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湖水の守護者


 オーランド帝国南側の国境付近にある湖で、イグナル・ファイブとガウエル・ナインは出会った。別に偶然ではない。ガウエルがイグナルを人伝手に呼び出しただけのことだ。


「それで、何の用すか?」


 気だるげに聞くイグナルは、表情こそヘラヘラとしているものの、その瞳には疲れが見てとれた。当然だ、エンリケイドからここまでほとんど休みなく帰ってきたのだから。


 年上に対して随分と軽い言葉遣いをするイグナルを、ガウエルが嗜めることはない。目の前の若者が強者にしか興味がない男だということをよく知っているからだ。彼に敬語を使って欲しければ、彼より数字を上げる他ない。


「なに、特別何かがあるわけではないが。実はここには武器が置いてあってな。お前ならば扱えるだろうと思って呼び出したわけだが……」


 イグナルの身を案じるでもなく淡々と説明を始めようとしたガウエルだったが、何か物音を聞いた気がして言葉を止めた。イグナルもまた耳を澄まし、腰に装備したナイフに手をかける。


 静寂が流れる。風が湖を揺らし、波紋が広がる。枯れた木々に僅かに残った葉が落ちて、二人の背後にある洞窟からはひゅーと風の声がした。


 ガウエルがレイピアに手をかける。いつでも抜けるようにと気を張り詰めながら、周囲を見渡した。枯れ木の群れの中で、人が隠れられるような場所などほとんどない。そしてこの冬の季節、獣のほとんどは冬眠している。


「そこですか」


 問いかけとともに、ナイフの一つを投擲するガウエル。見事、それは木の一本に突き刺さり、その背後にいた男が姿を現した。


 雪化粧に紛れ込むべく真白の上着を羽織ってはいたが、真紅の軍服が見え隠れしている。エンリケイド革命軍だ。


 数は一人。勲章の数からしてそれなりの将であることはわかるが、従者はいないらしい。けれど偵察ならば早々に逃げ帰り味方部隊にこの件を伝えるはずだが、その素振りはない。


「何者か」


ガウエルがもう一度問いかける。相手が、静かに答えた。それはよく通る声だった。


「儂はエルシオ・ロレンスであるぞ」


 堂々と名乗られ、二人は思わず固まった。


 エルシオ・ロレンス。エンリケイド革命軍の長。それが、何故ここにと、思わずにはいられない。


「偽物だろ……」


 イグナルのつぶやきを、ガウエルは否定した。


「あの傷、伝え聞いた情報と同じだ」


 男は片目が眼帯だった。いや、そうでなくとも、思わず否定してしまっただけで、エンリケイドへ潜入していたイグナルは目の前の男が本物であることを知っている。


「何用か」


 ガウエルが前に立ち、イグナルが洞窟の前に立つ。二人とも、それぞれ得物を構えた。


 ガウエルの問いに、またも淡々と、堂々と、余裕を持って答える男。


「なに、帝国の様子を見に来ただけだ」


 散歩をする老人のような振る舞いでありながら、瞳だけは笑っておらず、狩りをする歴戦の将そのものだった。


「して、貴殿らはこんなところにいていいのか?」


 腰を低くして湖を覗き込むエルシオ。二人はすっかり、この目の前の男をどう処理すべきか分からなくなってしまった。オーランド帝国とエンリケイド革命軍は明確に戦をしているわけではない。二人が勝手に戦をするわけにはいかなかった。


「ええ、ご心配には及びませんよ」


 ガウエルはそう言いつつ、周囲に目を配らせた。本当に他に人がいないのかと疑いたくてしょうがない。だって、一国の長が一人で? 異能も持っていないのに?


「なあ」


 動揺を繰り返すガウエルをよそに、イグナルは先に腹を括っていた。いや、そもそも、驚いただけで腹など最初から決まっていたような気もする。


「なんだね」


 湖面を撫でながら答えるエルシオ。彼の腰にはカットラスがある。柄の部分は新調したようだが、刃は古いようだ。将軍を名乗る今も、昔からの手に馴染んだ武器を使っているのだろう。


「エルシオ・ロレンス。アンタは、どうして王族を裏切ったんだ?」


 冬景色が、より一層凍えるような声だった。場は静まり返り、時間が止まってしまったように降り注ぐ雪の結晶すら宙で停止して見える。


 誰よりも肝を冷やしたのはガウエルだった。


 ──いけない、彼を止めなければ。


 ガウエルは騎士だ。いや、秘密裏の部隊の隊員だが、実際に彼が表立った舞台の一員であれば、帝都を守る騎士として、『帝国の盾』という二つ名すら与えられただろう。


 だが彼はあまりに騎士然としている。ナインという数字に甘んじているのも、単に殺戮を好まず、守護をこそ最良の道として防御の技ばかりを鍛えたからに過ぎない。


 だからこの時も、この瞬間も、この一秒で、自分がすべき道を決めた。


 ──イグナルはエルシオ・ロレンスを殺そうとしている。


 仲間の性質をしっかりと理解している彼は、すぐにイグナルの心を見抜いた。相手の返答に関わらず、イグナルは確かにエルシオ・ロレンスを殺す。殺す前に質問をしたのはただの興味に過ぎないだろう。言うなれば、死ぬ前に一言くらい話させようと言う興味本意。


 ──私が止めなければ、本格的に戦争になってしまう。


 アストレア王国との戦争だけでも結構な死者が出たと言うのに、アグリア王妃の件が片付かないうちにそのような事態になるのはまずい。


 とはいえ、どう止めたものか。やり方次第ではイグナルと殺し合いになるかもしれない。味方を殺したくなどないのに。


「儂が王を裏切った理由、か……」


 エルシオは遠い目をした。視線は湖の底を越えてその奥にあるこの星の中央、その誕生と終焉を見透かすようだった。


「貴殿らは、不服に思ったことはないのか? 王侯貴族は生まれながらにして裕福であり、苦労せずとも地位を、将来を約束された存在だ。それに比べて儂ら平民はどうだ。学校へ通うのも一苦労、薄まった異能の血筋すら流れてはこない。力は王侯貴族のうちで留められている。理不尽だ。あまりに理不尽だ……。故に殺した。それだけだ」


 雪を溶かすような熱は持たない、冷え切った覚悟の言葉だった。


「そうか。やっぱクソだなぁ?」


 ケラケラと笑い出したイグナルは、風すらも斬り捨てるような速度で長剣を抜いた。


 その一閃に反応するガウエル、微動だにしないエルシオ、見開いた瞳で敵を見るイグナル。


 二秒後にはエルシオの身体は縦に真っ二つにされている──はずだった。


『ぐおええええええええええええええええええええええええええ!!』


 五色の竜が、空を震わせなければ。


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