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1 路上生活者ミライのとある一日①

 改造人間とは、人間社会に紛れて活動するべく設計された驚異の生体兵器である。彼らは往々にして、人間の身体をベースに、兵器としての機能を足して造られる。その性質上、諜報や暗殺に長けており、結社においても主として斯くの如く運用されていた。今現在、他の改造人間がどうしているか、そもそも生存しているのかは定かではないが。私は改造人間らしく、人に紛れて暮らしている。




 朝。空にひしめくビル群の底で、人々もまたひしめいている。私は人波に揉まれていた。通勤時間帯はどこも人がわんさかだ。時計を気にして歩くサラリーマン、ハイヒールで早足に努めるOL、眠気をおして通学に勤しむ生徒たち。小学生な外見をしている私もそこに紛れ込む。ランドセルでなくキャリーバッグなのと、草臥れた服装をしているのが我ながら違和感だが。


「お願いします」


 適当に入ったコンビニのレジにて、努めて冷静で落ち着いた口調を作る。いかにも子供だって話し方をするやつはなっちゃいない。無用なトラブルを避けるためには、子供らしさを排して、少しでも大人びた雰囲気を作っておくというのが、ホームレス女児としての鉄則なのである。おぼえておくべし。半年ほどの路上生活を経て、私はこの敬語口調が習い性となった。


「千円のお預かりです。……三百六十一円のお返しです」

「ありがとうございます」


 野菜ジュースと弁当、それからおつりを受け取り、そのまま出口へ。バイト店員の目線を背後に感じたが、他の客に揉まれているうちに私のことなど忘れてしまうだろう。大都会は人の目も多いけれど、その分一人一人にいちいち関心を払っていられない。木の葉を隠すなら森の中というやつである。都会の無関心が、私の生活を支えている。


 人混みに紛れて駅に滑り込む。小さな身体を活かし、人の合間を縫ってお手洗いへ。公衆トイレはいつだって私の味方だ。水をもたらし風雨を防ぎ、ついでに人の目も防いでくれる。

 外でコンビニ飯を広げる真似はいただけない。女子トイレは全部が個室だし、そこにしばらく籠もっていても不自然でない。図太い生き方をしている私とて、飯の時間ぐらいは人目を気にせず安心して食いたいのである。何かと便利な女子トイレ。これはもはや、聖域と呼ぶに相応しい。男子の身であったからこそ、余計にそう思うのかもしれない。


 腹を満たした後は、駅前広場から出ているバスに乗り込んだ。ありがたくも無料バスである。車内のように逃げ場のない閉鎖空間に身を置くのはなるべくなら避けたいところではあるが、しかし堂々としていれば案外どうにかなるものだ。『これから小学校でお勉強をしてきますが何か』的な雰囲気を醸し出すべし。まあ、ダメなときはダメだが。そういう場合は先に悪い予感が囁くので、なんとかやれている。


「あら。お嬢ちゃん、一人でお出かけ?」


 バスに後ろの方に座って揺られていると、通路を挟んで向こう隣の席に座す媼がなにやら話しかけてきた。人当たりの良さそうな媼で、悪いものは感じられない。


「はい。今日は学校が創立記念日でお休みなので、少し遠出しようかと」


 淀みなくすらすらと答える。しばしば使う言い訳だ、慣れている。私の通う学校は毎日が創立記念日なのだ。通学途中だと答えてもよかったが、経験上、相手の言葉を否定しない方が疑念を持たれにくい。


「あら、そうなの。どちらへ?」

「競馬場です」

「え?」

「競馬場です。馬が好きなんです」


 これは本当だ。馬は好きだ。競走馬が好きだ。私にお金をもたらしてくれる。そ、そう、渋いのねと、媼はやや口の端を引き攣らせながらも笑ってくれた。




 小一時間ほど窓の外の流れゆく景色を眺めていれば、恙なく競馬場前の停留所に到着した。他の降車客に混じってバスから降りた私は、眼前に広がる施設を見渡す。広い広い敷地内に敷かれた一周二キロ近い馬場を沿うように、幾つかの建物が並び立っている。都内にして、こんなに大きい規模の建物は、中々見られるものではない。豪壮な眺めだ。私は競馬に関して造詣が深いわけではないが、それでもここに来ると年甲斐もなくわくわくしてしまう。


 私のような古い人間には、競馬場と言えばおじさんの遊び場というイメージが先行するが、実はそれは正しくない。広い場内には、しばしば若年層、年若いカップル、或いは親子連れの姿なども散見される。母親に手を引かれる子供を観察してみれば、平日だからだろうか、私のような学校に通う年齢ではなく、未就学児のようだった。あれはきっと、お馬さんを見に来たのだろうな。微笑ましい。

 競馬というものは、他の賭博性のある遊戯と比べて、実にうまくやっていると思う。賭け事というイメージを抑え、馬という動物が競争する姿を楽しむ、いわばスポーツ観戦に近い表象を得られていると感じる。でなければ、子を連れて競馬場に遊びに来る親など、そうそういまい。


 目の前にそびえ立つ掲示板に貼られた開門時刻表を眺める。出走は昼過ぎで、まだしばらく先だ。となると、しばらく時間を潰さなければならない訳だ。場内に設けられたキッズコーナーにでも居れば、子供が一人でいても怪しまれることもあるまい。仔馬とのふれあい広場でもいいか。

 ……ううん。私はこの地へ、金を稼ぎに来たわけだが。ここへ来ると、自分が大人なのか子供なのか、いっそうあやふやになってしまう。




 昼。施設内の食堂にて、パイプ椅子に腰掛け、プラ容器に盛られたモツ煮を食らっていた。施設には他にも、例えば小洒落たカフェレストランなんかもあったが、私にはワンコインで食えるこいつが性に合っている。ただ、ビールが無性に恋しくなるので、もしかしたら失敗だったかも知れない。うまいけども。


 程なくして食事も終えたので、そろそろ準備に入ることとした。何の準備かと言えば当然、馬券を手に入れるための準備である。そのために来たのだから。空のプラ容器をゴミ箱に放って、人の増えてきた通路を進む。

 未成年の馬券の購入は法律で禁じられているというのは常識であるが、その常識に照らし合わせれば、私の体では馬券は買えない。きっと受付で門前払いにでもされてしまう。いちおう機械購入も可能だが、投票機械の近くには常に職員が置かれており、私のような子供を見逃すほどザルでもあるまい。


 向かった先はパドックだ。芝の上を、レースを控えた競走馬たちが、厩務員に引かれてゆったりと歩いて回っている。パドックには、下見所という別名がある。その名の示す通り、今現在も馬の調子を確かめるため、多くの競馬師が目を凝らして馬体に熱い視線を送っていた。

 おじさんたちの背中の隙間から、私も馬を覗く。あ、早速ぴんときた。あの9番の馬でいいだろう。さっさと決め込んだ私は、次にパドックを囲う人々の群れを眺めた。人を見るのは、馬を見るより難しい。ううん。あの人なら聞いてくれそう。


「あの、すみません」


 私は一人の作業着姿の中年男性に声を掛けた。しかし、男は馬を見るのに集中しているのか、私の声かけに気がつかない。よくよく見れば、路上生活者の私みたいな、言葉が悪いが小汚い格好をしている。


「あのう、すみません」

「……あ? え、俺?」


 男は虚を突かれたといったふうな顔をした。


「な、なんだ。何か用かよ」


男は目を泳がせつつ、無精髭を片方の手で撫でた。分かりやすく挙動不審だ。まあ、見知らぬ子供、それも女子に声かけされたらそうもなるか。若干申し訳ない。


「不躾なお願いですみません。実は、私に代わって馬券を買って頂きたくて」

「……はあ?」

「もちろん、代金は私が出しますので」

「おい、やめてくれよ。あのね、子供は買っちゃいけないって法律で決まってんだよ? そんなリスク、やだよ俺」

「もし当たったら、手間賃として半分配当差し上げますので……お願い、できませんか?」


上目遣いで半歩踏み込んでみれば、彼は私のお願いを聞き入れてくれるだろうという直感があった。


 無事に了承を取り付けた私は、男と共にパドックを離れ。投票機械が置いてあるフロアにて、男がマークシートを記入する様子を隣で眺めていた。


「よかったらおじさんも買いませんか。9番の……ええと、なんでしたっけ」

「いやあ、チュートリアルはやめといた方がいいと思うぞ……」


そう呟いて、男は新聞の一面に指差してみせる。競馬新聞には今回のレースの予想が載っていたが……☆って何番目にいいんだかよくわからない。☆って、イメージ的にいい方の評価に見えるけれど。そうではないのか?


「おまけに前走十三着の上、休み明けだ。……どうだ、今からでも別の馬を」

「意味はよくわからないですけど、いいじゃないですか。子供のごっこ遊びみたいなものなんですから」


そう答えれば、彼はふて腐れたように鼻息一つ、マークシートにペンを走らせた。


「掛け金は?」

「千円で」

「夢があるな」


鼻で笑って、男は言われるがまま記入を終える。私は現金千円を渡し、投票機へと向かう男の背を見送った。おそらくそのときの私は、少しばかり意地汚い笑みをしていたと思う。


 さして時間をおかず戻ってきた男から、一枚こっきりの馬券を受け取る。9番チュートリアル、単勝。馬券の当て方には複勝だとか三連単だとかワイドだとか色々あるが、私は単勝が性に合っている。いや、能力に合っていると言うべきか。私の超直感は、込み入った事象よりは簡潔な事象を観測する場合の方が信頼できる。誰が一位になるかを当てる方が、単純明快分かりやすい。まあ……競馬程度なら全頭の順位だって分からなくもないと思うけれども。あ。名前が覚えられそうにないから無理か。

 さて、男が着順予想に時間たっぷり悩んでいたので、気付けば出走が近い。私は早足で進む男の後ろを、更に早足でなんとかついていった。

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