5 ガールズトークと三人組と梅雨前③
早歩きで帰路についた。
想定していたよりも話し込んでしまっていた。キッチンにて私専用踏み台に立ち、包丁を握る。帰りにコロッケを買っておいたから、キャベツの千切りだけしておく。味噌汁の具も出汁もインスタント。光司郎には悪いが、夕飯はほぼ総菜やらで済ませる算段であった。
手を抜くことを覚え始めたら、主婦が板に付いてきた感がある。いや、私は当然ながら主婦などではないが……周囲からどう見えるかを考えたとき、私はそれを否定する術を持たない。状況を鑑みれば当然とも言える。親類でもない若い男女が共に住まい、養い養われ暮らしている。みどりや有華から見た私は、つまりそういうふうに見えている。私だって冷静に俯瞰すればそう見える。
見えていないのは光司郎だけだろう。私はそこに付け入り、甘えている形だ。これはきっと悪徳なのかもしれないが、しかし私にとって今の関係が最も心地よく楽なのだ。
てぃろん。包丁を洗い終えた頃、スマホにメッセージが届く。確かめてみれば、みどりだった。勤務中だろうに返信してくるのだから不思議だが、深くは考えるまい。……『ずるい! あたしもミライちゃんとご飯いきたかった!』。苦笑が漏れる。あと、少しばかり照れる。
みどりには、先程会った三人との顛末を報告した。光司郎には伝えるべきか否か迷うところではあるが、彼女であればまず問題ないだろう。八番目という古参改造人間である彼女は、三人についてご存じだったらしく、懐かしがった。
『今度一緒にご飯行きたいな。行かない? 行こ』
動物のスタンプと共にメッセージが踊る。……みどりは、一般社会に溶け込むにあたり、改造人間故の孤独に苛まれていたきらいがある。この積極性もその反動なのだろう。彼女に限らず、結社を失った改造人間たちが大なり小なり抱えている気持ちなのかもしれない。顧みれば、三人で寄り添い合っている正蔵たちとて、同類である私への警戒心はひどく薄かった。別れ際の会話を思い出す。
「そ、そう言えば……今更すけど、どして、ぼくらに声を掛けたか、聞いてもいいすか?」
「いや、とくに深い理由が会ったわけではないのですが……偶然見かけたので、つい」
「ふうん。これも何かの縁かもしれないね。ミライくんはケータイ持ってる? 良かったら、連絡先を聞いてもいいかい?」
「有華も」
あれよあれよと、スマホの電話帳が三件増えたのだった。これをみどりに転送しても良いが、さすがに勝手が過ぎるだろうか。いずれ折を見て正蔵らにお伺い立てておこうと心に留めておく。
『二人でじゃなくても、皆一緒にってのもいいかなあ』
続けざまに届いたメッセージに「まるで同窓会みたいですね」と返信。
『幹事はミライちゃんよろしくね』
それは荷が勝ちすぎるので、言い出しっぺに頑張って貰いたいところだ。
改造人間の同窓会。中々面白い地点に話が行き着いた感がある。結社に於いては、その本心から所属していた者は少数派であり、大部分の人員は洗脳なり監禁なりを受けて従わされていた。デリケートな問題故に直接尋ねてはいないが、あの三人もそのカテゴリーに分類されるはずだ。言うなれば、この同窓会は結社被害者の慰安会、もしくは慰撫会とでもなるのだろうか。悪口大会でも始まりそうな予感がする。まあ同窓会と言うにはちょいと人数が足りないが、探せば意外とまだまだ見つかるかもしれない。
しかしながら……結社の生き残りについて思い巡らす際に、頭の片隅にちらつく存在もある。排したくても排せない存在がある。それは、自らの意思で結社に属していた者たち。自らの意思で、人道や倫理を外れた所行をやってのけた者たち。私とて洗練潔白な身では断じてないが、洗脳も監禁もされず素面で人を殺めることの出来るその精神構造は、些か理解に遠すぎる。はっきり言って良い感情は持てようはずもないが……。ううん。全滅してくれてればいいんだけどなあ。残念ながら、いずれ会う気がするのだ。光司郎と共に居る限りは。
さて。いつも通りであれば、その彼がそろそろ帰宅する時間だ。今日は夕立が大降りになる予感があるが、たぶんそれまでには帰宅してくれることだろう。
光司郎は口数が少ない。私でなければ、「こいつは私の何が気に入らないんだ」と受け止めてしまいかねないほどに寡黙だ。かろうじて、改造人間関連の話題を除いて。私とて、彼との沈黙空間に慣れるのに三日くらいかかった。
主として、会話の一齣は夕食の席となる。
「今日はご報告があります。改造人間のことです」
じろりというよりはぎろりと、彼は箸を止めて鋭い眼光を私に向けた。凶相だが、これがデフォルトだ。
「なんだ?」
「実は今日、三人の方と遭遇しまして。いえ、遭遇と言うより、私が声を掛けたのですが」
硬い表情筋ながらも、彼が僅かばかり驚いたのがわかった。
「そうか。危険はなかったか」
「はい。とてもいい人たちではないかと。戦う必要もおおよそ皆無です」
「そうか。ミライがそう言うのなら、そうなのだろう」
意外にも、信用を寄せてくれている台詞だった。もしかしたら、戦闘にまで至った先のみどりの一件が尾を引いているのかもしれない。
「念のため、名前を聞いておいていいか?」
「あ、はい」
三人の名前と、簡単な風貌だけ伝えておく。この大都会、私のようなナビがなければ遭遇もまず起きないだろうから、本当に念のためだ。
「彼らは、寄り添い合って生きているらしいですよ。ふつうの人として、社会に溶け込んで」
「……何よりなことだな」
私は頷く。あの三人も、そしてみどりも。新しい、と言うと語弊があるが……今の人生を、前を向いて歩んでいる。翻って、私はどうだろう。実年齢では一回りほど年下の青年に養って貰っている現状に、やや漠然とした焦りを感じなくもない。
「ミライ。お前は」
少しばかり自己嫌悪に陥っていた私に、光司郎はこう言葉を掛けた。
「お前の力があれば、捜し物には困らないだろうな」
「……ええ、まあ。そうでしょうね」
我ながら単純なやつだなあと自嘲する。それは、私の焦りを少しだけ払拭してくれる言葉だ。頼りにされるのは気分がいい。正蔵たちのように、互いが互いを支え合うというのはこういうことかと。勝手ながらそう感じた。
後になって思えば。これは、感情バイアスの一種だったのだろう。人は得てして耳障りのいい情報を好むものだ。超直感なんて代物があっても、それを扱う私は人であった。或いは、超直感の力を、改造人間としての能力を引き出せていないのかもしれなかった。つまるところ、私はどこまで行っても人間であった。
夕立のはずが、夜まで降り続いていた。暖められたコンクリートが上昇気流を産み、雲を著しく育て、こんな夜半まで大都会に雨を落とし続けている。ああ。こういう天気の時は、ホームレスを脱していて良かったと強く思う。当たり前だが、人は雨風に晒され続けるとひどく弱るのだ。人は鉄アレイで頭を殴り続けると死ぬぐらい普遍の真理だ。
雨音を聞いてると落ち着くという詩人染みた意見は一定の人口に膾炙している考え方と思うが、しかしそれも適度な雨音に限るであろう。暴力的な雨音は耳障りなだけだ。ざあざという途切れない音と……音もなく、窓の外が一瞬光る。いや、音がないわけではない。遅れてやってくるだけだ。どぉん、ごろごろごろと、凄まじいエネルギーを内包したそれ。雷鳴だ。こんなの、落ち着くわけもなし。
就寝の時間であったが、私は寝付けずにいた。正直に言えば、雷は苦手だ。というか、得意というやつはいないだろう、変態以外は。平気というやつはままいるだろうが、それは雷の降りしきる外で野宿をしたことのないやつの甘ったれた考えである。私だって、昔は平気だったのだ、本当だ。
ぴかと光れば、肩がびくりと跳ねる。どおんと落ちれば、もう一度跳ねる。あ、何秒後に落ちるなという未来が見えるが、光司郎のマンションに直撃などあり得ないと直感が告げるが、苦手なものは苦手なのである。あ。ほらまた、来るぞ。来るぞ。ほらぴかっと来た。ほら来た。来たから、追って来るぞ、はいどおん。来た、来たよ、これだよ。寝られないよ。
雷雲を呪いながら目を瞑っていると、雨音に混じって衣擦れの音が聞こえた。不意に、手に、生暖かい何かが触れた。落雷以上にびくってなった。しかし、猛る鼓動を落ち着けて冷静にものを見れば、それは隣の布団で寝ていた光司郎の手であった。
「い……如何しました? 光司郎」
「……」
返事はなく、ただ握られた掌に体温が返ってくるだけであった。
これは、察するに……落雷の度に布団をびくびく痙攣させていた私を見かねての……処置だと思うが。何か言ってくれないと、気恥ずかしくてしょうがない。しかしながら、気恥ずかしさとは裏腹に、掌に伝わる体温に、私の精神はひどく安心を覚えてしまっていた。ううん。これでは、見た目相応の子供ではないか。
「あの、光司郎。お心遣い感謝します、もう大丈夫ですから」
「……」
反応がない。まだ起きているだろうに。放す気はないらしかった。……こうなってしまっては仕方がない。私の細腕では、彼の手を振り払うことは叶わないのだから。まんじりともせず受け容れるより他にない、しょうがない。人間諦めが肝心。
受け容れてしまえば不思議なもので、以後は嫌な感じもなく、次第に瞼が重くなってくる。雷はまだ鳴っていたが、気にならなかった。隣に居るのが、もし雷が落ちてきても平気で生きてそうなデビルマスクだからだろうか。