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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【コミカライズ掲載中】婚約破棄された生贄聖女は魔王城にて幸せを掴む〜世界を滅ぼしたいと魔王に懇願したはずが「この世界がなくなったら君と愛が育めないから却下だ」と溺愛されています〜

 

「カイン様!! 一生のお願いです! ええ分かっていますとも! このお願いは毎日してるけれど! 毎日どころか朝昼晩ともしているけれど! とにかく! 私と一緒に世界を滅ぼしていただけません!?」

「──何度も言うが、却下だ」

「わあ! カイン様ってなんて素敵なお名前! 確か昔にも一度その名前を──」

「煽ててもだめだ。諦めろ」


 ──魔王城で暮らすようになってから一ヶ月、カインが首を縦に振ることはなかった。


 クラリスは今日も、世界を滅ぼすためにカインに必死な懇願を見せる。



「何度でも言おう。この世界はなくさない。却下だ」



 ◆◆◆



 クラリスことクラリス・ドルトイは、ギヴーシュ王国三大公爵家の一つ、ドルトイ公爵家の長女として生を受けた。


 ギヴーシュ王国では一定数の魔力量と光属性の素質がある女子は神殿に預けられる習わしになっており、クラリスもその一人だった。両親は跡取りである兄と、産まれたばかりの妹に構いきりでクラリスには一切関心を示さなかったので、五歳で神殿に預けられることになってもクラリスには家に戻りたいという気持ちはなかった。


 そんなクラリスは十三歳のとき、建国以来十人目となる聖女に選ばれた。

 これもひとえに、クラリスが毎日光属性魔法を鍛錬し、自身の力を磨いてきたからだろう。


 そしてそんなクラリスに、とある縁談が舞い込むのはそう遅くなかった。


 本来ならばクラリスは公爵令嬢なので、縁談など引く手数多のはずだった。

 しかし神殿に預けられている女子は例に漏れず国の『所有物』扱いとなるので、国が決めた相手としか結婚できなかったのである。


 そんな中で聖女クラリスの相手は、ギヴーシュ王国の第一王子──ダリオン・ギヴーシュその人だった。

 歴代の聖女も王族の妻になっており、全ては聖女を国の安寧の象徴と、他国への牽制のために存分に利用するためだった。もちろん、『所有物』に拒否権などない。


 だから、いくらダリオンに地味だの貧乳だの罵られようと、目の前で堂々と浮気されようと、真実の愛を云々と語られようと、クラリスにはそれを受け入れる他なかった。


 ──たとえ魔王への捧げ物(生贄)に選ばれようとも、クラリスには従う以外の選択肢は端からなかったのだった。



 ◆◆◆



「クラリスがここ魔王城で暮らし始めてから、もう一ヶ月が経つのか」


 魔王とは、言わずもがな魔物の王のことである。


 しかし、目の前で問いかけてくるカインの食事中の所作は、人間世界で貴族と呼ばれる人たちのそれとも遜色がないほどに綺麗だった。


「そろそろ世界を滅ぼす気になってくれましたか!? もちろん魔物ちゃんたちは全員傷一つ付かないように、私が暗黒の森一帯に結界を張りますから!! 心配は無用ですよ!」

「……君は本当に諦めないな」


 呆れた、というような表情を見せる魔王──カイン。

 ツヤツヤの銀髪に魔王特有のルビーの瞳、鼻筋はツンッと通っていて、唇は厚くもなく薄くもなく程良い。歳は大体二十五歳前後。身に纏っている服装や所作の美しさから、どこからどう見ても眉目秀麗な貴族の令息にしか見えないが、紛うことなき魔物の長だ。


(ほんと……なんってイケメン!! ついつい見惚れてしまうわ!)


 ここまで顔が整っていると、世界を滅ぼすことを一瞬忘れそうになる。忘れないが。

 クラリスはついつい涎が垂れてしまいそうになるのを必死にずずっと啜ると「失礼しました!」と何故か自慢げに謝罪を済ませてから食事を始めた。


「牛肉のフィレステーキにトリュフのタルティーヌ! 溢れんばかりのチーズが入ったトロトロのグラタン! 今日は私が食べてみたかったお料理ばかり! とーっても嬉しいですわ! カイン様、ありがとうございます! そしてこの世のものとは思えないほど美味しいです!」

「料理に関してはシェフに言ってやれ」

「それはもちろんですけれど、食材を調達してくれたのはカイン様でしょう? ありがとうございます! 今回はどんな顔に変えていったのですか?」


 ここ魔王城は、ギヴーシュ王国の辺境もまた辺境、その又辺境の森の中にある。暗黒の森に囲まれているため人一人入ってくることはなく、もちろん暮らしているのは魔物ばかりだ。

 ここに来て初めて知ったが、どうやら魔物も人間の食事を好むらしい。とはいえ人里には魔物の姿では行けないので、カイン自らが姿を変えて食材の調達に行っていると聞いたときは驚いたものだ。


 因みに、シェフのマッケイはゴブリンである。マッケイだけでなく、魔王城にいるのは全員もれなく魔物だ。

 魔王城に住む魔物の殆どが人間の言葉を話せるおかげで、クラリスは意思疎通に困ったことはなかったけれど。


 ──話を戻そう。カインの顔を変える、についてだが、これはカインだけが使える変化魔法のことである。


「今回はこんな顔だ」

「わあっ! 今回は日に焼けた肌に黄金の瞳の美青年ですのね!」

「美青年かどうかは知らんが、店主の女性は沢山オマケしてくれた」

「それはそうでしょうとも! カイン様の変化魔法は本当に便利ですわね! この前はふくよかなおじさま、その前は女性にしか食材を売らないというこだわりを持つ商人から購入するために、スレンダーな女性になってましたっけ。して、世界を滅ぼす気には──」

「だからならない。早く食べろ」

「食べますわよもちろんですわ! 神殿では質素な生活、『聖女の巡礼』でもまともに食事を摂る時間がありませんでしたから、とーっても幸せですわっ! 生贄になって死ぬどころか、魔王城で客人扱いをしてもらえるなんて、未だ夢のようです! 女性に変化してまで買ってくださったトリュフなんてもう! たまりません!」


「世界が滅んだらこのご飯が食べられないかと思うと、それは少し寂しいですが」と、囁くクラリスの瞳を見つめながら、カインはおもむろに口を開く。


「それなら世界を滅ぼすなんて考えはやめたらどうだ?」

「何度も説明したではないですか! 私はこの世界が許せないのです! 怒り心頭なのですわ!」

「それは理解している。だが君は非の無い者たちからも世界を奪うのか?」

「で、ですからそれは……」


 ぐうの音も出ない。この問答は一体何度目だろう。

 魔王城に来た頃は冷静さを欠いていたので、それでも世界を滅ぼしたいのです! と即答していたクラリスだったが、連日こう返されては冷静さが蘇ってくる。

 カインから毎回ド正論を並べられるクラリスは、今回ばかりは受け入れる他なかった。


「わ、分かりました。では、ここギヴーシュ王国と、『聖女の巡礼』で行った友好国だけで構いませんわ! 焼け野原にしてしまいましょう」

「そうか。まあ、力を貸すつもりはないが」

「カイン様は本当にブレませんね!?」


 クラリスの必死の懇願は、まだまだ続く。



 ◆◆◆



「君との婚約を破棄させてもらうよ。クラリス・ドルトイ」


 そう、ダリオンが言い放ったのは、今から一ヶ月ほど前。クラリスは現在十八歳。

 三年にも渡る『聖女の巡礼』から無事帰還したことを王宮に報告しに行ったときのことだった。


 聖女になったクラリスの仕事は、まずダリオンの婚約者に相応しい教養を身につけることだった。

 それに関しては神殿でそれなりの教育を受けることが出来ていたこと、クラリスのポテンシャルが高かったことから、妃教育と名のつくものは神殿から王宮に通うこと早二年、奇跡的なスピードで終わらせることができた。


 そして十五歳になったクラリスには、本格的な聖女としての仕事も待っていた。



「どうして婚約破棄なんて……」

「君は聖女の務めである『聖女の巡礼』を適当に済ませて帰ってきたのだろう? そんな君を、国母にすることはできない!」

「お待ち下さい殿下! 私はこの三年間、ここギヴーシュ王国全土、そして友好国にも渡り、魔物が入り込まぬよう人が住む地域に結界を張り、病に苦しむ人には癒やしを与え、作物が育たぬ土地を浄化して復活させてまいりました……!」


 歴代の聖女も行ってきた『聖女の巡礼』は、婚姻を結ぶ前の三年にも及ぶ期間、自国全土と友好国を渡り、聖女の力を国や民のために捧げることを示すものだ。

 これにより聖女という理由だけで王族と婚姻するということに対する反乱を抑止し、かつ友好国に恩を売ることもできる。


 クラリスはそんな『聖女の巡礼』を三年もの間、少しの睡眠と最低限の食事、毎日魔力がカラカラになるまで全力で行ったのだ。


 現に気力を尽くし、帰還したばかりのクラリスの足はもうカクカクで、早く神殿の自分の部屋でベッドに四肢を投げうってしまいたかった。お腹だって空いていたし、こんな時くらいは湯船にたっぷりお湯を張ってお風呂にだって入りたかったのだ。


 だというのに、ダリオンはそんなクラリスに労りの言葉をかけるどころか、適当に済ませただのと聞き捨てならないことを自信満々に言い放つ。


 流石にこれはクラリスでもイラッとしたが、同時に何故そんなことを言うのだろうかという疑問を持つ。


 そしてその疑問は、直ぐ様解消されることとなるのだった。


「こちらへおいで、僕の愛しのリエーヌよ」

「ダリオン様ぁ……!」


(何でここにリエーヌが……? 彼女は神殿にいるはずじゃあ)


 ダリオンに肩を抱かれ、もたれ掛かるようにして寄り添うリエーヌは、クラリスの同僚だった。

 幼少期から神殿で共に住んでいるうちの一人だ。聖女になるのはクラリスかリエーヌか、と最後まで神殿内で揉めていたのは記憶に新しい。


 そんなリエーヌの甘ったるい声と、ダリオンに見せる妖艶な笑み、反対にこちらを見てくる厭らしく悪魔のような瞳に、クラリスはゾッとした。


「聖女でありながら民に尽くさぬなど言語道断! クラリスから聖女の称号は剥奪し、ここにいるリエーヌをギヴーシュ王国の新たな聖女とする! それに伴って、クラリスとの婚約は破棄、リエーヌを新たな婚約者にする!」

「っ……!?」


 ダリオンは無類の女好きだし、昔からクラリスのことが気に食わないのか、悪口ばかりを言ってきていた。

 しかし聖女であることを否定されたことはなかったし、一応ダリオンとの婚約は国王が決めたことなので、そのことに関しては文句ぐらいは立てても、こんなふうに貴族たちの前で婚約破棄を宣言することはないだろうと思っていたのに。


(一体何が起こっているの……? 誰か冷静な人は……!)


 おそらく何を言っても届かない。それならば周りに援護してもらうしかない。


 そう思ったクラリスは大臣たちに助ける求めるように視線を寄せるが、殆どの者がほくそ笑んでいた。この状況を望んでいないのか、気まずそうな顔をする文官も数人居るが、身分の関係か、それとも買収でもされているのか、声を上げてはくれなかった。


 頼みの国王と妃は、他国の王族の結婚式に参列するため国を離れており、ダリオンの弟の第二王子はまだ四歳と幼い。

 まさに絶望的だった。


「ここに居るものは皆、僕の意見に同意してくれている。『聖女の巡礼』をいい加減に済ませたことは国中から声が、そして友好国からもそういった内容の書簡が届いている。そんな君では僕に相応しくない。それに比べてリエーヌは君がいない間、僕に寄り添ってくれた。魔法の鍛錬にも一生懸命励んでいたと神殿長が言っていたよ。僕はそんな彼女──リエーヌに、真実の愛を見つけたんだ」

()()()()ですって…………?」


 この婚約に愛はなかったので、婚約破棄に関しては悲しみなんてちっとも浮かばなかった。


 むしろ怒りだ。この現状にクラリスは怒りを覚えた。ダリオンの言う()()()()という言葉が、それにより拍車を掛けた。


 ──ダリオンは婚約してから、会うたびにその言葉を口にした。

 クラリスのような地味で貧乳の女ではなく、巨乳の絶世の美女こそが僕の真実の愛を受けるに値する女だと。


(そうね、確かにリエーヌは美人よね。それに巨乳よね。神殿では皆必要最低限のご飯しか貰えないのに、リエーヌだけ神殿長に気に入られて沢山ご飯もらっていたものね! こちとら、胸につく余分な肉なんてないわよ! 胸もお尻もぺったんこよ! 私よりマシな子がいたから食事のことばかり言うつもりはないけれど! 個人差と言われてしまえばそれまでだけど!)


 つまり、少なくとも見た目的に言えばクラリスよりもリエーヌがお好みだったのだろう。クラリスのライトブラウンの髪とサファイアのような瞳は美しく、顔は整っていたが、確かに派手な顔ではなかった。胸の大きさは言わずもがな。


 神殿長もリエーヌのことは異常なほどに甘やかしていたものだ。リエーヌがクラリスと聖女の座を最後まで争っていたのは、能力ではなく神殿長が最後までリエーヌを推していたから、というのも神殿内では有名な話であった。

 結果的に能力差があり過ぎるので、流石の神殿長もリエーヌのことは聖女の座まで押し上げられなかったらしいが。


(あ、だめだわムカついてきた。落ち着いて私。……この状況を作り出したのは神殿長も噛んでるわね。私が死ぬ思いで働いているときに殿下とリエーヌはよろしくやってたんだろうけど、神殿長の協力が必要不可欠だもの。多分神殿長が上手いこと誘導したのね……民の声明と言っても証拠はないし、友好国からの書簡だって本当かどうか……出してこないところを見ると全て嘘の可能性もあるわ。もちろん、全員殿下や神殿長みたいに私が気に食わなくてっていう可能性もないわけじゃないけれど。そういえば昔から神殿長に言われたっけ。……出る杭は打たれるって)


 ──とにもかくにも。


(今はそれはどうでも良いわ。とにかく一回寝たい……もう私は疲れてるのよ……頭が回らない)


 体力が余っているときならいざ知らず、『聖女の巡礼』から帰ってきたばかりでこんなことはやめてほしい。それが狙いなのかもしれないが。


 クラリスは小さく息を漏らすと、頭を少し下げて優雅なカーテシーを見せた。


「大変恐縮ではありますが、話は明日にしていただけませんか? 真実はどうあれ、三年もの間私が『聖女の巡礼』に出ていたことは周知の事実でしょう」

「いやだめだ! 逃げることは許さないぞクラリス! そもそも君には明日なんて来ないのだから!」

「……! と、言いますと」

「君には今から、聖女の名を穢した報いを受けてもらう! 世界の安寧の為、クラリス・ドルトイ──君を魔王への供物とすることを、今ここで決定する!!」



 それからは早かった。概ねの人間が賛成する中で、クラリスは騎士たちに拘束され、暗黒の森の手前まで連れて行かれた。


 暗黒の森の手前の深い沼に生娘を供物として献上することで、魔王の怒りを鎮めると言われている──なんて話は今まで聞いたことがなかった。有体で言えば生贄だが、そもそもそんな話はない。

 おそらくクラリスを始末するためだけに、このようなそれらしい話まで作り上げたのだろう。



「クラリス・ドルトイ。最期に聖女だった者として国のためにその身を捧げることができること、感謝するんだな」

「クラリスさん、私が貴方の代わりに聖女として頑張りますからぁ! ご心配には及びませんわぁ!」

「クラリス、神殿長として貴方の最期の姿、しっかりと見届けよう」


 クラリスを助けてくれる人はいない。公爵令嬢であるクラリスが生贄になるなんて前代未聞のことが起こる背景には、家族が反対しなかったこともあるのだろう。


(何で……私が何をしたと言うの。ここまで用意周到だなんて……何も、出来なかった……! 悔しい……っ)


 手足を縛られているクラリスには、深い沼に落とされてしまえば抗うすべはない。

 その姿を見に来るダリオン、リエーヌ、神殿長の三人のなんとも悍ましい笑顔は、クラリスが泣き叫ぶ姿を望んでいるものだ。


 その表情を目に焼き付けたクラリスは、思い通りに泣いてなんてやらない、と強がって涼しく笑って見せる。


「絶対に許さない」


 最期くらいは、と騎士たちに背を押される前に自ら飛び込んだ。


 目を瞑り、抗うこともなく、ゆっくりと沈んでいく。そのとき、胸元の細いチェーンに通された指輪が、淡く光った。



 ──そうしてクラリスは、魔王への生贄として死んだはずだった。



 ◆◆◆



 しかしクラリスが目を覚ましたのは魔王城のとある部屋のベッドの上だった。

 魔王城の入り口で倒れているところを見つけたのだという。


 運んでくれたのはカイン。身支度の細かな指示を出してくれたのはカインの従者であるエルフのランカル。身支度を済ませてくれたのは、今ではクラリス付きとなったメデューサのメルだ。因みに睨まれても石にはならない。


 クラリスは何故か死ぬことなく魔王城に転移のような形で来ることになり、今に至る。


 因みにどうしてこうなったかは、クラリスには皆目見当もつかず、カインも含めて魔物たちも知らないという。


 それならもう良いや、と割り切ったクラリスは、この拾った命で復讐を誓った。


『絶対に……許さない!』


 それから行くあてのないクラリスを、カインはこの魔王城で住むことを許してくれた。

 当初は下働きをすると言っていたのに、専属のメイドをつけられ、ドレスに着替えさせられ、豪華な食事に大きなお風呂、ふかふかのベッドまで用意され、一切働かせてもらえなかった。


 申し訳無さはあったものの、クラリスは死にものぐるいで行った『聖女の巡礼』からの生贄にされるという非人道的な目にあったので身体も精神も疲れており、素直に甘えることにしたのだった。


 それから五日後、クラリスはどうやったら復讐が出来るだろうかと考えて、未だ怒りがふつふつと沸き上がってくることもあってか、世界を滅ぼしてしまえば良いのだというぶっ飛んだ結論に至る。

 世界を滅亡させられる程の力を持つという噂の魔王──カインが手を貸してくれれば、それは簡単に叶うのだから夢物語ではなかった。


 ──人がいなくなれば、魔物は森に追いやられることなく、もっと自由に生きることができる。カインが魔法で世界を焼け野原にしている間は、全魔物を一同に集めてクラリスが結界を張れば、魔物たちに害はなくなる。

 食べ物はなくなってしまうが、魔物は人間の食事を好むだけで、別に何も食べなくても生きていける種族だ。それほどデメリットではないだろう。


 聖女であるクラリスが人里に張った結界を解き、魔物に人里を襲わせることも考えたが、これでは魔物にも被害が及ぶので却下だったこともあり、クラリスはどうしてもカインの手を借りたかった。


 悪くない話だと思っていたのだが、一切ブレることなく却下するカインに、クラリスは「長期戦ね!」と気合を入れた。



 ◆◆◆



「カイン様、今日のケーキはなんとアップルパイです!」

「ああ、見たら分かる」

「実は、一度は食べてみたかったものなのです! マッケンの今日のチョイスは私の心を見透かしたようなものばかりで驚かされます」

「…………そうだな」


 少し間のある返事に「あら?」と思いながら、クラリスは温かなアップルパイを口に運ぶ。

 サクサク、ジュワリ。この世の物とは思えないほど美味しい。


 時間は夕方になる少し前。小腹が空いてきた頃、クラリスは「お話をしたいのです!」と言って自身の部屋にカインを招き入れた。


 いつにもまして美しい水色のドレスを纏ったクラリスは、話をすることを忘れてアップルパイをパクパクと食べていく。美味しいのが悪いのである。


「美味しいならば何より。それと……今日の君は一段と美しいな」

「カイン様にそう仰っていただけるなんて嬉しいです! 何故か今日はメルの気合が凄くて……理由はご存知ですか?」

「…………。さあ」

「……? そうですか。では、ギヴーシュ王国と友好国を焼け野原にする件について話しましょう!」

「だからしないと言った。本当に諦めないな」


 何やらまた間がある気がしたが、気のせいかとクラリスはしれっと私用をぶっこむ。もちろん、返答は否だったが。


「この国と友好国の中にも、非が無いものはいるだろう?」

「……確かに、ギヴーシュ王国では仕立屋のキュロス、友好国でも医者のベンヌに八百屋のハッサン、商人のサジアンに街娘のフランは本当に良い人でした。私の身体を気遣ってくれたり、労りの言葉をかけてくれたり、ときおり食べ物を差し入れしてくれたり、何より心からありがとうと言ってくれました」


 もちろん他にも、『聖女の巡礼』に行った際、クラリスはきっちりと仕事をしたので感謝はされた。

 しかしその中でも、その数名のことは群を抜いて覚えている。彼ら彼女らの目は、聖女としてではなく、クラリス本人を見てくれていると、はっきりと感じることが出来たからだろうか。

 そんな彼ら彼女らとは沢山の話をした。聖女について、国についてのことだけでなく、好きな食べ物や好きな色なんていう他愛もないことも。クラリスはそんな彼ら彼女らのことは大切だった。

 いつもふらっと現れるので、彼らが働いているところを見たことがなかったけれど。


 世界を滅ぼしたいと思ってから一ヶ月経って冷静さを取り戻した今だからこそ、クラリスはそう思えた。


「決めましたわ! キュロスやベンヌたちは大切ですから、彼らにも結界を張って守ります!」

「それだと彼らの大切な人は守れないが良いのか?」

「ううっ、それは…………」


 再びぐうの音も出ない。クラリスは大切な人たちが悲しむのは避けたかった。


「分かりました。……国単位で滅ぼすのはやめましょう。致し方ありません!」

「ああ、その方が良い」


 柔らかく微笑んだカインに、クラリスは胸がきゅっとなった。イケメンとは恐ろしいものである。


「しかしどうしましょう。これでは世界を滅ぼすどころか国も滅ぼせず、私のこの怒りはどこへやったら良いのやら」

「……クラリス。君は元婚約者と元同僚の女、それと神殿の長を強く恨んでる、で合っているか?」

「それはそうですね! しかし、『聖女の巡礼』を適当に済ませたとギヴーシュ王国の民が声を上げていると、友好国からは同じような内容で書簡が届いたと言われました。ですから民や友好国に対しても思うところはあります」


 今となれば燃え上がるような怒りではないにしろ、そういうこともあるよね、と軽く済ませられる話でもない。


 ぺろりとアップルパイを完食し、紅茶を飲み干したクラリスは、「悲しい……」とポツリと呟いた。後ろに控えていたメイドのメルは、すかさずクラリスのティーカップにおかわりを注ぐ。


「精一杯、聖女として努めたつもりなので……どうしても悲しい、のです」

「……ああ。君がどの国でも如何なる状況でも、精一杯聖女として民のために尽くしていたことは知っている」

「ありが──え? カイン様がどうしてご存知なのですか? 私がここに転移してきたときが初対面ですわよね?」

「……そ、そうだ。その、君ならそうだろうと思って言っただけだ。深い意味はない」


 珍しく焦るカインに、クラリスは「なるほど……?」と一応納得した様子を見せる。

 一応褒められたわけだし、これ以上突っ込まなくても良いだろうと思っていると、コンコンとノックの音が聞こえた。


「──やはりここでしたか。カイン様、言われたとおり、準備が整いました」

「ああ、分かった」


 部屋に入ってきたのはエルフで従者のランカルだった。

 ランカルに返事をしたカインは直ぐ様右手にパッと水晶を出した。収納魔法から取りだしたのだろうが、クラリスは毎回「ひょっ!!」と驚いてしまう。


 そんなクラリスに対して、カインは一瞬だけ切なげに口を歪めると、落ち着いた声色でクラリスに話しかけた。


「クラリス、この水晶が離れた場所の様子を見ることができる魔導具だということは前に説明したな」

「? はい」

「ついでに言うと見たい日時や、一度会ったことのある人を映し出すよう指定することもできる。過去も自由自在だ。今からここに映るのは、君が生贄として沼に身を投げた三日後のことだ」

「何です急に……」

「良いから、しっかり見るんだ。全て見終わってもまだ世界を滅ぼしたいのなら、力を貸してやろう」

「!?」


 何を見せられるのか分からないけれど、ここまで言われたら頷く他はない。


 カインに目配せをされたランカルは部屋を出ていく。その後にメルも続いて部屋を出ると、同時に水晶には映像が映し出された。



 ◆◆◆



 水晶に映る光景に、クラリスは目を見開いた。


「何です……これは……」


 ギヴーシュ国の国民の多くが、王城を取り囲んでいる。音声も聞こえる水晶から聞こえるそれは、クラリスの死を惜しみ、感謝するものばかりだった。


クラリス(聖女)様が自ら生贄になることを選んだってどういうことですか!! ちゃんと説明してください!』

『新しい聖女を立てるって話は俺たちの耳にも届いてるんだ! まさかクラリス(聖女)様が邪魔になったから葬ったんじゃないだろうな!!』

『私たちのクラリス(聖女)様を返して!! あのお方のおかげでうちの旦那は病気が治ったのよ!!』

『うちだってそうだ! クラリス(聖女)様のおかげで畑が生き返ったんだ!!』


 王城の周りを取り囲む数多くの民たちに、門兵や騎士たちは対応しきれていないようだ。

 こうなったのは、クラリスが沼に身を投げた三日後──『聖女クラリスは自らの意志で、国の安寧のため、そして魔王の怒りを鎮めるために生贄となった』という記事が、国民全土に配られたからだった。



「嘘……だって、……え?」


(民は私の行いに、不満の声を上げていたんじゃなかったの……?)


 呆然とするクラリスを横目に、カインは水晶に手をかざす。


「少し先に進めよう。今からの映像は、君がここに来てから十日経った頃だ」



 ◆◆◆



 映像の場面は王宮外から王宮内に移る。

 そこはクラリスが婚約破棄をされ、聖女の称号を剥奪され、生贄になるよう言い渡された部屋だった。


『一体これはどういうことだ!』


 そう叫んだのはダリオンだった。国民たちは昼夜問わず、代わる代わる王宮を取り囲んではクラリスを惜しみ、王族に文句を垂れている。騎士の中にもクラリスを失ったことに悲しんだり、怒りを露わにする者も多いようで、王宮警備の仕事をストライキするものが数多くいた。

 そのため警備は手薄で、いつ民が流れ込んできてもおかしくない状態だった。


 これ程怒っているダリオンを見たことがないリエーヌは、そっとダリオンから距離を取った。


『クラリスはここまで民に慕われていたのか……! 神殿長!! これはどういうことだ……!』

『いや、その……。し、しかし! 友好国からの書簡があるではないですか! 民はクラリスに騙されているのですよ! きっとリエーヌに聖女の称号が与えられれば、こんな暴動は直ぐに収ま──』


 神殿長の声を遮ったのは、バン! と力強く扉が開く音だった。

 現れたのは、つい先程帰国したばかりの国王と妃だ。二人は鬼の形相でダリオンのもとまで行くと、普段の温厚な姿とは程遠い怒鳴り声を上げたのは国王だった。


『先程神殿長に買収されていた文官が全て吐いた!! ──ダリオン! お前は神殿長とそこのリエーヌに踊らされて、聖女クラリスを適当に生贄と称して死に追いやったらしいな!! 何をしてるんだ貴様は!!』

『お、踊らされた……!?』

『そうだ!! こんの馬鹿者!!』


 実は今回の件、ダリオンは先頭を切ってはいたものの、その策は全て神殿長が考えたものだ。


 というのも、神殿長とリエーヌは貴族の家の出で、遠縁に当たった。神殿長が先にそのことを知り、今回の件をリエーヌに持ちかけたのだ。


 ──聖女となれば、王族の妻になれる。そうすれば誰もが羨むような生活が待っているぞ、と。


 実際は『聖女の巡礼』は肉体的にも精神的にも疲労は多く、妃教育もクラリスのようにすんなり行くことの方が珍しいのだが。神殿長は敢えてそこは伝えず、リエーヌをときおり自身の補佐として連れ出し、ダリオンの目につくよう機会を作った。


 ダリオンは神殿長の思惑通りにリエーヌに惚れ、リエーヌも又、神殿長の言う通りにダリオンを篭絡した。


 神殿は修道院とは違い、家との関わりを断ち切ってはいない。遠縁とはいえ、身内が王族に娶られるとすれば、神殿長という地位が確固たるものになるのは間違いなかった。神殿の最高権力者という地位は、中々に美味しかったのだ。



 国王は今さっき罪を打ち明けた文官たちに手渡された書簡を開き、ダリオンの顔の前にバン! と突き出した。


『これを見ろ! 友好国からの()()の書簡だ! 聖女クラリスに対しての感謝がこれでもかと綴られている! お前が見たのは神殿長が作った偽物だ! 文官の一部を買収してお前に偽物を渡すよう頼んだんだ!! それともう分かっていると思うが、国民が聖女クラリスに感謝こそすれど不満なんて持つはずがないだろう!! 彼女は建国以来、最高の聖女だ!! それなのに──この馬鹿者が!!』

『そっ、そんなぁ…………!』



 ──それからは、まさに怒涛の速さだった。


 神殿長がクラリスを陥れるためにダリオンに嘘の書簡や民の情報を流したこと。文官を買収したことや、生贄の件等々。罪状は数知れず、処刑が妥当だと判断された。


 リエーヌはクラリスを陥れるために協力はしたものの、光属性の魔法を扱える者が少ないということで、死ぬまで神殿に仕えることとなった。


 そうして、クラリスの元婚約者、ダリオンと言えば。


『僕は騙されたんだ……僕は悪くない……僕は……』


 瞳に影を落とし、力なくそう何度も呟く。まるで被害者のような面をして、騎士たちに拘束されてその場をあとにした。


 これは少し後のことだが、ダリオンは今回の件で王位継承権の剥奪はもちろん、王族からの除籍となった。

 騙されていたとはいえ聖女クラリスを陥れ、死に追いやったとして処刑の声が多く上がったが、ただの平民となることで、王子としてのダリオンは死ぬこととなった。


 今まで生活をするのに何一つ苦労をしていなかったダリオンからしてみれば、家なし職なし金無しでポイッと放り出されたこれからの人生は、死んだ方がマシだと思えるような運命が待ち受けているのかもしれない。


 因みにクラリスが亡くなったとの報告が広まってから、クラリスの実家──ドルトイ公爵家は近いうちに没落することになる。

 クラリスが生贄になることを一切止めなかったとして、ドルトイ公爵家と関係があった貴族は、皆信用に値しない、と手を引いていったからだ。

 クラリスの存在は、三大公爵家の一つを潰してしまうほどに、大きかった。



 ◆◆◆



「………………」

「次は昨日を映す。よく見ておいて──」

「カイン様」


 カインの言葉を遮ったのは、全てを目の当たりにしたせいか、いつもよりやや低いクラリスの声だった。

 怒りが滲み出るようなものではなく、その声色には情けなさや呆れ、愛おしさのような様々な感情が含まれていた。


 ダリオンに婚約破棄等を言い渡されたとき、クラリスは民から不満の声が上がっていることと、友好国からも書簡が届いていると言われたことを本当なのかと疑った。

 しかし生贄になることで調べることは出来ず、これ以上なく怒りの感情を持っていたことで、冷静な判断が出来なくなっていた。


(国民も友好国の方々も、私を認めて感謝してくれていたのに……世界を滅ぼそうだなんて、私は考えてしまった)


 これが、クラリスの声から漏れる情けなさの正体だった。


 呆れは言わずもがなダリオンたちに対してで、正直彼らにはそれ以上の感情は殆ど思い浮かばない。


 そして、愛おしさは──。


「カイン様は、どうしてここまで私に良くしてくださるのですか……? どうしてそんなに、お優しいのですか……?」


 魔王城の前で倒れていたとはいえ、捨て置いて置くこともできたはずだ。

 助けたとしても、目を覚ましたのなら追い出したって良いはずだ。

 魔王城に住んでも良いという代わりに、何か対価を要求しても良いはずだ。


 だというのに、カインは当たり前のようにクラリスを助けて、何不自由のない生活をさせてくれた。何も対価は要求せず、世界を滅ぼしたいというクラリスに、毎日付き合ってくれた。

 今だって、こうやって真実を見せてくれている。それも、一ヶ月という時間が、カインの説得があったからこそ、クラリスは素直にこの真実を受け入れることができているのだ。


 到底、()()()の人間にすることとは思えなかった。優しいにしても、出来すぎているのではないか、もしかしたら、知り合いなのでは? とそんな考えが浮かぶ。



「とにかく、これが最後の映像だ」


 カインが再び水晶に手をかざす。クラリスはカインから、そろりと視線を水晶に移した。



 昨日の正午の映像だ。


 ダリオン、神殿長、リエーヌの罪が公になり、国王が正式に謝罪と説明をしたことで、国民の暴動はおさまっていた。

 未だにクラリスを惜しむ声は聞こえてくるものの、クラリスのいなくなった穴を埋めるように神殿に預けられている女子たちが、光属性魔法の鍛錬に励んでいる様子が映っている。


 それでも国民たちは、クラリスが生きていてくれれば、と口々にしている。そんなシーンを最後に、水晶からは映像が消えた。



「……クラリス。ここまで見て、まだ世界を滅ぼしたいと思うか?」

「いいえ」


 カインの問に、クラリスは間髪入れず答えた。


 するとカインは、一瞬だけ切なげに目を細めてから、柔らかく微笑み、そしてゆっくりと立ち上がる。


「それなら、準備ができ次第ここから出て行ってくれ」

「──え?」

「君の聖女としての行いがきちんと認められていることはもう分かっただろう。君が納得出来るかは別問題だが、あの三人も報いを受けた。何より聖女クラリスのことを、民たちはあんなにもまだ強く求めている。今戻れば驚かれはするだろうが、魔物(私たち)のことは隠して、聖女の力で奇跡的にも死ぬことは避けられたのだと力押しすれば、信じてくれるだろう」

「そ、それは……」


 そうかもしれないけれど、そうことではなくて。


 クラリスは戻ったときの説明や立場やこれからのことではなく、ここ魔王城から出て行くよう、カインから言われたことで頭がいっぱいだった。


「私は自室に戻る。声をかけてくれれば、直ぐに転移魔法を使って街へ送ろう。屋敷内で欲しい物は好きに持っていっても構わないから」

「ちょっ、待ってくださいカインさ──」


 クラリスの呼びかけは虚しく、扉の閉まる音に掻き消される。


 クラリスは一人きりになった部屋で、フラフラとした足取りのまま、先程までと同じ席に腰を下ろした。


「……何でショックを受けてるの、私は……。今までこれだけお世話になっておいて……元の生活に戻れるんだから、それで良いじゃない……」


 どうしてここまで良くしてくれたのかと思うところはあるものの、クラリスはそれをぐっと飲み込む。


(まず戻ったら陛下に挨拶して、カイン様が言った通り聖女だからどうにかって説明して、それから民に顔見せして、それで……)  


 することは沢山ある。『聖女の巡礼』程ではないだろうが、これから聖女として忙しい日々を迎えるのは間違いないだろうから。


 カインたちのことは忘れ、聖女として民の役に立つことがきっと私の生きる道なのだと、クラリスは必死にそう思い込もうとした。

 そうしなければ、悲しみに飲まれてしまうから。カインへの感謝だけではない──愛おしいという感情に気付くにしたって、今更だった。



「あ、そういえば水晶…………」


 頭を働かせていると、はたと水晶の存在に気がつく。カインがそのまま置いていったものだ。

 魔法を使えるものならば誰でも使用できると、カインが以前そう言っていたことを思い出したクラリスは、水晶にそっと手をかざした。


「少しくらいなら、使わせてもらっても良いわよね」


 聖女として戻れば、婚約はなくなったとしてもあまり自由はないだろう。

 それならば、クラリスが国を滅ぼしたいという気持ちを引き止める要因となった、『聖女の巡礼』で良くしてくれた大切な人たちが今、どんな様子なのか見ておきたいと思ったのだ。

 それにこうでもすれば、心を支配しているカインの存在を、少しくらい忘れられると思った。


「じゃあ、まずは医者のベンヌを見てみましょう」


 ベンヌを映し出すよう指定してから、クラリスは水晶にかざした手に魔力を注ぐ。


(ベンヌは今、どうなっているのかしら──え?)


 しかし水晶に映しだされたのはベンヌではなく、自室のソファに座るカインの姿だった。

 クラリスは「へっ!?」と素っ頓狂な声を上げてから、慌てて水晶の映像を消す。


「びっくりした……何でカイン様が……設定を失敗したのかしら」


 やはり使い慣れていない魔導具では、失敗も起こり得るのだろう。

 クラリスは気を取り直して、次はベンヌとはまた別の国に住んでいる八百屋のハッサンが映し出されるよう、設定をする。


「ハッサンはそろそろ結婚とか──え!? 何で……?」


 しかし、再び映し出されたのはカインの姿だった。

 自室のソファに座っていて、今ちょうどティーカップに手を伸ばしたところだった。


「ってダメダメ! 消さなきゃ……!」


 クラリスは慌てて映像を消すと、自身の心臓がどくどくと波打っているのが分かる。

 今回は失敗のないよう丁寧に設定したので、間違えているはずはないのだ。


「どういうことなの……どういう……」


 ベンヌやハッサンを指定したのに、カインが映し出される。


 しかし、もしや壊れたのかと思って、国王を指定すればきちんと水晶は国王を映し出すものだから、壊れているわけではない。


「……ちょっと待って、そんな、はずは……」


 ──もしかしたら他国だからかもしれない。うん、きっとそうだ。

 自身の都合の良い想像が当たるはずはないと、クラリスはギヴーシュ王国の辺境で仕立て屋をしていたキュロスを設定する。


 ──しかし、映し出されたその姿は、キュロスのものではなかった。


「カイン様……っ、どうして──」


 もう確定だろう。それでもクラリスは念のために、サジアンとフランが映し出されるよう水晶に設定するが、結果は言わずもがな。



「カイン様は変化魔法を使って、『聖女の巡礼』をしている私を見守ってくれていたの……? 励まして、気遣って、感謝の言葉を口にして……っ、私の、支えに……っ」


 この魔法はカインにしか使えない。そして水晶に映し出されたのが何よりの証拠だ。

 けれどそれだけではない。クラリスは今日、カインがポロリと口にした言葉をはっきりと覚えていた。


 『君がどの国でも如何なる状況でも、精一杯聖女として民のために尽くしていたことは知っている』


 あれは言葉のままの意味だったのだ。魔王特有のルビーの瞳を変え、別の人の姿でカインは各地でクラリスと関わりを持っていたのだから。


「カイン様……どうしてそこまで……」


 魔王城に来るまでに出会っていたことは分かった。しかし、こうまでするには、もっと以前に出逢っているか、何か理由があるはずなのだ。



 ──そもそもどうして、生贄になったはずが魔王城に飛ばされることになったのか。

 カインへの思いや、『聖女の巡礼』で会っていたことを知ってしまうと、その疑問をそのままになんて出来なかった。



「カイン様ごめんなさい……。勝手に見ることを、許してください」


 そう、謝罪を漏らしたクラリスは、そっと水晶に手をかざした。



 ◆◆◆



 遡ること一ヶ月前、クラリスが深い沼に身を投げた直後の映像が流れる。


 意識を失った瞬間、首元にある細いチェーンの先にある指輪が淡く光ったかと思うと、一瞬にしてクラリスの身体は沼の中から魔王城の前にいた。


 その瞬間、カインは慌ててクラリスの元へ駆け寄ってくる。その後をランカルが小走りで追いかけていた。


『……こうなってしまったか』

『カイン様お待ち下さい、って……このお方はもしかして?』

『ああ、聖女クラリス。昔、俺のことを助けてくれた女性だ』


(昔……? 助ける……?)


 魔王であることも然ることながら、カインのような眉目秀麗の男性を忘れることなんてあるだろうか。もしや、変化魔法を使っているカインを助けたことが有ったのだろうか。


 クラリスは首を傾げながら、食い入るように水晶を見つめる。


『寿命や病気以外で命の危機に陥ったとき、ここ魔王城に転移するよう、魔法が施された()()を渡しておいたが……まさか本当に使うことになるとは』

『指輪をお渡しになったのは約()()()でしたか?』

『ああ。……と、話は良い。とりあえずクラリスを屋敷に運ぶ。メルにはお前から指示してやってくれ』

『かしこまりました』


(五年前なら『聖女の巡礼』の前ね……それに指輪……? この指輪って……確か……)


 そうしてクラリスは、カインに所謂お姫様抱っこをされ、屋敷に運ばれた。


 それからはメルがクラリスの世話を始める中、着替えをさせるからと、カインとランカルは部屋を出ていく。


 そうして場面は、カインの自室へと映った。


『もうそろそろ『聖女の巡礼』が終わるからと安堵していたが、クラリスに何があったんだ』

『水晶で見てみては如何ですか?』

『ああ、そうだな』


 カインは水晶に手をかざし、そしてクラリスの身に何が起きたかを知る。

 婚約破棄やら聖女の称号を剥奪やら、あわや適当に魔王の怒りを鎮めるための生贄になれやら。


 カインは水晶から手を離すと、テーブルに力強く拳を振り下ろした。


『……この世界を、滅ぼしてしまおうか。クラリスをこんな目にあわせるなど、よほど人間は私を怒らせたいらしい』


 魔王にかかれば、この世界を滅ぼすのは造作もないことだ。魔物にも被害が及ぶため考えたことはなかったが、クラリスの境遇に、カインは本気でそんなことを考えた。


 しかし、それはカインが独断でどうこうするものではない。


『とにかくクラリスがどうしたいかだ。彼女の気持ちを聞いてから、これからのことは決めれば良い』



 このシーンを最後に、クラリスは少し日にちを飛ばす。


 次に水晶に映し出された映像は、クラリスが魔王城に来てから五日目のことだ。


『クラリスが話があるらしいから行ってくる』


 そうランカルに告げたカインの表情は、何とも形容し難いものだった。

 クラリスと話せることは夢のように嬉しいのに、先程まで見ていた水晶の映像──ギヴーシュ王国の国民が、クラリスを聖女として崇め、死を惜しむ姿を見て、どう伝えたら良いのかと思案していたからである。


 しかし結果として、カインがそのとき、水晶で見たことをクラリスに話すことはなかった。

 怒りに塗れて世界を滅ぼしたいと一点張りのクラリスに、今この映像を見せても素直に受け入れられないかもしれないと思ったからだった。


『──却下だ』


 だから、カインは歴然たる態度でクラリスの頼みを拒否することにした。

 別に願いを叶えることは出来るけれど、クラリスの怒りが落ち着いたとき、罪のない人々を巻き込んだことに悔いるだろうと思ったから。



「カイン様……」


 そう、愛おしそうにカインの名を呟いたクラリスは、少し日にちを飛ばす。


 次に水晶に映し出されたのは国王が帰還し、ダリオンたちの罪が暴かれた日だ。


 この日、カインは自室のソファに腰掛け、水晶でその様子を見ていた。

 映像を見終わっても何のリアクションもしないカインに、ランカルは話しかける。


『このことは、クラリス様にお伝えになりますか?』

『……いや、少し落ち着いてきたとはいえ、クラリスはまだ冷静じゃない。それにギヴーシュ王国も少しの間乱れるだろう。もう少し落ち着いてからクラリスには伝える』

『…………お伝えした後は、どうなさるおつもりで?』


 ランカルにそう問いかけられ、カインは『決まっている』と小さな声で呟く。まるでそれは、自分に言い聞かせるように、ランカルには聞こえた。


『国が落ち着き、クラリス自身も落ち着いたら、この水晶の映像を見せる。そうすれば街に戻りたいと思うだろう。だから私はその手伝いをするだけだ。クラリスは人間で聖女だ。魔王城(ここ)は彼女の居るべき場所じゃない』

『………………かしこまりました』



(待って……っ、私は、私は……!) 


 何故そこまで思いやってくれるのか、考えてくれるのか、力になろうとしてくれるのか。 

 まだ謎は解けない。それでもカインの言葉に感情が昂り、クラリスの視界が揺らぐ。


 それと同時に、水晶の映像は昨日のカインのものになった。



 先程カインと共に見た国王が国民に対して謝罪と説明を行い、国民たちがクラリスの死を未だに惜しんでいる映像を自室で見ていたカインは、映像を切るとランカルに視線を移した。


『国は落ち着きつつある。クラリスもかなり冷静さを取り戻してきたし……明日、彼女を街へ戻す。念のために小さい金目のものを準備しておいてくれ。神殿での生活はかなり質素らしいからな』

『……。かしこまりました』


 少し間を空け、じいっと見つめてくるランカルに、カインは『何だ』とため息混じりに問いかけた。 


『本当に帰してしまって宜しいのですか? カイン様は五年前、クラリス様に助けていただいたときから、ずっと──』

『言うな。……当時、クラリスは言っていた。婚約者である王太子が、会うたびに何とも馬鹿馬鹿しい()()()()について語ってくると。しかし毎回もれなく言われるから、クラリスも()()()()とは何なのか考えてみたらしくてな』

『…………』


 カインはおもむろに立ち上がると、窓越しに外を見つめる。

 五年前、クラリスに助けられたあのときと同じ、小雨が降っていた。


『相手の幸せを一番に願えることこそが、()()()()だと思うと、クラリスはそう言っていた』

『…………左様ですか』

『だから俺の気持ちなんて言うつもりはない。クラリスが幸せになれるのならば、俺の気持ちなんてどうだって良いんだ』

『……三年もの間『聖女の巡礼』を行うクラリス様を心配し、変化魔法を使ってまで彼女を陰ながら励まし、支え──そのときに得たクラリス様の情報から、大好きだと言っていた料理を提供するため女性に変化してまで食材を揃え、彼女が大好きだと言っていた水色のドレスを特注品で作らせ、他にも──』 

『もういい言うな。自分のことだが聞くに堪えん』


 カインは、真っ赤になった顔を隠すように、ランカルに背を向ける。

 カインにこんな顔をさせられるのは、未来永劫クラリスしか現れないだろうと思うと、ランカルは切なかった。


『……ここまですると気持ち悪いだろうか』

『いえ、正直重たいなぁとは思いますが』

『……思うのか』

『はい。しかし、私としてはそんなカイン様の想いがクラリス様に伝われば良いのにと願わずにはいられません。そして、出来ることならばその想いが叶えばと、心から……願わずにはいられないのです』

『私は果報者だな。──こんな()()()の私には、出来過ぎの従者だよお前は』



 ──プツン。とそこで映像が途切れる。

 力なく水晶から手を下ろしたクラリスの瞳からは、ポタポタと、とめどなく涙が溢れた。


「五年前……指輪……真実の愛……半端者……。やっと、やっと分かった……。何で今まで、分からなかったんだろう……」


 クラリスは涙を拭うと、勢いよく立ち上がる。

 重たいドレスを両手で摘み上げると、そのままカインの部屋へと走り出した。



 ◆◆◆



 部屋に入ると、カインは何食わぬ顔でクラリスを出迎えた。


「もう準備は出来たのか? それなら直ぐに転移魔法を──」

「その前に、お話があるのですが」

「どうした……と、その目は……」


 よくよく顔を見ればクラリスの目は真っ赤に染まっていて、カインのルビーの瞳に少し似ている。

 まさか泣いていたとは夢にも思っていないカインは、それだけのことでも嬉しくなる自身の感情を胸に秘め、今日が最後となるクラリスの顔をその目に焼き付ける。


「目が赤くなっているのだとしたら、泣いたからですわ」

「!? ……どうして」

「魔王城に来てからのカイン様の様子を、水晶で見たからです」

「……なっ」

「過去を盗み見たこと、後で何度だって謝ります。けれど私は後悔していません。──それに、おかげで思い出したのです。カイン様と、初めて出会ったときのこと」


 目を瞠るカインを視界に捉えたクラリス。二人の視線が絡み合う中、声を上げたのは従者のランカルだった。


「積もる話があるようですので、私は一度失礼いたします」

「おいランカ──」 

「カイン様、先程も言いましたが、私は貴方の重たくて真っ直ぐなその想いが叶えば良いと心から願っております。もう全て知られてしまったのでしたら、伝えてみる手もあるのでは?」


 ランカルはそう言ってカインに向かって丁寧に頭を下げると、スタスタとクラリスの元へと歩いていく。

 薄っすらと目を細めて穏やかな笑みを浮かべるランカルから、クラリスは目を逸らすことはなかった。


「クラリス様。カイン様の従者として、一つだけ宜しいですか?」

「もちろん」

「……私も、メルも、マッケイも、魔王城で働くものは皆、割と貴方という人間を気に入っています。ずっとここ、魔王城で暮らしていただいても、構わないと思うくらいには」

「……ランカル……。ありがとう」



 ──パタン、と扉が閉じる音が聞こえる。


 それに伴って二人きりになった部屋で、クラリスは再び零れ落ちそうになる涙を必死に堪えながら、そっと胸元の指輪を握り締めた。



「この指輪をくれたのは、人間と魔物の混血だと言う少年でした。──それは貴方だったのですね、カイン様」



 ◆◆◆



 それは約五年前、クラリスが聖女に選ばれ、妃教育のために神殿と王宮を頻繁に行き来しているときのことだった。


 王宮からの帰り道、神殿からほど近い野原で、馬車から偶然外を覗いていたクラリスの視界に、倒れている子供の姿が目に入ったのだった。


『……!? ちょっと停めてください……!』


 こんなところで倒れるなんて、早く治癒しなければまずい状況なのかもしれない。クラリスはそう思って馭者(ぎょしゃ)に停めてもらうよう頼み、急いでその子供の元へ走って行った。


『これは酷いわ……』


 横たわっているのは銀色の髪をした、凡そ五歳と見られる少年だった。大怪我というよりは、体中に擦り傷と打撲、引っ掻き傷がある。この辺りには人を襲うような動物はいないので、おそらく弱い魔物に襲われたのだろう。

 雨に長時間打たれたのか、しばらく食事を取っていないのか、衰弱もしている様は見ていて苦しかった。


 基本的には魔物は暗黒の森に生息しているし、人里には魔物が入って来られないよう結界が張ってあるが、ごく偶にそれをすり抜けるときがある。

 少年は運悪く、その極稀に当たってしまったのだろうとクラリスは思い、直ぐ様治癒魔法を使おうとしたのだが。


『ほって、おいて、くれ』

『……! 何を言ってるの!? これでも私は聖女なの! すぐに楽になるから』

『やめてくれ……! 俺は魔物の血が入ってるんだ……!』

『…………!』


 聖女の力は魔物にとって毒だ。それがいかに治癒魔法だとしても、拷問のように苦しいらしい。  


(待って、そもそも魔物の血が入ってる……って)


『貴方は、魔物なの……?』

『…………そうとも言える』

『……もしかして、魔物と人間の混血とか……?』

『…………』


 気まずそうに目を逸らす姿に、無言は肯定と取って良さそうだ。


 過去にも人間の言葉が話せる上位の魔物と、人間が交わった例はいくつかあるが、その子供を見たことがなかったクラリスは、内心驚いていた。魔物と人間の子は──『()()()』と呼ばれていると、どこかで聞いたことがあった。


『その怪我は魔物にやられたのよね? だから人里に逃げてきたの?』

『…………そうだ』

『……分かったわ。とりあえず治療しなきゃね!』


 魔物の血が半分入っているとはいえ、今は人を襲う気力もなさそうに見える。それにクラリスならば、いざというときはその少年を祓うことだって出来た。


『誰も襲わないと約束するなら、私は貴方の手当をするわ。動けるようになるまで匿ってあげる。……約束、出来る?』

『…………ああ』


 聖女としては、混血とはいえ魔物の血が入った少年を治療するなんて有り得ない話なのだが、クラリスは放っておけなかった。


 ──これが聖女クラリスと、カインの出逢いだった。



 それからクラリスは、神殿が近いため歩いて帰るからと馭者に説明し、少年を背負って神殿へと連れ帰った。

 とはいえ、神殿の人間に混血である少年のことを打ち明けるなんて出来るはずもなく、神殿の離れにある物置小屋に、少年を匿うこととなったのである。


『狭いけど、それなりに掃除はしてあるからここで我慢してね。雨風は凌げるし、誰も入らないように上手く言っておくわ。少しだけだけど、ご飯も持ってくるわね。それに毛布と救急箱も持ってくるから待っていて!』

『……どうして、聖女の君が魔物の血が入った私を助けてくれるんだ?』

『どうでもいいことだけれど、随分大人っぽい話し方するわね……ってまあ良いっか! 私は聖女だけど、無闇矢鱈に魔物を祓うやり方は好きじゃないの! お互い住み分ければ問題ないんだもの。それにほら、こんなに怪我をした子供を一人でおいておけないわ!』

『君も子供に見えるが?』

『私は十三歳だから、貴方よりずーっとお姉さんよ!』


 そこでクラリスは、はたと気付く。


『そういえば名前聞いてなかったわね。私はクラリス。貴方は?』

『私の名前は──カイン』



 ◆◆◆



「あのときは子供の姿でしたし、瞳もルビーじゃないので、まさか同じ名前でもカイン様とは思いませんでした」

「………混血の魔物は、純血の魔物よりも強力な力を持って生まれてくる代わりに、ときおり完全に人間になるときがある。そのときは魔物独特の瞳の色は変わり、幼い姿になってしまうんだ。魔力も無くなり、人間の子供と変わらない。何より面倒なのはそれがいつ訪れるか分からないこと。俺は運悪く、一人で暗黒の森に出ているときに人間の子供の姿になってしまった。大体いつも一週間は戻れないから、俺は一旦人里に逃げることにしたんだ。だがそこでも運悪く、前の聖女が張った結界をすり抜けた魔物に襲われて──そこでクラリス、君に助けられた」


 クラリスは妃教育や魔法の鍛錬に励む合間の時間は、いつもカインのそばにいた。お腹がいっぱいだからと少ない食事の殆どをカインに与え、暑がりだからと寒い中でも自身の毛布をカインに与えたのは、そうしてあげたかったから。

 少しずつ痩せていき、ときおりくしゃみや咳をするクラリスの姿に、見た目は子供でも精神は大人のカインが、身を削ってまでクラリスが尽くしてくれているということに気が付いたのは、体が完全に回復する一日ほど前のことだ。


 約一週間匿ってもらったカインはその間、クラリスの優しさに触れ、丁寧に治療を施され、そしてたくさん話した。

 カインは多くは語らなかったが、クラリスの『聖女の巡礼』を無事全うできるか不安に思っていることや、婚約者の馬鹿みたいな真実の愛の話に辟易していること、クラリスの思う真実の愛についての話など、カインは詳細に記憶している。


「私はあのままだったら死んでいたかもしれない。人でもなく魔物でもない私を助けてくれたこと、今更だが本当にありがとう。クラリス」

「そんな……少年の姿のカイン様に既にお礼は言われましたからもう良いのです! それに私は、カイン様にもらった指輪のお陰で、今生きていられるのです」



 完全に回復したカインは、そろそろ人間から元の姿に戻るだろうと、クラリスの元から去ることを決めた。

 ルビーの瞳は魔王の証であり、もしその姿で一緒にいるところを誰かに見られたら、クラリスの立場が危ういと思ったからだ。


 だからカインは最後にお礼をと思って、持っていた指輪を差し出した。

 お守りだから絶対に持っておいて、と念をおして。


「言ってなかったが、実はその指輪は、両親の形見なんだ。魔王だった父の魔力が込められている」

「え!? お父様、魔王様だったんですか?」

「ああ、母が元貴族の娘だったことは五年前に話したのを覚えているか? 馴れ初めを聞くよりも早く亡くなってしまって、その指輪だけが残った」


「そんな大事なものを私に……」と、申し訳無さそうな顔をするクラリスに、カインは堪らずすっと手を伸ばす。頬をするりと、優しく撫でた。


「半端者で産まれる私の身を案じて、命の危機に陥ったときは魔王城に転移出来るように魔力を込めていてくれたみたいだが、私のことはクラリスが助けてくれた。だから、いざというときのために、その指輪はクラリスに持っていてほしかった。……君が申し訳無さそうな顔をする必要は一切ない」


 吸い込まれそうなほどに美しいルビーの瞳に見つめられ、クラリスはコクリと頷いた。



 今思えば、カインがカイン少年であることにもっと早く気が付けたのだ。


 カインの所作が美しいのは、母親が貴族出身だったから。

 魔物が入ってこられないよう人里にはクラリス自らが結界を張ったのに、カインが人里に食材の調達に行けたのは、カインに人間の血が混ざっているため、結界が上手く作用しなかったから。


 冷静さを欠いて世界を滅ぼしたい! と言っていた少し前までのクラリスには、気づくはずもなかったけれど。



「……未だに、驚いています。あの少年がカイン様で、キュロスやベンヌたちもカイン様だなんて」

「……済まない」

「どうして謝るのですか? 私はとっても、とっても嬉しいのに」

「…………っ」


 クラリスの言葉に、カインは頬を赤く染めて、クラリスの頬を撫でていた手を離そうとする。


 ──しかし、それは叶わなかった。


 他でもないクラリスがカインの手の上に自身の手を重ねた上で、頬をすりすりと動かしているからだ。


「……っ、戯れはやめてくれ。私は魔王で、君は聖女だ。君には帰る場所があって──」

「カイン様…………」

「…………っ」


 うっとりとした声で名前を呼ばれ、愛おしそうな目で見つめられて、カインの体温は上昇する。


 一度、歯をギリ、と噛み締めた。重ねられた手はいとも簡単に振りほどけるのに、振りほどいていないことが、もう答えだった。


「……五年前から、私は君に、持ってはいけない感情を抱いているんだ。君の言う真実の愛の形を貫くために、私の覚悟を揺さぶらないでくれ」

「カイン様。私は確かに、自分が思う真実の愛についてお話ししましたね。相手の幸せを願えることこそが、真実の愛だと思うって」

「そうだ。だから私は──」



 ──そのときだった。


 クラリスはカインの手の上に重ねていた手をすっと退けると、縋るように抱きついた。

 カインの胸に頬を寄せ、心臓の上に耳をつける。ドクドク、と胸が早鐘のように躍る音が、何とも心地良かった。


「ク、ラリス……?」

「もしもカイン様が私の幸せを願ってくれるのだとしたら、私を突き放さないでください。……私を貴方のお傍に置いてください。私は、ここに居たいのです。カイン様のお傍じゃないと私は──幸せになれません」 

「…………っ、君は、本当に……」


 そう呟いたカインの手が、そっとクラリスの背中に回される。


 少し痛いくらいにぎゅうぎゅうと抱きしめ返してくれるカインのそれは、もう離さないという気持ちが現れていた。



「もう我慢しない。愛している、クラリス」

「私もです。カイン様」



 ◆◆◆



 ──とある日の正午のこと。


「カイン様、何と聖女は三人体制になって一人の負担を軽くするらしいのです! 三人ともなれば民も安心して生活ができますね! 一安心です!」


 そろそろ昼食の時間だというのに、中々現れないクラリスに、カイン自らが部屋まで迎えに来たときのことだった。

 水晶からカインにパッと視線を移し、満面の笑みでそう言い放つクラリスに、カインは柔らかく微笑む。


「私の妻は本当に優しいな。しかしこれで肩の荷は降りただろう?」

「はい! これでしばらくは水晶で国の動きを見なくても良くなりました! 平和で何よりです」

「ああ。……で、もう昼食の時間だが」

「わあああ! 申し訳ありません……!」


 クラリスは慌てて立ち上がると、メルに前髪が乱れていることを指摘され、手早く直す。

 それからカインに腕を差し出されたので、クラリスは嬉しそうに腕を組むと、昼食が準備された部屋へとゆっくりと歩いて行く。


「そういえばカイン様。今更ですけど念のため、念のために、聞いておきますね?」

「ん? どうした?」

「あまりに怒ったら我を忘れて世界を滅ぼしたいと言い出すお嫁さんで、大丈夫ですか? いえ、その、もう夫婦になったので返却は不可なのですが!! また言わないとも限りませんし? もちろん言うつもりはないのですけれど!!」


 顔を青くしたり赤くしたりしながら、突然問いかけてくるクラリスに、カインは愛おしそうな目を向けて、フッと笑った。



「それなら何度でも言おう。この世界がなくなったら君と愛が育めないから却下だ、と」

読了ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 嘗て自分を救ってくれた心優しき命の恩人が錯乱し「どうか世界を滅ぼしてください」と乞い願う姿は、きっとカインにとって自身の怒りも萎む程に痛ましいものだったのでしょうね 痛ましさを抱えたままの…
[良い点] 拝読しました! 最初から最後まで、カイン様の包容力がとてつもなかったです。 読み始めからすごい常識人の魔王さまでしたが、読み進めるにつれて深い愛情でクラリスを見守り続けていたことが発覚し……
[良い点] とても素敵な恋愛小説で世界観が素晴らしくのめり込めました。 ヒロインとカインのやりとりに真実の愛を見出せて心がほっこりしました。 聖女なヒロインも好きですが魔王の妻となったヒロインも大好き…
2022/10/30 19:33 退会済み
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