私がニートになった理由
私は引きこもりである。俗に言う、ニートというやつだ。
現在、私は強くコントローラーを握りしめ、発売して2年は経つRPGのストーリークリアに精を出している。
個人的な評価になるが、1年前までは自分も立派に社会人をしていたと、私は思う。
家が代々医者の家系だからというふわっとした動機で、私は中学の頃から医者を志した。大学受験で1年浪人し、そこそこ有名な大学の医学部に入学。数少ない友達と遊びながら、サボらない程度に学業へ勤しむ毎日を送り、留年することなく無事に大学を卒業した。卒業後は大学医局に籍を置いたまま、大学病院で研修を5年間行った。この期間はちょっと苦しかったけど、1人前の医師になるために誰もが通る道だと自分に言い聞かせ、研修が終わり専門医の資格を取った段階で、5年間ぐちぐちと嫌みを聞かされ続けたハゲの教授に医局を辞めることを告げた。そこから、家族が経営している総合病院へ転職。家族には、将来的にうちの総合病院へ入りたいと話していたので、スムーズに事を運べた。元々専攻していた精神科を任され、1人前の医師として第1歩を踏出した、そのはずだった。
あの頃を今思えば、私はまだまだ半人前だったのだろう。患者と真摯に向き合い、治療を完遂するだけの腕前と心構えが、私には足りなかったのだから。
結論から言うと、私は患者を自殺させてしまった。
2週間に1度の診察で、半年間診てきた患者だった。
その患者は、重度の鬱病を抱えていた。家族に連れられて病院にやって来た彼は、精気というものを完全に失い、まるで亡霊になったかのような風貌だった。聞くと、新卒で入った会社でイジメに遭い、3年も経たず退職。以後、何事にもやる気を見出せず、家に引きこもっているとのことだった。
大丈夫、絶対に良くなりますよ。そう無責任に言葉を彼にかけたことを、今でも覚えている。
精神科医はその仕事の性質上、メソッド演技のように、患者の心に寄り添うことが求められる。患者に共感する、ということが何より大切なのだ。
私は彼の気持ちになって物を考え、彼と会話を重ねた。彼に信頼してもらうことこそが、本音を引き出す1番の方法だったからだ。
ありきたりな話を、それこそ好きな本について話し合い、好きなゲームについて話し合った。勿論、症状についてもきちんと話し合い、改善に向けて様々なことを提案した。1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と会っている内に、彼は時折笑顔を見せるようになり、私は症状が良くなっているのだと勝手に思い込んでしまった。
そして、半年後。彼は何の脈絡もなく自殺した。
実際には、脈絡はあったのだろう。私がそれを見逃していただけ。彼を理解した気になっていた私は、結局のところ何も理解していなかったことに気付かされた。
時を同じくして、家で飼っていたペットが寿命を迎えた。
私が高校2年生の頃、弟が誕生日に買ってもらったシベリアン・ハスキー。お父さんの好きな映画からロッキーと名付けられ、家族として12年間連れ添い、世話も私と弟がメインで行っていた。
仕事で1人の患者を死なせ、私生活でも家族を失った。人と犬を比べてはいけないのだろうが、命は命だ。私の心の傷は倍々ゲームで膨らんでいき、程なくして、私は死んだ彼と同じ鬱病になった。
私にできる事なんて、たかが知れてる。一度そう思うと、ぽっきりと心が折れてしまった。
暫くの間、休みが欲しい。院長であるお父さんにそう告げ、長期休暇という名目で、自宅でごろごろするだけの自堕落な生活が始まった。
昼に起きて、昼食を食べ、ぼーっとテレビを見て、夕食を食べ、お風呂に入り、そして寝る。そんな生活が続いた。
本当は朝早くに起きて、朝の日差しを浴びながらランニングでもするのが精神的に良いのだけれど、そんな気力は沸かなかった。
ハゲの教授は嫌なヤツだったけど、心は強かったんだろうな、なんて事をぼんやりと考え、もう使うことのない犬小屋を眺めながらソファに横になる毎日。それを見かねたお父さんが、散歩でも行ってきたらどうだ、と言ってくるようになったので、それじゃあ1回くらいなら、と私も財布を持って家を出た。
別にどこに向かう訳でもなく、けれど病院の場所は何となく避けて近所を散歩した。久しぶりに見た夕焼けが目に染みた。
気付けば季節は移ろいでいて、秋から冬になっていた。雪が降らないことに感謝しつつ、寒いから早く帰ろうなどと思った矢先、最近できたのよと母から聞いていたゲーム屋を発見した。
特に意味もなく店内に入ると、気が早いのか何なのか、クリスマスセールのチラシが置いてあり、ふと気になって手に取った。
そこには、死んだ彼との話に出たゲームソフトが、発売当初より大幅に値下げされて売られていた。
鼓動が早くなった。彼が死んだあの日から、彼が何を考えていたのか、ずっと知りたい気持ちがあったのだ。
ゲームをするだけで、彼の心を理解できる筈もない。しかし、その時の私は、空になった器に勢いよく中身を注ぐかのように、それに手を伸ばしたのだった。
幸い、ゲーム機自体は弟が持っていた。家に帰るなり弟の部屋に押し入り、社会人になったんだからもうゲームはしないでしょ、と半ば強引にゲーム機を強奪し、弟から向けられた哀れみの視線を尻目に自室へと逃げ込んだ。
そして、今に至る。
ゲームをやるのなんて高校生以来だったけど、なかなかどうして、心をくすぐるような面白さがあった。
このゲームは、『リアルさを追及した王道RPG』という謳い文句で、前半はオープンワールド、後半はシームレスにストーリーが展開される、昨今では珍しいタイプのゲームだった。
世界観も独特で、SFとファンタジーを足して2で割ったような作風だ。
車に乗って各地を移動し、日が暮れればモーテルに泊まるか、魔物の襲ってこない場所でキャンプをする。戦闘になればマシンガンをぶっ放し、剣で切り裂き、魔法を炸裂させるなど、やりたい放題な内容だった。それを無駄に精密なグラフィックで表現しているので、整合性がとれているように感じるのだ。
120ギガという容量を占め、弟のゲームデータを3個ほど消さなければインストール出来なかったこのゲームは、謳い文句よろしく、あらゆる物がリアルに表現されていた。
モーションキャプチャーによる、キャラの表情や動作。
実際の自然をモデルに作成したという、岩や木々。
骨格から考えて作ったのだという、魔物やミニゲームの魚。
極め付けは、それらを狩ることで作れる、美味しそうな料理の数々だった。
ゲームのグラフィックも来る所まで来たなー、などとぼやきながらプレイしていたら、米粒の1つ1つが艶やかに輝くおにぎりが、画面いっぱいに映し出されたのだ。後でその事を弟に話したら、ポリゴンの数がボスモンスターと同じくらいあって、『もっと違う所にこだわれ』『そんな事より、ストーリーを何とかしろ』などと、発売当初は批判を集めたとのだと聞いた。弟も地雷だと思い、このゲームは買わなかったのだそうだ。
とは言え、グラフィックが最上級であることに変わりはなく、私が実際にプレイして不満に思った点はまったく別の事柄だった。
「この娘、可愛いよな」
深夜1時を回ろうという刻限、明日は日曜日だからと私の部屋に遊びに来ていた弟が、不意に言葉を漏らした。私はそれにムッとして、え、嘘でしょ、と弟を見た。
確かに、画面に映る女の子のキャラクターは、高いグラフィックで可愛く表現されている。
小柄で、胸は大きく、動作の1つ1つがあざとい。金髪で長い髪を後ろで結ってあり、その凜々しい顔つきは、まさしく女神といった風貌だった。
しかし、問題はこのキャラクターの中身にあった。
ヒーラーという役割を持つこのキャラクターは、”神の矛”という武器を持ち、傷ついた仲間を回復魔法で治療するのだ。それだけに留まらず、仲間が死ねば蘇生魔法を唱え、死者を簡単に蘇らせてしまう。その時に流れる、「大丈夫、あなたを絶対に死なせないわ」という台詞が、私の心の傷を深く抉るのだ。
――大丈夫、絶対に良くなりますよ。
あの時、無責任に彼に言った言葉が頭の中で反響する。
ゲームに飯テロされて夜食を食べた後、この台詞を初めて聞いた時はトイレで盛大に吐いた。私がなれなかった、医者として成功した者の姿を見せられた気がして、心が不規則に高鳴った。
それからは、この台詞を聞かないようにするためだけに仲間のレベルを上げ、それでも死ぬようなら真っ先にその女の子のキャラクターを殺すようなプレイングを心掛けた。
縛りプレイでもしてんの、と弟には言われたが、正にその通りだった。
蘇生魔法、できれば回復魔法使わないような、そういうプレイスタイル。ヒーラーが活躍せず、私の心の傷が抉られないような縛りプレイを、私は徹底した。
そのスタイルが確立してから2週間後、お前は医者に向いてないよ、とお父さんから言われた。
「あと1ヶ月経っても変化が見られないようなら、お前をクビにする。良いな?」
その言葉に、私は軽く頷いた。
約7ヶ月もの間、仕事を休んでいた。家族だからと今まで許されてきたが、他の病院なら既にクビにされている頃合いだ。医者に向いていないという事も自覚している。異論はなかった。
部屋に戻り、コントローラーを握りしめる。今ではこれが、私の精神安定剤になっていた。
現実のことを考えず、ただリアルな架空の世界で生きることは、現実逃避に最適だった。もはや当初の目的も忘れ、私はいつものようにゲームを起動した。
セーブ画面に表示される、”プレイ時間:70時間”の文字。1ヶ月もの間、暇な時間をすべてゲームに費やしてきた賜だった。
レベル上げやお使いクエストをひたすらやっていたのだが、流石にメインストーリーを進めた方が良いと思い、最近ようやく後半のステージに入ったのだ。
発売当初は不評だったステージは公式のアップデートで改善されたらしく、敵の本拠地である帝国領の探索は、思いのほか快適だった。
ムービーも新たに追加されたらしく、物語の核心に迫るような場面では息を呑んだ。
ネットで噂になっていた”仲間同士の喧嘩”は確かに鼻についたが、この手のストーリーでは良くある展開だ。この前テレビでやっていた、夫の不倫相手と取っ組み合いになる昼ドラのワンシーンに比べれば、些細なものだった。
仲間のレベルを上げ過ぎたことと、長らくストーリーをやっていなかたことも相まって、その日はぶっ通しでゲームをやった。
物語も佳境に入り、ムービーと戦闘の連続。最上級のグラフィックで表現される派手な演出は、年甲斐もなく興奮させられた。
めまぐるしく展開を早めながら、遂に訪れるラスボス戦。世界に光をもたらすため、主人公が用意したラストダンジョン限定の装備で戦闘が始まった。
コマンドを選び、丸ボタンで攻撃。しかし、表示されるのは”0ダメージ”の文字。
ああ、負けイベントなんだなと、すぐに分かった。
プレイヤースキルに関係なくゲームを楽しんでもらうため、時折、ゲームにはこういった手法が用いられる。ピンチを強制的に演出して、ストーリーを盛り上げるのだ。
思った通り、すぐムービーに移った。
ラスボスが魔法を放ち、なんと主人公が死んでしまう。ラスボスが勝利を確信するが、次の瞬間には仲間達が防御魔法を張り、その隙に例の女の子キャラが蘇生魔法を使うのだ。
「大丈夫、あなたを絶対に死なせないわ」
盛り上がる場面の筈なのに、急に寒空の下に放り出されたような感覚に私は陥った。
最悪だ……、この場面でその台詞言わなくたって良いのに……。
気が沈み、コントローラーを投げ出しそうになる。しかし、蘇生魔法を使う女の子に狙いを定めたラスボスが次の魔法を放ち、女の子が倒れるムービーが流れ、私は一瞬の内に興味を取り戻した。
え、もしかしてこの展開……。
食い入るようにテレビ画面を見る。白い衣装が血に濡れ、苦悶の表情を浮かべながらも、女の子は蘇生魔法をかけ続けた。魔法は実り、主人公が目を覚ます。事態に気付いた主人公が女の子を抱きかかえるが、既に手遅れだった。よかった、と短く呟いて、手を垂れ下がらせる女の子。主人公が涙を流し、光の力を覚醒させてラスボス戦は再開される。
今までゲットしてきた武器が幻影のように周囲を舞い、主人公が腕を振るう動作に合わせて、ラスボス目がけてミサイルのように飛んでいく。その様は美しく、儚げで、もう助からない女の子へ鎮魂歌を奏でているようだった。
ラスボスは割とあっさり倒された。表示されていた推奨レベルを超過していたのだから、当然と言えば当然だった。
主人公は再び女の子の元へ駆け寄り、最後の言葉を聞く。
「私はやれるだけのことをやった。最善を尽くした。それでも助からなかったなら、それは運命だったって受け入れるしかないよ」
やつれた顔とは対称的に、その声には芯があり、生気があった。
「旅の中で、沢山の人の死を目にしてきた。”死”は不平等に与えられるものだと、何度も痛感した。それでも、その不平等を平等にするために、私達はここまでやってきたんだよ」
その言葉には信念があって、今までゲームをしてきた時間が、現実から目を逸らし続けた時間が、そして医者として過ごした日々が、強く思い起こされた。
「”死”は辛いものだよ。だけどね、死んでいった魂を無駄にしないかどうかは、彼らの”死”を見届けた私達しだい。そして、私の”死”を見届けるあなた達しだい。……ねぇ、お願い。犠牲になった人達の分まで――あたしの分まで、どうか、希望の光で、明日の世界を、照ら、して……」
そこで、彼女は事切れた。
失われた光を取り戻すというこの作品の主題に対して、私が目を逸らした、私が理想としていた、彼女なりのアンサーだった。
時計を見る。気付けば、朝の5時を回っていた。
コントローラーを置いて、部屋を出る。階段を下りて、リビングを通り、そのまま玄関のドアを開け放って外に出た。
結局、あのゲームをプレイしても、彼の考えていたことはこれっぽっちも分からなかった。当然だ、彼の人生の中で100時間にも満たない程度の時間しか、あの作品には触れていないだろうから。まったく、何をしていたんだか、私は。
しかしながら、なんの因果かあのゲームで繋がり合い、私が救えなかった彼は、確かに私を救っていた。
失われた光は、まだ取り戻していない。ただ、光を取り戻そうという気概を、取り戻したってだけの話だ。
ゲームという媒体を通して、という点には、流石の私も苦笑いを禁じ得ないけれど。それでも、まあ良いじゃないかと、朝の清涼な空気を肺に送り込む。
冬の朝は暗く、まだ陽は差していない。このまま待てば明るくなるけれど、いつ昇るとも分からないものを、今の私は待ってはいられなかった。
ストレッチをして足腰の筋肉を伸ばす。地平線の彼方で待つ光に向かって、私は走り出した。