国境前線
オーランド帝国南側、エンリケイドとの国境付近にて。大将エーゲル・グラード・フィルスは内心の不安を押し殺し、凛々しい表情を浮かべていた。
──落ち着け、何もまだエンリケイドと戦争すると決まったわけではないのだから。
エンリケイドがクレアを匿っていた事が間違いない真実となると、二国間の関係性は限りなく不穏だ。ただあくまでも全ては革命軍によるもので、代々の国民性や王族が為した罪ではない。
竜のことはともかく、クレアに関しては取引に応じるならば目を瞑れる。
──むしろ、エンリケイドの王族はこちらに付いているわけだし。
一眼見かけただけのグラディウス・ローレライのことを思い出す。妹君もいることだし、彼らを立てればエンリケイドを取り戻せるのでは?と思わなくもない。その場合、革命軍は皆殺しかもしれないが。
「エーゲル大将、食糧を乗せた荷馬車が多数到着しました」
駆け寄ってきた少佐がそう報告する。昨日から今日にかけての唐突な移動だったため、備品や食糧の類に不安があった。これから何日間ここを守護することになるか分からないためでもある。
そのため、今朝早く身近な都市へ人を送って商人への協力要請を出していた。料金は後払いになるがその分高く支払うから、必要なものを届けてほしいと。
戦争やら竜害やらと、オーランド帝国が戦地になっていないとはいえ国民は不安でいっぱいだろうに、血気盛んな国民性のためか王族・軍部への協力は手厚い。
「ご苦労。予定通り搬入してくれ」
──民の期待に、答えねばならない。
グラード・フィルス家は王族を守るために存在している。父が近衛連隊隊長として名を馳せているように、俺も。
黒の軍服を着ていることを誇らしく思いながら、エーゲルは高台から下を眺め続ける。
兵の配置は上手くいっている、と思う。大将にまで昇格してくれた王族の期待を上回る活躍をしたい。
視界に映るのは果てしない緑。一部季節のため枯れているところもあるが、延々と森が続いているのは確かだ。その先にエンリケイドの領土がある。
「気を抜くなよ、皆。二時間ごとに休憩を取って、いつ何があっても大丈夫なように英気を養っておいて欲しい」
正直、貴族の出とはいえ随分と急な出世だったから部下への接し方が分からないでいる。エーゲルはまだ十八歳。ヴィルヘイムが今十九歳、三月に二十歳となるからエーゲルは二個下に当たる。そう言うと何だか大人な気がするが、実際にはヴィルヘイムの落ち着きぶりや仕事の熟し方が化け物なのであって、本来この年齢の者は皆エーゲルのように多少あたふたとしているものだ。
「エーゲル大将、少し休まれてはいかがですかな?」
隣にやって来たのは小さな勲章を一つ身に着けた老人。孫を見るような温かな目でエーゲルを見つめ、体調を気遣っている。エーゲルは昨日の朝起きてから今まで、一睡もしていなかった。
「お気遣い感謝します、ウェール中将。ですが、今は大事な時ですから。もう少しこの場所が基地として維持していける状態になったら、仮眠を取ることにします」
ウェールは白い髭を撫でながら、しかし、と続ける。
「食糧は先ほど届きましたが、武器が届くのは夕方になりますぞ。兵のテントなどはほぼ設営が完了しておるのですし、やはり休まれた方が……。二時間ごとに休憩、ですぞ」
ウェールはふぉっふぉと微笑みながら、先ほどエーゲルが部下たちに命じた言葉を引用してみせた。
「……はは、これは何とも言い返せない。そうですね、経験ある大先輩がそう言うのですから、俺は一度テントへ行くとします。この場の指揮をお願いできますか? 何かあれば、遠慮なく叩き起こしに来てください」
「ええ、もちろん。はっはっは、何だかクラウスの奴を思い出しますの」
高台の下、剣の手入れをする一般兵たちを眺めながら、ウェールはにんまりと口角を上げた。柔らかな弧を描く瞳は本当に温かで、鍛え上げられた屈強な肉体とちぐはぐだ。
「もしかして、父上のことですか?」
「ええ、そうですぞ。クラウスは儂が少将だった頃の隊員でしてな。いやぁ、『オレはこんなところにいる暇はない、早く近衛連隊に加わるのだ』と言って。手のかかる暴れ馬でしたなぁ……」
「父上に、そんな頃が……」
クラウス・グラード・フィルスは常に凛々しく軍服を着こみ、僅かな時間しか睡眠を取らない。王族の為ならば命を惜しまず、勝利を捧げることにも貪欲で実力主義だ。同時にグラード・フィルス家を衰えさせてはならないとも考えていた。生まれ持った地位に胡坐をかく貴族でいてはならない。実力を持つ故に貴族であり続けている、貴族であることを望まれている、そういう在り方を求めていた。故にエーゲルに対する教育も厳しく、三歳の時には小さな木刀を持たされた。
「信じられない……」
戦士でありながら規律を重んじる紳士。それがエーゲルの知る父クラウスだ。上官に立てつく姿は想像が出来なかった。頭の悪い上官が相手ならば、作戦内容の変更を求める等あるだろうが、ウェールは誰がどう見ても素晴らしい軍人だし、何よりも、『軍にいること』に不満を持っていたとは。
「グラード・フィルス家足るもの、王家に仕えなければならない。そう思っていたようでしての。軍隊は国を守るためにあるものですから、戦う意味も何も違います。似ているようで異なるのです。クラウスは王族の傍に立って王族を守りたかった。とはいえ、隊を抜けて近衛連隊に入ることが決まった日には、泣き腫らして抱き着いてきてのぉ……ふぉっふぉ、これ以上勝手に話すと今度会った時に怒られますな。昔話を好むのは老人の悪い癖です。申し訳ない、エーゲル大将。休みに行くところでしたのに」
エーゲルは大きく首を振った。
「いいえ、父上はあまり自分の事を話さない寡黙な人ですから。ウェール中将から昔のことを聞けるのは、すごく嬉しいです」
「そうかの? ならばこの老いぼれ、今度落ち着いた時にゆっくり語りますぞ」
「楽しみにしています、ウェール中将。では、少しの間ここをお願いします」
ウェールがゆっくりと確かに頷いたのを見て、エーゲルは自分用のテントへと向かった。作戦を練るために小さなテーブルなどが置かれたテントで、大将用なだけあって少し大きい。エーゲルはほとんどお飾りのようになっている剣を腰から抜いた。
「剣の訓練は日々行っているが、実戦では《魔王》に頼ることが多い。もっと活躍出来れば良いのだがなぁ……」
簡易ベッドにどさりと身をゆだねる。いつもの屋敷のベッドと違って、硬い。それでも眠気がやって来て、エーゲルはすぐに眠りに落ちた。
夢は特に見なかった。
グラード・フィルス家は近衛連隊隊長を代々やっておりますが、ヴィルヘイムやクレイグ、ラクレスを守ることは少ないです。何故なら、彼らの方が強い異能持ちだから。
どちらかと言えば《魔王》を持たない女性陣ですね。王妃や王女、あとは命じられれば重要地点の令嬢の護衛とか。
物語開始時(といっても二ヶ月ほど前)、当主であるエーゲル君のお父様は竜との戦闘で市民を庇い大怪我をしているので現在療養中、そろそろ復活する予定(ぶっちゃけこの一族はあとから考えたのでそう言うことにして辻褄を合わせたい所存。じゃないとお茶会とかで王女のそばにいないの変になっちゃう)




