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17/22

7 不結果か①

二話同時投稿となっていますのでご注意ください

1/2

 軽自動車の助手席にて、私は身を縮こまらせていた。車が急げば急いだ分だけ、割れた窓ガラスから通り抜けていく、雨露混じりの冷たい風が私を撫ぜて体温を奪っていく。


 クラーレの車内は雑然としていた。助手席のグローブボックスには、櫛とか爪切りとか毛抜きだとかがごちゃごちゃと詰め込まれている。後部座席には、中身の詰まったゴミ袋が幾つも乗車していて、通勤途中にゴミ出ししようと積まれたはいいものの、そのまま忘れられてしまっている雰囲気を醸し出している。

 ちなみに、暖房は点いていない。クラーレは今も長袖白衣を着ているし、運転席側の窓ガラスは無事だし、寒さを感じていないようだ。そして、彼女は助手席で震える私を慮って暖房を点ける質ではない。

 車内の時計を確認する。お昼のおやつ時。今は何か腹に入れる気も起きないが。午後の診療時間はまだ残っていたが、クラーレは危篤だの何だの嘘を残し診療所を抜け出し、現在私と同じ車上の人となっているのであった。


「連れ出した私が言うことではないかも知れませんが……空けてきて良かったんですか? 診療所」

「問題ないよ。あそこの先生は耳が遠くて舌の回りも遅くて、会話にさえ難儀するよぼよぼの爺だけど、僕が来る半年前まではちゃんと一人で切り盛りしていたんだから」

「そ、そうですか」


仕事の愚痴が若干漏れ出たみたいだが、生憎愛想笑いしか出来ない。


「というか、貴女ともあろう人が、一診療所で看護婦をやっているというのがまだ信じられないんですが」

「そうかい? 結構似合っていると思っていたんだけどな」

「いえ、そういう意味ではなく……」


似合っているかいないかで言ったら、とても白衣が似合っていた。


 法定速度をおよそ三十キロオーバーで、山道を駆け抜ける自動車。カーナビが光司郎の住むマンションまで案内してくれるので、ミライちゃん直感ナビは要らない。この辺りの田舎道は車通りもほとんどなく独走状態で、僅かずつ田舎から都会の風景へと流れていく。


「……三人とも、残してきて大丈夫でしょうか」

「エレファッツたちのことかい? 問題ないよ。イーちゃんにはよく言って聞かせておいたし」


 三人と一匹は、診療所に残ってお片付け中だ。正蔵はクラーレと二人きりになる私を心配して付き添いを申し出てくれたが、自分で駐車場を滅茶苦茶にした手前、クラーレに強くは出られないようだった。ドタバタしてて言いそびれたが、三人には後でちゃんとお礼を言っておかなければなるまい。


「その、イーちゃん、さん? は……彼も、結社の技術に関連した生き物なんですか」

「その通りだね。君の先輩でもあるよ」

「え?」

「君は、培養した少女のクローン体に男の記憶を移植した生き物だろう? それに先立つ動物実験の結果が彼さ。コードネームではないけれど。識別記号はE。だからイーちゃん」


今は僕のペットだけど、僕を主人と仰ぐのはまあいいとして、今日のように無駄に知恵が働くから困りものさ。クラーレはそう付け加えた。私はしみじみ述べる。


「……改めて考えてみると、とんでもないですね。結社の技術というものは」

「今更だね」


たしかに。返す言葉もない。


「……そういえば、私の聞いた話では、クラーレさんの髪は茶色ではなかったとのことだったんですが」

「うん? ああ、これ。染めているだけだよ。悪目立ちするだろう」

ああ、なるほど。言われてみればそうである。地毛が白なのかな。

「と、ところで……。デビルマスクを助けて頂けるのは本当に感謝しますが。報酬は、本当に彼の身体を診るだけでいいんですか?」

「くどいね。君は、彼の身体にどれほどの価値があるか理解できないから、そういう言葉が出るのだろうけど」

「す、すみません」


言い咎められて、素直に謝っておく。元より私程度の理解など求めていなかったのか、それ以上は咎める言葉も許す言葉もなかった。


「雨、続きますね」

「そうだね」

「ラジオ、点けますか?」

「耳障りだから点けないようにしているよ」


すみません、とまた謝って俯く。




 ……会話が途切れる。静かな車内。雨音、風切り音、エンジン音、時折カーナビの音声。それらが、私のうちに沈む、なにかひりつくような重たいそれを刺激する気がした。


「……心掛かりがあるのかい?」


私は思わず顔を上げてクラーレの方を向く。表情のない貌で、フロントガラスの向こうだけを見ている。


「ひっきりなしに話しかけられても鬱陶しいよ。だが、そうせざるを得ないのだろう?」


はじめて彼女の側から発された言葉は、実のところ正鵠を得ていた。


「僕と二人、沈黙の空間で過ごすことが恐ろしいのかとも思っていたけど、どうにも違うようだ。……当ててみせようか。君の直感が、何か別種の不安を感じ取っている」

「そ、そんなことは」


否定しようとして……出来なかった。言われて気付いたから。私は、何かに駆られるようにして、何かを誤魔化すようにして、会話を絶やさないように努めていたのだ。


 でも……ちゃんとこうして、クラーレの協力さえ取り付けて、もうじきマンションに着くというのに。たとえば容態の急変を知らせる連絡なんかもみどりからは届いていないのに。何を不安なことがあるのだろう。


「何か、見過ごしていることがある……?」


私が自分に問い掛ければ、隣から、どうだかね、と投げ遣りな返事が聞こえた。




 裏通りに路駐して、合い鍵を使ってマンション入り口の自動ドアを開け、エレベーターにて私たちの部屋の階を押し、身体に係るGを数秒間受け止め、雨に濡れた外廊下を早歩きで進み、再び合い鍵を使い鉄の扉を開け、目的地へと辿り着く。

 不思議と、会話はなかった。後から思えば、私は焦りを覚えていて、クラーレは警戒を強めていたのかも知れない。


 光司郎宅に着く頃には、分厚い雲のせいもあって、街は薄暗くなっていた。屋内はもっとだ。みどりが待っているはずの部屋の電気は、点いていなかった。

 逸る気持ちを抑え、靴を脱ぐ。短い玄関を抜けて、居間へのドアを開ける。部屋は、吹き曝しのように風が吹いていた。外のように寒い。そして、そこに、そこに、人影が、みどりが。横ばいになって倒れている。


「みどり……?」


駆け寄る。駆け寄り、その惨状が鮮明に目に入った。両の足が、膝から下が、なくなっている。血の気の失せた顔。私は聞き漏らすまいと耳を澄ませ、その呼吸を確認した。すう、すうと。よかった。生きている。生きてはいるが。


「きゅ、救急車を」

「落ち着きたまえよ」


 背後からの、意識の外からの声。誰かと思えば、当たり前だがクラーレだった。みどりがこんなになっているのに落ち着いていられるかという憤りと、その平坦な声色が今は却って私に落ち着きを伝播させるようで心地いいという、相反する感情が渦巻く。


「気絶しているだけのようだ」


屈み込んだクラーレはみどりの全身を一通り見改めると、そんなことをのたまった。


「で、でも、足が」

「血は出ていないだろう。千切れた際に、身体を操作して主要な血管は塞いだのだろうね。おい、おうい。起きなさい」


ぺちぺちと、気絶しているみどりの頬を叩く。呆気にとられている私を余所に、みどりが呻く。


「ん、ぅ」

「っ、みどり。起きてください、みどり」


みどりの反応するのを見て、私は呼びかけた。やがて、僅かずつ瞼が開かれる。薄く開いた目で、天井をぼんやり見上げていたみどりだが、ややあって私の姿を捉えた。


「あ……ミライちゃん」


その目線には力がなく、憔悴していた。


「……ごめんね、ミライちゃん」


小さくぼんやりと、みどりは謝った。


「な、なんで謝るんです」

「光司郎、くん、止められなかった」


光司郎。そう。光司郎。その姿がなかった。部屋の何処にも。彼が寝ていたはずの布団は中身をぶちまけて散らばり、部屋の中央に鎮座しているはずのローテーブルは叩き割られ四散し、ベランダへ繋がるガラス扉は無残に大穴が開いていた。血に飢えた猛獣が放されたかのような、そうでなければ災害に見舞われたかのような、そんな痕。破壊の跡。


「な、なんで」


彼が、こんなことを。


「なんで、ではないだろう、ミライ」


クラーレが怜悧に投げかけた。私は思考が止まり。みどりが続ける。


「光司郎くんは、一度、お昼に目を覚ましたの。あたし、ご飯を食べさせようとしたけど、食べてくれなくて」


ゆっくりと、弱々しく紡がれる。


「ミライはどこだって聞くから、毒婦に会いに行ったって言ったら……急に変身して、止めようとしたんだけど」


みどりはそこで言葉を切って、しばらくのちに、ごめんねと再び謝った。


 私は応答することが出来ず、代わりにクラーレが、わかったわかった、と返答した。


「ミライ、呆けてないで、追うよ」

「……え」

「何を意外そうな顔をしているんだい。デビルマスクを、いや、光司郎君を助けたいんだろう、君は。そのつもりで、僕の診療所くんだりまで、わざわざやってきたんだろう」


それは、そうだけど、だが、でも。この状態のみどりを置いて? 私のせいで、傷ついたみどりを置いて?

 影を縫われたかのように動けない私を一瞥して、クラーレは珍しくも表情をはっきりと歪め、眉を顰めて舌打ちした。


「君は僕のお気に入りではあるけれどね。でも、愚図は嫌いだよ。そして、僕に手間掛けさす愚図。これはもはや好悪の問題ではない、罪だね」


 クラーレが左手を己の胸の前にかざした。そして、変わる。左腕が、変質する。表面に光沢が生まれたかと思うと、それは肌を覆う粘液となった。五本の指が軟体生物のように蠢きはじめ、骨と関節を失う。赤みが強くなり、肌の色から血肉の色へ。それは、触手だ。触手へと化けた五本の指は、それぞれが絡み合い、縒り合わさり、一本となった。これが、毒婦の変身。


 目の前の光景を呆然と眺めていると、クラーレはやがて触手をみどりへと伸ばす。ひ、と、みどりの短い悲鳴。


「動くんじゃあない。これは毒だけど、毒なんかじゃないさ。口に苦いのは確かだけどね」


間もなく触手はみどりのすぐ目の前へ到達し、しかし止まることを知らず、なんとそのまま口腔内へと進み始めたではないか。


「んむ! ンンンー!」


くぐもった悲鳴。彼女の喉は、嚥下を小刻みに繰り返すかの如くぼこぼこ波打つ。触手が、食道へ、その奥へと侵入しているのだ。嘔吐くことさえも叶わず、みどりの目に涙が零れた。それは時間にして十秒程度の出来事だったが、みどりの意識を再び暗闇の底に誘うには充分な時間であった。


「これでよし、と」


ずるりずるり、まだずるりと、長い長い触手がみどりの中から引っ張り上げられる。白目を剥いたみどり。行為の跡、だらしなく開かれた口の周りには、光沢放つ粘液がたっぷりと塗れていた。外部から見たみどりの胃の辺りが、ちょっとばかりぽっこりとしているような、していないような。


 我に返る。


「な、何してるんですか貴女!」

「なにって、もちろん治療行為だよ。僕の精製したお薬。高栄養剤、抗菌剤、抗ウイルス剤、安定剤、鎮痛剤その他諸々を、改造人間の体に合わせて混ぜた。それを飲ませてあげただけ」


クラーレが白衣の裾で左の触手を拭う。その動作を二度三度繰り返せば、すでに彼女の触手は左腕へと戻っていた。


「そ、それって」

「カイメンシータなら、体力が戻りさえすれば自力で足を生やすことも可能だろう。……これ以上僕を煩わせないでくれたまえ。君がいなければ、デビルマスクの行方は追えないのだから」


うんざりした様子で、気怠げにそう告げた。私は、彼女の言葉をようやく理解し、そして頭を下げた。


「……すみません。ありがとう」


あと、ごめんなさい。白目を剥いたままのみどりへ、心の中で五体投地して謝った。

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