5 ガールズトークと三人組と梅雨前②
久方ぶりにキャリーバッグをがらごろ鳴らしながら、坂を上ったり降りたりする。この国の首都は何故こんなにも坂が多いのだろう。斯く言う私は、日本から出た経験もないけれども。
財布を握って少しばかりの遠出をしていた。光司郎の家に居候しておよそ二週間。騙し騙しやってきていたものの、元々が一人暮らしの住環境でしかないため、色々と不足を感じていた。例えばハンガーとか、食器とかの細々した日用品だ。そのことを、昨日の夕飯の折にそれとなく光司郎に伺い立ててみれば、好きにするといいと予算まで出してくれた。申し訳なさが先立つが、彼にとっても日用品の類いは余分にあっても損はなし、お言葉に甘えることにしたのである。
いつになく重たい、私の安っちい財布。物理的な重量があるわけではないが……これは、私に対する彼の信用の重さだ。滅多な物は買えない。目的地は、最寄りのディスカウントストア。ちなみに馴染みのキャリーケースは今は空っぽで、購入した物品を入れるための物。財布と違って重いが軽い。
……このお金を私に持たせた光司郎。それはつまり、彼は私との共同生活を、悪く思っていないということになるのだろうか。そんな願望混じりの考えが頭を過ぎるものの……きっと、深く考えていないだけだと思う。彼にとって、居候の私の存在は然したる関心事でもないのだろう。一見嘘のような、本当の話だ。
二週間ほど一つ屋根の下で暮らして理解したが、彼は生活というものに対し驚くほどに無頓着だ。無関心ですらある。放っておけばコンビニ飯や塩ご飯に卵かけご飯で生きるし、部屋の掃除もほとんどせずゴミの曜日さえも把握してないし、皺の残るシャツを着て穴の空いた靴下を平気で履く。だからこそ、私は家事手伝いの名目で好きなように家のあれこれを回させて貰っているわけだが……。ちなみに、昨日のロールキャベツは、美味しいとも不味いとも言われなかった。
彼の無関心は、何に起因するものなのだろう。前の日曜日に彼が孤児院の出と聞いて一旦の納得はしたが、本当にそれだけだろうか。そんな疑問が一瞬頭を過ぎった。しかし、それは霧散する。別の、強い直感が私を呼んだからだ。
(……この感じ。改造人間が近くに?)
みどりを探し当てたときと似た感触があった。感触というのはおかしな表現だが、しかし感触だ。光司郎やみどりの気配ではない。知らない気配が、それも複数。一ヶ所に集まっているようだが、いまいち判然としない。二人か、三人か、それ以上か。どういうわけか、ぼんやりとしている。
(どうしようか。このまま放っておいても、問題はなさそうだが……)
悪い感じはしない。みどりのように、ひっそりと社会に溶け込んで生きている改造人間かもしれない。であれば、無闇に接触するよりは、放置しておくべきかもしれない。
だが、懸念もある。この近辺は、光司郎宅に住まう私が買い出しに出掛けるような、そんな区域。従って、光司郎の行動範囲と重なる部分も充分あり得るだろう。もし仮に、この気配の持ち主たちと光司郎が罷り間違ってばったりと遭遇してしまったら。そんな心配も出てきてしまう。
少しばかり悩む。悩んで、悩みながら歩いているうちに……目的地へ着いてしまった。眼前にそびえるテナントビル。警戒色がよく目を引く、電球に飾られたディスカウントストアの看板が見える。そして気付く。
(……この中にいる)
偶然か、巡り合わせなのか。ともかく、入り口前で屯しているわけにもいかず、私は看板をくぐることとした。
店内には、所狭しとお買い得なる商品が並べたてられている。横の空間は勿論、縦にも高く陳列されているが、上の方は私の身長では値札を見るのも一苦労であった。
梅雨に備えるべく洗濯グッズを物色するため、三階へ昇ったところであった。――いた。フロアの一画、三人の人影。あれだ。三人とも、改造人間だ。
三人は、室内に設置するタイプの物干しを囲んで、ああだこうだ言っているらしかった。傍目には、商品を買うか相談しているようにしか見えない。うん、なんというか。生活感が溢れている。
一人は、恰幅のいい中年男性だ。失礼ながら脂肪のせいであろう、人当たりの良さそうな柔らかい面立ち。もう一人は、中肉中背の青年。男にしてはやや長めの髪と猫背が相まって、少しばかり根暗な印象を受ける。そしてもう一人、これは小柄な女性で、黒を基調としたやたらふりふりした衣装を身に纏っている。私はいまいち女としての見識に欠けるのでよく分からないが、あれはゴスロリというファッションではないだろうか。
商品を探す体で、遠巻きに彼らを観察する。前述の通り、いずれも悪意だとか、そういった大それた気は感ぜられない。こちらに見られていると気付く兆候もない。
観察しているうちに、彼らの中で結論が出たようだ。物干しは置いて、会話しつつ別のフロアへ移動しようとしている。ああ、行ってしまう、このままでは。改めて直感を駆使。たしかに危険性はない。私は覚悟を決めた。早足で歩み寄って、三つの背中に声を掛ける。
「あの、すみません」
「? ああ、ごめんね。おじさんたち、道塞いで邪魔だったかな」
「ふ、塞いでるのは、主に正蔵さんの腹じゃないすか」
「おや、そうだったか。ごめんね」
メタボ腹を揺らしつつ、中年男が通路の片側に身を寄せてスペースを空けた。嫌な顔一つしない、気の良さそうなおじさんだ。軽口を叩いた青年や、口を開かない女性も、右に倣って通路を空けてくれる。私は言葉を足す。
「いや、そうではなくてですね。えっと、その」
「……?」
「わ、私もそうなんですけど。……改造人間、ですよね」
これまでの私だったなら、きっとこんな行動はとらなかっただろうと確信できる。しかし、今の私は、結社の残党について今なお調査を続けている光司郎、その彼にお世話になっている身として、この選択は少なからず彼の助けになるだろうと。そしてまた、電話口のみどりが述べた私や光司郎への感謝の言葉に背中を押され、縁を広げられればいいなと。そう私は思ったのだ。
ずぞぞ、とストローからコーラを吸い込む。ううん。つい昔の感覚で注文してしまったが……失敗だったかも。男だった頃は強い炭酸も平気であったけれども、今の身体は刺激に敏感らしく、爽快感よりは痛みが勝る。
買い物は一時中断となった。現在、私と三人は、ディスカウントストアと目と鼻の先にあるハンバーガーチェーンにて、テーブルを囲っていた。念のため、周囲に客のいない奥まった席を選んである。
「どうもすみません。買い物の途中だったのに」
「いやいや、謝らないで。気にしないでいいよ」
私が頭を下げれば、鷹揚な態度を示す中年男。どうも、彼が三人の中心的存在らしかった。
「じゃあ、まず自己紹介でもしようか。おじさんはね、下関正蔵といいます」
「ど、どうも。咲花ミライです」
私の告げた名前に正蔵は何度かうんうん頷き、それから残る二人へ目配せした。
「ぼ、ぼくは、片貝仁す。ど、ども」
「大島有華」
吃音気味に仁が名乗り、次いで平坦な声で必要最低限を有華が呟いた。……必然的に正蔵が中心となるのも頷ける気がした。
「いやあ。それにしても、おじさんたち以外の同類と出会うとは思ってなかったなあ」
ダブルチーズバーガーの包みを開けながら正蔵がしみじみと口遊び、仁が言葉を続ける。
「ま、まあぼくら以外にも生き残りがいるとは思ってたすけど」
「皆どうしているんだろうねえ……」
遠い目をしながら、正蔵が大きな口でハンバーガーをかぶりつく。
「気にはなるけど、仮にすれ違ってても、ふつうはわからない」
有華がフライドポテトへ手を伸ばして一本摘まみ、何故か片目を閉じ、私とポテトが直線上に重なるように掲げてみせた。美術家がスケッチの折に、顔の前で鉛筆を持ち、対象物の大きさを測るかのような動作だった。私を測っているのだろうか。ポテトなのが愛嬌あるなと密かに思った。
「んぐ……そうそう。気になってたんだけど、ミライくんはどうしておじさんたちが分かったんだい? よかったら聞いていいかな」
「あ、はい。そこが気になるのは当然ですよね」
ふつうの人間に紛れて暮らしている改造人間にとって、己の所在が他人に知れるのは懸念事項だ。私は超直感について、素直に答えておく。
「ふうん。便利なんだねえ」
「う、羨ましいすね」
「そう」
三人は、明け透けに羨む気持ちを隠さなかった。有華だけは無表情だったけれど、なんとなくそんな気がした。
「ちなみにね、おじさんの力はね。象になれます」
突然のカミングアウトである。能力を開示したそのお返しだろうか……面食らう。ぞう? 象のことか?
「さすがにこんな狭い場所では見せられないけどね」
正蔵はちょっぴり眉尻を下げて微笑んでみせた。次いで仁が口を開く。
「ち、ちなみに、ぼくはサイボーグ」
サイボーグ。サイバネティック・オーガニズムの略称……だったと思う。義肢や人工臓器など、生命体と自動制御系の技術を融合させたものだ。厳密に言えば、改造人間は大なり小なり人口の部品を使っているので大体サイボーグと言って差し支えないが、きっとそういう次元の話ではないのだろう。
「わたしは」
有華がゆっくり手を伸ばして、私の手を握る。私の掌は開かれ上向きにされ、そこに有華のもう片方の手が伸びてきた。伸びた人差し指の先が、私の掌にぷにと指す。肌色だった有華の指が、黒ずみ、細かく崩れ、私の掌を這い回った。全身の毛穴が縮み上がり毛が逆立ち震えた。
「きゃあ!」
千切れた。指が。動いてる。虫が。蠢いている。反射的に振り払おうとするけれども、私の手を掴む有華の手がそれを許してくれない。
「この体は、無数の蟻でできているの」
「きゃあ! ぎゃあ!」
「あ、有華、よすっすよ、羨ましいからって幼女虐めちゃいかんすよ!」
「如何されましたか!? お客様」
「申し訳ない、なんでもないんです、申し訳ない」
悲鳴を聞いて駆けつけてきた店員に、正蔵がぺこぺこ頭を下げていた。お騒がせしてすみません。でも私は悪くないと思う。
しばし狂乱の後。私はちびちびとコーラで喉を潤しつつ尋ねた。
「皆さんは、どういう集まりなんですか? どういった経緯で一緒に?」
「うーん。どういう集まりかと言われれば……家族、かなあ」
「う……。そ、そいうとこ、恥ずかしげもないすよね、正蔵さん」
空になったハンバーガーの包み紙を几帳面に畳みながら、正蔵は答える。
「結社が襲撃を受けた夜、おじさんたちは一緒にあそこから脱出してね。その時にはもう三人とも失踪者扱いで住む場所もなかったから、なんとか一緒の家を借りて、それからずっとシェアハウスしてるんだ」
私は感嘆の息を漏らす。簡単そうに言うが、大変な苦難だったはずだ。ここまでの時間で、私は彼らの間に広がる仲間意識を感じ取っていたが、その理由を垣間見た。
「借家ですか……いいですね。この近くなんですか?」
「いやあ、まさか。今はともかく、あのときは残念ながら区内に借りられる経済状況じゃなかったからねえ」
「ぎ、ぎりぎり都内っつー感じす」
「小さい。古い」
口では苦笑しつつ自虐してみせる彼らだが、そこに暗さはなかった。
「でもね。そうは言うけど、そこまで不便はないし」
「住めば都」
「で、ですから都内すけど」
仲良いな。いいな。羨みつつ、もう一つ訊く。
「不躾だったらすみませんが。「今はともかく」と言うと、今はそれなりに安定して暮らせているんですか」
「うん、そうだね。幸い、おじさんはなんとかちゃんとした会社で働き直せているよ。有華くんは、おじさんにはよく分からないけどパソコンで稼いでいるし。仁くんは……そのうちにね」
「……す」
「仁は、コミュ障だから」
「……」
肩を縮めて、分かりやすく肩身の狭そうな思いをしている仁。まあ、そういうこともあるだろう。私は愛想笑いをしておいた方がいいのかどうなのか。
「ははは。でも、仁くんならそのうちなんとかなるよ。……ところで、ミライくんはどうやって暮らしているんだい? 聞いていい?」
尋ねられた私は、少し考えつつ答えた。
「私は、家に置いて貰っている感じです。強いて言うなら、家事手伝いかと」
「そうかそうか。それはよかった。家族がいるなら安心だ」
「あ、いえ。家族でなく、ちょっとした伝手というか」
当然ながら、デビルマスクの存在は匂わせない方が賢明であろう。しかし、そのぼやかした言い方が良くなかったのか、有華がつっついた。
「男?」
瞬間、三対の目線が私を貫いた。
「……ええ、まあ。男かと問われれば、性別は男ですね」
敢えて珍妙で迂遠な言い方をする。暗にそういう関係ではないと示すが、分かっていないのか分かってやっているのか、有華が再度つっつく。
「若い男? ……売春?」
売春て。ドストレートだな。
「違いますって」
「え。じゃあ、おじさんが相手?」
否定したのはそっちじゃねえ。視界の片隅、おじさんを自称する正蔵の肩がびくりと揺れた。
「おじさんでもないです」
肩をなで下ろす正蔵。別にやましいところがあるわけでもないだろうに、何故いちいち反応するのか。
「ゆ……、ゆ、ゆるせぬ。こんないたいけな美幼女を養うなど! けしからん!」
仁が握り拳を振るわせて、義憤に駆られたふうな台詞をのたまった。さっきまでぼそぼそした喋りだったのに、急に声がでかい。ああ、なんとなくそうではないかなと思っていたが、彼は少しばかり変な人らしい。というか、養って貰わないと私はホームレスに逆戻りなのだが。
「ミライくん。もしよかったら、うちに来てもいいんだよ?」
貴方までそんなことを。謹んで遠慮しておきます。もし私が要求するものがあるとすれば、人の話を聞いてください。