誓い
一方、オーランド帝国領旧アストレア王国リファーレン地区リファロンド都市ロックフォード・クレイ卿の屋敷にて。手紙を受けたヴィルヘイムとラムロスは、早速この地を訪れていた。
当主との挨拶もそこそこに、ヴィルヘイムは本題を解決すべく離れの一室へと向かった。ダグラス・ローレンが世話をしているという女性の元へ。
「失礼する」
ノックをして、扉を開ける。訪問するということは事前に伝えてあるから相手も用意出来ているはずだ。
室内にはベッドに横たわる女性と、その隣で丸椅子に座るダグラスがいた。窓は開けられ、白いカーテンが風に揺れている。微かに花の匂いがすると思って見てみれば、窓の傍にあるテーブルに花が活けられていた。ヴィルヘイムは花に詳しくなどないが、それがアストレア王国の国花であるピンクコスモスであるということくらいは分かる。
ヴィルヘイムは女性が起きていることを確認すると、ベッドの隣に立って挨拶をした。
「俺はヴィルヘイム・オーランド。オーランド帝国の国王であり、ここアストレア王国の国王でもある。貴女の名前をお聞きしてもいいか?」
相手が軍人ではないため言い方こそ柔らかかったが、そこには確かに有無を言わさない強さがあった。女性が一、二回けほけほと小さく咳をしたのち、弱々しい声で返した。
「わたし、は、藤堂棗……」
不安そうな彼女の黒い瞳はダグラスに向いている。ずっと世話をしてくれているダグラスのことはある程度信頼しているのだろう。
「突然ですまないが、藤堂殿の記憶を確認したい。何故アストレア王国のクリスティア宮殿の、それも玉座の間の背後の洞窟にいたのか、教えてくれ」
藤堂はダグラスを見た。彼が一度頷いて話すように促したことを受け、小さく口を開く。風が大きく吹いて、花の香りが彼女の鼻孔を突いた。
「わたし、大学に通っていたはず、です。西洋史の授業を受けて、夕方、四時、かな。サークルに行かずに帰ろうとして、大学を出て、通りを歩いていたんです。地下鉄の駅に入ろうと階段を一段降りたら、なんか、落下するみたいな感覚がして。階段を踏み外したのかなって怖くなって、思わず目を閉じたんです。手をばたばたしても手すりも何も掴めなくって……」
ヴィルヘイムが小さく首を傾げた。藤堂は話すのに精いっぱいで、それに気づかずに続ける。
「気がついたら、あの洞窟にいました。一人ぼっちでお腹も減って、ああ、死ぬのかなって、ここはあの世なのかなって思ったんですけど……」
でも、と藤堂は曖昧に笑った。
「高飛車な女性が現れて、騎士みたいな人も来て。アニメの世界みたいだって思ったけど、ここが現実なんだってだんだん分かりました」
それがいいことだったのかどうか、彼女にはわからない。何が起こったのか不明なまま本当に死んでしまっていた方が幸せだったのかもしれない。そしたらきっと、暗い洞窟で寂しくお腹を空かせる日々なんてなかった。
「途中でダグラスさんが来て。それからまた少しして他の男性が助けに来て……といっても、わたしは気絶していたからこれ以降は全部後で聞いた話ですけどね」
あとは何を話せばいいものかと口を閉じた彼女に、ずっと首を傾げていたヴィルヘイムが聞いた。
「すまないが、貴女が何をいっているのか途中からわからなかった。いや、気がついたらあの場にいたというのは納得しよう。貴女は異邦人なのだ。しかし、別世界というのはこんなにも認識に違いがあるものなのか? 地下鉄、サークル、アニメ……一つずつ聞きたいところだが……時間がないな」
ダグラスにじろりと見られてヴィルヘイムは肩をすくめて苦笑し、好奇心を押し殺した。
「大事なことは、貴女が我々の味方につくと誓うかどうかということだ」
赤い髪、腰に差した剣、軍服。そのいでたちの全てが、藤堂の目を引いた。コスプレイヤーじゃないんだよね、と内心で確認する。
「誓います。代わりに、わたしが元の世界に帰る手助けをお願いします」
声は震えていた。目の前の人が本当に王様だというのならば、無礼を働けば殺されるのかもしれないと思っていた。
ヴィルヘイムは満足そうに頷くと、近くの椅子に腰を下ろした。今の今まで、好奇心が勝るあまり座ることを忘れていた。
「我が国の現状はどの程度知っている?」
「えっと、ここはアストレア王国といって、最近あなたの国が……オーランド帝国がアストレア王国との戦争に勝ったって聞きました」
それくらいのことしか知らなかった。ダグラスがもっとたくさん説明をしてくれていたけれど、なんだかカタカナが多くて藤堂は覚えきれなかったのだ。まるで世界史の授業だ。
「そうだ。そして今なお、戦争が終わったとは言えない。無論アストレア王国は敗北し王位は俺に渡されたが、隣国エンリケイドにおいて革命軍が王政を倒し、現在、革命軍の研究のせいで竜害が発生している」
「竜……?」
「ああ、そうだ。実験により凶暴化した正体不明の竜だ。また、問題は他にもある。戦争は終わったが、首謀者たるアストレア王国王妃が逃亡中だ。先日の竜害のために王都は復興中で、そちらに軍人の多くを割いている。そこで、藤堂殿には異世界の知識をもたらしてもらいたい。細かく言えば、軍備の増強あるいは市民の安全確保の知恵を貸して欲しいわけだ」
藤堂にとって、戦争とは縁遠いものだった。彼女が生きる世界にも戦争はあったが、母国にはなかった。
──わたしがもたらした知識が、人を殺す?
そんな考えが脳裏をよぎる。背筋が凍り、時間が止まるような気がした。
「藤堂殿」
真摯な声が投げられる。ヴィルヘイムが席を立ち、目の前でしゃがんでいた。
「我々オーランド帝国は殺戮を好まない。オーランド帝国の民はもちろん、今ではアストレア王国の民もまた自国民である。そしてこちらにはエンリケイドの王族の生き残りもいる。つまり、エンリケイドの民もまた保護対象である」
澄んだ声だった。真冬にふさわしい、冷徹で冷静な声。心臓に刺さる。
「貴女がもたらしてくれた知識を、殺戮に用いることはない。民を厄災から守るために行使すると誓おう」
一国の王が、膝をついて誓いを立てている。
──歴史上の王様にも、こんな風に誠実な瞬間があったのかな。
余計なことばかり脳内に浮かんだ。暴君と呼ばれた人たちにも、当時の人にとっては聖人だったり、あるいは確かに暴君だったかもしれないけれど歴史には必要な流れだったりしたのかと。
──信じよう、わたし。
「分かりました」
例え悪の知恵をもたらしていることになるとしても。
あらゆる歴史を、戦争を。知っているわたしだからこそ、結末を学んできたわたしだからこそ、正しい使い方を教えよう。
「感謝する。研究のため、すぐにもっと広い部屋を用意しよう」
五色の竜がハルラ山に現れ王都へ向かっているという報告が届いたのは、数時間後のことだった。
『アストレア王国』の扱いですが、終戦交渉も終わっていますし、かといって王位をオーランドへ譲っただけでアストレア王国としての内部組織を完全に解体したわけではないので、ひとまず『オーランド帝国領』として扱うことといたします。




