7 不結果か②
二話同時投稿となっていますのでご注意ください
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状況から鑑みるに、光司郎はデビルマスクへと変身して、ベランダから外へ逃走を図った。それはつまり、車では到底追いつけない。
私は白衣の背中に掴まり、方向を指示する。クラーレは指示に従いビル伝いに飛び回る。眼下に広がるはコンクリートジャングル。その底には色取り取り、丸い花が咲いている。傘の花畑だ。傘の向こう側、遙か上空を跳ぶ私たちを眼に捉える者はそう多くないだろうし、よしんば捉える者があっても、その光景を見間違いと思わない者もまずいないに違いない。
高所には強い風が吹きすさび、そしてその強風を裂いてクラーレは邁進する。
「コードネーム『ミライ』。改造人間六十八号。知性ある動物に遍く備わる、脳内情報の統合的処理の発露たる『直感』。脳機能を強化し、未来予測を目的として造られた超能力者」
「……」
すでにクラーレの両脚は触手へと変化を果たしており、ヒトの人体構造では絶対に行使し得ない脚力を生み出していた。
「やろうと思えば、未来予測だってわけないだろう。未来を手中に収めることとて可能だろう。『ミライ』とは、そういう名だ」
「……」
内容の大言壮語ぶりに反して、なにごころなくクラーレは述べる。その言葉の嘘偽りのない雰囲気。
「たとえば。上手く事を運べばアンキ君が昏倒することもなかったかもしれないし、診療所の駐車場だってボロボロにならずに済んだかもしれないね」
「……」
そうだ。更に言えば、あの三人の手を借りる必要さえなかったかもしれない。イーちゃんとは荒事に発展させずに関係を構築出来たかもしれない。
「カイメンシータ……みどり君だったか。彼女とて、デビルマスクの手にかからずにいられたかもしれない」
その通りだ。こんな結果になると分かっていれば、みどりに看病をお願いなどしなかっただろう。
「そしてなにより……」
クラーレは言葉を切ったが、私は理解した。まさしくそう。私の見通しの甘さが招いた事態。……いや、見通しの甘さというのは、正しくないか。これは、私の願望が招いた歪み。
「コードネーム『ミライ』。僕が何を言いたいのか、わかるかな。君が名前の通りの改造人間なら、わかるだろうね」
ああ。迂愚で蒙昧で、能力の使いこなせない私でも、こうまで言われればわかる。責めているのだ。問うているのだ。私がしっかりしていれば、デビルマスクが逃げ出すなどという事態が起きなくてよかったのだと。そして、何故そのような事態が起きたのかと。
私は、己の内に潜んでいた答えを、自分でひとつひとつ確かめるように拾い上げて言葉にした。
「……私は、光司郎が。彼が、死を願っているのを、本当は知ってた。助けようとすれば、無理矢理にでも逃げ出すまでに、心が追い詰められているのを、知ってた。知っていた上で……信じたくなかった」
私に最後の薬を飲ませたのも。遺書染みたメッセージをスマホに残しておいたのも。大学やバイト先で友人を作らないのも。食生活に無頓着なのも。部屋に娯楽の類いが一切ない虚無的な空間なのも。いずれ光司郎という依り処を失うであろう私が、みどりと縁繋ぐよう仕向けたのも。私であれば人捜しには困らないと、ひいては毒婦に辿り着けると言って微笑んだのも。自身の死を常に傍らに置いて見つめていたから。
私の知る彼の人生は、罪滅ぼしそのものだ。彼の背負う重い重い十字架は察せられる。多くの改造人間を斃してきた。それらは改造されていたにしろ、洗脳されていたにしろ、もとは人間であった。彼は洗脳されることなく結社を脱出し、正気のまま改造人間と戦った。
自由意志を奪われていたみどり。彼女は、己の意思でない己が行いに後悔を重ね苛まれていた。況んや、光司郎は。
私は、彼の行為を蔑むつもりは毛頭ない。彼がいなければ、いずれは大いなる災禍がもたらされたのは間違いない。その行為に、尊いとすら思う。だが、それは所詮外野の意見に過ぎない。直接人の殺めたことのない、部外者の甘ったれた考えでしかない。彼は彼の行為を、彼自身で蔑み果てている。
過ぎたことだと。過去を憂うより今日を生きた方がマシだと。そう私のように呑気に考えるには、光司郎の背中にのしかかる罪の意識は重すぎた。そしてそれは、自分自身の死によってようやく贖われると。贖われるべきだと。彼はそう考えているのだ。
「そして私は、そんな彼の思いを信じたくなくて……何度も機会があったはずなのに、気付かない振りをした」
「……そうか、そうか。デビルマスクはそんなことになっていたか」
私の話を聞き届けたクラーレ。その表情は、彼女に背負われている身では窺い知れない。
「僕は、そのままでは洗脳されゆくだろう彼が、逃走の叶うよう手筈を整えたけれど……その理由を言ってなかったね」
突如話を飛躍させるクラーレ。だが、意味のない話ではあるまい。
「一つに、僕の頭脳が結社に於いて危険視され始めたため。あの頃は、鬱陶しくてなかったよ。何度か殺されかけたしね。二つに、彼の性能実験のため。彼のポテンシャルであれば、うざったい幹部連中さえ消してくれるものと私は疑ってなかったし、それを証明してみせて欲しかった。まあ、まさかそのまま頭領までやってしまうとは、さしもの僕も予想してなかったけど」
殺伐とした内部事情を、世間話のようにひけらかす。
「そして、これら目的を達するためには、前提条件がある。彼が結社と敵対してくれるという前提さ。予め調査した彼の性格であれば、逃げ出した後、そのまま姿を眩ますことは無いと僕は踏んでね」
……つまりは、クラーレが、光司郎を利用した。クラーレが光司郎を修羅の道へ堕とした。そのことに憤りを覚えなくもないが、しかし、彼女とて、思惑はどうあれ光司郎を助けたのは事実でもあって。理性では分かってはいる。が、私の感情はわだかまりを隠せない。
「だが……結果として僕の望む以上の成果をもたらしてくれたデビルマスクだけれども……人の心というものは、いつだって僕の想定通りにはいってくれないね」
はっきり、寂寥が声色に滲んだ。或いは無力感か。わだかまりが驚きへと転化する。……当然なのだが、クラーレも、人らしい一面を持っていると、その時はじめて私は実感を得た。
「これは、君にも通じる話だよ。ミライ」
「……え?」
けれども、人らしさを滲ませたのは一瞬であった。すぐにもとの調子に戻り、彼女は私へ投げかけた。
「……改造人間『ミライ』の製造計画は、結果として失敗に終わったと評価された。何故かな」
それは……。今の私ならなんとなく分かる。
「人は、数多ある情報のうち、全てを正しく受け取れるとは限らない」
「ふふ、正解だ。より正確に言い表すなら、ミライ、君の脳はその五感で感じうる巨細全て、無意識の領域へ及ぶ全ての情報を統合し、『直感』として正しい結論を導き出すのだけれど。その正しい結論でさえも、受け取るのは人間であるミライ、君だというわけさ」
ああ。そうだ。私が光司郎の苦悩を感じ取りつつも、見ないよう触れないようにしていたのがいい例だ。受取手によって意味さえも歪んでしまう。つまりは思考バイアス。
「人は人であるが故に思考を発達させ、ついには『直感』さえも我が物としたけれども、人であるが故に思考の介在無しには物事を評価できない。自家撞着だね。人は直感だけに従う動物ではないし、計算機でもない。仮にそうであったというifならば、『ミライ』は正しく運用され、ひいては結社が崩壊の憂き目に遭うこともなかっただろう。……ま、蓋を開ければ簡単だけど、僕含む研究者連中は、実際に君を造ってみるまで、そんな心の動きさえ解っちゃいなかったんだよ」
それは嘲り。クラーレは自らを嗤ってみせた。……もしかしたら、だが。彼女は彼女なりに、自らも携わり、自らが引き金となって覆った昔のあれこれ、その行い。それらに対して感じ入るものがあるのかもしれない。
「けれども……逆に言えば、君の能力には、まだ発揮される余地がある。君さえうまくやれば。私の想定を上回ってみせたデビルマスクのように」
私が、デビルマスクのように? クラーレの言葉に、私はいまいち現実味を感じられなかった。元々が直感という形のない代物だ。……私の困惑を余所に、クラーレは続ける。
「さて。発破を掛けたところで、今一度聞こうか。……狂気にも、己の死に向かって活動限界を超えて動き続けるデビルマスクに、未だ成長余地を残す君と、そして本来戦闘向きでない僕が一緒になって戦って。敵うと思うかい?」
戦う。デビルマスクと。死を望む彼は、みどりさえ攻撃してみせた。私たちが同じくならないとは到底思わない。それはわかる。しかして、勝算は……。
「……やってみなければ、わかりません」
「およそ君らしくない台詞だね。本来なら、そんな危ない橋を渡るなんてあり得ない話なんだが……」
それは、困る。ここに来て、彼女の協力を失ったら、もうどうしようもなくなる。けれども、クラーレが足を止めることはなかった。
「業腹だが、僕も平和呆けしたと言ったところかな」
気付けば、高いビル伝いに跳んでいた私たちにも、地上が近くなっていた。都心を離れ、建物の背は低くなり、人影が少なくなり、緑が増えてきた。
「さ、長話は終わりだ。もう道案内しなくても構わないよ。どうやら僕も、デビルマスクの向かった先を理解したらしい」
申し出に、私は素直に従った。彼女の言葉には確信の色があった。
「ところで、話は変わって、これは純然たる興味本位から聞くんだけど……君は、光司郎と共に暮らしているのかい」
先程、彼の部屋には二つ布団があったよね。君みたいな小さい女の子の着るような服が洗濯物に出されていたし。そう根拠を挙げてみせるクラーレに、私は渋々頷く。
「え、ええ、まあ」
歯切れの悪い返事になってしまったのは、この後の展開を予期していたから。最近、こういう話題が多いから、もう経験で分かってしまう。
「……君、本名は咲花肇、だよね。男、だよね。僕の記憶違いでなければ」
「……そうですが」
「ふふ、ふふふ。中々興味深いね」
「なにがですか?」
なにがとは言いつつも、クラーレがなにに面白がっているかは分かる。分かるが、分かるわけにはいかない。
「人の心は体の影響を排除できない。人格形成はいつだって外部に因るものだ。移ろいやすく、並一通りではない。女の子になって女の子として扱われる君は、どういう気持ちでいるのか、何を思って彼のために奔走しているのかなあー、と思ってね」
言い方が恣意的じゃないかと私は思った。真面目に答える気持ちも起きず黙っていると、クラーレは朗々語り始める。
「いやさ。性別を超越するということはさ。神話にだって物語にだって、古来から枚挙に暇がない。空を飛ぶのと同じく、人類の夢だと思うんだよね。僕は浪漫を解するタイプの科学者なのさ」
「人類だ科学者だなんて偉そうにしますけど、浪漫ってつまりは趣味人では」
「む。そうだね。否定はしない。明け透けに言ってしまえば趣味だよ。ちなみにこういう趣味のジャンルを、国内ではトランスセクシュアル、海外ではトランスジェンダーと呼んだりする」
「き、聞いてませんよそんなことは」
ジャンル名とか、知らないよそんなの。随分お詳しいというか、筋金入りじゃないか、その口ぶり。
「うふふ。君は僕のお気に入りと言ったろう」
「そういう意味だったんですか!? 能力とか云々じゃなく、私の性別が面白おかしいから!?」
「ちょっとお姉さんに聞かせてみてよ、光司郎くんとのあれこれをさ」
「今話すことじゃなくないですか、そんなの!?」
「疑問があったらそのままにはしておけないのが良い研究者という格言が、僕らの界隈にはあってね」
「いい心がけじゃないですか! 真っ当な場面で心がけてあげてくださいよ!」
「言ってくれないと直接繋いで聞いちゃうよ」
「何を!?」
「もう。耳元で叫ばないでおくれよ。あと、舌噛むよ」
「気遣いでしたら別の所に回すべきじゃないですか……?」