残業
「主任、ゴールデンウィーク何してました?」
小うるさい部下の寒河江遥がまとわりついてくる。
「バカ。どこにも行くわけねーだろ。こちとらもう三十超えてんだぞ」
「三十超えたってアウトドアとか行く人居るじゃないですか」
「それもそうだが俺は違うんだよ」
「じゃあ何やってたんですか?」
「決まってるだろ。家で寝てたんだよ」
「えー、なんか寂しいですねえ」
ほっとけ、と思いながら仕事を続ける。浮かれてる場合ではない。仕事の締切はすぐそこなのだ。
「ほら、喋ってねえでお前も手を動かせ。締切は待っちゃくれねえぞ」
「はぁい。ちぇっ、つまんないの」
言いながら寒河江遥は手を動かす。なんだかんだで優秀だ。しかも顔も美人で明るくみんなに好かれている。俺なんかの部下にならなけりゃもっといい目にも会えただろうに。
「すまんなぁ」
「? 何か言いました?」
「なんでもねえよ。ほら、急ぐぞ」
「はぁい」
ゴールデンウィーク明けのオフィスは閑散としている。なぜなら他の奴らは殆ど仕事をやらずに帰ったからだ。「ゴールデンウィーク明けに仕事なんかやってらんないっすよ」みたいな事を言っていたのを聞いた。
やれる事はやってしまう。それが自分のモットーだ。それに部下を巻き込んでしまうのは気が引けるのだが、寒河江の奴が手伝うと言ってきかないのだ。
「おい、寒河江」
「なんですか、主任」
「さっきも言ったが帰りたければ」
「帰りません」
「でも、同期の奴が誘ってたんだろう?」
「だって、締切あるじゃないですか。やらないと」
「すまねえな」
「全く、主任は私が居ないと本当にダメですね」
やれやれ、助かるっちゃあ助かるが困った奴だ。終わったらなんかおごって.......いや、俺みたいなオッサンが誘ってもセクハラだな。早く帰してやるか。
「あの、主任」
「どうした? なんか問題か?」
「いえ、あの、これってもしかして私の担当してた案件じゃ.......」
.......さすがに手伝わせてたら分かるか。
「んー、まあそう言えばそうだったな」
「なんで主任が手直ししてるんですか?」
「それはな寒河江、お前の案がボツを食らったからだよ」
「そんな.......」
「大丈夫だ。バランス悪かった部分はちゃんと修正した。これなら次は通るだろう。着眼点はいいって仰ってくれてたしな」
実際、俺も着眼点は良いと思ってた。向こうの人も粗さえ取れれば採用すると言ってくださった。まあ、その代わりに締切がキツくなったんだが。
「なんで、なんで主任はいつも私を助けてくれるんですか?」
「そりゃあ、お前さんが美人だからだよ」
「あの、冗談はいいんで.......」
俺は缶コーヒーをグイッと飲み干して答えた。
「そりゃあ俺の部下だしな。お前は頑張ってる。見積もりにしても一から調べて検証してやってた。足りない部分は経験不足なとこだ。なら俺がバックアップしてやるのが当然だろう?」
「ありがとう.......ございます」
「ああ、メソメソするな。苦手なんだよ、そういうのは。いいからさっさと終わらせて契約してもらおうや。もちろん笑顔でな」
「はいっ!」
いい笑顔だ。こいつはいい社員になる。間違いねえ。いい女にもなりそうだから結婚退職して辞められるかもしれんが、まあそんときゃ相手の男の顔面に一発お見舞してやつだけだろ。
「終わったぁ.......」
「おう、お疲れさん」
「もうヘトヘトですよ」
ふにゃふにゃになってるがその甲斐はあったようだ。待機してもらってた先方さんからOKの返事がメールで届いた。わざわざありがたい。
「データ、出来た端から送ってるが先方さん、このまま進めるつもりだとよ。これで受注だな。おめでとう」
「やだなあ主任のお陰じゃないですか。それより、あの、ちょっと聞きたい事が.......」
「どうした?」
「さっき言ってた私が美人とかって、その、本当、ですか?」
手足をモジモジさせながら俯いて寒河江は言った。どうしたんだ、トイレか? いやまあ聞かれたら答えるけどまあ美人だよなあ。今まで見た中で。
「本当だ。今まで見た中でも一番の美人だぞ」
「そ、そうですか。そうなんだ.......(やったぁ)」
「? なんか言ったか?」
「な、なんでもありましぇん!」
どうやら疲れてるようで呂律が回ってない様だ。さっさと休ませるか。
「ほら、帰るぞ」
「え?」
「こんな時間じゃもう電車もねえだろう。車で送って行ってやるよ」
「良いんですか?」
目をびっくりしたように開かせて寒河江は言った。
「良いも何も仕方ねえだろ。さすがに会社に泊める訳にもいかねえし」
「私は、その、主任と一緒なら.......」
「アホか。こんなオッサンと一緒とか噂になったらどうすんだ」
冗談でも笑えねえ。美人なんだからもっと自分を大切にして欲しいもんだ。とりあえず足の踏み場は確保しとくか。
「(別にそれでも構わないんだけどな)」
「ほれ、ぶつくさ言ってねえで乗れ。日頃人乗せねえから置いてる荷物は後ろに放り投げてくれ」
「もしかして、女の子乗せるの初めてとか?」
「女の子どころか人間乗せるの自体初めてだよ」
「そうですか」
なんだ、こいつ、なんで鼻歌歌いながら乗ってんだ?
「疲れたら寝ててもいいぞ」
「襲いませんか?」
「誰が襲うか!」
万一襲っちまったら翌日何言われるか.......理性がもつことを祈るしかねえなあ。
「(ちぇっ)じゃあしっかりナビしますからよろしくお願いしますね」
「おう。あ、ちゃんとシートベルト締めろよ」
「はーい」
全く呑気なもんだな。こいつこんなに無防備で大丈夫なのか? 変な男に引っかかったりしねえだろうな。いや、俺が心配するような事でもないと思うんだが。
そう思いながらアクセルを踏み込む車は静かに夜の街を駆けて行った。