幻の配達係④
私はガラクシア伯爵家の薄暗い自室で、ただ頭を抱えていた。
久々に帰省した私にいよいよ結婚かと湧いたガラクシア家も、今はシンと静まり返っている。
エリスからの返答を待ちきれなかった私は、自らもガラクシア伯爵家へ帰省した。少しでも早く、エリスとの婚約をこの目で確認したかったから。それが数日前の話だ。
プルトン男爵家へ帰ったエリスには私からの縁談に驚かせてしまうだろうけれど、彼女はきっと私を選んでくれると信じて疑わなかった。エリスと触れあったことで、私と彼女の間には確かな絆が生まれていたのだから。
私の読みは当たっていて、帰省した次の日にはプルトン男爵家からの返事が届いた。しかし、父と母の顔色は悪い。父が、期待に膨らむ私の顔を見て何かを言いよどんでいる。
「バーナード。プルトン家は……」
胸騒ぎがする。私は父の前に置かれたプルトン家からの手紙に目をやった。その内容は、到底受け止めることが出来ないものだった。
私との縁談を辞退すると……
何も喉を通らない。
眠れない、けれど起きていられない。
カーテンを閉めきった部屋の中で、彼女の優しい瞳を思い出す。
エリス、なぜ私を拒んだの。あんなに甘い顔を向けてくれていたのに。
どれだけ考えても、頭のなかで『私に触れるエリス』と『縁談を断るエリス』が一致しなかった。
もしかすると、断ったのはエリスの意思ではないのかもしれない。
私は、自分の都合の良いように考えを導きだした。
彼女の親が、なにか理由をつけて縁談を断ったのかもしれない。家格か何かを憂慮して。それとも、他の候補者に無理矢理嫁がされようとしているのかもしれない。弱みを握られているのかもしれない……
考え出すと、そうとしか考えられなくなってしまった。
思い付いたのは夜だった。
プルトン男爵と話をしよう。なぜ私の縁談を断ったのか。彼女を、どうするつもりなのか。そうだ、納得するまで話をするのだ。男爵が、私とエリスの婚姻に首を縦に振るまで。
私はプルトン男爵家からの手紙を握りしめ、屋敷を飛び出した。馬で駆ければ朝着くだろうか。私は着の身着のまま、馬にまたがった。
プルトン男爵家に到着したのは、翌日の日も高くなりかけていた頃だった。
自然豊かな庭の奥に、小ぢんまりとした屋敷があった。生い茂る木々に鳥がさえずり、生け垣には甘い香りの花が咲きほこる。時折、にわとりや牛の鳴き声が朦朧とした頭に響く。
もう私も馬も、身体・精神状態共に限界を迎えていた。
プルトン男爵家の門で馬から降りようとした私は、馬と共に崩れ落ち、そのまま意識を手放した。
眩しさに目を覚ました時、私はベッドの上にいた。
ここはどこだろう。身体を起こし辺りを見回した。とても慎ましい部屋だった。開けられた窓からは爽やかな風が吹き、水色のベッドからは石鹸の香りがする。年月を感じさせる部屋ではあるが、家主によっていつも清潔に保たれているのが分かった。
部屋の主は女性であろうか。小さなドレッサーが置いてあり、そこには小さなトワレが置いてあった。
……部屋にわずかに感じるこの香りは、あのトワレの香りだろうか。嗅覚を刺激され、朦朧としていた頭が急に冴えてきた。
この香りを私は知っている。この花のような香りは……
「ああ、よかった! お目覚めですか、バーナード様」
パタパタと音を立てて、金髪の女性がやってきた。手には水差しを持っている。私を介抱してくれたのも、この女性だろう。
「お初にお目にかかります。わたくし、マルテ・プルトンと申します」
マルテは、日だまりのような笑顔で私に微笑んだ。
「エリスの母でございます。ようこそ、はるばるおいでくださいました」
あの日プルトン男爵家に到着後、早々に倒れてしまった私は、農作業から帰ってきたエリスの父バルジによって発見された。
門前で倒れている人物の顔を見て「釣書で見たガラクシア伯爵家のご令息だ!」と大騒ぎになったらしい。私をどうにか安静な場所へ、と移動させたくても、使用人のいないプルトン家ではバルジとマルテの二人が協力して担ぐほか無かった。
空きの部屋へやっとの思いで私を運び込んでくれ、そこで私は丸二日間、目を覚まさなかったという。
なんと、エリスの両親にはた迷惑な……目眩がしそうだ。私はマルテに向かいガバリと頭を下げた。
「も、申し訳ありませんでした! なんという多大なご迷惑を」
「いえっ。こちらこそバーナード様には謝らなければなりません。バルジとも、一度ガラクシア伯爵家まで謝罪に伺うしかないと話をしておりました」
「謝罪?」
彼らが言う謝罪とは、縁談についてだろう。
エリスへの縁談申入れを断って申し訳ない、などという謝罪なら不要なのだが。縁談は断らせないつもりでここまで来たのだから。
私が身構えていると、マルテがサイドボードへ目をやった。そこにはプルトン男爵家よりガラクシア伯爵家へ届いた手紙が、ぐしゃぐしゃになって置いてある。
「このお手紙、倒れたバーナード様が握りしめていらっしゃいました。よっぽど意に沿わなかったのでしょうね。これを持って、こちらまでいらっしゃるなんて」
「はい……私はこの手紙のことでお話があって参りました」
背筋を伸ばし、マルテと真っ直ぐに向かい合った。そして私が口を開こうとした瞬間、バタバタと男性が割って入ってきた。
「バーナード様! 目を覚まされましたか! この度は、私共の手違いで申し訳ありませんでした!」
白髪交じりの痩せた男性が、私に向かい深く頭を下げた。待てども待てども頭を下げたままなので、マルテが「バルジ、バーナード様が困っているわ」と声をかけるとやっと顔を見せた。瞳は優しい茶色。エリスの色だ。
「わたくし、バルジ・プルトンと申します。ああ、よかった……このまま目を覚まされなかったらどうしようかと」
バルジが目尻に浮かぶ涙をぬぐった。バルジもマルテも、なんとあたたかい人なのだろう。娘を望まぬ縁談に縛るような親では無いように見える。
「バーナード・ガラクシアと申します。お初にお目にかかります、プルトン男爵。あの、早速ですが手違いとは一体何でしょう」
この二人の歓迎ぶりに、私の胸には期待がじわじわと芽吹き始めていた。
「結論から申しますと……縁談の辞退は、あれは間違いでして」
バルジが頭を下げながら、驚愕の事実を口にした。
エリスはプルトン家に着いたその日、縁談相手を確認することも無く、全ての縁談に断りを入れるよう頼んだらしい。
その理由が「騎士団で好きな人が出来たから」だった。そのため、騎士団の仕事も辞めたくないと。それでは仕方がないと、プルトン男爵は全ての縁談先に辞退の書面を送ったという。
手違いが明らかになったのは、送付後しばらく経ってからであった。
縁談相手に、まさか娘の「好きな人」がいたのだからプルトン一家は騒然とした。しかしもう後の祭り、気付いたのがお断りの手紙を送ってしまった後だった。エリスはなんとか誤解を解こうと、急いで騎士団寮へ帰っていったそうだった。
「まさかバーナード様のような立派な方がお相手だなんて思ってもみなくて……エリスも何も言わないものだから。あのような手紙を受けて混乱しましたでしょう、バーナード様。バーナード様?」
今まで黒いもので覆い尽くされていた心が、急に晴れてゆくのが分かる。
エリスが縁談を断ったのは、好きな人のためだった。好きな人とは……他の誰でもない、私のことなのだ。こんなに嬉しいことがあるだろうか。
「あの娘、真面目すぎてこのように迂闊なところがあるんですけれど……どうか末長くよろしくお願い致します。バーナード様」
呆ける私に、マルテが眉を下げて笑いかけた。
早くエリスに会うために帰ろうとする私を
「エリスの大切なお相手を……体調が万全になるまでは帰せません」
とマルテに強引に引き留められ、結局その後も二日ほどプルトン男爵家でお世話になった。
私はエリスの部屋で完全に心を浄化され、彼女の香りに包まれたまま滞在中を満喫したのだった。
次回、またエリスサイドに戻る予定です。




