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ウィレムの誕生祭は、準備が遅れて例年よりも遅めの開催となった。それはとても異例な事なのだけど、偶然というか、故意的というか、、ウィレムの本当の誕生日に行われる事になったのだ。
それを知っているのはごく僅かな人だけで、私は秘密を知っているみたいで何だか嬉しかった。
そして、とうとう明日が誕生祭 という時になって、ウィレムが急に私にも出席してもらう と言い出した。まだ頭も覚めきっていない、早朝のベッドの上で。
「え、、わ、私が? どうしてっ?」
微睡みの中のウィレムの愛撫がくすぐったくて 心地よくて、耳元で囁かれた言葉が私の中に入ってくるのにずいぶん時間がかった。そして入って来た内容に驚いて慌てて胸を押しやった。
「以前から決めていたことだ。ただ準備に手間取った。」
「で、でも私は、、」
口に出して言いたくないけれど心の中で呟いてみる。「私はあくまでも愛人という立場で、、、」
戸惑う私の手をウィレムが救い取り、そっと口付けをした。
「ジェミューの技術は国内外で認められつつある。誰にも文句は言わせない。」
「え、、? 誰にも、、って? え、え、、? 誰に、ですか?」
出席って、一体、、、?
ウィレムがむくりと起き上がり、繋がった手を引いて、私をベッドの端に座らせた。何事かと思っていたら、そのまま床に膝をつき、私を見上げる形になる。真っ直ぐに見つめられると思わず胸がきゅぅ、となった。握られた手が熱い。脈打っているのを感じた。
「レイラ、俺の妻になって欲しい。」
「え、、、」
瞬間 頭の中が真っ白になって、その言葉だけがぐるぐると回った。沈黙の間も、ウィレムの目は私を逃そうとしない。
瞬きをしたら、ふいに ぽたり、と涙が落ちた。
「レイラ、愛してる。」
追い討ちをかけるように言われ、私はますます戸惑った。とても素直に頷けない。
だってそんな事、あり得無いと思っていたのに。
だから、今までたくさん悩んで、自分の中で折り合いつけてやってきたのに。
だから、それ以上は望むまいと堪えてきたのに。
酷い、、、。 涙はじわりじわりと溢れてくる。首を横に振り掛けた時、もう一度ウィレムが口を開いた。
「レイラ、俺はお前と夫婦になりたい。駄目だろうか?」
夫婦なんて、、、私の中で何かが 音をたてて崩れ落ちた。
悔しくて、悲しくて、憤りが止まらない。渦巻いた感情のままに、握られた手を振り払い、思い切りウィレムの頬を叩いた、、、 叩こうとした。
つるん、と手のひらが勢いよく頬を滑る。
「、、、っ、うう、、何なのよ、もぅ、、」
「レイラ、、、レイラの命が、怯えている。」
叩かれそうだった頬に手をあてて、おそるおそる言ってきた。
ウィレムは私の命を守るためにいつも身体中に魔力を纏っているのだ。しかも無自覚に。
今のこの状況で、守られている と思い知らされるのは余計に腹が立った。
「、、ぅ、っ、ずるい、ずるいっ。ウィレムはずるいっ! 全部ずるいっ。こんな時まで守らないでよっ。
私が、私が言いたくても言えない事を平気でいうくせにっ、 酷いっ、ウィレムは本当に、、本当にずるいっっ! 」
ぐちゃぐちゃの顔で罵りながら、今度は何度も胸を叩こうとした。叩いても叩いても手応えがなく、ぽよん、ぽよん、と弾かれる。
「何よ、、何よ、何よっ、」
もっと叩きたいのに、ウィレムはいとも簡単に私の腕を掴み取ってしまった。
反抗出来なくなった私は、下を向いてわぁわぁと泣いた。悔しくて堪らない。気付けば掴まれた腕は下ろされて解放されていたのだけれど、もう叩く気力もなく泣き続けた。暫くじっとしていたウィレムはふいに立ち上がって私を抱き締めた。
「言いたくても言えない事、とは、レイラも夫婦になりたかった、という事で合ってるか?」
嬉しそうに、笑い声までもが はみ出したような言い方で、ますます憎たらしい。私はこんなに腹が立っているのに、憤れば憤る程ウィレムは上機嫌になり、ついには私を抱き締めたまま、幼い子供をあやすようにゆっくり横に揺れ始めた。
「ずるい、酷い、馬鹿、、」
「ああ、そうだな。」
「本当に馬鹿、、」
「悪口もいいもんだな。」
「馬鹿、、、 王妃殿下が、、いるんじゃなかったの、、?」
「いない。お前だけだ。」
「、、っ 何それ、分からないっ、、」
「お前だけだ。」
説明してもくれない。そんな言葉だけで納得なんて出来ないのに、それなのに、結局ウィレムには勝てないのだ。涙を舐められ鼻を拭かれ、唇を舌でこじ開けられたらもう、抵抗なんて出来なくなってしまった。
今までよりも体温の上がったウィレムの肌は絡み付くように私の肌に合わさってくる。密着して伝わってくる熱が妙に生々しくて嫌らしい。ねっとりと這っていく舌は肌より熱くて、敏感になった私の身体には刺激が強すぎて、すぐに頭の芯までぼぅっ、としてしまった。
その後 燃え上がったウィレムは朝食も食べずに私を求め続け、昼食の時間になった頃にようやく解放してくれた。
艶々と元気そうなウィレムに対して、私は使い古された雑巾のようによれよれしている、、、。 何か吸い取られているのでは、と不安になった。
そして昼食を食べて少し元気を取り戻した私は、衣装合わせをする為 ウィレムに連れられて部屋を出た。
命を預けてからというもの、ウィレムは以前よりも寛大になった。部屋を出ても文句を言わなくなったのだ。ウィレムと一緒なら、なのだけど、、、。
ジュリがいたらジュリでもいいのかもしれないけれど、彼女は今、謹慎中だ。
いつの間にか用意されていたドレスは私にぴったりで驚いた。そして装身具の入った箱を開けてますます驚いた。
「、、、ウィレム、これ、」
「ああ、レイラに相応しいだろう。」
それはセットになったティアラ、ネックレス、イヤリングで、どれも美しい。豪華で、華奢で、細部まで細かい細工が施されてあった。ジェミューが作ったのだと分かる。ティアラを手に持つと、中央部にある飾りがしゃらしゃらと揺れた。他は分からないけれど、この飾りの部分だけは、シンが作った物だ と思った。
あの時、シンには 帰ってもらう為とはいえ、酷いことを言ってしまった。ルーナの事はシンとは関係無いと分かっているのに、、、
ずっと気に掛かっていたのだけれど、その飾りを見てほっとした。
「この部分はシンが、作ってくれたのね、、、。」
嬉しくて呟くと、ウィレムが反応した。顔色が変わったのには気付かなかった。
「ん? 何故そう思う?」
「え? だって、こういう風に 細かい飾りが揺れるのはシンの拘りだわ。」
「ふん、見せてみろ。どこだ?」
「中央で揺れているこれよ。綺麗でしょ。」
「ふん。他のには付いてないか?見てみろ。」
私はウキウキと他の装身具も箱から出してみた。ところがシンが作ったのはティアラの飾りだけだったようだ。少し残念に思った。
「これだけみたいだわ。着けてみてもいいの?」
「明日でいい。」
「あっ、、 痛っ」
何故か呆気なく取り上げられてしまい、手を伸ばすと額をつつかれた。
「挨拶に行くのだろう?」
「う、、はい。」
宝物庫にいたお母さんと妹は、私の願いもあって、あの後きちんと埋葬された。本来、私達ジェミューは、亡くなると砂漠の一部に戻っていくのだけれど、ここは砂漠ではないし剥製に加工されているので、一般の人たちと同様、墓地への埋葬となった。今回、ウィレムと一緒になると決まったので、報告の挨拶に連れて行ってくれる事になっていたのだ。
そういう訳でティアラは明日までのお楽しみにすることにした。の、だけど、、当日ティアラに付いていたシンの飾りは、蒼い宝石に変わっていたのだった。
**
誕生祭の最中、ウィレムは公の場で私に結婚を申し込んだ。事前に聞かされていなかった事で、思い切り睨み付けると いたずらっぽい顔で見つめてきた。憎らしく思いながら、私はこくりと頷いた。
その直後 上機嫌のウィレムに大衆の目前で深い口付けをされ、恥ずかしさのあまり泣いてしまったのだけど、やはりウィレムはニヤニヤと笑っていた。
ところが残念ながら、そのにやけ顔は誕生祭の後、オーウェンさんに言われた一言で硬直してしまうのだ。
「では王妃殿下の部屋にご案内しましょう。」
「は!?」
ウィレムが弾かれたようにオーウェンさんを見た。かなり焦っている。
「何故だ? 一緒でいい。」
「陛下、これは決まりですので。王妃殿下となられますので、部屋が与えられ、侍女も3人程選んで頂く事になります。」
「部屋に侍女まで、、、 侍女なんかいたら邪魔ではないか。必要ない。」
「陛下、部屋も侍女も持たない王妃殿下など滑稽に見られますよ。」
「くっ、、。」
「体裁は大事です。崩してしまうと示しがつかなくなります。彼女の事を思うならしっかりと整えてあげて下さい。」
「ふんっ。 考える。」
私は拗ねくれたウィレムの手を握って顔を覗きこんだ。今度は私がいたずらっぽい顔をして。
「ウィレム、夫婦になれるのだから、部屋が別になったって私は辛くないです。」
「、、、」
「皆に認められるよう、頑張ります。」
「、、、レイラは、、頑張らなくていいんだ。ただ、横にいてくれさえすれば。」
「私は、ウィレムに相応しいと思われたいです。ね、だから。」
「ふん。 侍女は、ジュリ以外で用意する。」
「え? 私はジュリがいいです。」
それには私が焦った。ジュリ程 気を許せる者はいない。
「駄目だ。あれは俺を裏切ってお前に付いた。」
「それがどうして駄目なの? 私だって味方くらい欲しいです。」
ジュリはウィレムを騙して私を助けてくれた。結果的にはウィレムにとっても良いことだったのだけれど、騙されたというのが許せないらしい。
「今後も裏切られそうだ。後で後悔したくない。」
「私は絶対にジュリがいいです。」
引きたくなかった。王妃になると決めたのだから尚更、信頼できる者にいて欲しい。それはウィレムが信用できないとか、そういう問題ではないのだ。
常に私の味方となってくれる存在にいて欲しい、ウィレムを騙してまで助けてくれたジュリはまさにそんな存在だった。
「駄目だ。何を仕出かす分からん。」
「、、ウィレムは私を信用していないってこと?」
「違っ、、 レイラ、、」
最近 泣きすぎて涙腺が緩んでいる。ここぞとばかりに涙を落とした。
ウィレムは、しまった という顔をして私を抱き寄せた。
「レイラ、、、ジュリでもいい。ジュリでもいいが、頼むから後の2人は俺に選ばせてくれ。」
「、、、分かりました。ありがとうございます。」
侍女に決定したジュリは、謹慎を解かれて私の元へとやってきた。嬉そうに後を付いて回る姿は子犬のようで可愛らしい。
ウィレムは婚礼を上げるまで2人きりになってはいけないとオーウェンさんに言われ、文句を言った事で、更に条件が上げられて2人きりじゃなくても駄目だという事になった。
寂しいけれど、ずっと一緒だったから時にはいいのかもしれない。連れて行かれるウィレムの後ろ姿を見送った。
[王妃殿下の部屋]は、最初ここへ来たときに連れて来られた部屋で、内装は私に合わせてフリフリの可愛らしい感じに揃えられていた。
まさかオーウェンさんが、、?と驚いていたら、ウィレムと行った別邸の内装も実は、オーウェンがウィレムに言われて手配したものだったらしい。
今更言えないのだけれど、ここまでフリフリじゃなくてもいいと思っている。
そこかしこにレースがくっついていた。
まだ決まっていない2人の侍女は ウィレムが時間を掛けて選ぶらしく、暫くはジュリと2人だ。
2人で部屋の隅々まで見て回っていると、寝室に開かないドアが1つあった。そういえば以前も不思議に思った気がする。ジュリに聞いても知らない言われ、とりあえず放っておくことにした。
ソファーに腰掛けるとすぐにジュリがお茶を入れてくれた。
「どうぞ、王妃様。」
すました顔で言うものだから思わず吹き出してしまった。
「ジュリ、今まで通りのほうがいいわ。王妃様なんて、すごく偉そう。」
「でも王妃様になるのですよね?だったら王妃様です。」
にこにこと当たり前のように言うけれど、私自身、王妃という自覚はまだなくて、、しかも知らない事だらけだ。思いきって尋ねてみた。
「あのねジュリ、王妃って、一体何をしたらいいの?」
「、、、あのっ、調べて参ります!」
言うが早いか、ジュリはあっという間に部屋から出ていって、戻って来た時には大量の資料を抱えていた。
「王妃様っ、とりあえず、これを読んで下さいっ。」
テーブルの上にこんもりと山を作った。
「、、、」
試しにパラパラと捲ってみたけれど何も知らない私が資料の内容を理解出来る筈もなく、間も無く家庭教師が付けられる事になった。頭がくらくらした。
ジュリにも部屋が与えられていて(それは私の部屋の真横なのだけど)、夕食を片付け私の寝支度まで整えると、いそいそと下がって行った。とても立派になったのだそうで、喜んでいた。
久しぶりに1人で寝るのは、寂しくもあり、ちょっとだけ嬉しくもあった。
思い切りベッドに飛び込んで、ごろごろと転がってみる。こんなに行儀悪く、だらしなく出来るのは今だけかもしれない。その時、突然物音がして はっと顔を上げた。
「え!? 」
目が飛び出そうになった。さっきは開かなかったドアが開いている。それどころか、石鹸の匂いを漂わせたウィレムが立っていた。乾ききっていない髪は後ろに向かって掻き上げられている。
「ふん、なぜそんな顔をする?」
いかにも不機嫌だ。
「え、、、ええと、だって、、え? どこから、、?」
「ふん。俺の部屋からだ。繋がっている。知らなかったのか?」
「え、、、? はい、、と、隣、、?でしたっけ?」
「隣な訳ないだろう。だからわざわざ繋げているのだ。」
つかつかと、当然の顔で私のベッドに腰掛けた。私は上半身を起き上げて、足を出して座る格好になった。
「、、、あの、でも、2人で会ってはいけないのでは?」
おずおずと尋ねてみた。
「知るか。お前は俺のだ、勝手にする。」
「か、勝手、ですか、、?」
言っている事はめちゃくちゃだけれど、それがウィレムだ。
「レイラは、皆に認められるように頑張るのだったよな?」
「は、はい。出来る限り頑張るつもりです。家庭教師も付けて頂けるそうですし、たくさんお勉強します。」
急にそんな事を聞かれて、慌てて背筋を伸ばし、畏まって答えた。
「ふん、頑張るのは勉強に限った事ではない。こっちに来なさい。」
「? はい。」
なんだか拍子抜けする。四つん這いになって、ベッドの上を移動した。
そしてウィレムの横で座り込んだ途端、声をあげる暇もなく後ろに倒され組み敷かれていた。両腕はウィレムの片手が頭の上に固定している。
「ウィレム、、、?」
今日のウィレムは苛立っている。
意地悪な微笑みを浮かべながら 熱い指を首筋から胸に滑らせていった。
「さっそく今から頑張ってもらおうか。隣国の王は年寄りの癖に若い嫁を取ったらしい。負けるのも癪だろう。」
「ウィ、、、」
結局心配された通り私達は婚礼を待たずに新しい命を授かり、オーウェンさんは頭を抱えることになったのだった、。
最後まで読んで下さってありがとうございます。感謝です。
そして評価等して頂けると、ますますありがたいです。今後の励みになります。