56
朝起きるとウィレムは、普段通りに接してくれた。ただし触れること以外は、だけれど。
今日は王宮に戻る日で、朝食を食べてから2人で馬車へと乗り込んだ。座る位置も、心なしか距離が開いている気がする。思いきって詰めて、肩にもたれてみた。ウィレムがどんな顔をしたのか不安でどきどきする。耐えきれず、何か言われる前に目を閉じた。拒否されなかったので少しだけ安堵した。
目を瞑って本当に眠ってしまえれば良かったのだけれど、今日に限って全然眠くならず、私はただただじっと、動かないでいた。唾を飲み込む度に、起きていると気付いているのではないかと、気まずかった。道のりはとても長く感じられ、手にはじんわり汗をかいた。やっと馬車が停止した時、王宮に着いたと分かって胸を撫で下ろした。
そっと目を開けて、もたれていた身体を起こしつつ、ちらりとウィレムを覗き見ると、はた、と目が合ってしまった。
「あ、ええと、肩、、ありがとうございました。」
「、、、うむ。」
何ともいえない空気が流れた。
馬車を降りると嬉しそうなジュリの顔が見えた。そしていつもウィレムの横にいるオーウェンさんは見当たらず、違う人がウィレムを待っていた。
「お帰りなさいませ。」
「陛下、お帰りなさいませ。」
ジュリの声は弾んでいる。
「ああ。ジュリ、レイラを部屋に。」
「はい。分かりました。」
ジュリはウィレムに頭を下げて私に向き直った。
「お嬢様、お帰りなさい。」
「ただいま、ジュリ。ありがとう。」
「へへ、お部屋に昼食を準備していますよ。早く行きましょう。」
「ええ。」
足を1歩踏み出してから振り返ると、ウィレムは直接仕事に向かう様で、別の方向に向かって行っていた。一緒に部屋に戻るものと思っていたので、何だか淋しく感じた。
「ウィレムは昼食を食べないのかしら?」
ぽつり、と口から飛び出た独り言をジュリの耳が拾い、弾かれた様に私を見た。
「呼び捨て、、、!? い、いけませんっ、お嬢様、それはいけませんっ」
「え、、 ご、ごめんなさい。でも、ええと、そう呼ぶ様に言われたの、、。」
「陛下にですかっ!? そんな、、、」
「、、やっぱりとても無礼な事なのかしら?」
ジュリの慌てようを見る限り、呼び捨てにするのとんでもない事の様に思えた。
「え、ええと、 い、いえ、陛下がそう言うのなら、問題ありません、、。」
「ならよかったわ、ありがとう。」
最初は恥ずかしかった呼び方だけれど今では呼び慣れてきたし、距離が近付いた気がして嬉しく思っていたのでほっとした。
「いいえ、、、。」
ジュリは急に大人しくなり、無言のまま、廊下を歩き、階段をいくつも昇った。私はふと、自分の足でここをこんなに歩くのは、初めてだと気付いた。というか、部屋の外をジュリと2人で歩けるなんて。これはつまり出歩く事を許されたということ? それとも、もう私に興味が、、、?
突然 焦燥感に駆られた。
「あ、あのねジュリ、実は、、」
薬を、と言い掛けたけれど、部屋の外で言うことではないと気付いて慌てて言葉を飲み込んだ。
「え、、、? あ、ごめんなさい、聞いていませんでした。何でしょう?」
ジュリはジュリで考え事をしていたのか、一拍遅れて聞き返してきた。その時、今度は私が別の事に気を取られた。ふと踊場にある大きな窓から外を見下ろしたのだ。そこに建物が見えた。ただの建物なのに何故だか目が離せない。
「ねぇ、ジュリ、あの建物は何?」
「え? どれでしょうか?」
ジュリも一緒になって窓から外をみた。
「あそこにある建物が気になったのだけれど。」
「ああ、あれは宝物庫です。興味がありますか? あ、そういえば私、先日あそこで、、って、ごめんなさい、何でもないです。」
何か言い掛けたのが気になる。
「何かあったの?」
「ええと、実は宝物庫は限られた人しか入れない場所なんです。だから、ごめんなさい、言えない事でした。」
再び歩き始めながらジュリが言った。
「私は誰とも会わないから言い触らしたりしないわよ。」
「え、、? あ、そうですよね。では、内緒なのですが実は私、この前、中を覗いちゃったんです。」
「ふんふん、それで?」
ジュリは誰かに言いたくてむずむずしていたのか、すぐに話し始めた。
「それでですね、そこでとても綺麗なお人形を見たのです。」
「お人形? それから?」
「え、、? あ、、それだけです。」
「ええ?」
「へへ、大したことなくてごめんなさい。でも、凄く綺麗だったんです。あ、そういえば、お嬢様にほんの少し似ていた気がします。小さな女の子の人形と寄り添っていて、微笑ましくて素敵でした。」
「へぇ、私に似たお人形、、、。」
「本当に生きているみたいでしたよ。せっかくなら何処かに飾ったらいいのに。」
「そう、、。 そんなに素敵なら見てみたいわね。」
何だろう。もやもやする。
「機会があれば陛下にお頼みするのもいいかもしれませんね。」
階段の途中で私を振り返ってそう言った直後、ジュリは、あっ、と声を出した。そして突然私の袖を掴むと、ぐいぐいと速度を上げて歩いた。私は引っ張られながら転けない様に慌てて足を動かした。
部屋のドアを開けて、中に入りバタン、と閉めた途端、ジュリがぐいっ、と近くに寄ってきた。
「お嬢様、少しお話が、というより聞きたい事があります。よろしいでしょうか?」
「え、え、、? ええ、どうぞ。」
「正直に教えて下さい。お嬢様は旅行の間、陛下と、どう過ごされていましたか?」
どきん、と心臓が鳴った。
「あ、あのね、私もジュリにお願いしたいことがあって、この前の薬の事だけど、、」
「まさか、やはり関係を持ったのですね!? お嬢様はそんな事にはならない、と言ったはずなのにっ!」
ジュリがどんどん迫って来るものだから、私は壁に背中がくっついた。
「あ、待って、違うの、ええと、、」
「違うなんてことありませんよね。隠さないで下さい!だって、そんな所にっ!
っ、、ひっっ! 」
ジュリは私の服の胸元を思い切り引っ張り、ウィレムの付けた印を見て悲鳴を上げた。露になったそれを私は慌てて手で押さえた。きっと想像以上の印の数に驚いたのだと思う。
ジュリはカタカタと震えだし、ポケットからあの小瓶を出した。
「、、の、飲んで下さい、、。早く、今すぐ、飲んで下さい。」
ジュリの手から小瓶の蓋が転がり落ちた。中の薬がじゃらじゃらと溢れる。薬の乗った手のひらを私の口に近付けてきた。
「ま、待って、違うの、まだだからっ、」
「手遅れになると、後で陛下のお心を煩わせる事になります。だからどうか早く、、」
「んっ、、、まっ、、」
ジュリに私の声は届いていない様で、ぐいぐいと薬を口に押し込もうとする。手を払い退けたいのにジュリの力の方が強くて、顎をこじ開けられそうになった。
「早くっっ!!」
と、ジュリが叫んだ時、突然ドアが がちゃり、と音を鳴らした。
「何をしている?」
ありがとうございます。