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8 光司郎とミライ①

二話同時投稿となっていますのでご注意ください

1/2

 未舗装の道路。辺りは見渡すばかり鬱蒼とした木々の深緑で、茂りきった枝葉、伸びきった下草が人の手の届いていないことを如実に物語る。私たちの足元からも雑草が懸命に葉を伸ばしており、あと数年もすればこの茶色い道路も緑色に埋もれてしまうのだろう。


 事ここに至って、人の目を気にする必要性はなかった。既にして、クラーレは四肢を桃色の軟体生物様に変化させている。ぺたりぺたりと粘着質な足音が、背負われている私の耳にも届く。先程までは風を切って飛び回っていたけれども、今はややもすれば散歩のように一歩一歩、大地を踏みしめていた。それはきっと、警戒とか緊張とか、そういった気持ちの動きだろう。私たちの間に会話はなく、雨音と足音と、時折遠くに聞こえる鳥の声とか、それから二人分の息遣いや鼓動の音がよく聞こえた。


 クラーレの、慎重ながらも迷いない足取り。この道は私の記憶に引っかからないけれど、何処に向かっているのかは分かっていた。


 やがて、進む先、明らかな人工物が姿を見せる。それは囲いだった。工事現場でよく見かけるような、白いペンキで塗られた安全鋼板。森の中に、広く囲われたなにがしかの空間。そして、伸びる道路の辿り着く先には、格子状のキャスターゲートが、私たちを迎え入れるように口を開けていた。

 しかし……それはおそらく錯覚であろう。風雨に晒され続けた合金製のゲートはひどく錆び付き、もはや開閉は叶いそうにない。口を開けたまま、こいつは朽ちているのだ。辺りを囲う安全鋼板にしても同じこと。白いペンキは方々剥がれ、そこから褐色の涙を流すかのように、錆色が白い肌に滴り落ち続いている。ここは、既に止まってしまった場所だった。


 クラーレは一度立ち止まり……それから何事もなかったかのごとくゲートをくぐり抜けた。


 中は、一面の荒野だった。一切の建物はなく。一つの明かりもない。自然物というわけではなく、平らかに均され、計画的に掘られた隆起と沈降。雨雲の向こうから薄暗い西日が、山や谷を一面では仄かに照らし、また一面では影に彩っていた。


 ここは採石場。その跡地。私は、私が認識しているうちでは一度だけ、この景色を見たはずだ。あのときは必死で記憶する余裕もなかったが……。結社が崩壊したあの日、私はここより裸足で抜け出し、這々の体で人里まで逃げ延びたのだから。

 結社は幾つものダミー会社を所有していた。この採石場は、そのうちの一つが所有していた土地であろう。ここの遙か地下に結社は根を張り、そしてまた現代社会へと秘密裏に蔓を伸ばしていたのだ。そして、根切りにされ。この採石場も、今は打ち棄てられて枯れた。


「懐かしいね。悲喜こもごも、だけど」


クラーレが独り言を漏らした。私は彼女の内面を推し量ろうとして、やめた。それよりも、強く私の直感に引っかかるものがあったから。


「……向こうの、大穴の底に」

「そうだね」


 荒野には、石を掘るために作られた抗がいくつもあるが……それらとはまったく異質な大穴が、一つぽっかりと開いていた。それはまるで大地が崩落したかのような有様だが、その実、偏にその通り。この大穴の底には、崩落した結社の残骸が、その全てを土に飲み込まれて眠っている。

 穴の底は深くて暗くて、薄ぼんやりとしか輪郭が掴めない。


「ミライ……僕の側を離れないでくれたまえ」


 クラーレは、私が返事をするより早くに、その襟口から触手を伸ばし、私へ巻き付けた。おんぶされているふうな体だった私は、触手にて彼女の背中にがっしりと固定される。これでは、負ぶられると言うより、荷物になって背負われているのに近い。

 人のために掘られた穴ではないため、昇降のための坂や階段などは存在しない。人ならざるものの力が要る。クラーレは首で後ろを向いて、一度だけ私を見た。私は頷いた。直度、ふわと浮遊感に包まれる。私たちは、大穴へ身を投げ出したのだ。




 必死に目を閉じていた。大丈夫とは分かっていても、生体的な反射のようなものだ。数秒の間があって、自由落下に伴う髪の毛が暴れる感触が収まった。穴の底へ辿り着いたようだ。クラーレの軟体の為せる技か、衝撃こそほとんど感じなかったが、きっと私の髪はぼさぼさだろう。


 比較的明るい外からは分からなかったが、穴の底にも、仄かに光が届いていた。暗さに慣れれば視界は確保できそうだ。

 穴の直径はどのぐらいだろう。記憶に近いものでは、学校の二百メートルトラックくらいの大きさはありそうだが……スケールが大きすぎて測りかねる。高さは、ちょっとしたビルくらいか。

 地の底には、瓦礫片や鉄筋など、建造物の残骸が所々頭を出しているが、しかしおおよそ土に埋もれてしまっている。墓場のようだ、とも思った。


 そして、穴の中央に佇むもの。私たち二人以外の唯一の人影。血のように赤黒いボディスーツに身を包み。隻角を生やした乳白色の頭蓋のマスクを被り。細い雨を身に受けながら、地の底にて空を眺める。


「っ、光司郎」


 私が声をあげれば、堆い洞穴の中、その声はいやに響いた。ゆっくりと、鬼の顔がこちらへ向き直る。


「……ミライ」


 彼の声は、長い雨に打たれ続けて冷え切ったかのようだった。いつも無愛想な彼ではあるけれども、いつもとは違う。


「何故来た」


 クラーレが、触手を解いて背負っていた私を下ろしてくれる。泥濘んだ足元の感触を確かめながら降り立つ。


「……貴方を連れ戻しに」

「必要ない」


にべもない。予想していた反応ではあるが……やはり少しばかり怯む。言葉に詰まった私を置いて、彼はクラーレに問い掛ける。


「毒婦。何故お前がミライと共にいる」

「やあ。お久しぶりだね、デビルマスク。いや、デビルマスクとしての君とは初めましてだったかな」


あの彼を目の前にして、クラーレは意外なほどに気負いがなく見えた。私などは既に緊張のあまり喉が渇いて仕方ないのだが……。強者の風格とでも言うべき、クラーレのそれ。彼女もまた、幹部に数えられた改造人間であるのだと私は再度認識を改める。


「デビルマスク。君としては、ミライがこんなにも早く僕を連れて、あまつさえこのような地まで追いかけてくるとは予想もしてなかったかい? だとしたら、想定が甘いんじゃないのかな。それとも……実は追いかけてきて欲しかったのかな」


……いや。クラーレとて、何も感じていないわけではないようだ。彼女とは今日会ったばかりだが……殊更強く挑発するその言葉には、相手の動揺を誘う意図があり。搦め手を厭わない、相手への警戒があった。


「そんなに睨まないでおくれよ。僕としては、そんなつもりもなかったんだ。ミライがどうしてもって言うものだからさ」


マスクを被っている以上、彼の表情は窺い知れないが、剽げた態度のクラーレに苛立ちを覚えているふうに私は感じた。私は嘴を挟む。


「光司郎。みどりはひとまず無事です。貴方には、彼女に謝って貰います。それから毒婦、もといクラーレの薬を飲んで貰います」

「……勝手なことを言うな」

「勝手なのはそっちです。勝手に自分の最後の薬を分け与えて。礼さえ言わせず。勝手に野垂れ死のうとしている。一度やられてみれば如何です。感謝よりも先に困惑ですよ」


自ずと語気が荒くなった。ただ、それを受け取る彼はあくまで冷淡だった。冷淡に切り捨てる。


「お前が責任を感じる必要はない」

「責任じゃないです。気に食わないと言っています」


私が彼に啖呵を切るなどと、ちょっと前の私であれば考えられなかったことだろう。マスクの向こう、彼が面食らったような気がした。


「……何故、そこまで必死になる」


心なしか、困惑を滲ませて彼は尋ねた。


「お前は、俺とは何の関わりもない。ただ俺の家に居着いていただけの女だろう」

「はい。ただの居候です。でも、だって、居候ですよ。同じ釜の飯を食べて。そんな相手が自死する。そんなの、夢見が悪いでしょう」

「だとしても、割り切って貰うより他にない。俺は、もう……過去の遺物だ。この墓場で朽ちていくべき存在だ」

「そんなことない。そんなこと」


私は自然と一歩踏み出し、喉を震わせた。


「みどりも、正蔵も仁も有華も、クラーレも、生きてる。今を生きているんです」


皆がそれぞれ、過去を抱えながら。それでも。


「それに私だって。それなら、光司郎だって」


 過去への拘りなら、私にだってある。一人寂しくも、それなりにいい暮らしを出来ていた頃。ふつうの人間の男として生きて死んでいくことを疑いもしなかった頃。永遠に失われた日々。でも、今はそれでも生きている。私と彼の境涯を比べるのは筋違いかもしれないが。言わずにはいられなかった。しかし。


「だが、俺は、そちら側へは行けない」


声を低くして、彼は断ち切った。


「……どうして」

「そのつもりがない」


わかってくれない。


 言葉の失せた空間。相も変わらず絶え間ない雨音と、穴の底に反響して唸る風音。それを破ったのは、クラーレの声であった。


「ミライ」


私の肩へ触手を絡ませつつ、彼女は述べた。


「こうなることは、半ば予想できたことだろう。主張の衝突。意地と意地のぶつかり合い。互いに引く気がないのなら、後は力で決まる。そうだろう? デビルマスク」

「……その通りだ」


 短く答える。彼の周囲は、よく見れば霧に包まれているようであった。目を凝らせば、彼の体表に舞い落ちた雨が、その肌に触れるなり蒸発して水蒸気と化している。


「感情が昂ぶったかい? 体温維持が出来なくなっているね。それで意識を保っていられるだけで驚嘆に値するけれど……」


彼は仁王立ちで、私たちをただ見据える。その偉容に、およそ翳りは認められない。


「僕の見立てでは、君の体はおよそ十二時間以内に恒常性を保てなくなり死に至る。また、改造人間としての力を振るえば振るうだけ、猶予は加速度的に短くなる。これを長いとみるか短いとみるかは、君とミライ次第だが」


先程穴底へ飛び降りた際と同じく、私の体は再び触手に確保された。またも背上の荷物となる。


「少なくとも、簡単に逃げ切りできるほど短くはない。つまり、デビルマスク、君は僕たちを相手取って、無力化するなりして、それから死に逃げしないといけないわけだ」


クラーレの首に腕を回す。過日の、デビルマスクの首と比して、細い首であった。


「……僕とて、狂っている自覚はあるよ。そして、己が狂気と連れ添い生きていく覚悟がある。君にそれを強制することはしないが」


白衣の襟首からも、触手が伸びて纏わり付く。好ましい感触ではないが、私をしっかりと捕まえていてくれる。


「僕らの存在は規矩準縄を超えている。尋常な物差しでは計れやしないのは確かだよ。僕らの罪は……きっとこれからの未来が教えてくれるだろうさ。平たく言えば、なるようになる、かな」


未来。その言葉を聞いたとき、変化するはずのない、かの頭蓋の表情が歪んだ気がした。


「……もう、いい」


はっきりとした拒絶の言葉。クラーレは肩をすくめてみせた。


「こうなってしまっては仕方がない」


彼がそう呟いた。奇しくも、私も全く同じ言葉を考えていた。


 彼が腰を低く落とす。足を開き、膝をいくらか曲げて、爪先に体重を集中させる。両の拳を握って、胸の前で構えた。彼は、特別な能力を持たされていない改造人間。だが、その強靱な肉体は、きっとどんな刃物よりも鋭利だ。格闘が彼の戦いの構え。


 比して、クラーレは悠然と立ち尽くす。彼女の運動性は、通常の人体構造に拠らない。触手は変幻自在な筋肉の塊だ。たとえ棒立ちからでも、全力の運動性を発揮できる。幾本もの触手と化した四肢が異様に伸長し、接地面を増やすため、腕までもが地面に着き、根を張るように大地を掴む。


 私も彼も。全く同じ言葉を思い浮かべているのに。どうして戦わなくてはならないのだろう。

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