すれ違い
このままでは、バーナードに誤解されてしまう。急いで女子寮へと戻ったエリスは、出来るだけ早くバーナードに弁解したかった。しかし、どこを探しても彼の姿が見当たらない。
「バーナード? あいつも昨日から実家に帰っているよ」
やっとのことで見つけたアイラスからまさかの事実を聞いたエリスは、その場に力無く崩れ落ちた。よりにもよって、バーナードまで実家に戻ってしまったなんて。
「エリスちゃんが帰省したのは縁談の返事をするためでしょ? そろそろガラクシア家には縁談の連絡が届くと思ってあいつ、気が逸って……エリスちゃん?」
なんてこと。バーナードの読みは正確だ。そろそろ、ガラクシア伯爵家には縁談の返事を記した書面が届いていることだろう。ただし、お断りの返事が。
「……アイラス様は、縁談のこと知っていたんですか」
「うん?」
「なぜ、教えてくださらなかったんですか……」
「だって、エリスちゃん縁談を嫌がっていたじゃない。仕事も続けたいみたいだったし……バーナードのこと警戒されたくなかったから」
「そんな……教えて下さいよ……」
分かっている。アイラスにこんなこと言っても仕方がないことは。こんなのエリスの八つ当たりである。縁談を敬遠して、ろくに確認をしなかったエリスが悪いのだ。
エリスはトボトボと第五寮の管理室へ向かった。机の引き出しをあけ、未開封のままになっている母の手紙を回収する。
分厚い封筒をナイフで開けると、母が言っていたとおり何枚もの釣書が現れた。その中には、確かに『バーナード・ガラクシア』の釣書も存在した。立派すぎる家柄。立派すぎる経歴。そして立派すぎる姿絵……
何もかもがエリスには釣り合わないというのに、この人はちゃんと家を通してエリスに求婚してくれていた。姿絵の上に、エリスの涙がポタリと落ち、それはじわりと染み込んでいく。
『現実的ではない』と最初から彼との未来を信じていなかったエリスは、自身を心底情けなく思った。エリスが目を反らし続けていた格差の部分を、彼は真正面から突破してくれていたというのに。
今、彼は何を思って、何をしているのか……少しでも早く、バーナードに会いたい。焦るだけで何も出来ない時間は、何よりも長く感じた。
***
エリスが騎士団寮へと戻ってからもう一週間になるが、バーナードは戻ってこなかった。
「バーナード様、どうしちゃったのかしらね……」
午後の管理室。カフェオレを飲みながらイオが呟いた。
アイラスに聞いてみると、ガラクシア家からは騎士団へ「しばらく休みをいただく」とだけ連絡があったらしい。さすがのアイラスも心配のようだ。
「エリスちゃん、今度のお休みにガラクシア伯爵家まで行ってみない?なんとか日帰り出来る距離ではあるはずなんだ」
アイラスの提案に、エリスは甘えることにした。とにかく、バーナードに早く会いたい。会って謝って、そして誤解を解きたいと、毎日そのことばかり考えている。
アイラス、イオ、そしてエリスの三人でガラクシア伯爵家を訪問すると話がまとまったその時――管理室の扉を力強く叩く音がした。
来客だ。勢い良く開けられた扉からは、見たこともないほど妖艶な美女が現れた。
「この中に、エリスさんはいるかしら?」
豊満な身体つきに、くっきりとした美しい顔立ち。そして声もよく通る。すごい迫力だ。圧倒され名乗り出ることも忘れていると、彼女はカツカツとヒールを鳴らしエリスの前で立ち止まった。
「エリスさん! 貴方っぽいわ」
「は、はい! 私がエリスです」
ずばり言い当てられてしまった。何を言われるのかドキドキしながらエリスが姿勢を正すと、妖艶美女は近くの椅子を引き寄せ、エリスの間近に腰掛ける。
(な、なぜこの方は私のことを知っているの……?)
美女は「あなたがエリスさん……」と目を輝かせながら、エリスの手を力強く握った。迫力はあるけれど彼女から敵意は感じない。むしろ、不思議と好意を持たれているようにも思える。初対面にしては妙に距離が近く、エリスはますます混乱した。
「ミラ様、自己紹介がまだですよ。エリスちゃんが困ってます」
突然のことに戸惑っていると、横からアイラスがフォローしてくれた。アイラスはこの女性のことを知っているようだ。
(ミラ様……ミラ様?! まさか)
「あら、自己紹介……そうだったわね! わたくしはミラ・エンハンブレと申しましてよ」
「あ、あなた様が……!!」
この方がミラ・エンハンブレ。ティエラとは実際に会い、幼なじみであることが分かったけれど、『ミラ・エンハンブレ』は未だ謎に包まれたままだった。ずっとバーナードと手紙のやり取りをしていた特別な女性。その人が今、エリスの目の前にいる。
エリスは驚きを隠せず、ミラに見入ってしまった。彼女も、そんなエリスを微笑ましげに見つめている。
「嫁がれたから家名は違うけど、ミラ様はバーナードの姉君なんだよ」
「えっ……! お姉様!?」
アイラスの口から、衝撃の事実が告げられた。つまり、エリスはずっとバーナードの姉に嫉妬のような感情を向けていたということで……自身から力が抜けていくのと同時に、穴があったら入りたい気持ちになる。
「そうなの。皆さん、いつもかわいい弟と親しくして下さって嬉しいわ。特にエリスさん! バーナードがまさかあんなに積極的になるなんてねえ、本当に嬉しくって!」
「い、いえ……」
艶やかな黒髪に、涼しげな目尻。柔らかく笑うその顔は、よく見てみればバーナードと似ている。雰囲気は違うけれど確かに姉だ。彼女が弟を思う姿は、とてもあたたかくて頼もしく感じた。
「ミラ様、バーナードは今どうしてるんですか? ちょうど今、あいつの話をしていたところだったのです。いつまで経っても帰ってこないから、今度の休みにガラクシア家に行ってみようかって」
「ガラクシア家に? そんなの、行っても無駄よ」
「無駄?」
「だってあそこにバーナードはいないもの。現状を申し上げると、実はバーナードが行方不明なのよ!」
「ええっ!?」
あまりの衝撃に、みんな息を呑んだ。長い間戻ってこないと思ったら、まさか行方不明になっていたなんて。
「わたくしも、エリスさんなら何かご存知かと思ってここまで来たの。でも、その様子だと初耳のようね」
「は、はい、何も知りませんでした。行方不明だなんて……」
ミラが言うには、バーナードは一週間ほど前にプルトン家から縁談の返事を受け取ったらしい。
エリスからの色良い返事を期待して封を開けると、そこにはプルトン家として断りの書面が入っていた。気落ちしたバーナードは、数日の間ガラクシア家で寝込んでいたが、ある日突然姿を消してしまったということだった。
「そんな、まさか……!」
「そのまさかなの。わたくしも、バーナードはもっと冷静な男だと思っていたわ。でも違ったみたいね」
「確かにエリスちゃんのことになると、途端に不器用になるもんなあいつ」
バーナードに恋をして、自分が自分じゃなくなるような感覚はエリスにも覚えがある。バーナードもそうだったのだろうか。プルトン家からの返事を見て、冷静ではいられなくなって……
「ねえ、エリスさん! なぜ、縁談を断ったの? ティエラが邪魔をしたから?」
「いえ、そういうことではなくて、これには事情がありまして」
「今日はティエラも連れてきているの! さあ、ティエラ来なさい!」
ミラはエリスの返事も聞かず、扉の外へ向かって高らかに指を鳴らした。すると影から、おずおずとティエラが姿を現した。
久しぶりに会ったティエラは、相変わらず華やかで可愛らしくて……どこか気まずげな表情を浮かべていた。おそらく無理矢理連れてこられたのだろう。
「ティエラ! エリスさんとバーナードの仲を邪魔した責任を感じているのでしょう? ちゃんと謝りなさい!」
ミラがティエラを叱責すると、ティエラはやっとエリスを見据えた。「エリス」として、ティエラから認識されたのは初めてかもしれない。
「……あの、エリスさん、本当にごめんなさい。私、バーナードに貴方みたいな恋人がいたなんて知らなかったの」
「ティエラ様……」
「好きな人がいないなら、私でもいいでしょって思って……」
素直に謝罪したティエラは、以前とは別人かと思う位しおらしかった。バーナードに強く窘められて、もしかすると僅かでも気持ちの整理がついたのだろうか。
「この子、バーナードに叱られてからやっとレグルスに自分の気持ちを伝えたのよ」
「ちょっとミラ様、言わないでよ!」
「それでレグルスもようやくティエラの本心を知ってね。ものすごく謝っていたわ。だからって元に戻れるわけじゃないけれど」
レグルス……以前、ティエラと婚約していたというバーナードの兄だ。あの後、彼女は自分なりの決着をつけてきたらしい。ミラに暴露されて真っ赤になっていたけれど、その顔にはどこか清々しさを感じた。
「まあ……でも、やっとすっきりしたの。ごめんなさい、あなたとバーナードを巻き込んでしまって」
「いえ、今回の件はティエラ様のせいじゃありません。私が悪いのです。縁談の辞退は手違いといいますか……」
皆を見渡すと、全員の顔に「どういうこと?」と書いてある。エリスは、帰省時の事情をかいつまんで説明した。縁談相手をろくに確認もせずに、父へ断るように頼んだこと。その申込みの中にまさかバーナードがいるなど知らず、辞退の書面を出したあとに気付いたこと……
あまりにも間抜けすぎる顛末に、イオもアイラスも呆然としている。
「本当に、申し訳ありませんでし」
「エリスさん、じゃあ縁談は受けていただけるのね?! ああー良かったわ! これで、あとはバーナードを見つけるだけ!」
エリスが謝り終わるより先に、ミラが勢いよく抱きついてきた。ミラにぎゅうぎゅう抱きしめられながらチラリとアイラスを見ると、彼は何か思い付いたようだ。
「あいつのことだから、もしかしたらプルトン家に直談判しに向かったんじゃないですか?」
「バーナード様がわざわざ?そんな」
ガラクシア伯爵家とプルトン男爵家のある田舎は、王都をはさんでそれぞれ真逆、向かうにはかなりの距離がある。寝込んでいたというバーナードには、辛い距離であるはずなのだが。
「バーナードがエリスちゃんのことどれだけ好きだと思ってるの。きっと書面で断られただけじゃあ諦めきれないでしょ?」
「そ、そうでしょうか」
諦めきれない……そういえば、エリスだってそうだった。こんな手違いでバーナードに誤解されたらたまらないと、急いで寮へと戻ってきたのだ。
「そうね! では、わたくしは明日すぐプルトン男爵家に向かってみます。何かあったらガラクシア家へ連絡をしてちょうだい。いい?」
「わ、分かりました」
それだけ言い残すと、ミラとティエラは去っていってしまった。まるで嵐のように。
「……私達は下手に動かない方がいいかもしれないわね。バーナード様がひょっこり帰ってくるかもしれないから……」
イオが、ミラの去っていった方向を見ながら呟く。
エリスは祈るしか無かった。バーナードが無事に戻ってくることを。
次回、バーナード視点のお話になります。




