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白き心優しい民と一人の兵士

作者: 島田祥介

 西ギールシクリヒト大陸北東部に位置するサンディ湖の畔に、蝋石で出来た小さな墓碑がある。

《白き心優しい民ここに眠る

 彼の者の笑顔と祈りが永遠に皆の胸に刻まれる事を願って》

 墓碑に書かれた言葉を汲んでか、周囲には柔らかな色合いを持つ白い花が咲き乱れていた。

 今回は、そんなサンディ湖で出会った白き心優しい民と一人の兵士の悲しき友情譚を語ろう──


 ボゴディ・サン国がグリルグゥルデン帝国の領土拡大侵攻を懸念して調査隊を派遣したのは一週間前の事だった。

 エドワード・コープス率いる調査隊は、他国との混乱を避ける為コレッカン族居住区を抜け南下したまま海岸沿いを突き進む予定でいた。

「…まいったなぁ」

 調査隊を見失ってしまったダニエル・ホーキンスは、疲れた体を休ませる為に近くの大石に腰を下ろした。

 海岸に出る前に突如ギガヤンマの群れに襲われた事で態勢を崩し、そのまま散り散りに逃げ惑う羽目になってしまった迄はまだいいとしよう。一番の問題は、そのまま迷いの森に入ってしまったせいで自分が今何処にいるのかすらも判らなくなってしまっている事だ、とダニエルは大きな溜息を吐いた。

 携帯用食料と水は背中のザックの中にあるから暫くは心配ない。とはいえ、迷いの森に入った者は二度と還る事はないと言う噂が彼の中で大きな不安になっていた。

「さて、これからどうするべき──」

 雑草が踏み付けられる音がした。

 瞬時に腰の剣に手を置き、耳を澄ませて距離を調べる。再び音を確認して、それが彼から見て右手奥の茂みで鳴っている事を判断した。

 大きさは判らないが複数ではない単独の足音、その具合からしてこちらには気付いている様子はなさそうだ。そう判断したダニエルは、剣に手を充てたまま音の方向へ静かに移動し近くの大木に体を隠した。

 再び耳を澄ませ目を細めながら正体を探ると、徐々に近付いてくるそれは人影の様なシルエットを浮かび上がらせてきた。

 これが仲間であってくれればいいが、その確率はどれ程のものだろうかな…と、ゆっくりと鞘から剣を抜きながら彼は考える。

 しかし、謎の影は一旦足を止めたかと思うと突如彼のいる方向へ大きな足音を立てながら走り出してきた。

 果たして気付かれていたのだろうか。だとしたら、一度先手を打って相手を怯ませるしかない。

 声を荒げながら剣を振り上げれば、仲間だとしても怪我はさせなくてすむし、もしそうでなくても向こうが攻撃してくる迄時間を稼げる筈だ。

 一瞬の間に判断した彼は、タイミングを計ると剣を振り上げて影へと突進した。

「動くな! その場で止まれ!」

「──!?」

 大声を上げて剣を振り上げた彼の姿を見て、その影は一瞬立ち止まったかと思うとその場にしゃがみこんだ。

「わわっ、ま、ま、ま、待って下さい!」

 状況が掴めないまま剣先の光を見て慌てたのだろう、声を裏返しながら影の主は両手をダニエルの前に突き出して大きく振っている。だが、驚いたのはダニエルも同じで、

「…白オーク? 何でこんな所に…?」

 目の前に現れたのは、自分の背丈と然程変わらない小柄なホワイトオークだった。

“白オーク”と呼ばれるモンスターの一種で、凶悪な見た目とは違い平和的な彼等は疑う事を知らないせいで人間にこき使われる事が多い。それ所か、近年グリルグゥルデンの魔族狩りが頻繁になってからはその数が減少し絶滅の危機にありかねないと迄言われている。

 そんな稀有になりつつある存在と遭遇した事に、ダニエルの頭は少し混乱してしまった。

「わ、私は、貴方に危害を加えるつもりはありません!そこのキノコが欲しかっただけなんです!」

 大袈裟なくらい首を横に振りながら、白いオークは大木の根元にあるキノコを指差した。よく見れば、背中に野草や果物が入った籠を背負っている。

 何と言う事はない、食料調達にきただけの“使用人”を相手に一騒動起こそうとしていただけだったのか…自分のそそっかしさに恥ずかしさを感じたダニエルは、やれやれといった感じで剣を鞘に収めた。

「悪かったよ、てっきり野獣か何かと思って警戒していただけだったんだ」

 バツが悪そうに頭をかく彼を見たオークは、安堵の溜息を漏らすと満面の笑みで、

「私は、ホワイトオークのガルボと言います。この先の村で皆さんのお手伝いをさせてもらっています」

“村”と聞いてダニエルは少々安心した。

 恐らく、この白いバケモノは迷いの森の北東側に位置するコレッカン族の村にでも常駐しているのだろう。

 本隊とはぐれて二日と経っていないのだから、きっと大半のメンバーはそこに避難して遣り過ごしているに違いない。

「あの、失礼ですけど貴方は?」

 ガルボがおずおずと声をかけてくる。まだ警戒心はあるのだろうが、仲間と合流するにはこのオークを飼い慣らしておいた方がよさそうか。

「俺はダニエル…キンバリー。旅の商人の護衛をしていたんだが、色々事情があってはぐれた」

 しかし、何が起こるか判らない不安が躊躇いを生み、ダニエルは本名を伝えるのをやめた。

 コレッカン族の中にはボゴディの国をよく思わない集落もあると聞く。ここで自分がそうだと名乗れば最悪殺されるかもしれない。

「キンバリーさんですか。大変な思いをされたんでしょうね」

 ダニエルが嘘をついたとは全く思っていないのか、ガルボは本気で心配そうな顔をしながら彼に近付いてきた。

「それに、お疲れの様子ですし…よければ一緒に村にきませんか?」

 平和的、というより疑う事を知らないといった感じでガルボはホワイトオークの純粋さを見せ付けてくる。そんな彼の笑顔に、ダニエルの胸は一瞬チクリと痛んだ。

「…すまないが、そうさせてもらおうか」

 白オークに何を深く考える必要がある、俺にはやるべき事があるんだ…ガルボの手招きする方へ共に歩きながら、ダニエルは大きく首を振った。

 迷いの森から無事に抜け出せれば、後はもし本隊と合流出来なかったとしても一度本国に戻って状況を説明出来るし、そうなれば救助隊も派遣してもらえるだろう。その為にも、人が住む場所に向うのが正解だ。

「所で、ここは迷いの森のどの辺なのか知っていたら教えてほしいんだが」

 手馴れた感覚で先へと進むガルボを不思議に思いながらダニエルが尋ねると、その場で立ち止まった彼は少し悩み「ああ、人間の方達はここを迷いの森と呼んでるんでしたね」と一人で納得していた。

「ここはサンディ湖の南側ですよ」

「サンディ湖だって!?」

 何てこった、村と言うからてっきりコレッカン側だと思っていたが真反対の位置じゃないか。

 という事は、このガルボとかいう白オークの住む村はグリル領土に違いない…ボゴディの出だという事を隠したのは大正解だったか。

「…? どうかされましたか?」

 ダニエルの顔が動揺で曇っていたのだろう、ガルボが心配そうに覗き込んできた。

「…因みになんだが、お前が住む村ってのは…?」

「キチンルムという村です。帝都からは大分離れているので不便かもしれませんが、静かでいい所なんですよ」

 村の名前に聞き覚えはないが、“帝都”という響きで明らかにグリルグゥルデンの領土内だという事は判った。

 単身で敵地に乗り込むのは不安で引き返したくなる。しかし、引き返そうにも迷いの森に戻る意味はないし何もグリルの帝都に突撃をしかける訳じゃない。村から情報が引き出せそうなら引き出して、ある程度したらずらかればいいだけか。

 ガルボの笑顔とは裏腹に、ダニエルの心は大きく暗転していった。


 ダニエルがキチンルムの村に案内されてから二日が経った。

 ホワイトオークを使用人にしている分多少は栄えていると期待したものの宿屋がある訳ではなく、寝泊りはガルボの寝起きする納屋の一角を使用するだけだった。

「色々と案内したいのですが、仕事があるので…すみません」

 ガルボは村人全員にこき使われているらしく、この二日間だけでも右へ左へと慌しかった。それだから、ダニエルは独り村の中を歩き回っては帝都の情報を持っていそうな老人や職人に声をかける事にした。

 最初はよそ者として怪訝そうにされてはいたが、適当にでっち上げた旅の話を披露すると平和呆けした村人達は彼の“武勇伝”を聞きたさに次々と陥落していく。だが、

「お前は、何であんな下らねぇ野郎共にいい様にこき使われてんだよ」

 日が暮れかけた納屋で固い小麦パンをかじりながら、ダニエルは八つ当たりに近い態度でガルボに噛み付いた。

『その日よければすべてよし』といった感じで何も考えていない村人に彼は苛立ちを隠せなかった。

 帝都から離れている分詳しい話が聞けないだろう事は覚悟していたが、詳しいも何も村人達の口から出てくるのは帝都に対する愚痴だけで、それも自分達の村と比較して「栄えていて羨ましい」といった程度のものでしかなかった。

 帝都からかなり離れた田舎の村だから戦争なんて自分達には関係ない、どうせこの村から出てどうこうなんてないから外の世界はどうでもいい、だけど帝都は栄えているから色々とあるんだろうし羨ましい…

 軍人としての誇りがあるダニエルにしてみれば、そんな平和呆けして前向きに進もうとしない村人達に対して腹立たしくなり、そんな連中に愛想笑いを振りまいていい様に使われているガルボに対しても腹立たしく感じていた。 

「ホワイトオークは力だけしか自慢出来るものはありませんからね。人間の皆さんのお役に立てるとしたら、これくらいの事しか出来ませんよ」

 ダニエルの苛立ちを理解していないガルボは、にっこりと笑って彼の罵声に受け応える。それも又、ダニエルには非常に苛々させるものとなった。

「そんな事言ってるから、グリルの横暴に振り回される事になってんじゃねーのか?」

 グリルグゥルデンの魔族狩りは、実際に帝都を守る為の戦いもあれば単に王族の暇潰しの為のもの迄あると噂では聞いている。恐らく、ホワイトオーク殲滅は後者の理由なんだろうとダニエルは考えていた。

「白オークは力自慢なんだろ? だったら、一族で団結して歯向かってもいいだろうによ」

 語尾を強く荒げながら喋る彼を見て、ガルボは淋しそうな表情で笑った。

「いずれ、お互いに理解し合えて歩み寄れる日がくると信じていますから」

 ぽつりと呟いたガルボの一言に、ダニエルは思わず口をつぐんでしまう。

 それは、人間と白オークの話か?

 人間同士の対立の事を言いたいのか?

 ガルボの言葉は、無駄に熱くなっているダニエルを大人しくさせるのには十分すぎた。

「…悪い、言いすぎた」

「そんな、キンバリーさんが謝る必要なんてありませんよ!」

 自分の暴言を恥じてうなだれたダニエルを見て、ガルボは慌てて首を横に振った。そして、立ち尽くす彼の手を取ると静かに「有難う」と微笑んだ。

「貴方は、私を対等に扱ってくれますよね」

「…対等? 何の話だ?」

 突然の言い分に、ダニエルは目を丸くさせてしまう。

 奴隷でも使用人でもない相手を手駒の様に扱う必要がなかっただけで、別に深く考えてはいなかった。今だって、ガルボの事をうだつの上がらない奴だと思って当り散らしただけの事だったのに、それを対等と言われても…と、ダニエルは頭の中が整理出来ずにぐるぐると思いを走らせていた。

 そんな彼を見て、暫く黙っていたガルボは突如大声で笑い出した。

「キンバリーさん、貴方はやっぱりおかしな方ですよ!」

「なっ、何をいきなり笑い出すんだよ!」

「だって、ホワイトオークの私に素直な感情をぶつけてきたり謝ってくれたり…初めてですよ、貴方みたいな人間に出会ったのは!」

 ガルボにとっては余程嬉しく、余程おかしな事だったのだろう。勢い余って背中から倒れても、そのまま笑いながら左右に体を揺すっている。

 突然礼を言ってきたかと思えば突然笑い転げて、こいつは一体何なんだ?

 ガルボの動きが読めなくて混乱してしまったダニエルは、彼の笑っている顔を見ている内に色々考え込んでしまった事がどうでもよくなり、思わずつられて笑い出した。

「おかしいのはお前だろ、俺なんかに礼を言ったって何も出ないのによ」

「そうやって思った事をすぐに口に出す辺り、やっぱり貴方の方がおかしいですよ」

 思いの丈を口にしては笑う二人のやり取りは深夜迄続いた。


「キンバリーさん! 貴方がはぐれた商人だろうグループを見かけたって人がいましたよ!」

 大急ぎできたと言わんばかりに肩を揺すらせながら走ってきたガルボがそう報告したのは、ダニエルがキチンルムにきて五日目の事だった。

 大した情報も掴めないまま、それでも何となく出立するタイミングを逃していたダニエルにとっては大きな進展であった。

「黄色の地に羽ばたく鳥の図柄が入った旗って言ってましたよね!」

 散り散りになった本隊が体勢を立て直したか、あるいは別働隊が動いたか。どっちにしても、いち早く合流して指示を仰ぐべきだ。

 ならば、と考えて納屋に戻ると大急ぎで荷物をまとめ始めた彼だったが、ふと手を止めてガルボの方を向いた。

「…なぁ、もし俺が嘘をついてたら、とかって考えたりはしないのか?」

 思わず口にして、ダニエルは自分が何を言ったのかと自分自身で疑問に思ってしまった。

「キンバリーさんが? 私に? 何故?」

 それはガルボにとっても同様で、何の前振りもなくいきなりの質問でどう答えていいのか訳が判らなかった。

 互いに疑問が頭を駆け巡り、沈黙が続いてしまう。

 その沈黙を破ったのはダニエルだった。

「例えば、もし俺が違う国の軍人でこの村やグリルを襲撃しにきたとしたら?」

 何故そんな質問を口にしたのか自分でも判らなかったが、どうしてもガルボには聞きたくなってしまった。

 この五日間の嘘を知ったら、一体この白オークはどう感じるのだろうか。そんな事ばかりが頭をよぎって離れようとしないのだ。

「もしそうだとしても、貴方が私に嘘をつく理由がないでしょう?」

 質問の意図が全く掴めなかったガルボは、彼の思い悩む表情を見て冷静になろうと胸に手を当てながら静かな口調で受け応えた。

「それに、もし嘘をついていたんだとしても、それは貴方にとってつかねばならない必要な嘘なんでしょうから、私は何も困りませんよ」

 どう返答するのが正解なのか正直不安だったが、ガルボは正直な気持ちを打ち明けた。

「貴方は私の友人です。貴方の嘘を許すくらい、何て事はありませんよ」

“友人”という一言が、ダニエルの胸を大きく抉った。

 わずか五日しか経っていないのに、これといって何をした訳でもないのに、目の前の白オークは友人だとはっきりと口にした。使命の為に嘘をついて迄居座っていた人間をだ。

 ホワイトオークは純粋すぎる故に人間にいい様に使われてきたというのに、一体何処迄疑う事を知らないのだろう?

「買い被りすぎだ」

 シャツの胸元を握り締めながら、たった一言を搾り出すしかダニエルには出来なかった。


 村はずれの小高くなっている丘の中腹に、その集団は腰を下ろして休息を取っていた。

 近くの木に手綱を繋ぎ止められている馬に差してある旗は確かに調査隊のものと似てはいた。しかし、調査隊の旗は黄色い長方形の地に羽ばたく大鷲の図柄であり、目の前の旗は黄色い楕円の地に鳩の図柄。聞けば、諸国を漫遊しながら物々交換等で商売をしている行商人の一団との事だった。

「早とちりをしてしまったみたいで、本当にすみません」

 行商人の一団が去っていくのを見ながら、ガルボはダニエルの横で申し訳なさそうに肩を落としている。そうは言っても、口頭説明だけであれば誰だって勘違いをしてしまってもおかしくない状況だ。

「気にするな、これなら俺だって間違える」

 ガルボに余計な心配をさせまいと、ダニエルは彼の肩を促して村に戻る事にした。 

 調査隊と合流出来なかったのは残念だ。その反面何処かホッとしている自分もいる。

 この数日で自分も平和呆けしてきてしまったのだろうか? だとしたら、誇りあるボゴディ・サンの軍人として今一度気を引き締めなくては。

「まぁ、近い内に俺もここを離れて自力で何とか探してみるさ」

「そうですよね、それがいいのかもしれませんね」

 互いに少し淋しげな笑顔を見せた後、互いに重い空気を作るまいと今夜の晩飯はどうするか、明日は何をして過ごすのかを多少大袈裟なくらいの口調で語りながら村へと足を運ばせた。

 だが、村の入り口に近付きつつあった時、

「あの、すみません」

 背後から声をかけられ二人が振り返ると、旅人としては少々みすぼらしいいでたちの男がいた。ボロ布に近いフードを深々と被り長い木枝を杖の様にして立っているそれは、正直物乞いか何かに見える。

 こんな時に厄介なのに引っかかった。少しでも金品を渡せば調子に乗るだろうが、ここで乱暴を働いて問題になっても困るしな…と、ダニエルがどうしたものか思案していると、

「ちょっと道を尋ね…ホーキンス?」

 男がフードをめくり上げると、そこにはダニエルの見知った顔があった。

「…マックスウェル? モーガン・マックスウェルか!」

「よかったぁ、みんなとはぐれてどうしようか不安でしょうがなかったんだ」

 調査隊メンバーの一人であるモーガン・マックスウェルは、目の前にいるのがダニエル本人であると判ると心の底から安堵したと言わんばかりの笑顔を見せた。

「俺も会えて嬉しいよ…と言っても、散開してから再会出来たのはお前だけなんだけどな」

 互いに慰めあう様に肩を叩きあう。それしか今は出来なかったが、見知らぬ土地で仲間と再会出来た事はこの上なく嬉しかった。

「それより、ホーキンス。そこにいる白オークは?」

 モーガンに尋ねられ、ダニエルは後ろにガルボがいるのをすっかり忘れていた事に気付いた。

 慌てて振り返ると、ガルボがきょとんとした顔で立っている。

「ええと、キンバリーさん?」

 そうだ、俺はこいつの前ではダニエル・キンバリーだったんだ。

 偽名がばれてしまっただろう事に焦りを感じたが、今更取り繕った所でどうしようもないと判断した彼は、

「聞いた通りだ、俺はキンバリーなんて名前じゃない」

 流石にこの白オークも訝しがるだろう。村のお偉方に報告されて、そこからグリルの軍兵の耳に情報が入るに違いない。

 一週間近くこいつの世話にはなったからそれなりの礼は言いたかったが、このままマックスウェルと──

「よく判らないんですが…でも、止むを得ない事情があったんでしょうから名前を誤魔化すのだって仕方ないですよね」

 ダニエルの不安とは裏腹に、ガルボはにっこりと微笑んだ。

 それは、ダニエル達にしてみれば救いの言葉であった筈だが、

「お前なぁっ!」

 ガルボの笑顔が妙に苛立たしかったダニエルは、思わず彼の肩を力一杯突き飛ばした。

「ずっと嘘をつかれてて悔しいとかないのかよ! 頭にくるとか、むかついたとか、そういう感情は持ってねーのかよ!」

 何故だか判らない。

 だけど、ガルボの優しさが今は凄く腹立たしかった。

「おい、ダニエル!」

 慌ててモーガンが止めに入る。羽交い絞めに近い形で押さえ付けられると、ダニエルは初めて自分が不必要に興奮している事に気付いた。感情に流されるまま暴れていた事が恥ずかしくなると、彼は何度か深呼吸をして「大丈夫だ」とモーガンの抑えている手を軽く叩いた。

「キンバリーさん」

 モーガンがダニエルの拘束を外すのを見届けていたガルボが一歩近付いてくる。今度は冷静に話を聞こうと思いはするが、どう言葉をかけるべきか迷ったダニエルはそのまま無言で立ち尽くしてしまう。

「私はオークなので常識とかよく判りませんが…貴方は間違った事をしてないと思います」

 ガルボも又、冷静に想いを伝えようとしているのか、胸に手を当てながらたどたどしくも静かな口調でダニエルに向き合った。

「こんな私に優しくしてくれる方が悪い人な訳ありません。貴方はとてもいい人だって判ってるつもりです」

 必死に想いをぶつけてくるガルボを見て、ダニエルは心が痛む。

 そうだった、こいつは心底純真な奴なんだ。それだから、人間に対しても何の迷いもなく振舞ってくる。

 もし俺がボゴディの軍人ではなくて、もしこいつがグリルの領土にいなければ、もし人間同士か白オーク同士だったら、もしかしたら──駄目だ、自分の使命を忘れるな。お前は誇り高きボゴディ・サンの軍人だろう?

「…俺はお前が思ってる程いい奴でもなければ、お前が信じて疑わない友人でも何でもない」

 その言葉は、ガルボの心を抉ると同時にダニエル自身の心も抉った。


「まだ、あの白オークの事を考えているのか?」

 無表情に近い顔で呆けているダニエルを見ながら、モーガンは静かな口調で彼に問いかけた。

 ガルボが落胆した表情で二人の前から消えた後、モーガンは無言のまま俯いて動かないダニエルを促し丘の上で休ませた。。

 陽が傾きかけて、長い事その場にいる事になるがダニエルはその場から動こうとはせず、モーガンも又、彼を急かそうとはしなかった。

「そんなに思いつめるくらいだ、何があったのか僕に教えてくれないか?」

「…感謝されたんだ」

 思いがけない返答に目を丸くさせるモーガンを尻目に、ダニエルも又淡々とした口調でガルボとの間にあった事を話した。

 人間に優しくしてもらえたと喜んでいた事、対等に扱ってもらえたと感謝していた事、些細な事で言い合い笑い合った事、大切な友人だと言ってくれた事、

『いずれ、お互いに理解し合えて歩み寄れる日がくると信じていますから』

と言うガルボの言葉に何も言い返せなかった事。

「なぁ、あいつの言う様に歩み寄れる日なんてくると思うか?」

 仲間の問いにモーガンはどう答えていいか判らず「どうかな」と呟いた。

「でも、少なくとも君とあの白いオークは歩み寄っていたと思うな。だから、嘘をついた事に罪悪感を感じているんじゃないのかい?」

 罪悪感。

 純粋な気持ちで人間に歩み寄ろうとした者に対してついた嘘の重さ。

 使命の為だ何だと言い聞かせても、どれだけ小さかろうと結局はガルボの希望を嘘で踏みにじった。

 本当は、他に言いたい言葉があった。だが、それを口にしてしまうと自分は何の為にここにいるのか判らなくなりそうで言えなくなってしまった。結果、それが自分の事を友人だと言ってくれた者を傷付けた。

「ホーキンス、そんなに落ち込むくらいだったら思い切って謝って──」 

 村の方から騒々しい声が近付いてきた。

 複数の者が言い争い、時折怒号に近い荒げた声が聞こえてくると、二人は条件反射と言わんばかりに丘の反対側に身を隠した。

「…何が起こったと思う?」

 モーガンの疑問に黙って首を振ると、ダニエルは気付かれない程度に顔を上げて様子を伺う。陽が落ち暗くなり始めた村の入り口から、鎧姿の男達が数人出てくるのが見えた。

「どうやらグリルの軍兵っぽいな」

 鎧の集団は全部で六人いる。下手に関ると面倒だ、とダニエルは顔を引っ込めて仰向けに転がった。

 このまま奴等がいなくなるのを待って、急ぎこの場から離れないといけないだろうと、軍兵との接触を避ける方法をいくつも頭の中に浮かべていく。

「お前もあんまりまじまじと見てたら気付かれるぞ」

「そんな事より、軍兵の動きを止めてるのってガルボとか言う白オークじゃないか?」

 モーガンに肩を小突かれて再び顔を上げると、果たしてそこには軍兵の腕を掴んで引き止めようと必死になっているガルボの姿があった。

「ですから、その人達は旅の商人の方々であって──」

「こちらは村からの情報を掴んでの事だ。一匹のモンスター如きに指図は受けん!」

 ガルボが慌てているという事は、間違いなく軍兵は自分を探しているのだろうとダニエルは瞬時に判断した。

 帝都からキチンルム迄は馬を走らせても三日はかかると村人達は口にしていた。という事は、自分が村にきた段階で彼の事を不信に思った誰かが既に情報を売っていた事になる。

 人間が人間を売る。

 それは、こんな戦乱の世では何ら不思議ではない日常だ。

 それだというのに、目の前では一匹のホワイトオークが人間を庇おうと必死になっていた──しかも、自分に嘘をついていた人間を。

「待って下さい!彼等は何も悪い事なんてしてないんですから!」

「ええい、オーク風情が口を出すな!」

 軍兵がガルボを殴るのを見て、ダニエルは立ち上がって集団の中に向おうとした。しかし、モーガンは彼の腕を掴んで首を横に振った。

「気持ちは判るが今は落ち着け。奴等が去ってから一緒に謝るから、それ迄耐えるんだ」

 モーガンの言う事はもっともだ。悔しいが、ここで無意味に飛び出したらそれこそガルボが自分達を庇ってる意味がなくなる。

 ダニエルは逸る気持ちを抑えて、その場で唇を噛み締めるしか出来ずにいた。

「な、何の真似だ!?」

 突如、軍兵がざわついた。見ると、ガルボが両腕を大きく開いて軍兵に立ちはだかっている。

「大切な友人を身売りするくらいなら、私は貴方達に歯向かいます!」

 それは、多分彼にとって人間に対する初めての反抗だったのだろう、気丈に振舞っている様でよく見ると体が小刻みに震えていた。

「貴様、我々に歯向かうとどうなるか判っているんだろうな?」

「そんなの知りません! 私は友人を守るだけです!」

「そうか…だったら死ねよ!」

 ガルボの目の前にいた軍兵が鞘から剣を抜くと、何の躊躇いもなく彼の胸を斬った。それを合図としたかの如く、近くにいた数人も剣を抜いてガルボの体に突き付ける。

「──!!」

 鮮血に染まりながらゆっくりと倒れるガルボを前に、ダニエルもモーガンも目を見開いた。同時に、予想だにしていなかったその出来事は二人を突き動かすのには十分すぎる理由だった。

 立ち上がると同時に剣を抜き、地面を蹴って集団の元へ突き進む。

「これだから、頭の弱い白オークは駄目なんだ」

「とっとと滅ぼした方が帝国の為なんじゃねえの?」

 ガルボから剣を引き抜いた後でも剣先で横たわる彼を突きながら笑う軍兵に、一気に近付いた二人は無言のまま容赦なく斬りかかった。

 油断していたのもあっただろうが、ダニエル達の一閃はいとも簡単に二人の軍兵の首を刎ね飛ばす。突然の事に動く事が出来ない軍兵達を相手に立ち回るのは造作もない事だった。

「な…何だ貴様等はっ!?」

「白オークが頭が弱いと勘違いしてる程度では…グリルも大した事なさそうだなぁっ!!」

 怒りが原動力となったダニエルには、うろたえる雑兵等最早敵ではなかった。モーガンの連携も相まって、軍兵達は次々と地面に倒れていく。

 騒ぎに村人達が集ってきているのが横目には見えたが、ここ迄暴れている二人には怯えた目付きをしている弱者等心底どうでもよくなっていた。

「きき、貴様等! ぐり、グリルグゥルデンに、た、立て付くのがどんな事か知っての──」

「知った事かよ!」

 最後の一人を斬り捨て、ダニエルは剣に付いた血を力一杯振り払った。その動きは村人達を一瞬で黙らせ、辺りは静寂に包まれた。

「ホーキンス!」

 静寂を破ったのはモーガンだった。振り返ると、彼はガルボの脇でその体躯に耳を当てている。

「早くこい! まだかろうじて息があるぞ!」

 慌てて駆け寄ると、荒い息を吐きながらガルボがダニエルの姿を見付け弱々しく笑みを浮かべた。

 何で、こいつはこんな状態になって迄笑うんだ?

 俺のせいでこんな血みどろの状態になっているのに、俺に恨みのひとつでもぶつけておかしくない状態なのに、何でこいつは笑顔を見せる?

「ガルボ…」

「キン、バ…えっと、ホーキンス、さん…でした、っけね…」

 息も絶え絶えに最後の力を振り絞ろうとしているガルボの手を握り、ダニエルは黙って首を縦に振るしか出来なかった。その背後で、モーガンも黙って立ち尽くしたまま溜息を吐くしか他に出来なかった。

「ひと…つだけ、聞かせてく…れませんか?」

 ガルボの手に力が入る。それは、死を覚悟するのと同時にダニエルの本心を訊きたい表れなのだろう。

 彼の最後の覚悟に、ダニエルは鼻頭を赤くさせながら「何でも答えるぞ」と笑ってみせた。

「私達は、友達、に…なれて…いませんか?」

 ガルボ、お前という奴は。

 この期に及んで、嘘をついた事の追求でもなければグリルにきた理由でもなく、そんな些細な事を訊こうとしているのか。

「お前は…ガルボは、俺の大切な友達だ!」

 力一杯ガルボの手を握り、今迄言えずにいた言葉を思い切り叫んだ。

 領土の違いなんて関係ない。

 種族の違いなんて関係ない。

 目の前にいる白いオークは、他の誰よりも純真でお人好しの、最高の友達だ。

 目に涙を溜めながらダニエルは思いの丈を全てガルボにぶつけた。それを黙って聞いていた彼は静かに目を閉じると、万遍の笑みを見せながら、

「ははっ…貴方は…嘘を、つくのが、下手です…ね…」

 友人として唯一の皮肉を残し、そのまま二度と還る事のない旅へと旅立っていった。


 サンディ湖の南畔。

 ガルボを手厚く埋葬した土壌の上に、近くに転がっていた蝋石をモーガンと一緒に運んで墓石代わりに載せる。

 彼をいい様に利用していたキチンルムから遠ざけたかったダニエルは、村から荷車を半ば強奪する形で持ち出すとそれにガルボの亡骸を乗せ、自分達が最初に出会ったここ迄運んできた。

 モーガンは何も訊かずに黙って荷車を押すのを手伝ってくれた。もし、もっと早くにガルボとモーガンが出会っていれば彼等も又、よき友人になっていたに違いない…と、道中ダニエルはずっと考えていた。

「ホーキンス、これを」

 重労働をさせたのにも関らず、疲れた顔を見せる事なくモーガンはダニエルに一本の小さなナイフを差し出した。

「せっかくだから、何か刻んであげなよ」

「…悪いな、そうさせてもらうよ」 

 彼からナイフを受け取ると、墓石の前に片膝をついて両手を胸元の前で合わせると静かに目を閉じる。

 ここに眠る白オークは、我々人類が忘れかけていた優しい心を持っていた。

 愛する者を、愛する祖国を守る為に戦う事は勿論我々には必要だ。しかし、互いに理解し合い歩み寄るという彼の気持ちも決して軽んじてはならない大切な想いだ。

 少なくとも、ここにいる我々だけでもその気持ちは忘れず、後の戦いが全世界に彼の願いを広げるものとならん事を誓おうではないか。

 深く祈りを捧げた後、ダニエルは蝋石にナイフを突き立てゆっくりと丁寧に言葉を刻みつけた。

《白き心優しい民ここに眠る

 彼の者の笑顔と祈りが永遠に皆の胸に刻まれる事を願って》

「…うん、彼の墓碑としては悪くないね」

 書き終わった言葉を読んだモーガンは静かにダニエルの肩に手を置いた。それが引き金となったのだろう、我慢の限界がきたダニエルはその場に蹲って大声を上げて泣いた。

「ごめ…ごめん、ごめんなぁ! ガルボぉ…ごめんなぁぁぁぁ…!」

 その声は、サンディ湖の湖畔に響き渡っていた。


 晩年のボゴディ・サン国は、政治腐敗と度重なる飢饉で被支配層民の反乱が頻発していた。

 それは近隣諸国にとっても頭を悩ませる材料だったが、そんな中一部の間ではボゴディ出身の平和活動家の活躍に高い評価を与えるものも少なくなかった。

『種族の間に壁なんてない、互いに理解し合えば歩み寄れる日が必ずくる』

 その活動家は、声高らかにその理念を謳っていたという。

 賛同者は決して多くはなかった。それでも、彼は声が枯れる迄叫び続けた。

 一人でも、一種族でも手を取り合ってくれればいい。その為だったら、自分はどんな苦難をも耐えてみせる。今は亡き友人の願いを、多くの人に届ける為に──

 彼の声を聞き届けたかの様に、遠く離れた湖の畔で白い花々は優しく揺れていた。

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