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桜見丘

作者: 江草医草

桜。

僕はその花が嫌いだ。

春に咲き、短いうちに散っていく。人々がそれを美しいと持てはやし、花見だ、などと騒がしくしているのがきらいだ。遠く窓の外、川岸に並ぶ桜並木もこの街の名物で、春の風物詩であるのだが、僕にとっては苦々しい風景でしかない。

「全く、いつもながら不愉快な季節だな。」

…ずびっ。

「…そんなエラそうなこと言ってても、そのありさまじゃカッコつかないですね。」

「うるさいぞ、助手のくせに。」

「素直に花粉症がいやだって認めればいいのに。はい、薬ですよ。」

「ちっ…。」

まぁ、『桜花粉症』なんて、変わった体質のせいもあるのは事実だが。


ここはとある田舎の探偵事務所。

桜並木しか取り柄のないこの街にとって、この時期は限られた繁忙期なわけだが、あいにく室内には日常と変わらぬ閑散とした空気が流れている。

「さて、今日はどうします、草切先生?」

「どうもこうもない。いつもの通りだ。」

「はいはい。いつもの通り、お暇になさるんですね。」

草切散華くさきりちか。子供のころは苗字との兼ね合いだけで、男の自分に「ちか」などというふざけた名前を付けた親を恨んでいたこともあったが、この時期は名前の通り桜を根絶やしにしたいと思うばかりだ。

「断じて無駄に暇をしているわけじゃないぞ、助手よ。」

「解決すべき大事件が無いのが悪い、ですか?依頼を断るから暇なだけでしょう?」

「仕方がないだろう?受けるべき依頼がないのだからな。」

「ええ。そうですね。猫探し、浮気調査、探し物。外に出ないとできない仕事を、花粉症のせいでできないというなら、できる依頼はないでしょうとも。」

この嫌味ったらしい助手は林戸桜はやしどさくら。そう、『桜』という自分の天敵の名を冠しながら、いけしゃあしゃあと助手としてこの探偵事務所に居座っている。幼馴染で隣人だった彼女は幼いころからなにかと自分についてきてはこんな風に嫌味を言ってくるのだ。いつからそんな風になったのかはもう覚えていないが、長い付き合いになってしまっている。

「何度もいうが。できないんじゃない。しないんだ。些末な事件にかかずらわっていて大きな事件を見逃したらどうする?」

「そんなこといって、大きな事件を解決したことなんかないでしょうに。」

「いつかしてみせるさ。次の依頼がきっと世紀の大事件に違いない。」

「ほほう。言いましたね?お得意の名推理で、次は世紀の大事件に違いない、そう仰る。じゃあ、わかりました、名探偵。次の依頼がどんな内容だったとしても、お引き受けになる、そういうことでいいですね?」

「う…あ、ああ。いいとも。次の依頼は大事件に決まっているのだからな。間違いなく引き受けてやるとも!」

「いいましたね!絶対ですからね!?」


がたん。

「あ、あの…」

事務所のドアを開けて入ってきたのは、年配の女性であった。

「人探しを、お願いしたいのですが。」


―――

彼女の依頼は、とある男性を探してほしいとのことであった。

「私は、柊かなえ、と申しまして。昔、この街で暮らしていたのです。そのころ、近くに住んでいた年上の男の子で、とても仲良くしてくれていた子がいたのです。でも、親の仕事の都合で私は遠くの街に越すことになって…そのときに、『いつか必ずまた会おう』と、約束をしたのです。」

「へぇ…。素敵な話ですね。」

「なるほど…。その、約束をした男性のことを探してほしい、と。そういうわけですか。」

「ええ。その通りですわ、先生。お願いできますでしょうか?」

「お名前や連絡先などはわからないのですか?」

「恥ずかしながら…けんちゃん、と呼んでいたような記憶はあるのですが。なにぶん昔のことですから。」

「失礼ですが、何年ほど前のお話しなのでしょう?」

「60年ほど昔になりますか。」

「なるほど…。すみませんが、それは、むずかし」

「先生。」

助手の方に目をやるとにっこりと笑いながらこちらを威圧してきている。

「…。わかりました。しかし、何分、昔のことです。ご意向に沿うような形で結果をご報告できないかもしれませんが。」

「ええ、もちろん。でも、どうしても。あの人のことを知りたくて。」


「さ、先生。世紀の大事件ですよ?心が躍るんじゃないですか?」

依頼人が帰ったとたんにこんなノリである。助手を名乗っている癖に本当に手伝う気があるのか…。

「お前、本当にわかっているのか?何十年も前の話、相手はあの人よりも高齢なのは間違いなく、この街に居残っているのかもわからない。なんなら、年齢的に生きているかも…。さらに手がかりはほとんどなく、けんちゃん、という呼び名しかわからない。本気で探せると思っているのか?」

「それでも、先生の暇な時間が困っている人のために費やされる分、時間の無駄にならないだけいいじゃないですか。」

「まったく…。まぁ、依頼を引き受けてしまったからには仕方ない。情報をまとめるとしようか。」

依頼人の柊さんは、それなりに名家の方らしい。この街に住んでいたころは、小高い丘のほうにある比較的高級な住宅街に住んでいたという話だ。といっても、それは昔の話で、今は街の再開発も進みそこは一般的な住宅街になってしまっている。当時はお屋敷と言って過言でない住居が並んでいたそうだが、時代の変遷に伴いそういったものは解体され、当時住んでいた場所も今となっては定かではないようである。

さらには、「けんちゃん」とやらは、どうやらそのあたりの住人ではないようだ、ということだった。

柊さんの記憶によると、学校などで出会った記憶もなく、たまに屋敷に現れては一緒に遊んでくれるという関係であり、それ以上のことはわからないと。

「さて。過去の状況を知る手がかりもほとんどなく、名前も定かでなければ屋敷にたまに現れる、というのもどういう状況なのだか。」

「子供のころの記憶なんてそんなものですよ、先生。だんだん、曖昧になっていくものでしょう?」

「どうだか。僕はこの年になっていまだに君にからかわれ続けているのが癪だというぐらいしか子供のころの感想がないがね。」

「腐れ縁は、切っても切れない。残り続けているから、腐れるんですよ。」

「そのまま腐り落ちて無くなってくれてもよかったのだがね…。まぁ今は昔の街の状況を調べるしかない。ひとまずあてになりそうな資料でも探しに行くか…。」

そういったとたん、驚いて見せる桜。

「…どうした?」

「この時期には出不精の極みになる先生が、まさか外出されるとは思わなくて。」

「失礼極まりないやつだな、君は…」


―――

マスクをつけても、薬を飲んでも抑えられない変わった花粉症に悩まされ続けた人間はどうするかご存じだろうか。

家から出ない。当然である。

くしゃみや鼻水まみれになりながら外出する必要などどこにもないのだ。買い物はだいたいのものが通販で家に届く時代だし、密封性のいい家屋や建築資材にもありふれて花粉をシャットアウトすることも可能になったこの時代に、花粉症に悩みながら家から出なければならないことなどないのだ。

「ぶわっくしょい!」

「うわ、汚いな。先生、勘弁してくださいよ。」

「それは流石に傷つくぞ…。それに誰のせいでこんなことになっていると思っているんだ…。」

「大口をたたいた先生のせいですよね?」

「依頼を受けるように圧をかけたのは君だろうが…。はあっくしょい!」

「図書館の本を汚さないでくださいよ?」

外出など本来ならしたくない。しかし、依頼のために仕方がない。

私たちは街の過去を調べるため、図書館に訪れていた。

昔ながらのレンガ造りでこの街唯一の図書館にある資料が、我々の数少ない手掛かりであった。が。

「っくしょい!」

家からでたらこの有様である。本当に勘弁してほしい。

「それにしても、昔の資料って言ってもこの街の昔の地図だったりはありましたけど、流石に住んでた人の情報なんか出てきませんねぇ…。」

「住んでいたころの地図と言っても住んでいる人間の名前まで事細かに書いてあるわけもないしな…。依頼人の話からこの辺りの屋敷だったであろうことはわかる…。しかし、この地図から少し気づいたことがあるぞ」

「え?なんです?」

「昔あの辺りの家の並びは確かに高級住宅街だったようだ…。一軒一軒の間が非常に開いているし、道も一本しかない。今の地図と見比べればわかる。今は普通の住宅街だから、一軒一軒の間も少ないし、道が割と入りくんでいるようになっているだろう?そんなところにこの規模の住居を建てるとしたら今でも相応に値段がかかる。住宅街というよりは別荘地に近かったんだろうな。」

「ああ、なるほど。でも、それで何かわかることがありますか?けんちゃんさんの情報には繋がらないのでは?」

「いや、大きな収穫さ。あの辺りは丘の上なんだぞ?今でこそともかく、その頃には道が一本しかない、しかもそれは高級住宅街に向かう道だ。それはおそらく林道に近い、車で往来するための道だったはずだ。」

「そうでしょうね。でも、車なんて別に昔からあるものですし、けんちゃんさんと繋がる要素にはならないのでは?」

「じゃあ、そのけんちゃんとやらはどうして、どうやって、その道を上ってくるんだ?」

「え?ああ…なるほど。当時子供だったはずのけんちゃんさんが運転できるわけもないですもんね。けんちゃんさんは近くの家に住んでいたお子さんではないということですから、柊さんのお屋敷に用事のあった誰かが連れてきたお子さんである可能性が高い、ということですね。」

「そういうことだ。だから、『たまにしか現れない』し、『近くの子どもでもない』わけだ。車で往来しているなら、どの地域から来ていたかなんてわからないからな。」

「なるほど…でも、それって、先生。」

「そういうことだ。…助手としても冴えて来たんじゃないか。」

「悪ノリしたこと、少し後悔し始めました。」

「今更遅い。」


そう。どの地域から訪れていたのかわからない、となれば。

『けんちゃん』とやらは、この街の住人であったかもわからないのだ。

我々は「手がかりがない」という手がかりを見つけてしまったのであった。


―――

「そうですか、そうだったんですねぇ…。」

私たちは柊さんの滞在している旅館に訪れていた。

かつて柊さんが住んでいたあたりに立っている旅館で、

図書館で発覚したことの途中報告と、他に何か追加の情報がないか改めて確認しにきたのである。

「そういえば確かに、あの子はいつも帰っていくとき、誰かに呼ばれていたような記憶があります。淡い記憶ですが…。」

「当時のこと、もう少し詳しく、お聞かせしてもらってもよいですか?」

普段は癪に障る助手だが、こういう時にはありがたい。自分ではどうしても問い詰めるような聞き方になってしまう。

「そうですねぇ…。私がいたころのこの街は、本当にただの田舎の町でねぇ。このあたりもあの桜並木、あんな美しいものも無かったんですよ?」

「え、そうなんですか?」

「一般的な桜は3~40年であれぐらいに育つし、柊さんの年齢を考えればそういうこともあるんじゃないか?」

「あら、桜が育つのって意外に早いんですねぇ。それに、先生は博識でおいでなのね。でも本当に…あの桜を、見られてよかったわ。」

「すごいですよねぇ!でも、柊さんが子供のころになかったなら、その後にあの桜並木を作ってくれた人たちがいるってことですよね…。あの美しい景色を作ってくれた人たちに感謝しないと」

「自分としては憎まれ口を叩きたいところだね。」

「あら?どうして?」

「実は先生、花粉症なんです。桜限定の。」

「あらそう、そんな体質の方がいらっしゃるのね。それは大変ですね。」

「本当に、かなわないですよ。…くしゅん!…失礼。」

ふふふ、と柊さんは穏やかにしているが、自分は見逃さなかった。彼女は、桜を見られた、と言ったときに少し寂しそうだったことを。何か桜に思い入れがあるのだろうか…?子供のころにはなかった、と言っていたが…。

「それにしても、先生。けんちゃんさんも、少し薄情だと思いませんか。」

「ん?突然どうした。」

「だって、柊さんが引っ越すときにまた会おうって約束したんですよね。連絡先とか渡しておけばいいのに。」

「60数年のこの田舎なら、当時は電話もまだめずらしい時代だぞ。連絡先なんてものがあるものか。」

「それにしたって住所教えておくとか…。連絡を取れるようにしようって思わなかったんですかねぇ。」

「確かに、な。柊さん、その人のこと、他に何か覚えておられることはないんですか?」

「なにぶん子供のころですから…風貌も変わってしまっておられるでしょうし。庭先で、お話ししたり、家の犬と遊んだりしていた記憶はありますが…。」

「話。話の内容だったりとかは。」

「さて…。ああ、桜といえば。その子も、桜が好きなんだ、と言っていたんですよ。桜の写真を見たことがあって、とても綺麗なんだと、話してくれたことがあって。私も見てみたいなぁなんて言ってたような。」

「…なるほど。わかりました。それでは、また何か思い出せたら教えてください。今日はこれでお暇させていただきます。」

「あっ、ちょっと、先生?…もう、突然出ていくんだから。柊さん、気を悪くしないでくださいね。」

「あらあら、そんなこと…。…こちらこそ、おかまいもできず。」

「そんなことありませんよ、またお話し聞きにきますね!…先生、待ってくださいよー。」


ふたりが去ったあと、残された依頼人は、ぼそりとつぶやく。

「本当に、こちらこそごめんなさいね。…先生は、気を悪くされたかしら。」


―――

僕たちは旅館のある丘から下り、桜並木を目指していた。

「あっくしゅ!っち…適わんな、これは…。っくしゅ」

「もう、先生どうしたんですか突然。大嫌いな桜に自分から近づくなんて。」

「どうもこうもない。依頼人の考えがわからんのだから、調べに行くしかないだろう。」

「え…?何かありましたっけ?桜は柊さんも子供のころになかったし、けんちゃんさんが桜好きだったとしても、当時存在してなかった桜並木に何か関係があるとは思えないですけど。」

「だが、柊さんは桜の話題をわざわざ出した。あの桜の見える旅館で、わざわざ桜の話をふったんだ、それも二回もな。きっとあの桜並木に関して何か知っていてそれを調べてほしいんだろう…。」

「ええ…。そうなんでしょうか?いい人そうに見えましたけど…。そんな隠し事があるのかなぁ。」

「それに、だ。今にして思えば、柊さんは相応の名家だったという話だ、なんでこんな場末の探偵に人探しを依頼するんだ?自分の知り合いでなんとでもなりそうなもんだろう。」

「自分で場末の探偵、とか言っちゃうんですか…。でも、そういえば旅館にもおひとりだったみたいですしね。付き添いの方とかいないのかな。」

「あの依頼人は、誰かを探しているのは本当なんだろう。その鍵がきっとあの桜並木にあって、それを調べてほしいと思っている。だから、その核心の部分を調べないことには、依頼人の思惑もわからない。」

「だからあんなに毛嫌いしている桜にわざわざ近づいていくってことですか。」

「そういうことだ。っくしゅ!…僕だって依頼に関わることでもなければ、行きたくなどない。」

そんな話をしているうちに、二人は桜並木の近くの管理事務所にたどり着いた。

「何か有益な情報があるといいが。」

「そうですねぇ。先生の我慢の成果があるといいですねぇ。」


しかしながら、二人はすぐに事務所を後にすることになった。

「…まさか、閉まっているとはな。」

「まさかのまさか。でも、休日なんだから仕方ありませんね。」

「出直すことになるとは…本当に不愉快だ、すぐに帰るぞ。」

「ねぇ先生、せっかくここまで来たんです。ちょっとぐらい花見をしていきませんか。」

「お前がそんなに僕に嫌がらせをしようとは夢にも思わなかったな。」

「まぁまぁ。見て回ったら何か有意義な情報があるかもしれないじゃないですか。」

「そんなもの…。いや、どうせ言うことを聞かないんだろうな。」

「流石、腐るほど縁のある私のことをよくわかっていらっしゃる。」

桜は昔からやけに意固地になることがある。そして、一度そうと決めたら絶対に折れない。

こちらが諦めるしかないのだ。この決意した目を見ては何度も折れて来たからよくわかっている。

「まったく…。」

ふたりで連れ立って桜並木を歩いていく。

今日は休日で桜も満開の時期だ。花見客もたくさんおり、若い男女で集まって騒いでいる集団もあれば、家族数人でピクニックがてらゆったりとした時間を過ごしているところもあるようだった。

「っくしゅん!」

「先生の花粉症、本当に雰囲気をぶち壊しますねぇ。せっかく桜がこんなにきれいなのに。」

「体質なんだ、仕方ないだろう…。それに自分一人じゃこんなところに来ようと思わないさ。」

「でしょうね。そうだろうから、せっかくの機会に新しい体験をされてはいかがかな、と思いまして。」

「ああ、確かに得難い経験だ。こんな…っくしゅ!…症状がひどいのは、初めてかも…ッ!」

「流石にひどいですねぇ…。思ったより残念なことになってますよ、先生。」

「お前の…っっくし!…せいだろうが…。」

「でも、先生。先生も昔、満開の時期にここへ来てるんですよ。覚えてます?」

「ああ…?そんなことあったか?覚えてないな…。」

「あら、残念。あの時ってこんなに桜花粉症の症状でてなかったんじゃないですか?」

「そうだったのか…?あっくしゅ!…まぁ、年齢を重ねた結果発症したり悪化したのかもな…。」

「そうなんですか…。そっか、覚えてないのか…。」

「ん…?なんだ…?」

「え?ああ、いえ?なんでもないです、よ。…そういえば、この時期にしか見れない景色があるんです、先生見たことありますか?」

「あるわけないだろ…近づけないんだから…。」

「ふふ、こっちですよ。」

そういって連れていかれた先は、並木道の先に会った池であった。

池の真ん中には舗装されていない土肌の道があり、真ん中が小さな島になっている。

「これがなんだっていうんだ?島から見ると何かあるのか?」

「いえいえ、そっちじゃなくて。ここの根元の、こっちです。池の周りに桜が植えられているから、これが、ほら。」

「ああ、なるほど…。桜の花びらがたまって、なるほどな。」

その池は、桜から散った花びらが流れていかずに溜まっており、湖面が花びらでいっぱいになっていた。

ちょうどその形と真ん中の土の道が重なることで、さながら大きな桜のように見えるようになっていた。

「ここは地元の人なら大体知っているちょっとしたおしゃれスポットなんですよ。」

「ここに近寄ることなどなかったから知らなか…くしゅ!」

「ええ、先生。地元の人なのに知らなかったんですか…?」

「そりゃそうだろう…。この時期にこんなところまで桜に近寄るなんてできない…あくしょ!」

「ふうん…。そっかぁ…。はぁ。」

「ん…?どうした、そんな大きなため息をついて。」

「いいえ。なんでも。」

なんだ?僕には態度でわかる。桜の機嫌が、少し悪くなった。

「それで、先生。どうするんです?調査の方は。」

「あぁ…。明日、事務所の資料を見せてもらうしかないだろう。」

「そうですね。何かわかるといいですけど。」


依頼人の柊という女性。いったいここに何の事情があるのだろう。

いや、そんなことよりも。

桜の季節、この満開の時期にここへもう一度訪れることになるとは。

さらには桜の機嫌までなぜか悪くなってしまった。なんとも迷惑な依頼人だ…。


―――

翌日。

そんなこんなで肩透かしを食らった僕たちは、改めて並木道の管理事務所に訪れていた。とはいっても、そこは並木道の管理をするための場所ではあっても、資料と言えるものはなかった。管理をするといっても、いうなればただの広い公園の道に過ぎないこの並木道に、仰々しい管理者などという方はおらず、公園の清掃などを行っている年配の方に話を聞けただけだった。


「私たちも、この並木道を清掃したりとか、保全するための者ですから。昔の資料といっても、どこにあるんかもわからないですねぇ。」

「そうなんですか…。先生、どうしましょう?」

「そうだな…。この桜並木はいつからあるんですか?」

「ああ、えっと。4、50年ぐらいになるのかな?当時街にいた建築家かなんかの人が、設計して作ったとか。もともとはただの広い公園だったところを、名所になるような何かにという計画はあったらしくて。」

「ほう…?何のためにそんなことを?」

「なんでも、その方がどうしてもここに桜の公園を作りたい、と言うところから始まったらしいですよ。本来ならアスレチックかなんかの施設になるはずだったらしいです。」

「なるほど。その建築家のお名前とかわかりませんか?」

「そこまでは流石にわかりませんねぇ。」

「ふむ。それなら…ここの管理自体はどこかから委託されているんですか?」

「え?まぁ一応、自治体の業務としてやらさせていただいてますが…それがなにか。」

「それなら役所のほうが資料があるかもしれんか…。よし、助手よ。いくぞ。」

「ええ?いいんですか、先生。もう少しお話し聞かなくて。」

「ここの方もそこまで昔のことはわからないだろう。資料があるところに…くしっ!…いかねばな。」

「そうですよね。花粉症がひどいから離れたいだけ、なんてことありませんよね。」

「そうではな…くしょん!…断じて。」


と、花粉症がひどくなりだしたため話も早々に、二人は桜並木から離れ、役所にやってきたのであった。

しかし、ここで当時のことを引き継いでいた市役所の職員から衝撃の事実を知ることになる。

「え?あの桜並木を作ったのは、柊家という名家の方の要望だったんですか…?」

「そうですよ。柊家はもともと、昔このあたりで影響力のあった地主の方でして。もともとは、あの公園のあたりを開拓してテーマパークになる計画があったらしいんです。でも当時の当主の方が、あの丘からそんな風情のないものを見たくないと言ったらしくて。あの土地にあの桜並木を作る計画を立ち上げたのが始まりだそうですよ。」

「柊家、って。かなえさんのご実家、ってことですよね…?でも、あそこに桜並木なんてなかった、っておっしゃてましたよね?ご実家があったころにそんな話があったんなら知らないわけなさそですけど…。どういうことなんでしょう、先生?」

「そこに何かがあるんだろうから、調べるのが僕たちの仕事だろ。」

そこに通りがかった年配の職員が声をかける。

「おや?かなえさん、とおっしゃいましたか?」

「え?ええ。かなえさんが何か…?」

「ああ、いえ。かなえさんというと、この街の昔の町長の娘さんが確かそんな名前だったような。自分が就職したばかりのころ、若い時に役所で何度か、町長のお迎えに来ているのを見かけたことがありまして。といってもそのころかなえさんはもう成人しているぐらいのころですが。」

「ええ・・・?そんなはずは。柊、っておっしゃってましたから、丘のほうに住んでいた名家の方のほうがかなえさんのご実家でしょ?町長だったわけじゃないんですよね?」

「あれ、そんなはずは。かなえさんのお名前は桂木では?」

「『桂木』…?どういうことでしょう、先生。かなえさんは、いったい何者なんでしょう?」

ああ、なるほど。昔にあった男の子、なんてあいまいな情報。後出しの桜の話。変わった苗字。

この街に、彼女が一人で来たこと。

「ふう、なるほどね。そういうことだったか。」

「先生、何かわかったんですか?」

「たぶんな。探してほしかったものがなんなのか、もな。」

まだ確定していないことがあるが…。

おそらく、それは彼女に話をしてもらったほうが早いだろう。


―――

進捗を報告しようと、僕たちは柊さんに連絡を取った。

しかし、彼女からはその報告を聞く場所を泊っている旅館ではなく、桜並木に指定された。

「先生にはお辛いのに、申し訳ないけれど。ここでお話したくてね。」

「柊さん…。そうですね。お話を。」

「それで、あの方は見つかったのかしら。」

微笑みながら私たちに問いかけてくるその顔は、少し寂しさを垣間見せる。

「いいえ。その方は、見つけられませんでした。」

「え!?先生?なんか全部分かった感出してたのに、そのお返事なんですか?」

「助手はこういう時黙って聞くものだぞ…。柊さん、あなたのご期待には沿えませんでしたが、あなたの依頼の狙いは分かりましたよ。」

「狙い…ですか。先生、あなたはやっぱり、優秀でいらっしゃるのね。」

そういって、柊さんはやはりさみしそうにはにかんでいる。

「まず、貴方が我々に依頼してくれた時点で、気づくべきだったことがあった。それは、なぜ人探しを一介の探偵に頼むのか、というところだ。あなたはこの街に住んでいたことがあって、土地勘がある。自分でいろいろ調べることもできたはずなのに、そうしなかった。それは、あなたがこの街ではそれなりに顔が知れている人だったからだ。そうでしょう、元町長の娘さんの桂木かなえさん。」

「あら、そんなことまでバレちゃったのね。びっくりした。」

「地元の有力者の親類であるというのは、本当に人探しをするのであればむしろ有利に働くはず。でも、貴方は本来の目的のためにそれができなかった。伝手があるなら、旅館じゃなくても泊るところもあっただろうに、貴方は住んでいた当時には確実に存在していなかった旅館に宿泊することを選んだ。なぜなら、貴方は人に知られたくなかったことがあったからだ。」

「あら、それはなにかしら。」

「あなたは、とある人と、この地を離れたんですね。言うなれば駆け落ち、ですか。」

「ふふ。そんなロマンティックなものではなかったかも知れないわね。あのときの私たちは思いつきで行動したみたいなものでしたし。それに、あの人と一緒になったのはここを離れてからですから。」

「なんにせよ、意図せぬ形でこの街を離れたあなたは、大っぴらには戻ってくることができなかったんでしょう?だから、私たちに依頼して、あなたが探している人の痕跡を探してほしかった。」

「そう。でも、それだけではないわ。」

「でしょうね…。それだけなら、この街を自分で探す方法もあったでしょうし…。」

「先生、目的って、その昔あっていた男の人を探すってことでしょ?私たちは見つけられてないですよ。」

「桜。僕たちへの依頼は、人を探してほしい、ではなかったんだ。」

「え。どういうことですか。」

「その男性のことを、探してほしい。つまり、痕跡があるか、ということを。」

「…?その人自身を見つけてほしいってことじゃなかったんですか?」

「そうだ。そして、さらに私たちはその痕跡を見つけることができなかった。」

「え?え?じゃあ、何を報告しに来たんですか、私たち。」

「痕跡を見つけることができなかった、ということをさ。この街に、その人の痕跡は残念ながら見つけられなかった、ということを。」

桜は完全に困惑しているが、いったん置いておいて依頼人との話を続ける。

「あなたは、この街にその方の痕跡が残っていて欲しかった。違いますか?」

「そうね…先生。約束があったのよ、あの人と。『いつか、必ず――。桜のふもとに来よう。』って。」

「えっと、先生。私にはわからないんですけど。その人って結局どなたのことなんですか?」

「柊さんのことだ。つまり、かなえさんの旦那さん、ということだな。」

「ええ?だってさっき駆け落ちしたからこの街に帰ってこれなかったって。それじゃ、かなえさんの駆け落ちの相手がその柊さん…もともとあの、桜が見える丘にいた柊さんってことなんですか?」

「そうだ。僕たちに少しだけ嘘をつきましたね、かなえさん。あの丘の屋敷に車で訪れていたのは、貴方のほうだった。町長の娘として、街の有力者の屋敷に、行っていた。男の子のほうが、その家に残り貴方のほうがいずこへと帰っていた、そういうことですね。」

「あら、ごめんなさいね。小さい頃の話ですから、あのお屋敷がどこなのかは本当に覚えてないんですけど。それに、とうにお屋敷は残っていないようでしたから。」

「そして、柊さん―つまり、その屋敷にいた男の子こそが、あなたの夫であり、駆け落ちの相手。」

「ええ…。ふふ。幼馴染で添い遂げることになるとは、あの頃の私たちからは思いもよらなかったわ。」

「添い遂げた、ということは…。」

「ええ。亡くなりました。ここから、縁遠い土地でね…。あの人は、建築家として大成していてね。私のことをとても大切にしてくれた。…いえ。子供のころから、きっと大切にしてくれていたのね、今にして思うと。」

ああ…。そうなのか。この人がここで何をしたかったのか、その理由がやっとわかった。

「あなたは、ここにその人の面影が残っていて欲しかった、その痕跡が、過去が、この思い出の街に。だから、僕たちにそれを探させた…。」

「そうね…。そうなのかもしれない。でも、少し違うかも。先生、私、正直なことをいうと狙いだとか真意なんてものはなかったのかもしれないわ。ただ、あの人がいなくなって、ふとこの街のことを思い出してしまったの。私たちの縁の始まり…。本当なら、離れ離れになるはずだった私たちの、始まりの地を。」

「離れるはずだった、なんて。二人は思いあっていたんでしょう?そんな二人を引き裂くなんて。」

「桜さんでしたか。あなたはお優しいのね。でも、当時の私たちは、名家の息子と町長の娘。お似合いと言ってくれる人もいたけれど、他の方と結ばれることを望まれることもたくさんあったのよ。時代、というやつかしらね…。」

理解しがたい感覚ではある、しかし下らない、と切り捨てられなかったであろうことは感じ取れた。

「とくに、あの人がこの桜並木を作ると言って、テーマパークを作る計画を立てていた私の親と対立してからは、会うことも許されなくなってしまった。あの人のご両親は早くに亡くなって、一人でこの街の土地やつながりを守っていた人だったから、最初はたくさんの味方がいたけれど…。それでもやっぱり資産やなんかを全部投げ打ってしまったから、できることもなくなってしまって。今にして思うと、なんでそんなに桜にこだわっていたのかしらね。」

「それで柊さんはこの街を離れるしかなくなってしまった。」

「そう。他の街で、新しい建築の事業を立ち上げることになって。最後のお別れだからて、父にも許してもらってお見送りにいったの。そしたら突然、このまま私に連いてきてくれ、なんて言われてね。昔の自分も驚いたことに、着いて行くことに何の抵抗もなかったのよね。当然そうすべきだ、と思って電車に飛び乗っていたわ。今にして思うと何の迷いもなかったのが不思議だったけど…でも、今この街に帰ってきてみてわかったわ。あの人のいなくなるこの街なんかより、あの人との縁が大事だったのね。」

そんなことをつぶやきながら、かなえさんは少しすっきりしたような顔をしていた。


歩きながら話をしていた我々は、意図せずあの湖--湖面の桜を望む位置にたどり着いていた。

ここまで静かに聞いていた桜が、かなえさんに語り掛ける。

「柊さん。見てください、この湖。この街の人はこの湖を桜見の池と呼んでるんです。すごいでしょ?」

その最大級の桜をみたかなえさんは、驚いたような顔をして、そしてすぐにほころぶ。

「これは…。ええ。すごいわ、桜さん。すごい、桜…。先生も。ご覧になった?本当にーー本当に、ありがとう、先生。」

そうひたすらにお礼をするその眼には、少しだけ涙が浮かんでいた。


―――

柊さんの依頼を完了してから、数日。

桜の満開の季節もすぎ、夏の暑さを感じる日も増えた。

かなえさんは私たちと話をした後、その足で自分の街に帰っていった。もう悔いはないといった感じで。

「それにしても柊さん、素敵な人生だと思いませんか、先生。」

探偵事務所の窓際で今日もコーヒーを入れながら桜が話かけてくる。

「それはどっちのだ?」

「どっちも、ですよ。街の人のために力を尽くすこともできる優しさで、最後まで愛する人を守り抜いた旦那さんも。愛した人と生きるために故郷も親も捨てて、思いが変わることなく最後まで添い遂げた奥さんも。」

「そうかもしれんな。だが、人生なんて常にその人のためのものだ。その人が幸せなら、それがその人の素敵な人生ってことだ。…くしゅん!」

「ああ、またくしゃみ。でもだいぶ落ち着きましたね。桜の季節も終わりですか…。」

「人の花粉症のひどさで季節を感じるのはやめてくれないか。」

「そういえば、柊さんの話で分からないこともあるんですよね。」

「なんだ?」

「旦那さんが、桜の下で会おうって言ってたじゃないですか。あれ、どの桜のことなんでしょうね。」

「何を言ってるんだ。あの桜並木で、特別な桜なんて一つしかないじゃないか。柊さんの旦那さんがあの桜並木を作ったのも、きっと風情がないからとかいうのはいいわけで、かなえさんに見せるための特別な桜を作ることが本当の目的だったんじゃないか?」

「え?」

「だから、お前が教えてくれたじゃないか。地元の人しか知らない、最大級の桜を。」

「ああ!なるほど…。」

あの池にできる桜は、柊さんが意図的に作ったのであろう。

昔の人にしては、なんとも粋なことをする。いや、昔の人だからこそ、なのかもしれないが。

「だから、かなえさんは最後あんなにお礼を言っていたんだろうな。地元の人はあの桜をちゃんと知っていた。柊さんの旦那さんが、建築家として仕込んでいたものが、街の人の心に、旦那さんの痕跡として残っていたんだからな。」

すると桜があきれ果てた顔をした。

「いやだなぁ、先生。愛した人との約束の場所がそこだってわかったからでしょ?そんなんだから恋心がわからないとか言われるんですよ!」

「いや、そんなことを言われたことはないが…。」

だが、確かに。そうだったのかもしれない。かなえさんがあの桜をみて何を感じたのかなんてわからないのだ。感情もまた、その人だけのものでしかないのだから。

「それにしても、先生。今世紀最大の事件の解決、お疲れさまでした。」

「そうだな、花粉症の症状もひどいのにわざわざ桜に近づく羽目になるとは。本当に疲れたよ。」

「滅多にしない経験だったじゃないですか、よかったですね?」

「二度と無いことを願うがね。せめて、桜の咲き始めより終わり掛けにしてほしいところだ。症状がだいぶマシだからな」

「変な症状ですよね、ほんとに。でも、だめです。私たちは柊さんの作ったあの桜を語り継いでいかなきゃいけないんですから。桜の季節には引きずってでも連れていくことにします。もう決めました。」

「本気か…?いや、本気の時の目だな…。」

まぁ、仕方ないな…。腐れ縁の付き合いとあきらめるしかない。そういえば、あの桜も、幼馴染という縁が繋がってできたものだ。それなら、腐れ縁の我々が語り継いでいくのも、確かに当然なのかもしれない。

「これから一生あそこに引きずられていく羽目になるのか…。」

「…え?一生…ですか?」

「一生だろう?お前が言ったんじゃないか。腐れ縁ってのは切っても切れない、だから腐るんだ、とか。」

「え、ええ。言いましたけど…。え?先生、が、そんな大胆なこと言うとは…。思わなくて」

何を動揺してるんだ、こいつ。初めてあった時から変なところで動揺するんだよな…。そういえば、初めて桜と会ったあそこってどこなのだろう。大きな木の下で二人で遊んでいたという、淡い記憶だけがあるんだが、あんなに大きな木はこの街に無いんだよな。不思議な話だ。


窓の向こうに臨む桜の並木は散り始めてて緑が見え始めている。

それでもまだ咲き誇る桜を望む丘の木々は、初夏の色に染まり始めていた。

拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

趣味で書き散らしたものですのでが、これからも時間を見つけてはいろいろと投稿していこうと考えておりますのでよろしくお願いします。

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