雪が世界を覆い隠せば。
赤竜と翼竜の群れによりラグナロクシア地区が崩壊した、翌日。昨日のうちに援軍としてやってきていたオーウェン第二王子率いるアストレア王国軍に復興作業を任せ、ヴィルヘイムはひとまず王都へ帰還していた。
彼らは戦いにこそ間に合わなかったものの、そのおかげで疲弊も怪我もしていない。アレクサンダーとアドミス、アランやセイラ、ロアたちも向こうに残ったことだし、問題ないだろう。
「お疲れ様でした、陛下」
王都にあるマレフィア宮殿の自室にて、ラムロスがそう言いながらこちらを労るように温かいコーヒーを出してくれた。ありがとうと礼を言いながら一口飲む。
目が覚めていくのが分かった。昨日、赤竜を倒してからラグナロクシア地区中を巡って事態の把握を行なった。赤竜の一閃によりラウラロッサ第一都市は壊滅状態、多くの住民が死亡していた。
一閃が放たれたのは人々が竜の接近に気がつく前だった。災害と同じくらい唐突な一撃だったために、ラウラロッサ第一都市の住民たちは何が起きたのかもわからないまま炎に焼かれ死んでしまった……。
逆に言えば、始まりの一撃が鮮烈な一閃だったために他の都市の人たちは事態の深刻さを察してすぐに逃げ出したのだが。これがもし暗殺のように静かな攻撃であったならば、誰もが赤竜の接近に気が付かないまま、死んでいただろう。
話を戻そう。大体の事態を把握し終えるとヴィルヘイムはオーウェンとアレクサンダーに話をつけ、すぐに帰路についた。すっかり疲弊していたために白い羽を生やす余力はなく、軍部から一騎馬を借りてそこから夜の森を六時間休みなく走った。
そして今さっき、自室へ辿り着いたところだ。
「昨晩、エンリケイドの方でも問題が起きたと聞いたが……」
ラムロスが資料、というか手紙だな。何枚かの紙束を机に載せる。
「昨晩、ラクレス王子が伝書鳩にて知らせてきたものですね。エンリケイドへ向かっていたクロイツ・ワンとイグナル・ファイブがラクレス王子へ伝書鳩を飛ばしたようで、それに関する内容です」
ラクレスからの手紙には、
・五色の謎の竜が発見されたこと
・事態に乗じてエンリケイドが軍を寄越す可能性
・エンリケイドにクレアがいたこと
が書かれていた。
「クレア……」
憎々しい女の顔が浮かぶ。はらわたが煮えくりかえりそうだ。
「現在、ラクレス王子の命令によりオーランド帝国及びアストレア王国の両方でエンリケイドとの国境に軍を配置し警戒を強めています」
「さすが、判断の早い奴だ。そのままで頼む」
「承知しました。それと、こちらなのですが……」
眉を寄せながらラムロスがもう一つの手紙を寄越す。差出人はクレイグ。今はロックフォード・クレイ卿のところで滞在しているはずだが、何かあったのだろうか?
「クリスティア宮殿の玉座の間の裏に、洞窟のような空間が発見されたことは覚えてらっしゃいますか?」
「ああ、無論だ。お前も一時そこに囚われたが、オーウェン王子の協力で抜け出したと……。そこが、どうかしたのか……?」
「その時共にいた異邦人らしき女性は現在、ダグラス殿がリファーレン地区へ連れ帰りロックフォード・クレイ卿の屋敷で療養を続けていたのですが、ようやく目を覚ましたようでして」
何者かはわからないが、洞窟に囚われていたということは少なくともクレアの敵なのだろう。武器を持っている様子もないとのことだったし、そうする許可を出したことを覚えている。
「それは何よりだな」
長いこと眠っていたみたいだが、目を覚ましたのなら朗報だろう。問題はないように感じるが。
「服装もそうでしたが、何やらよく分からないことを口走っているようで……。手紙には、特殊な知識を有している可能性があるため近々リファーレン地区を訪れてほしいとのことです」
「ほぉ、特殊な知識か……」
各地に稀に現れる異邦人。その存在は曖昧でどこから来たのかも分からないが、最近になって王妃エレクトラが彼ら異邦人を生贄に《聖女》を手に入れたことが判明した。あれほどの力を手に入れようというのに、神は数万の命ではなく、数名数十名の異邦人の命で満足して力を授けた。
異邦人は何か、特別な力を持っているのだろうか。やはり異邦人には謎が多い。
「分かった。予定を変更するぞ」
「承知しました」
□■□■□
ラグナロクシア地区ラウラロッサ第一都市。
「こりゃ、ひでぇな……」
一晩経って炎は鎮火したものの、死者は戻らない。何より、炎の代わりに大雪が降っていた。一月なのだから何もおかしなことではないが、タイミングが悪い。
「これじゃあ、復興作業は難しいですね……」
「だな。瓦礫をどかそうにも、雪が積もってちゃなぁ」
アランとセイラが、ゆっくりと会話を繰り返す。右も左も真っ白の銀世界。音すら掻き消すような静寂に、二人は声を荒げて目の前の現実に怒る気にすらなれない。
「…………」
「…………」
セイラの告白事件があってから、こうして二人きりになるのは久しぶりの事だった。住民たちはすっかり他の都市へ逃げ出したあとで、ここには取り残された遺体と瓦礫と雪しかない。何か話さなければいけない気はするのだが、何を話したものか。何も話さない方が安全か、いいやでもこの静寂では間が持たない。
「な、なあ、セイラ」
アランは勇気を出して口を開いた。そうだ、話す内容など何でもいいのだ。世間話でいい。目の前の現状のことでいい。
「なんです?」
セイラは顔を向けないまま答えた。表情は笑っても怒ってもいない。疲れているのだろうか。その瞳には、ただただ翼竜の亡骸だけが映っている。緑色の羽はすっかり雪に覆われ、真白に染まっていた。
「ヴィルヘイム陛下、全部の竜種の異能を手に入れたんだってな」
「ええ、そう仰っていましたね。赤竜の《魔王》も完全体だと」
「《魔王》って、赤竜の異能じゃなくて、竜種から得た異能の全てを指すんだよな、確か」
「恐らくは……。これまで赤竜以外の異能は発見されていなかったから、定義は不明ですけど」
しんしんと、しんしんと。
舞い落ちる雪の欠片が二人に注いでは、溶けていく。
「じゃあ、これで真なる《魔王》の誕生ってわけか」
「そうですね……。となると、紅蓮の魔王とも、呼べませんね」
「ああ、確かにな。炎以外の力があるんだからなぁ……」
その時、早起きの二人よりもなお早起きの男が背後から近づいて来た。いち早く気が付いたアランが振り向いて挨拶を送る。
「お早いですね、アレク様」
アランを一瞥したアレクサンダーは既に身支度を完璧に終えていて、一本の乱れもない髪と毛玉一つない軍服姿だった。
「うむ。二人も早いな」
「おはようございます、アレクサンダー様。わたくしたちは、いつも起床はこの時間ですから」
使用人は主人よりも早く起きるのが普通だった。
「そうか。ご苦労だな」
アレクサンダーは先ほどまでセイラが見つめていた翼竜を見て、小さくため息を吐いた。オーウェン第二王子のもとでアストレア王国軍を指揮しこの地を復興させるにしても、まずは翼竜の亡骸を片付けることからだ。一体あたり数百キロから数トン。幼体か成体かを始め個体差はあるが、いずれにしても人の手では時間がかかる。アグリアの件がある以上、あまり王都を手薄にしたくないというのに。
「そういえば、アラン。昨日は見事だった」
アランはロアと二人でシャーロックとアレクサンダーが来るまで防衛を行っていた。現地の警察組織や自警団が機能しないなか、異能も持たない一人と一匹で翼竜を三体倒したのだ。それも、翼竜を都市に近づけないように立ち回り住民が避難する時間を稼ぎながら。軍人であれば勲章が送られ国の英雄の一人となってもいいくらいだ。
「セイラ嬢も、住民の避難指示、見事だったと聞く。二人とも、後日褒賞が与えられるだろう」
それだけ言うとアレクサンダーは立ち去った。何やら仕事があるようで、馬の方へと向かっていく。
──ほんと、あの人は何考えてんのか分かりづれぇな。
「アラン、何か失礼なことを考えているのでは?」
「イーエソンナコトハナイデスヨ」
「全く……少し前までは確かに敵でしたけれど、アグリアお嬢様の兄君に当たる方なのですから」
「そう、だな」
味方と思って、いいのだろうか。
次から次へと事が動き、休まる暇のないここ数ヶ月。主人の婚約破棄に始まり、遂には因縁ある二国間の戦争が終わった。そして今度は主人が危機に晒され、その夫は歴代最強の《魔王》となったと言える。
もう、一暗殺者風情には何が何だか分からない。分かろうと努力しているが、でも限界は近い。いや、とっくに限界だ。異能を持たない自分には、この戦いはきっと、最後まで付いてはいけない。
「……いっそ、雪が全部覆い隠してくれればいいのにな」
翼竜の死骸だけじゃなくて、この心の不安も焦燥も何もかもを。
「何か言いました? アラン」
「……イーエ、ナンデモ」




