心が割れる音09
全てが無であった。
何もない、果てしない空間。
終わりなきその場所は天国と呼ぶには殺風景すぎて、かといって地獄と呼ぶには悪魔がいない。
自分が死んだのかも分からないけれど、さすがにあの状態で生き残れたとは思えない。ならば今私がいるこの場所は、魂の行き着く果てのような世界だろうか。
足元の見えない、雲の上にいるかのようなこの環境で一生私は生きるのだろうか?
それは嫌だ。
死ぬならば、もっとハッキリと、未練も悔いも何もかも断ち切るように死なせて欲しい。こんな生きてるか死んでるか分からないような場所が最期なんて、戦士の恥とでもいうべき事態だ。
「ねぇ、誰かいないの?」
辺りを見渡しても、やっぱり誰もいない。
どこまでも続く地平線みたいなこの白の部屋は、実際、永遠に広がっているのかもしれない。
天に召されて、神に会うためにここにいるなら早く出て来てくれないか。
そう思った時だった。
地面が、青く燃えた。
蒼竜の炎ではなかった。
熱くはない。どちらかといえば、そう、炎の残像がここにあるみたいな。
重力も質量もなさそうに見える青だ。
ゆらゆらと陽炎のようにそれは現実味を帯びないまま地面を揺らいでいる。
「何よこれ」
そう呟いた瞬間、私の声に応えるみたいに人が現れた。
いや、はたして人と言っていいものなのだろうか。
『薔薇の青よ』
空間そのものから響き渡っているようだった。どこから聞こえてきたのか分からない。三百六十度、どこへ立っても同じボリュームで聞こえる声だ。
それは優しそうな女性の声だったけれど、こんな状況では信頼できない。
相手は女神か、あるいは私を殺す者か。
疑ってかかった。
『そう疑わないで。それにしても貴女の異能は綺麗ね』
「あなたは誰?」
『難しい質問だわ。けれど、そうね、今はこうとだけ伝えておく。わたしは貴女の先輩よ』
「先輩? 私にはそんな恩師みたいな人いないわよ」
『嘘じゃないわよ、でもそうね、今はゆっくり話している時間がないの。だから一つだけ聞くわ』
「何かしら?」
薔薇姫と呼ばれる理由である、私の突き離すような冷たい態度をここぞとばかりに演じたのだけれど、相手は全く怖気付いてくれない。
むしろ、私の方が呆気にとられるのだった。
『貴女は』
神との問答を繰り広げるみたいに、相手は口にした。
『貴女には死を乗り越えてまで叶えたい夢があるかしら?』
意味が理解出来なかった。
私は死んだのではないのか。
ならばここは何処なのか。
「私はまだ、死んでないの?」
『えぇ。でも生きてもいないわよ。貴女の生死は、貴女の答えと覚悟で決まるわ』
そう、私は死んでないのね、なんて、思ったよりもあっさりと受け入れられた。相手のことはやっぱり信じてないけれど、こうしてここで会話している以上、死んでいる気がしないのだ。
でも、この問いへの返事で全ては決まると言う。
間違えれば、私は死ぬのだ。
先ほどまでの光景が脳裏をよぎった。
あれほどまでに白熱した戦いをしておきながら、私はまだ死んでないという。人間の、いや、《聖女》の現世への執着は、それほどまでに強いものなのか。
一体私はどうしたら死ぬんだろう?
もはやそれが疑問になるくらいだ。
待って、私は、生きたいのかしら?
そもそも、私には、夢なんてあるのかしら。
《聖女》として貴族に生まれ、王族に嫁いだ時点で人並みの平凡な人生は望めない。そんなこと幼い頃から覚悟していたではないか。
私たちは普通よりも豪華な生活をする代償に、望んだ人生は送れないのだと知っているではないか。
ならば、私の夢とはなんだろうか。
《聖女》の力で人を助け、貴族として気高くあり、王族として美しくなり、妻として幸せな家庭を築くこと?
オーランド帝国とアストレア王国が戦争する確率が高いことを知ってなお嫁いだのに?
そもそも私、子供は苦手じゃないのよ。小さくて可愛いから、力加減下手なせいで壊してしまいそうなだけで。
──私って、思っていたよりも空っぽね。
人を遠ざけて、薔薇姫と呼ばれて、それすらも嫌いではなくて。むしろそう呼ばれることで、私に近づいてくる弱き者が減って楽にすら感じて。
人に裏切られて、人を疑って、それでもまだ人を信じて、友と呼び、運命に裏切られた。人生というものの理不尽さを学習しない自分に嫌気すら感じて。
──そうだ、私、竜を滅ぼすことを望んだのだっけ。
あまりにも虚無に溢れた空間だから、さっきまでの熱い感情を忘れていた。
──なんで、竜を………。
友が傷ついたから? まだ、出会って一時間も経っていなかったけれど。
私が強いから? 他の誰も頼れないから、私が戦おうとしているのかしら。
嗚呼、でも、そうかもしれない。
私の強さはもはや呪いの一種ですらあると感じてしまう。
何があっても負けない強さ。今だって死んでないじゃないか。
そうだ、キャサリンが泣いていて、ラナもララミラも動かなくて。助けてと、あなたは強いでしょと、そう言われて。
「嗚呼、そうよ、そうだわ」
点と点が線で繋がった気がした。
「私は」
これが私の生まれた意味だと思った。
強者として生まれた者が、英雄になる者が背負う定め。
背負うモノの名はきっと、痛みであり、苦しみであり、誰かの弱さであり、誰かの免罪符となる未来であり。
「私は、強いからここにいる」
姿なき女性が、この白き部屋の何処かで笑っている気がした。
「私は、強き《聖女》として生まれたのだから、誰かの分も戦う義務がある」
もしかしたら女性の思惑通りなのかもしれない。でも構わない。そこは利害が一致したということにしておこう。
「私は」
物語の英雄は、全ての人を助けようと努力する。でも、敵のことは救えない。たとえどんな同情すべき理由があって悪となった人でも、敵として見なくちゃいけない。そのことに苦しんでも、戦いを止めることは許されない。止めてしまえば、多くの人が死んでしまうから。
でも戦っても戦っても敵は減らない。当たり前だ。英雄が正義の名の下に誰かを傷つけるたびに、その復讐をする者が現れるのだから。その矛盾に気がついても、戦いを止めることは出来ない。止めてしまえば、多くの民が死んでしまうから。
英雄も結局、一人の人に過ぎない。それなのに人々は彼が戦いを止めると「私たちを見捨てるの?」と怒り、彼が負けると「弱い」と罵る。ならばお前たちが戦えよと思っても口にすることは出来ない。口にしてしまえば最後、英雄は未来永劫悪となる。
そうしていつしか、英雄は、正義という言葉を疑うようになる。誰かを守るということはつまり、誰かと敵対するということだ。そして正義を名乗るということは、相手が悪だと決めつけるのと同義だ。それでも立ち止まることは不可能だ。
だって、彼は英雄なのだから。
そういう星の元に生まれた以上、自分を殺してでも、たった一度の人生を人のために使ってまで英雄であることを求められる。それが嫌なら英雄を辞めて悪になるしかない。いつかくる、新たな英雄に負ける役割を担うしかない。
神の手によって、そんな生き方しか出来なくされる。
そしてきっと私は、その星の元に生まれたのだ。
「誰も私に勝てなかった。兵士も、《聖女》も、《魔王》も。なら、私がこの時代の英雄なんだわ。英雄の私には、理由や根拠がなくたって、求められなくたって、多数派の人々を助ける義務がある」
より多くを救うならば、少数派を殺して多数派につく他ない。
そして、私が最強なのだから、その役目には弱き者ではなく私が就かなくちゃいけないはずだ。
矛盾ばかりで、実に長ったらしい感情論だけれど、そういうことなのだ。
「だから、私は死ねないわ」
きっぱりと言ったその時、青い炎の地面が崩れた。
雲の上から落ちるなら、きっとこんな気分。
ただ、落ちた先は現実世界じゃなくて、真っ暗な何も見えない場所のようだった。
──ここから先は、地獄かしら。
『その感情論、気に入ったわ』
声が遠のいている気がした。
声の主は、地獄までは付いて来ないみたいだ。
『また会いましょう。幸運を祈るわ、自己犠牲の聖女様』
どんどんと白き部屋が遠く小さくなっていく。
なんだか、地面にぽっかりと空いた大きな穴に落ちていく感覚。
光が何も見えなくなる寸前、最後に女はこう付け足した。
『その力を得た時、聖女を辞めて魔女になるとしても、貴女は美しいわ、アグリア・オーランド』
ロスト・ソング〜とある令嬢の鎮魂歌〜
という悪役令嬢ものも書き始めましたので、ぜひそちらもどうぞ。
2023年9月3日〜X(Twitter)にて六波羅朱雀の名で活動しています。ぜひチェックをお願いします!




