6 居候少女ミライの長い一日②
二話同時投稿となっていますのでご注意ください
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コードネーム『毒婦』。結社人材開発課課長。名の通り、ありとあらゆる毒を操ると言われる女。本名不詳。生体兵器である改造人間の開発、調整に多大なる寄与をした。そして、彼女自身も改造人間。
容貌は、一言で言うと白。常に白衣を身に纏い、陽の光を浴びたことのないような不健康なまでに白い肌、そして緩やかな白い髪を靡かせていたという。眼鏡の奥の理知を湛えた瞳は、何もかもを丸裸にされるようで、相対する者に不快感さえ呼び起こす。
年の頃は二十台半ばほど。課の長としては異様に若いが、結社に年功序列はなく、実力が全てであった。この場合の実力というのは、結社への貢献度とも取れるし、改造人間としての強度とも取れる。いずれにせよ、只人ではあるまい。
そして何よりも。毒婦は、洗脳処理されていない改造人間であったらしい。無論、監禁されて無理矢理働かされていたわけでもない。それはすなわち、己の意思で結社に属し、結社の益に沿う活動をしていた。有り体に言えば、真っ当な人格ではないと、そういうことになる。
みどりはこうも言っていた。
「あたしが直接会う機会はほとんどなかったけど……。漫画やアニメに出てくる、マッドサイエンティスト的な? そういう感じだった」
毒婦の位置は、おおよそ掴み取れる。こう、毒婦っぽい雰囲気が向こうからするなあ、とか、狂乱科学者っぽい気配があっちの方から漂ってるなあ、とか。……言葉にすると馬鹿みたいだが、本当の話だ。みどりに聞いた毒婦のパーソナリティーが、その感覚を私に与えてくれていた。
直感を言語化するのは困難を極めるのだが、敢えて試みるとするのなら、辞書を開くとき、あらかじめ目当ての頁にクセがついてて開きやすくなっている感じ? ……ううん。やっぱり私の語彙力には荷が勝ちすぎたようだ。
電車に揺られている。彼我の位置関係は、電車での移動が現実的な距離。ここより西へ。区内ではなかろうが、富士以東であろう。今でこそ正確ではないが、近づけば近づいただけ、地図の縮尺が大きくなるように鮮明に位置が見えてくるはずだ。
早朝の車内。人の数は疎らだが、間もなく増えていくことだろう。時折すれ違う、都心へと向かっていく電車の車内には、すでに立ちんぼになっている乗車客の姿も窺えた。
乗り換えのために一旦降車する。駅のホームで、焦燥に苛まれつつ立ち尽くす。視界の端に、売店に並んでいる出勤途中の大人たちが映る。そういえば、今日は何も食べてない。何か腹に入れる物を買おうかとも考えたが、そんな気分でもないのでやめた。
「……ん?」
懐に入れた光司郎のスマホが鳴る予感がした。この感じは……。
「おはようございます、正蔵さん。早朝からすみません」
『え、あ、うん、おはよう……? ミライくん』
機先を制した私の電話対応に、正蔵の困惑を受話器越しに感じた。
「メッセージを見てくれたものと存じますが……」
『あ、そうそう。見たよ、うん』
情報は、いくらあってもありすぎるということはない。みどりだけでなく、正蔵たち三人にも毒婦について聴取しておきたかったので、先程メッセージを送っておいたのだ。それも火急の用件として。ただ、光司郎や私の調整云々の事情はさすがに秘めてある。
『……ミライくんは、会いに行くのかい?』
「ええ、まあ」
さすがに、その程度の内情はお見通しらしい。私は燻る不安を圧して肯定した。
『うーん。正直、おじさんは感心しないな。それも、今ミライくんは一人なんだろう?』
「大丈夫ですよ。私の能力はご存じの筈です。悪いことにはなりません」
『でもね……君は知らないかもしれないけど、彼女は危険だと思うよ』
「承知の上です。それよりも、毒婦について知っていることがあって掛けてきてくれたのではないのですか」
『ああ、そうだったね』
私が捲し立てるように言えば、やはり人の良い性格のようだ、正蔵はぽつりぽつりと語り始めた。ただ、残念ながら、それらはみどりに聞いたものと重複する情報がほとんどであった。
『毒婦はきっと、甘いものが好物』
正蔵はスマホの通話をスピーカーフォンにしているようで、時折有華が会話に混ざってきていた。おそらくだが、仁もそこにいるのだろう。彼の声はまるで聞こえてこないが……加わってこないのは性格かな。
「甘いもの、ですか?」
『そう。あいつの行動圏内には、お菓子の食べかすとか、たくさん落ちてた』
「な、なるほど」
甘いもの。甘いものか。素人考えだが、脳の働きをよくするために糖分が必要なのだろうか。
『おいしかった』
「な、なるほど」
そういえば蟻でしたね、貴女。電話口で、拾い食いしちゃいけないよと諭す声が聞こえた。
聞き取りを続けるうち、構内に軽快なメロディが響く。電車が来たようだ。三人の知る毒婦について、めぼしい情報は粗方聞き終えただろう。気をつけてねと何度も念を押す正蔵らにお礼を言って通話を切った。
快速列車に揺られる。窓の外を眺める余裕はなかった。目を閉じて、これから起こるだろう顛末について思い巡らす。
勝算は、なくはないと思う。何を以て勝利とするかといえば、それは私と毒婦とが縁を繋ぎ、光司郎の薬を提供して貰うことだ。それも、可及的速やかに。光司郎は、おそらくあまり長くは保つまい。一日か、二日か……。
協力を取り付けるにも、私には差し出せるものが少ない。まず思いつくのは金だが、路上でちまちま稼いだ端金程度では難しいだろう。また、アドバイスに従い、甘味も買っていくつもりだが、それだけで懐柔されてくれるわけもない。
現実的なのは……身売りだ。私の能力は有用だ。毒婦にとっても、おそらくその蓋然性はある。彼女の下に付けば、恩恵には与れることだろう。
無論、上手くいかない可能性、最悪の場合の死の可能性についても、考えないわけではない。だがそれは、ここで毒婦との邂逅を避けた場合とて同じことだ。遅いか早いかの違いでしかない。
座席シートに身を預け、瞑目して腕を組み、心を落ち着ける。奇しくもみどりを偵察しに向かう際の光司郎のようだ。あのときの彼の心中は、戦場に向かうかの如き心持ちであった。私は組んだ腕、手の震えを押さえつけるように二の腕をぎゅっと握った。
停車のアナウンス。まだ目的地ではないが……ふと顔を上げる。そして、なんでだ、と思った。
「い、いた。おは、おはよう、ミライちゃん」
「やあ、なんとか、間に合ったねえ。やってみるもんだ、ねえ」
「どうも。さっきぶり」
軽く息を切らせてどたどた車内に乗り込んできたのは。正蔵たち三人組であった。物思いに耽っていたからか、これは予測していなかった。私が呆気にとられていると、正蔵が額の汗を拭いつつ述べた。
「仁くんは電車に詳しくってね。幸いにも近くだったから、走って来ちゃったよ」
いや、汗だけではなかった。全身湿っているみたいだが、とくに前面と踝のあたりがしとどに濡れている。傘も差さず走ってきたに違いない。
「あ、アナウンスが聞こえれば、何線か、いつ何処で停車するのかなんて、火を見るより明らかすよ」
謙遜しつつも、満更ではない様子で頬を掻く仁。軽く言ってのけるが、きっと特殊技能に値する特技だと思う。私はその一芸に感心を覚え、そして全く凄いと思っていないふうに有華が言い捨てた。
「仁は時刻表で興奮するの」
「しっ、しな! ……しないす、よ?」
そこは言い切れよ。と、言いたかったけど、代わりに尋ねる。
「あ、あの。なんで……なんでここまで?」
何故そこまで世話を焼いてくれるのか。私は聞かずにはいられなかった。
「困ったときはお互い様だよ。とくにミライくんはまだ小さいんだから」
こうも都合の良い申し出は、逆に裏がありそうと思ってしまうのだが。しかしながら私の直感は、彼の言葉には善意しか含まれていないと、はっきり感じ取ってしまった。
「……ありがとうございます」
私は、頭を下げるより他になかった。
「……ちなみに、皆さん、お仕事とかは?」
「風邪ってことで。大丈夫、おじさん、普段の勤務態度はいいから」
「有華は、自営業なので問題なし」
「ぼ、ぼくも同じく」
「問題ないのが、問題」
「……」
俯いてしまった仁。私もつられて心が痛くなる。穀潰しはつらいよな。分かるよ。
程なくして終点に到着する。これより先は歩きでの移動となる。徒歩にて辿り着ける距離であると、そう私は知覚している。
「ここまでして頂いた皆さんには、お伝えしておきたいのですが」
駅構内の売店で、四人して甘味を見繕う。私の常識がちゃんとした菓子折を持っていくことを推奨しているのだが、直感の方はブドウ糖ブロックを買って行けと囁いている。
「私が毒婦に会いに行く理由は、彼女の造る薬が欲しいからです」
「く、薬?」
「はい。私と、もう一人。最終工程まで処理されなかった改造人間がいます。その薬がないと、長生きできません」
神妙な面持ちをして、試食コーナーで団子を摘まんでいた正蔵が聞き返す。
「……そうだったんだね。そのもう一人について、聞いてもいいのかな」
「はい。私は昨日、お世話になっている人物がいると申し上げましたが……その彼がそうです。きっと皆さん、聞き覚えある名かと思います。結社でのコードネームは……デビルマスク」
告げれば、三人は一斉に私を凝視してみせた。
「えぇ!?」
「ま、まじすか」
「わお」
驚くのも無理はない。改造人間にとって、彼はそういう存在だ。
「彼は今、死にかけていますが。何卒ご協力のほど、お願いいたします」
念押しするようにお願いする。多分に困惑を見せながらも、正蔵は頷いてくれた。
「う、うん……乗りかかった船だしね、うん」
「……生きてたのね、彼」
しみじみと呟く有華。その隣で、何やら俯いて肩をわなわな震わせる仁。すわ協力など真っ平だと怒りに震えているのかと思いきや。
「み、み、ミライちゃんがあの悪魔の毒牙に……!? おお、ああ!」
かかってないよ。ていうか、意外と図太い思考してるなあ彼は。緊張の糸が解れて助かるけれども。狙ってやってるなら大したものだ。
この地は、区分としてはこの国の首都に範囲するのであろうが、都心を離れればこんな自然の残る地域もあるのだなと感心さえ呼び起こす。新緑を濃くした山々の隙間に築かれた人々の営み。雨模様の影響もあるだろう、小さな町には人通りも車通りもさして多くはない。
「み、ミライちゃん。ほ、本当にこんな辺鄙なところに、や、奴さんいるんすか?」
仁が辺りを見渡しつつ聞いた。荷物持ちを買って出てくれた彼の片腕には、ビニール袋が提がっている。
「そのはずです。もっとも、もうしばらく奥地へ歩きますが」
「そ、そっかそっか。うう……」
呻いたのは正蔵。ウォーキングはお気に召さないらしい。メタボ腹の理由がここにあった。
傘は差しているものの、そこから漏れた雨粒が、衣服の末端部や靴に吸い込まれ、僅かずつ重たくなっていく。ふとスマホをみれば、時刻は昼に差し掛かろうとしていたが、空は鈍色の雲に覆われ、真上を見上げても太陽の位置が分からない。
「雨は、気門が塞がれるからきらい」
「……そうですか」
虫は気門と呼ばれる孔で呼吸しているが、有華もそうなのだろうか。謎が多い……。私も頑張って大きく呼吸する。
「……ミライ。大丈夫?」
「ええ。この程度なら、まだまだ」
彼らは改造人間であり、変身しなくともふつうの人間よりは頑健であるらしい。先頭を進む私が、一行のペースを乱し始めていた。申し訳なく思う。
正蔵ではないけれど。私とて、この山道染みた曲がりくねった道路を歩いて行くのは、可能であれば避けたい気持ちではある。傾斜もあって、登山道と言って差し支えない。そうでなければリフトのないゲレンデか何か。だが、そのくせバスさえも出てないのだから仕方がない。
「み、ミライちゃん、せ、せ、背負おうか?」
「いえ。大丈夫、です」
しかし、私にだって、路上生活で鍛えた脚がある。半年間ホームレスしてみせた脚だ。踏破してみせようではないか。彼らには負担を掛けられない。……それは私の意地とかではなくて、冷静な判断でもある。ちょっとした、荒事の予感が拭えないから。彼らの手を煩わせるべきではない。
「それに、もうすぐですから」