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プロローグ

 人知れず。日本という国を牛耳ろうと暗躍する秘密結社があった。倫理を置き捨てた科学力と経済力、そして暴力を以てして、思うがままに悪として振る舞った結社は。

 人知れず。結社が誇った人間兵器たる『改造人間』、そのうちの一体が反旗を翻したことから始まる、一年に渡る闘争の末。頭目を失い瓦解した。

 そして、人知れず。崩れ落ちる地下基地から逃げ延びた結社の構成員たちが、今も人間社会に紛れ。ひっそりと暮らしている。




 明けの明星が、薄雲に紛れながら密やかに輝いている。


 辺りがほの明るくなり始める時分に、私は目を覚ます。これは早起きに努めているというわけではなく、自然とそうなってしまうのだ。ぼんやりした光の柱がビルの隙間から伸びてきて、瞼越しに網膜を刺激する。朝日というものは、眩しい。外で寝起きをしていると。

 身体を起こすと、節々が凝り固まっている感覚がある。布団やベッドでなくダンボールの上で一夜を過ごすとこういうことになるが、しかしもう慣れた。軽く伸びをして手足をぐるぐると回す。柔軟しておかないと後に響くのである。

 いくらか身体が解れれば、くるまっていた毛布を畳み、次いでダンボールを畳む。盗難されぬよう寝ながら抱きかかえていた、大型のキャリーバッグを開け、そこにぎゅうぎゅうに仕舞い込む。身支度を終え、今朝の寝床となったビルの合間の路地を私は後にした。私とキャリーバッグの足音に驚いた鼠が、水色のゴミ箱の陰から陰へとその身を晦ませていた。


 目を覚まし始めて間もない街は、時折タクシーが静寂を乱すくらいで、人通りもほとんどない。私はごろごろとキャリーバッグを引き摺って歩を進めた。頬を撫でる風は冷たいが、もう少し陽が昇ればマシになるだろう。暦は初夏の候。この季節は凍え死ぬ心配がなくていい。

 水場には公園を利用するのがいい。公衆トイレが設けてあれば尚のことよい。女子トイレにお邪魔して、洗面台の前に佇む。鏡には、小学校高学年くらいの黒髪の少女が映っていた。ぼさぼさの髪と眠そうな目をしている。キャリーバッグをちょっとだけ開けて、歯ブラシやコップ、櫛なんかが入ったお手製身嗜みセットを取り出す。他の利用者が来ないとも限らないので、手短に済ませるに限る。口腔を濯ぎ、次いで歯を磨き、それから髪を梳る。一連の動作にも随分慣れた。今では三分あれば一通り済ませられるものと自負している。


 公衆トイレを出る際、男子トイレ側から出てきた男のホームレスと鉢合わせした。別に『私はホームレスです』なんて印字した服を着てるわけでもないが、なんとなく雰囲気と見た目でわかるものだ。かく言う私も、土煙に塗されたかのような小汚い女児服を身に纏っている。相手は目を白黒させていたが、私が会釈すれば彼もぎこちなくも返礼をくれた。

 私は何とはなしに男の後ろ姿を目で追ってみる。その向かう先には、公園の傍らの雑木林。木々に紛れるようにして、青いビニールシートの屋根が垣間見えた。十中八九、彼の寝床だろう。私は日々寝床を変えるが、彼のように住処を構築して住み込むホームレスもいる。正直言って、羨ましい。私の女子小学生な見た目は、それを許してくれないのである。常に移動を繰り返さなければ、すぐに地域住民の善意のもとに通報され、お巡りさんがやってきてしまう。さあ、歩こう。


 ――とはいえ、この身体になって得したこともそれなりにある。先程の女子トイレもそうだし。顔見知りのホームレスにはしっかり食えと食べ物を分けて貰えたりする。そして何より。

 頭の中で何かが閃く。私はその感覚の赴くまま、道路脇を伸びる側溝の、グレーチングの中を覗いてみた。あった。そのまま引っこ抜くように蓋をどけて、側溝の底へ手を伸ばす。拾い上げたのは、黒い革財布。

 逸る気持ちを抑えて、側溝を元の状態に戻す。財布は見た感じ中々お高そうなやつで、しかもけっこう重い。気がする。たくさん入ってるなら、警察へ届ける手数料として一枚くらい抜いても構わないだろう……そんな気持ちで、近くの電信柱の影で身を隠すようにして、中身を検めた。

 しばらく晴れ続きだったからか、幸いにも財布が汚泥にまみれた様子はない。ぱかと開けば、まず目に入るのはカード類。免許証、保険証、キャッシュカード、ポイントカード等。まあ、これはいいや。私が信用するのは現金のみ。いざ、お札入れをご開帳……。ううん。諭吉さんは、いらっしゃらない。私は肩を落とした。しけている。それでも貰うものは貰うけど。英世さんを一枚だけくすねて、自分のポケットに潜ませた。残念ながら、私はけして善人ではないのだ。なにせ、悪の秘密結社の生き残りであるので。


 結社に於ける私のコードネームは『ミライ』。未来予知じみた直感、いわば『超直感』を以て、結社の行動判断を助ける目的を持って生まれた。この力のおかげで、私は脆弱なる少女の肉体でも、それなりに充実した路上生活を送れている。

 ちなみに、幼い少女の肉体であるのは、その年頃の女性体が最も感受性が強いとされたから。その理屈は、まあなんとなくだがわかる。わかるが。培養した少女の身体に、知能教育を施す手間を省くために、大人の記憶を、それも男の記憶を転写する必要性。これがわからない。とんちきなまでの科学力を誇った結社は、その思考までもとんちきだったのかもしれない……。


 しばし歩けば、最寄りの派出所へ辿り着く。出動でもない限り、朝でも夜でも交番には大抵一人は警官が置かれている。お巡りは私にとっての天敵だ。だから、超直感の助けも借りて、けして警官の目に触れないよう、交番の軒先の目立つところに黒い長財布を置いていく。植え込みのレンガの上でいいだろう。周囲に人影もなし、監視カメラに映らない角度から……さっと。ミッションコンプリート。すぐさまその場を離れた。たぶんだが、あの財布の持ち主は、所持金が千円減っていることには気付くまい。私の直感がそう言っている。改造人間にとり、完全犯罪とは容易い。


 次第に陽が昇ってきた。本格的に今日という一日が始まる。今日は何処へ行こうか。如何にして稼ごうか。基本的に路上生活はその日暮らしだ。全てはその時の気分である。

 朝イチで図らずも資金が増えた。また銭湯でも行こうかな。暖かくなってきたし、風呂にはこまめに入りたい。たまにはちょっと良いものを食ってもいいだろう。金を貯めてもいいけれど。明日とも知れぬ我が身だ。将来設計などは皮算用、するべくもない。戸籍もないし住所もない。真っ当な身ではない。改造人間など、ないものの方が多い。明日のことを考えても、翌日が待っているのか定かでない。


「……ま、いいや。今日も一日頑張ろう」


 秘密結社が崩壊して早半年。三十路の独身男、咲花肇さきはな はじめ改め。私、改造人間ミライは。大都会の片隅で、鼠のように息づいている。

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