マーサの逆鱗
***ミラ
「アリーさん、刺繍で忙しいなら、世話はもうしなくて大丈夫ですよ。」
朝食後、アリーさんはいつものように仕事という名の、私の仕事の見学を始めた。つまり正直な話、多少の手伝いはしてくれるけど、いてもいなくても私の仕事量は変わらないのだ。それならずっと刺繍していた方がいいのでは、と思った。
「そう?でも、豚さんのお世話は好きなの。じゃあ、これだけしてから戻るわね。」
「・・分かりました。じゃあ、お願いします。」
「これだけ」、と言った作業は、豚の身体を藁で綺麗にしてあげる作業だ。してもしなくてもいい、気が向いた時に、豚が喜ぶからなんとなくする作業。
だけど、本人がしたいのなら、まぁいっか。
アリーさんは、豚との触れ合いを楽しんだ後、部屋へと帰って行った。
**
夕方、小屋の掃除を終え、片付けていると、ジョン兄さんとクレアさんが帰ってくるのが見えた。
「あっ、ジョン兄さんっっ、どうだったー?」
大声で叫ぶと、手を振ってくれた。反対の手には荷物を持っているから、刺繍が売れたのだと分かる。
今朝アリーさんは、売れたら、という言葉を付け加えて、ジョン兄さんに必要な買い物をいくつか頼んでいたのだ。
ジョン兄さんは、近くまで来ると、私に荷物を持たせた。
「ミラ、アリーさんのところに持って行ってきてくれる?」
「私が? まぁいいけど。」
「ごめんな、今朝あれだったからさ。あ、あとこれも。売った代金。頼まれたのはこれから出したから。」
「うん、伝えとく。・・って、ええっ?こんなに?」
「ああ。俺らも驚いたよ。」
手に乗せられたお金は、1月に私達が稼ぐお金の、半分に近い。たった3枚のハンカチが?
「高級だとは思っていたけど、こんなに・・」
「ね、ほんと。でも安心したわ。これなら家族が見付からなくても、1人で暮らしていけるから。」
クレアさんが、にこにこして言った。
「家族ですか?アリーさんの?」
「ええ。あっ、勿論、見付かることを祈っているけどね。」
・・・・アリーさん、家族なんて探してたっけ?疑問に思ったけど、ジョン兄さんとクレアさんはもう、歩き出そうとしていた。
「じゃあ、先に戻ってるから。」
「う、うん。」
後でアリーさんに聞いてみようかな。
**アリー
ドアを叩く音がして、ミラが部屋に入ってきた。
「アリーさん? 明かりもつけずにやってたんですか!?」
「え、あ・・・本当だわ。」
言われて見渡すと、日が落ちかけて部屋は少し暗くなっていた。どうりで手元が見えにくかった訳だわ。
「ジョン兄さんがさっき戻って来て、これを預かりました。びっくりしないで下さいね。」
ミラは持っていた荷物を置き、私に見えるように、テーブルの上に1枚ずつお金を並べていった。
「良かった、売れたのね。」
「はい。・・・あれ?びっくりしないんですね。」
ミラが目を瞬いた。
「売れたことに?安心はしたわよ。」
「お金、沢山じゃありません?」
「ええ・・、ああ。マーサに宿代を支払わないとだわね。」
「あれ、ええと。・・・あ、宿代?ええと、アリーさんの生活費はノア兄さんが置いていってるって聞きました。」
「あら、それはいけないわ。これ以上ノアに迷惑は掛けられないもの。」
いつまでも頼っていたらいけない。今がちょうどいい機会だと思った。ノアが不在の今なら、自分の足で立てる気がする。
「そう、でしょうか?」
「ええ。」
どうしてだか、ミラの表情はすっきりとしない。
「あ、そうだわ、これ、あなたにさしあげるわ。」
作っていたことを思い出して、籠から小さな袋を取り出した。
「えっっ!?私に?」
「ええ。ミラのおかげだもの。ハンカチは要らないって言っていたから、袋にしたの。」
自立の為の道を提案してくれたミラへのお礼に、何かしてあげたくなったのだ。
ミラの言う、"高価な物"にならないように、袋の縁に、小さな刺繍のみを施した袋にした。生地も高い物ではない。
「あ、ありがとうございます!すごく素敵です!というか、これ、売れそうですっ!!」
「へ?」
ぽかんとする私に、ミラは教えてくれた。可愛いけれど高価じゃない、そんなちょうどいい物がないのだと。
「ふふ、じゃあ、こういうのをいくつか作ってみるわね。」
何だか仕事らしくなってきた気がする。
「あ・・・」
「どうしました?」
「いえ、何でもないわ。何でも・・」
なんとなく、知っている感じがする。何かを作って・・・、でも、そこまでで、何も思い出せなかった。
***
マーサにお金を渡す用もあって、私とミラは夕食の時間より少し早めに、家に入ろうとしていた。
「余計な事するんじゃないよっっ!!」
ミラがドアに手を掛けた途端、マーサの怒鳴り声が聞こえて、思わずミラと顔を合わせた。
何があったのかしら、2人で上下に顔を並べ、そうっと中を覗いてみる。
「母さんっ、そんなに怒らなくてもいいじゃないかっ。クレアは一生懸命に・・」
「確かにクレアは一生懸命だよっ、だけどっ、誰もそんなこと頼んじゃいないさっ!!追い出したからって、ノアが振り向くとでも思ったのかいっっ!?」
「母さんっっっっ!!」
「うぅっ・・・」
クレアが泣いている。
修羅場だわ。ミラが唾を飲み込む音が聞こえた。
ありがとうございます。




