心が割れる音06
三体の白竜と五体の蒼竜。
王都ガロランドへの被害やその白い炎が人々を凍らせることを考えても、やっぱり白竜を先に倒すのが最善だろう。
翼竜の、上位の竜に付くという傾向からこの竜害の指導者は白竜だ。その三体を倒せば指導権は蒼竜に移るだろうけど、ひとまず混乱はしてくれるはず。その隙をつけば、勝利は確実となる。
「しっかり燃えてよね」
幾つもの火の玉が、私の背後に不規則に現れた。
百近いそれは、横から見れば一枚のとてつもなく薄い壁のようだった。小さな太陽が幾つも浮かんでいるみたいでもあった。
「咲き誇れ、火玉」
弾丸が飛ぶかのようにして火球は発車された。一気に玉は加速して、十五キロほど先で白竜に命中。白竜たち三体は耐え難い痛みを受けて、その翼を焦がした。キィエエ、なんて竜の悲鳴もこの一日ですっかり聞き慣れてしまった。これから先、どんな絶叫を聞いても心は傷まないかもしれない。
その様子を眺める金の両目はいかなる悪魔、たとえば死後の世界なんかにいる人外たちでさえ怯えるほど冷め切っていたに違いない。まあ、そんなもの私は信じていないし、たとえいたとしても会うことはないだろうけれど。いや地獄の王には会うのかな? これだけ暴れているのだし、竜だって人を恨むくらいはするだろう。
………信じていないんだから、考えても無駄か。
アストレア王国での神の話を信じているのは、自分自身が持つ異能の《聖女》を与えたのが神だったからだ。こんなことを言えば怒られるだろうけれど、その他のものは一切信じていない。至って私は無神論者だ。
キィエエエエエ
「考え事をしている場合じゃないわね」
三体の白竜は怪我こそして飛行の高度が落ちたものの、死んではいない。未だ攻撃的で危険であるということに変わりはない。やはり竜はちゃんと殺さないとダメだ。全部始末して、焼却して、抹殺して、抹消する。
でないと。
じゃないと。
そうしないと。
さもないと、彼女のような被害者が増えていくから。
相変わらず涙を流さない目を見開いて、瞬きもせずに竜を睨みつけた。
「────死んでよ」
□■□■□
セイラは戸惑っていた。アランの後ろをそうっと付いて行って部屋に入ったは良いものの、あらゆる品が地面に転がって割れている室内のどこに取り残された人がいるのか分からない。
「どこにいるんだ?」
アランがそう問いかけても、何かに押しつぶされたみたいな呻き声しか返ってこない。
倒れた机の下か、割れた椅子の下か、あるいは簡易キッチンの扉の中に逃げ込んだか。
「う、うぅ……」
声の持ち主は今にも意識がなくなりそうなのだろう。上手く話してくれない。けれど、その微かな声を頼りに探し出そうとした。アランはよっぽど耳がいいのか本能なのかよく分からないけれど、「こっちだ」と言って進んで行く。
窓が割れたことでカーテンは風に吹かれて、製品の意味を失っている。太陽光は好き勝手に注いでしまって、すごく眩しかった。
──竜は、どうなったんだろう。
そう思ってふと、窓の外を見た。
そうして目に入り込んだのは、あまりにも信じ難い光景だった。
「ぁ…………」
小さく声を漏らして、窓を向いて立ち尽くした。
そこにあったのは、遠く遠く、遥か遠くにある薔薇の階段。
空中でそれを維持しながら炎を繰り出すのは、我が主人、アグリアだった。
さらに驚いたのは翼竜の多さだけではなく、上位竜である白竜と蒼竜がやって来ていることだった。
「やだ………」
幼い頃、竜害のせいで両親と家を失い途方に暮れたセイラにとって、王都が燃えるその光景は、悪夢みたいだった。
──アグリアお嬢様お一人じゃ、こんなの、勝てないわ。
これまで一度も見たことのない技を軽々と繰り出す主人だけれど、セイラは彼女が自分よりも年下の、ただの負けず嫌いなお嬢様だったことを知っている。
どちらかといえば暑いのが好きで、そういう時に食べるアイスクリームが好物で、昔から乗馬が得意な、セイラより一つ年下の令嬢。
生まれた場所が違ったなら。
アストレア王国ではなくオーランド帝国だったなら。
まだ、キャサリンのように泣くことが許される少女。
「セイラ〜………おい、セイラ?」
少し先でこちらに呼びかけるアランの声など、耳に入らない。
ぼうっと外の世界を目に焼き付けていた。
その目が映すのは、今か、過去か。
少なくとも頭の中は、過去を映していた。
──確か、たしか、八年前に。
セイラが十歳の時に、住んでいた田舎町マレアは竜に襲われた。蒼竜二体と翼竜による竜害だった。牧場は燃え、草木は枯れた。青い炎は不気味で、消えることはなかった。
──たった二体で、マレアは滅びたのだから。
田舎だったから、本なんてほとんどなかったし、知識のある人もいなかった。誰もが、『炎は水をかければ消える』と思っていたんだ。そして、水が蒼竜の炎に味方することを知らない彼らは水をかけ続けた。こういうのをきっと、火に油を注ぐ、なんて言うんだろう。ことわざ通り、青の火は勢いを増していって、最終的に人々を包んだのだ。
誰もが青に抱かれてのたうち回る光景は、十歳のセイラの目にはロンドを踊っているように映った。
そのダンスのパートナーは、死そのものだったけれど。
──燃える彼らのことが、離れない。
人は自分にとって都合のいいことを覚え続け、嫌なことは忘れようとする傾向があると言う。でもそれは嘘だとセイラは知っている。
だって、その日、家族と家にいたセイラだけが助かったのは、両親が彼女だけを逃したからだ。玄関を出て、背後から聞こえる「走れ!」「逃げて!」という二人の声に従ったセイラが声がなくなったことに気がついて振り返った時に見た景色は、八年経っても忘れられない。
──都合の悪いことばかり、重なっていく。
綺麗な記憶があればあるほどに苦しみはセイラを嘲笑うように少し先で立っているんだ。
──青くて、綺麗で、不気味で、青くて。
目まぐるしく視界が回るみたいだった。それが死の匂いだなんてことはとっくに知っている。
──あの時、どうして一緒に死ななかったんだろう……?
「竜、か」
真横で吐かれた声にはっとして、意識が覚醒した。今はもう、脳にも視界にも現実が映っている。
いつの間にか隣に立ったアランは、これだけの竜にも関わらず大して驚いていない顔だった。しかも主人が一人で戦っているというのに。冷め切ったオーラをしていた。
もしかしたら、アランがこんなにも落ち着いているのは、最初から世界に期待していないからかもしれない、なんて、セイラは感じた。
「どうしてそんなにも冷静なの? 死ぬかもしれないのよ?」
セイラが青いドレスの裾を握りしめながら震えた声で出した問いに、アランは竜を見て答えた。
「………安心しろ。アグリアの望みを叶えるのが俺だ。セイラが死ねば、アイツは悲しむ。だから絶対にお前を死なせはしない」
返ってきた答えは、少しズレたものだった。
自身の命を勘定に入れていないみたいな回答。セイラは違和感を覚えた。
アランはというと、「こっちに人影が見えた」と言って部屋の隅に進んで行ってしまう。
少しだけ胸が痛む気がした。
きしむ左胸を押さえながら、セイラはアランに聞こえないくらい、蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「どうして……?」
何か言葉を求めて聞いたわけではなかったけれど、多分、自分でも気がつかないうちに、「俺が助けるから安心しろ」って言って欲しがっていた。いつもの飄々とした、面倒くさがりで奥の見えない、それでいて明るくて女性に好かれるアランでいて欲しかったんだ。アランがそうあれば、セイラもまたいつも通り振る舞える気がしたから。いつもは厳しくして嫌っている癖に、彼の強さを借りたがったのだ。
それでも返ってきたものは、「アグリアを悲しませないためにセイラを助ける」だった。
──アランは、ここまで、冷たい人間だったかしら?
青い炎が嫌いなのに着なければならないドレスは青だなんて、皮肉ですよね。。




