心が割れる音01
70〜77話の題名を変更しましたが、内容に変更はありません。
刺された。
ララミラが刺された。
お腹からドクドクと血が流れ出している。
どうすればいい?
ガラスは突き刺さったままだから、下手に動かすと傷口が開く。
ああ、どうしよう。
竜と戦った経験があったって、人を手当てした経験がない。
私は結局、人に寄り添ったことなんてないんだわ。
命を張って戦うのが《聖女》持ちの仕事で、怪我した市民や兵士に寄り添うのは自分の仕事ではないと思っていたんだ。
そうでなくちゃ、一度くらい人の手当てについて学んだはず。
本を読む時間ならたくさんあった。
命の儚さならいくらでも知っていた。
竜の恐ろしさだって、知っていた。
それなのに人を生かすことを学ばなかったのは、自分は貴族なのだから街の人を治療することはないなんて無意識に考えていたからに違いない。
──結局私は生まれつきの貴族。
──高みの見物を決め込んでいたんだわ。
──アストレア王国の他の貴族と、同じだわ。
自分への嫌悪感で吐き気がする。
「あ、うそ、ララミラ……ぁ」
キャサリンの弱々しい声がする。
ララミラに寄り添おうとするその細い体を、メイドが必死に抑えている。
「いけません、キャサリン王女! そちらにはガラスが! 怪我をしてしまいます! ララミラ様のことはわたくしたちにお任せを!」
「でもぉっ! ララミラがぁ!」
ララミラは叫ぶこともせず、絶望の表情で顔を染めていた。
ラナは両手で顔を覆ってワナワナと震えている。声も出ない様子だ。
「ねえ、アグリアおねえさま、あたし、やばい、かな?」
どうして私に聞くの?
瀕死の人間なんてほとんど見たことがないのよ?
「いたい、よ、あたし、しぬ、の?」
周りにいる者がアストレア王国の令嬢ならば、「貴女の異能を使って」と言えるのに。《聖女》として竜に一緒に立ち向かわなくてはと、言えるのに。
「ねぇ、アグリアお姉様ぁ、どうにか、できないの? 竜を、そう、アストレア王国でヴィルヘイムお兄様と竜を倒したと聞いたわ。その時みたいに、《聖女》で──」
キャサリンが早口で急かしてくる。
涙目で、ララミラをなんとかしろと言う。
「《聖女》は強いんでしょう? アグリアお姉様は、アストレア王国で今、最強だと聞いたわ! だから、ララミラを助けてよ」
「《聖女》は万能じゃないのよ!」
《聖女》は人によって異能の内容が変わるから、人に理解されにくい。なんだってできる万能な力だと思われている。
実際は、そんなことないのに。
「──ッ!」
私の大声に、キャサリンが肩を小さくした。
「……ごめん。でも、私の異能はそんなに便利じゃないのよ。ただ、炎と薔薇を操るだけで」
美しい救世王、汚れなき乙女。そんな意味を持つ《聖女》の名を冠した異能ならば、神は人を殺すのではなく、人を生かす強さをくれれば良かったのに。
外で咆哮が響いた。
ノストラダム宮殿は城というよりも要塞に近いし、近くにガンド訓練場があるおかげである程度竜を食い止められているようだ。
でも、あくまで食い止めるだけ。異能を持たぬ王族、貴族が逃げるまでの時間稼ぎに過ぎない。百を超える竜がやって来たのなんて、もう何十年昔の話だろう。しっかりと訓練された兵士すら、何を優先すべきか分からなくなって統率が乱れ始めている。
街も酷い有様だ。あらゆるところから炎が上がっている。死者の数は、すでに数えきれないかもしれない。
でも、どうしてか竜はノストラダム宮殿を目指しているように見える。そのおかげと言うのはおかしいけれど、街の被害は想像より少ない。それでも、大きすぎる被害だ。
「いたい、よ、もうやだ、ぁ」
今日初めて会ったけれど、強くて明るい人に見えたララミラが弱音を吐いている。
この私にも臆することなくハキハキと意見を言っていた彼女のそんな姿を見るのが苦しい。
「う、うぅ、リン、どうしよぉ〜、ひぐっ」
キャサリンはとうとう本格的に泣き始めて、リンという名の自分のメイドに縋り付いている。
他のメイドたちは廊下の安全の確認や力持ちの執事がいないか探している様子だ。ここはいろんな破片が散らばって危険だから、ララミラを運ぶのに人手がいるんだろう。
正直に言えば、少女たちの泣き声と悲痛な声で頭が割れそうだった。
プライドと誇りが無ければ私はここから走り出して逃げただろう。
そう思ってしまうくらいに、何の知らせもなく降り注いだ厄災に、心が参っていた。
結局私も、心はただの十七歳だったのかもしれない。
──どうして、みんな助けを求めるばかりなの?
メイドがいるじゃない。自分のメイドなら、指示をすればいい。キャサリンが泣き止めば、それを慰めているあのメイドは手が空くわ。
ラナとキャサリンは怪我をしていないじゃない。
それなのに、二人は助けを呼んでくることもせずに立っているの?
なんで、私にララミラを救えと言うの?
危険を承知で行動して助け合うのが、友達じゃないの?
友達の生死を、今日会った私に託すの?
──私が。
──私が《聖女》で、私が年上だから。
──私がなんとかしなくちゃ、いけないの?
甘え上手なキャサリンと違って、
縋るべき相手なんていない。
ここはアストレア王国じゃないから、
共に戦える令嬢もいない。
パキ、と、
心のどこかが、
歪んだ気がした。
「ねぇ、セイラ」
伏せてしまいたくなる瞼を無理やり開けたままにして、ララミラを見つめた。
人間の血は竜と違って赤黒い色だなんて、今更知った。
「いた、い」
お腹を抑えてなんとか止血しようとしているみたいだけれど、腕に力が入らないし、何よりも自分で自分の傷口を抑えるのは怖いんだろう。
ララミラの瞳からは、キャサリンよりも大きな雫が流れ出ていた。頬を伝うそれは床に落ちて、血の赤と混ざり消えていく。
「私は強い。そうよね?」
問われたセイラは、ララミラの元へ向かうべく床に倒れた家具を退かす手を止めて私を見つめた。
「アグリアお嬢様は、強い、です」
無理やり言わせているみたいな感覚がした。
でも、強いことに変わりはない。
セイラは私がこれからやろうとしていることを察して、言うのをやめようかと迷ったのだろう。
「そう、よね」
──強い《聖女》は、負けちゃいけないのよ。
私の足は、この異常な事態で震えることをやめた。
金の双眸は瞬きを忘れて目に映る全てを射殺すよう。
──私の異能は誰も救えない。でも……。
ゆらりと歩き出した私を、その場にいた誰もが怯えた顔で見ていた。
「私の異能は、全てを殺せるのよ」
多分私が、令嬢としての品の良さをかなぐり捨てて、竜殺しの顔を見せたからだろう。
結局、友達と呼んでくれるのは私の力を目にするまでなんだわ。
その顔は、アストレア王国での結婚式の時の顔とは違う。
これは復讐であって、贖罪ではない。
ただ、ララミラを救えないのならば、せめて。
せめて、ララミラを傷つけたモノを、滅ぼさなくてはならないと思っただけだ。
正義も悪も、善意も大義もない。
私が、何も守らずに過ちを繰り返す私自身と今回の元凶である竜に怒りを感じたから。
滅ぼす理由なんて、その二つで充分だわ。
「セイラ」
ガラスの割れた窓の前に立って、竜が泳ぐ空を見ながら背後に命じた。
「ララミラを、必ず助けなさい」
「……はい。アグリアお嬢様」
そして私は、窓から飛び降りた。
後ろの方から「お姉様!?」とキャサリンが叫ぶ声がする。
窓から飛び降りたら死ぬと思っているのだろう。
でも私は自殺願望があって飛んだわけじゃない。
異能を持つ者は幼い頃から、その強大な力に身体がついていくために普通よりも運動神経が良くなっているのだ。
だから死なない。
私は、まだ、死ねない。
「咲き誇れ、火炎」
落下しながら地面に向けて右腕を突き出してそう命じた。
すぐに大きくて真っ赤な薔薇が咲く。その花びらが落ちて来る私を受け止めてくれた。
軍の異能試合で一度発動したことがある新しい異能の使い方だけれど、復讐に燃えて五感の全てが冴え渡る今なら、なんだって出来る。そう思って一か八かの飛び降りをしたのだ。
そのまま薔薇から降りた私は、今度は棘を生み出した。それは長く長く伸びて、ノストラダム宮殿の窓を覆うように巻きついていく。
こうすれば、割れた窓の隙間から建物内へ竜の炎や咆哮が届くことを少しは防げるだろう。
それから、建物の崩壊も。まあこっちはノストラダム宮殿の要塞としての構造的に心配ないだろうけれど。
「さあ、全てが滅ぶ時間だわ」
前回の話ではアグリアが友達を作らず人間不信だった理由が二つでしたが、今回はアグリアが竜への復讐を決めた理由が二つでした。
対になるっていいですよね。




