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6 居候少女ミライの長い一日①

 熱い、と思って目が覚めた。仄暗い。時分は黎明であった。しとしとと雨音。静かだ。まだ街は起きていない。


 不意に、右手に痛みと重みを覚えた。何事だと身を起こす。布団が捲れて露わになる。

 手の痛みは、光司郎による痛みであった。彼が、目の醒まさないまま、私の手を強く握り込んでいた。何故私の手を握っているんだと疑問が浮かんだが、昨日はそうやって寝たんだったとすぐ得心する。


 しかし、異常はそれだけではなかった。そうだ。熱いんだ。光司郎の手。体温が。見れば、彼の呼気が荒い。鉄面皮が、今は苦しそうに歪んでいる。この前の、夢見が悪いだけの状態とは明らかに異なる。ただごとではないと直感が告げた。


 ひとまず乱れていた彼の寝姿を整え、楽な姿勢を取らせる。熱がひどいので体温を測ろうとしたが、しかしこの部屋には体温計がなかった。額を重ねれば、正確な値ではないが、少なくとも微熱の範疇ではなさそうだった。


 時折呻く光司郎。起きちゃいないが、健やかな睡眠状態にある様子でもない。このまま寝かせておく訳にはいかないだろうと、私は声を掛けた。


「光司郎。光司郎」


 早朝だ、音を抑えて耳元で囁く。しかし、光司郎は目を開けず苦しそうにするだけ。焦燥に駆られつつ、私はとにかく体温を下げようと試みる。部屋には氷枕も置いてなかったので、洗面器に張った氷水でタオルを冷やし、汗を拭いてやる。頭にも乗せる。それを数度繰り返せば、いくらか表情が和らいだだろうか。再度、肩を揺すりながら呼びかける。


「光司郎。起きてください」

「……ぐ、う」


ようやく瞼が開かれた。よかった。茫洋とした眼が、私をぼんやり見つめる。


「大丈夫ですか」

「……」


起き抜けの思考がまとまっていないのか、声掛けにも答えない。私は聞き取りやすいようにゆっくりと紡ぐ。


「駄目そうなら救急車を呼びますから、それでよかったら頷いてください」

「やめ、ろ」


私が申し出た途端、光司郎が重々しくも上半身を起こし、私の腕を掴んだ。


「で、ですが」

「必要、ない」


それは、病床にある者とは思えぬ握力だった。腕の骨が軋む。そして、その射殺すような眼光。しかし、痛みよりも困惑が勝った。


「どうしてですか」


私は問い掛けたが、彼は答えずに要求した。


「それ、よりも。電話を」

「え? えと……」

「俺の、アカウントを」


救急に電話する、という意味でないのは理解した。私はテーブルの上、充電してあったスマホのケーブルを抜き、彼に手渡す。


「……の、ときのため、残してある」


覚束ない指が、彼のユーザーアカウントを呼び出し、すぐに私にスマホを押しつけた。そのホーム画面には、『ミライへ』と名前を変えられた、メモアプリが画面中央にぽつんと置かれていた。




 再び横になり目を閉じた光司郎。その隣で、私は彼の手紙に目を走らせる。便宜上手紙と呼ぶが、それは手紙と言うよりは報告のような無骨さがあった。


『ミライへ。

 これは、俺が活動限界を迎えた時、この電話を所持しているだろうミライに対して残すものだ。お前にとっても重要な話だ。必ず読んでくれることを願う。

 改造人間デビルマスク、および改造人間ミライは、不完全な改造人間だ。結社の技術による調整を欠けば、永くは生きられない。

 みどりから聞いた毒婦という名を覚えているか。毒婦なら、調整に足るはずだ。俺も幾度か助けられた。ミライであれば、毒婦へ辿り着くことも、彼女の協力を取り付けることも可能だろう。』


……なんだこれは。画面を何度もスクロールするが、しかしこれ以上の文章はない。存外に短い内容。……言葉足らずが過ぎる。でも、それは。私の、私ならば、読み取ってくれるだろうという、そういう信用だとか信頼だとか、そういう顕れ。


 頭が、理解が追いつかない。思考がぐちゃぐちゃ渦巻く。たとえば。光司郎が私にこの手紙の存在を伝えないまま昏睡したらどうするつもりだったとか。どうして光司郎はこうなる前に『毒婦』を探そうとしなかったんだとか。私が光司郎に拾われたあの日の高熱は今の光司郎の熱と原因を同じくするものだったんだとか。光司郎が私に飲ませた解熱剤、あれが手紙にある「調整」と少なからず関連のある薬であったのだろうとか。枚挙に暇がないくらい、たくさん。


 まあ、なんだ。思うところはいろいろあるけれど。


「ばかか」


再び意識を手放した光司郎が、その言葉に反応することはない。


「このまま死んだら許さないからな」


勝手なことをする光司郎も、気付かないまま安穏としていた私も。


 おそらく今日は長い一日になる。




 問答無用で救急車を呼んでもよかったが、光司郎の本意ではないし、改造人間をふつうの病院に預けるのも憚られた。迷惑だろうとは思いつつも、いつか埋め合わせをすることを誓いつつ私は電話を掛けた。まだ起きているだろうなという直感はあった。


 それからしばらく、氷水とタオルで光司郎の身体を冷やしつつ、砕いた氷の欠片を口に含ませつつ、簡単な病人食を手がけつつ、部屋中をくまなく探した。何かと言えば、私が何も知らず飲んだあの薬だ。あれが最後の薬という気はしていたが、探さずにはいられなかった。結果は、徒労に終わってしまったが。

 一時間ほどして、呼び鈴が鳴った。


「お……おはよーう、ミライちゃん。えと、お邪魔しちゃって大丈夫?」

「おはようございます、みどり。夜勤明けに、本当に申し訳ありません」

「いいよ、いいよ。大変なんでしょ」


玄関口にて、私は深々頭を下げる。感謝してもしきれない。彼女の助けがなければ、きっと不味いことになる。みどりは私の頭を上げさせると、おっかなびっくりながらも私の後をついて部屋に入った。彼女にとってみれば、光司郎の家は色々な意味で落ち着かないのだろう。


 一人暮らし用のワンルームに三人も屯していれば、ちょっとした圧迫感がある。私はスマホを操作して、光司郎のアカウントを呼び出す。パスワードは、彼の操作を見て覚えたわけではない。四桁の暗証番号程度なら私には無いのと同じだ。これも見越して、光司郎は私に手紙をしたためたスマホを持たせていたのだろう。……感傷に浸るのは後だ。電話でおおよその事情は説明していたが、みどりにもスマホに残された手紙を読んで貰った。


「……そっか。そうだったんだ」


 痛ましそうに、眠る光司郎を見遣るみどり。しばしの間そうしていたが、やがて彼女は私へ向き直る。


「ミライちゃんの体は、大丈夫なの?」

「はい。私の知らぬ間に、光司郎に薬を飲まされてしまっていたみたいですから」


結社を脱出してから倒れるまでに半年の猶予があったので、少なくともそのくらいの寿命はあると思いたい。


「……自分の薬をミライちゃんに飲ませたんだ」

「ええ。かっこつけしいですよね」

「そう、だね」


丸い目を細めるみどり。視線の先、光司郎は、今はいくらか落ち着いているようだ。穏やかな寝息を立てている。


「あのね」


か細い声だった。光司郎の眠りを妨げないがため、という理由だけではなさそうだった。


「一度だけ……光司郎くん、あたしにもメッセージをくれてたの」


連絡先は交換してあるのだから、そういうことがあっても不思議ではないが。


「ミライちゃんをよろしくって。……あたし、その時はただ、友達としてって、思ったんだけど」

「……そうでしたか」


こんな……こんな迂遠な手回しまで目の前で暴露されてしまっているのに。それなのに、彼は何も言ってくれない。


 けれども。浸ってばかりはいられない。今は前を向かなければならない時だ。状況説明を終え、私は本題に入る。すなわち、みどりの協力を取り付けるべくお願いする。


「それでですね。みどりには、毒婦について知ってること、何でも話して欲しいんです。探し出すためにも、情報はあるに超したことはないですから」

「……やっぱり、探しに行くんだ。でも、きっと危ないよ」


私の頼みを予想していたらしいみどりであったが、その瞳には不安の色が濃く浮かんでいた。私は和らげるよう言葉を続ける。


「大丈夫です、行くのは私一人ですから。光司郎を一人にしてはおけませんし、みどりには看病をお願いする形になってしまいますが……」

「え。ひ、一人で? だめ、だめだよそんな……。そうだ、昨日言ってた三人は? 連絡先は知っているんでしょ?」

「それは状況次第ですが……昨日会ったばかりの彼らには、ちょっと難しいところではあります」


いざとなったら、藁にも縋るだろうが……。それは毒婦について知っておいてからでも遅くはない。


「まずはお話だけでもお聞かせ願えませんか」


私がそう迫れば、みどりは逃げるように顔を逸らした。僅かばかり、震える声で彼女が私に問い掛ける。


「ミライちゃんは、怖くないの」


え? と、間の抜けた声を返してしまう。彼女は続けた。


「あたし、昔っから怖いのとか、だめでさ。それが原因で何度か失敗もしちゃった。小学校のときね、肝試しで気絶して中止にしちゃったりね。光司郎くんと戦う羽目になったのも、そのせいだし」


その語りは淡々としていたが、どこか自嘲の色濃く感じた。


「自分の命も短いのに、更にその状態で、一人で結社の幹部に逢いに行こうだなんてさ。おかしいよ。あたしだったらちょっと無理かなって、思っちゃうから……。光司郎くんもそう。あたしだったら、自分の終わりが見えてるのに、他人に薬を使おうなんて、きっと思わないもん」


言葉を重ねる毎に、彼女の視線は下へ下へと降りていく。絞り出すような吐露。それが、彼女の本心であると断ずるのには遅疑もない。ただ、言葉の上では弱々しくとも、それはきっと私の身を慮って言ってくれている。


「……きっと、前提の違いですよ。幸い、私には超直感もありますから」

「でも、それならあたしだって。ミライちゃんよりはずっとずっと強いし、同じだよ」

「そりゃあ、進んで怖い目や危ない目に遭おうとは思わないですけど。実際にこんな状況になってみたら、「やるしかないな」って感覚でしょうか、腹が据わると言いますか……。人は誰しも、そんな感じだと思います」


デビルマスクと対峙したカイメンシータ。彼女の原動力はたしかに死への恐れだったかもしれないが、その大立ち回りはひどく手強かった。単純に、恐れが悪い感情と言うつもりはなかった。

 なんと言い表すべきだろう、こうした機微。火事場の馬鹿力? 私が言葉を探していると、みどりは俯いていた面を上げてこう言った。


「……強いんだね、ミライちゃんは。ホームレスの時のお話を聞かせて貰ったときもそう。なんて言うかな、生き抜く力って言うのかな……。だからかな、こんなに眩しく見えちゃうのは」


みどりの手が、私の手の甲をそっと握った。彼女のその言葉は、すとんと胸に落ちた。


「その小さい体で、生き抜いてきたんだもんね。うん。ちょっと納得かも」


 真っ直ぐこちらを見据えるみどり。そんな彼女に私はやや気恥ずかしさを覚えてしまうけれども、しっかり受け止めなければいけない気がした。


「あのね。あのとき……あの地下の貯水槽で、光司郎くんがあたしの首に手をかけたとき、その……吐いてくれてありがとね」

「……んん?」


吐いて? って、あれか。胃の中身をってことか。……ええ?


「だって、すっごく助けられたから、あれに。あの場で私を助けるためにそうしてくれたんだ、って思っちゃうくらいに」

「それ、買い被りが過ぎてインフレ起きてますよ」

「う、ごめん……でも、言っときたくて。ミライちゃんは頼りになる子だって」

「……釈然としませんが」


 強いと言われれば首を傾げてしまう。だが、生き抜くのに長けていると言うのなら、頷いてもいい気がした。私は生き汚くも今日この日まで生存しているのだから。少なくとも、私は光司郎みたいに、他人を助けるために自分の命を投げ出す境地には、絶対にならないのだろう。


「……わかったよ。毒婦のこと、伝えるね」

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