彼の性格上計画的なところを思えばそれなりにあるはずだ。

普通ならば子供の腕は連射に耐えられないけれど、覚悟を決めた場面ではそう簡単には弱ってくれないだろう。


『やめてぇ!』


 私の声に呼応して、背後にあったパーティ用の薔薇が急成長して壁になってくれる。そのおかげで私たちは怪我をしなかった。狙われているのは私たちだけのようで、客も無事だ。

 その間にアランはベストで腰回りに上手く隠していた小さな拳銃を取り出した。本当に小さな改良された銃だけれど、威力は何よりも強い。それも当然。だって、私の異能を込めた魔弾なのだから。


『わりぃ、アグリア』


 彼はそう言うと銃弾を一つ放った。

 それはギデオンに命中したけれど、心臓には当てていない。アランはギデオンに殺意なんて持っていないのだから。痛みを感じれば止まるだろうと、肩をかすめるに留めていた。魔弾は炎を纏っているから、服は焦げ、肌は少し火傷を負っている。けれども重症ではない。


 ──ここで全て、収まればどれほど良かったか。


『魔弾? なんで? ……あ、そうか、そんなに大事な物を託すくらい、二人は愛し合っているのか』


 止まることを知らない憎悪は、ついに爆発した。


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