心が割れる音11
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次の記憶映像は、私の誕生日パーティの一週間前を切った頃。確か、あと三日でパーティー当日という時だったと思う。その日はすごく晴れていて、でも、あとになって大雨に見舞われたことを覚えている。
そのくらい、印象的な光景だったから。
『ギデオン』
冬の寒い日常にしては珍しく、暖かで朗らかな太陽が顔を出した日だった。ポカポカとした空気は一月とは思えないほど。幼い私もカーディガンを羽織っているだけで、コートは着ていなかった。
庭にある大きな木の下にぼうっと立っていた彼にかつての私は声をかけた。
彼はすぐには振り向かずに、少し迷うような素振りをした後、一本だけ生えている樹木から手を離してゆっくりとこちらを向いた。
『やぁ、アグリア。どうかしたのかい?』
『ううん。ただ、何をしているのかと思って』
『別に、特に何もしていないよ』
『何それ、変なの』
大した会話ではなかった。
普段と違う様子のギデオンが気になって私はそれからもしつこく話しかけたけれど、彼が本音をぽつりぽつりと離し始めるには随分時間がかかってしまった。
それでも、暇な私たちにとっては三十分も一時間もそこまで大差なかった。
『アグリアはさ』
私から顔を逸らして、また樹木に右手を添えながら屋敷に背を向けて、町の方角を見たギデオンは言った。
『アランを、どう思う?』
その質問に私は深く考えずに、答える。
『アラン? そうね、私が生まれた時から一緒にいるお兄様みたいな存在かしら。ギデオンよりも年が上な分物知りなところもあるし……バカっぽいけれど、よく周りを見ていると思うなぁ』
その言葉をギデオンがどういう感情で受け止めていたのか。
それは、彼の表情がこちらを見ないせいで分からなかった。
『あ、もしかして、アランが女の子に告白されているから心配なの? ギデオンったら、アランが告白されるとすぐにその話をするものね。でも大丈夫よ。アランはモテるけど、興味ないみたいだし。私たちはずうっと一緒よ!』
見当違いな心配をする私は、ペラペラとお喋りを続けていく。
『アランは信頼できる人だし、バカだけど天才で、明るくて面白いし!』
『バカだけど天才って、謎だね』
ようやくギデオンが返事をしてくれて、小さな私は内心ホッと胸を撫で下ろした。
もしかしたらアランと何かあったのかもって思っていたから。例えば、ギデオンが好きな子がアランに告白したとか。
『ふふ! でも本当なんだもの。天才なのに、すぐにサボるんだから』
『……………アグリアはアランが好き?』
少しの沈黙の後、一思いにそう聞かれた私は満面の笑みで答えた。答えてしまった。
『もちろんよ!』
恋愛なんかに疎い私は、友人関係を聞かれているのだと思っていた。
アランもギデオンも大切な人だから、好きに決まっている。
真っ直ぐに言うのは恥ずかしい気がするし、面と向かってアランに言うのはちょっと照れくさいけれど、嘘は言いたくなかった。
そんな私の純粋無垢な回答を、ギデオンはこう感じたのだろう。アグリア・レーランド・ファナはアラン・ローレンを好いている、と。
そんなこと、全くもって無いのだけれど。
アランと恋人になるなんて考えたことなかったし。もちろん、この当時も、その後も。だって私は令嬢で、アランは使用人のフリをした暗殺者だから。今思えば、ギデオンはアランが未来の暗殺者で私のボディーガードだってことを知らなかったから、その特別な関係性を恋愛的な方面だと感じ取ってしまったのかもしれない。
『そっか……』
ギデオンは寂しそうに呟いた。
強い風が吹いて、ギデオンの長く細い金の髪が靡く。周りを見れば太陽が雲に隠されつつあった。
『ねぇ、アグリア』
『なぁに?』
ようやくこちらを見てくれた彼の瞳は、この曇り始めた空よりも深く暗く沈んでいた。
何か良くないことがある。
いくら五歳児であっても、本能でそう感じ取るのは簡単だった。
よく分からないけれど、その言葉の続きを、言わないでくれたら嬉しいと願った。
けれど現実は止まらない。
まあ、もう全ては確定した過去だけれど。
『ぼくよりもアランが好き?』
彼の群青の瞳は濁っていた。感情という名の濁流に飲まれたその色は不気味で、見つめ続ければこちらまで飲まれそうなほど。ぐるぐると何かが渦巻いているみたいで気味が悪かった。
『ねぇ、アグリア。ぼくはね、ぼくはアグリアが好きだよ』
自分よりも一つ年上の男友達から、低い声で圧をかけるようにそう言われればどんなに心の強い少女でも後退りしてしまうだろう。それが五歳ならばなおさら。
『答えてよ、アグリア』
剣術で鍛えられた、一回り大きい身体。そこから生える二本の腕が、私の肩を掴んだ。いつもならば優しいギデオンは触れる時は力加減をするのに、感情を制御出来ていないこの状況ではそれがなくて、ギリギリ、と自分の骨が悲鳴を上げるみたいだった。
『ギデオン、やめて?』
小さくそう抵抗しても、どれだけ後ろに下がっても、体躯を動かして拘束から逃れようとしても、どれも意味はなかった。友人を怖がりたくはないし、化け物みたいな扱いはしたくないけれど、確かにこの時、ジリジリと迫ってくる彼の顔が怖かった。
『アグリア、そう怖がらないで。ぼくのことを、怖がらないでよ。アランはよく君に触れているじゃないか』
諭すようにそう言われたって、幼女の心には限界がある。
初めて自分に向けられた恋愛感情という好意が、これほどまでに忌々しく、悍ましく、疎ましく、壊れた人形のように捻じ曲がった感情だったのだから、結果的にこの時の私が取った行動はきっと、悪いことではないんだと思う。
『やめて、ギデオン』
『ぼくの方が好きだと言ってよ』
ギデオンはもう、歯車の狂った機械のようだった。
何を言っても会話にならないだけでなく、細く白く小さな両肩を掴む力は強まっていくばかりだった。
『ね、アグリア。ぼくは君が好きなんだよ。こんなにも好きなんだ。ああ、どうしたらこの思いを伝えられるかな』
言葉で伝えられないならば、行動で伝えよう。ギデオンはそう考えたのだろう。あろうことか、口付けをしようと顔を近づけてきたのだ。その時点で私は我慢ならなくなっていた。
『もうやめてよ!!』
私の甲高い悲鳴に呼応するように、身体が熱くなっていった。
『いたい…!』
肩を掴んでいたギデオンにその熱は伝わって、軽く火傷を負った彼は思わず手を離した。
そう、私の異能が発動していたのだ。
本来ならば炎として顕現するその力は、こんな状況でもやっぱり友であるギデオンを傷つけたくはない一心で身体を引き剥がすための最低限に抑えようと、体内での小さな発火に留まっていた。
『ひどいよ、アグリア』
涙交じりの弱々しい声だった。
『どうして、ぼくじゃだめなの?』
彼の頬を伝ったのは涙か、あるいは降り始めた雨か。
『アランのどこがいいの?』
幼い心では使役できない嫉妬が、彼の中で暴れているのを感じた。
『アグリア、ぼくを見てよ』
彼の瞳と目が合うのが嫌で、視線を逸らし続けた。
『ねぇ、アグリア、お願いだよ』
雨の音がうるさかった。濡れた身体が恐怖心も交えて震え出す。冬の日はやっぱり寒かった。
『お願い、アグリア、ぼくは君が好きなんだよ』
切実なその言葉も、もう信用出来なかった。
だから、その手が伸ばされた時、私は半分くらい無意識のうちに《聖女》を用いていた。
『来ないで』
私と彼の間に、炎の壁が生まれた。常に短く切り揃えられている草は黒い炭になっていく。
『今日のことは、忘れるから。だからもう、話は終わりだよ』
背を向けてそう告げると、私は足早にその場を去った。
背中に投げつけられる悲痛な愛の告白から逃げるように。
異能は解除したから、もう炎の壁はなかった。
あるのはただ、心の壁だけで。
屋敷の入り口まで行くと、この雨で部屋に避難しようとしていた庭師が寄ってきて、タオルを用意してくれた。
それから私は部屋に閉じ篭った。
窓の向こうから雨音と雷の音が響いていた。
その一つが、ギデオンが寄り添っていた大樹に落ちたと知ったのは、翌日の朝のことだった。
□■□■□
波紋が広がって水面に映る姿が崩れるように、過去は泡となり消えた。またしても暗闇が散りばめられる。
「あ、あぁ………」
情けない声が漏れていた。
でも、今はプライドを気にするほど心を保てていなかった。
「あ、あ、あぁ、あ」
過去に追われている気がした。
幼少期のトラウマが容赦なく抉られていく。
同時に、忘れたはずの記憶が水面とは別に蘇り始めた。
三人で街へ行ったこと。
三人でパーティへ出たこと。
アランが怒られるのを二人で見ていたこと。
私が二人にドレスを自慢した時のこと。
ギデオンが剣術でアランに挑むのを眺めたこと。
三人で夜中に部屋を抜けて星座を見たこと。
幼い頃の思い出はどれも綺麗で眩しくて。
だからこそ結末が悲しくなってしまう。
喜怒哀楽の落差に耐えられない。
「あ、アぁ……………」
あの日どうすれば良かったかなんて、今も分からない。
──もしかしたら、出会わなければ良かったのかもしれない。
心はすでに敗北を始めていた。




