第2話:異世界
目の前に広がるのは鬱蒼と茂った森。前を見ても後ろを見ても、目に映るのは緑色の草木ばかり。
どうやらユナちゃんの言っていた別世界とやらに飛ばされてしまったらしい。……にしても森って。
これは、詰みというやつでは? いや、さすがにユナちゃんも開始地点くらいは考えてくれてるはずだよね! ほら、集落が近いのかもしれないし、もしかしたらこの辺りはとっても安全で、更に美味しい木の実とかが取れるのかも……‼︎
……と、そんなことを考えている頃が私にもありましたとさ。
目の前にいるのは身体は白く、そして何やら紫色のオーラを纏ったでかい虎。見た目だけなら白虎様の上位種、格上間違いなし。まあそもそも白虎なんていう伝説の生き物見たことないけど。
そしてその虎はこちらを睨みながらグルルと唸っている。
はい、死にましたー。オンディーヌはふってないけど死にましたー! いままでありがとう私の身体! 本当に短い間だったけどね!
……とまあ、冗談は置いておいて、だ。この地に生まれ落ちて5分で窮地に追いやられるとはさすがに考えてなかった。にしても私、驚くほど落ち着いているよ、ええ落ち着いていますよ。冗談を考える余裕があるくらいだからね。
それから私はふうと息を吐き、真正面に虎をとらえて考える。さて私にできること、ちゃんとユナちゃんは言ってたよ。私にも魔法を使えるってね!
そう、こんなときのための魔法だ! ユナちゃん、ありがとう! 存分に使わせてもらうね!
「……くっくっく。我に潜みし悪の波動が漲ってきたわ」
ここは、見た目だけならあのVRゲームの世界と似たようなもの。つまり私はロールプレイをすべき……‼︎ QED.証明終了っ!
天を見上げ右手で前髪を掻き上げ左腕を前へと伸ばし、そして決め台詞!
「さあ聞け、我が魔力の雄たけびを、そして知れ、貴様が誰に喧嘩を売ったのかを……‼︎」
そして身体の中にある(であろう)魔力を手のひらに集中し、前方に向かって飛ばす。
「風神の壊滅波‼︎」
私がその呪文を言い切ると同時に、私の手から赤子の拳大くらいの火の玉(?)がボッと飛んでいき、虎に当たった。それは虎の体毛をジュッと僅かに焦がした、そんな気がした。
ダメージが入ったようには見えないけどね!
いやユナちゃん? ねえ、これ魔力が足りないってことじゃないの……? 私、魔法使えなかったりしないよね?
「ふっ、ふふふふふ…………ま、まあ今日のところはこれくらいにしておいてやろう」
そんなことを言っていると、どうやら虎さんの機嫌を損ねてしまったらしい。今までグルグルと唸っていただけだったのに、突然こちらに向かって跳びかかってきた。
……まずいね。うん、非常にまずい。
「くっ……‼︎ ユナちゃんの馬鹿ーーーーーー!」
私は踵を返し全速力で駆け出した。
グルァァアアアア
後ろからは虎の声が聞こえ、それに追い立たされるように走る、走る、走る。木の枝をくぐり、茂みを飛び越え、木の枝から枝へ飛び移り、木を駆け上がり…………って、ん?
「えっ、私今どうやって動いてたの⁉︎」
いつの間にか後ろには虎はいなくなっていた。どうやら撒いたようだ。
火事場の馬鹿力ってやつ? いやあ、人間やろうと思えばできるもんなんだなぁ。はっはっは…………って。
「できるかああああああああああああああ‼︎」
はあ……はあ……。
いや、無いよ! 中高文化部所属に加えて大学では楽単と言われた体育系の科目すらも避けた私だよ⁉︎ どう頑張っても垂直な木を駆け上がったり木の枝を飛び移ったり……無理に決まってるでしょ⁉︎
いやそれどころか木の枝? くぐれないよ! 頭ぶつかるよ‼︎ 茂み? 飛び越えられないよ! つま先引っかけて転ぶよ‼︎
とそんな風に思っていると上から何か白くて強い光に包まれた何かが…………今度はなんだ! ……ん? あれはもしかして。
「親方ぁ! 空から女の子がぁ!」
「何を言ってるです?」
「あっ、いや言うべきかなって。女の子が空から光りながら落ちてくるってそうそう無いし?」
光に包まれて降りてきたのは、そう。あの天使ユナちゃん。まさか自ら降りてきてくれるとは……。
「心外なことに馬鹿呼ばわりされたので降りてきたのですよ……」
「えっ……? あーうん。でも実際に死にかけたじゃん?」
「現に今ピンピンしてるのです」
「それはそれ、これはこれ、だよ。本当に魔法に関してはおかしいでしょ?」
「魔術式も何も書かずに魔力だけで火の玉が出たことが、です?」
「えっ? 魔術式って?」
そう聞くとユナちゃんはうーんと唸った後、人差し指を立てていった。
「勉強しなさい、です!」
思わずぽかんとしてしまう。……いや、今なんて?
「……勉、強?」
「はい! なのですよ」
ほっほぉ、そういうこと言うんだ。
「言語は大丈夫なのに魔法はダメなの?」
「当たり前なのです。勉強できるところはちゃんとあるですから、しっかり勉強するですよ?」
「どこにあるの?」
「王都なのです!」
「それがどこかわからないんですが⁉︎」
「?」
ユナちゃんが首を傾げた。一瞬の静寂。
「……ああっ! コホン、も、もちろんわかってるですよ。私が王都まで転移させてやるですから安心するのです」
いや絶対なんにも考えてなかったよね⁉︎ 私、ほんとに大丈夫⁉︎
……うん、わかる範囲で聞かなきゃいけないことは聞いておかなければならないね。下手したら死ぬよこれ。
「ねえ、ユナちゃんまだいくつか聞きたいことあるんだけど良いかな?」
「? なんです?」
「んーと、まずお金ってなんの種類があって、価値はどんな感じなの?」
「よくわからないのです」
「よくわからないの⁉︎ かなり大事なところだよ⁉︎」
お金がわからないのはさすがにやばいって…………ん、ユナちゃん? そんな恥ずかしそうにもじもじし始めてどうしたの? ま、まさかお金についてわからないことにはユナちゃんの重大な秘密が……⁉︎
「……お金は、私がいた頃から少し変わっちゃってるのです……旧硬貨の方ならわかるのですけど」
……ちょっと待って、ユナちゃんって何歳? いやいや、そんなこと考えちゃだめだよね。ユナちゃんは永遠の14歳だ! うん! きっとそう! ……とは言え、問題はなにも解決していない。
「……仕方ないとしてもお金のことは問題だよねえ」
「うぅ……力不足で申し訳ないのです……。あっ、ですがお金はほんの少しですが渡せますので、どうかこれで……」
「ん、これは……金貨ってやつ⁉︎ こっちが銀貨? すごい、実物見たの初めて!」
手渡されたのは数枚の金貨と銀貨、だと思う。たぶんこれがこの世界の通貨だろう。
「とりあえず、王都に転移しちゃってもいいのです? っと、その前に、恰好はそのままでいいのです?」
「ん、どういうこと?」
今の私の格好は死んだときと同じ、ジーパンにTシャツに上着というオシャレの欠片もない、しかし実用的な格好だ。
気づかなかったけど、なんかブカブカになってる……ってことは私少し縮んだ?
「完コピしたので、この世界にはない素材なのです。この世界の標準的な格好にした方が目立たないと思うのですよ」
「……ねえ、頼んだら、私の考えた恰好にしてくれるの?」
「? 構わないのですよ? もちろん高価なものはダメですけど」
「じゃあさ……」
そして私の頭に描いた服を頼むと、すぐに了承してくれた。
「……本当に後悔はしないのですね?」
「うん! ほんとに温度制御機能付きにしてくれるんだよね?」
「それは問題ないのですけど……この格好、目立つと思うのですよ?」
「望むところだよ‼︎」
するとユナちゃんは、「わかったのです」と言ってこちらに手の平を向けた。
「$%&*?¥#¿」
耳慣れない言葉がユナちゃんによって紡がれ、私の足元に魔法陣が描かれた。
「おおっ! 魔法陣!」
そして魔法陣が徐々に私の足元から上がっていき私の頭のてっぺんまでくると白い粒子となって消えた。
「できたのですよ」
「えっ?」
できたと聞いて自分の体を改めると。
「……すっごい! 凄すぎるよ‼︎ これこそ私の求めた服装だよ!」
靴は焦げ茶色の革ブーツ。黒いニーソックスとスパッツを履き、その上には、黒一色の足首まであるスカートと、金具や革によって細かい意匠の施された袖の長い白い服。そして更に大きめの黒い外套を身に着け、頭には黒いとんがり帽子を身に着けている。
完っっ璧な服装では⁉︎ これで紫色のオーラでも纏えたらもう最高だね!
「では王都に転移しますよ?」
「ちょっと待ったあ!」
「まだ何かあるです?」
「こっちからユナちゃんに連絡とるときはどうすればいいの?」
するとユナちゃんは首を傾げて言った。
「伝達魔法で呼びかけてくれればいいのですよ?」
「だから! 魔法の使い方がわからないの!」
「……あー、そうでしたね。まったく、面倒なのです」
「ごめんね⁉︎ 私に非があるとはこれっぽっちも思えないけどなんかごめんね⁉︎」
「許してあげるのです! では勉強するまで連絡はお預けということにしてさっさ行きますよ。そおれ!」
「いやお預けって……⁉︎」
私の言葉を無視したユナちゃんは私の足下にさっきとは模様の違う魔法陣を生み出して何かを唱えた。
周囲が白色に包まれ、足下の魔法陣は光を放ちながら段々と回転を早めていく。
これまたどっかに飛ばされるやつだよね⁉︎ ちょっと待って、まだお金のことも解決してなければ王都のどこで魔法を教えてもらえるのかも聞いてないよ‼︎ それに木を駆け上がったりできた不思議現象もなにも解決してないんだよ⁉︎ ねえ⁉︎
「ではまた、どこかで! 伝達魔法を習得したら声かけてもいいのですよ?」
そんな声が遠ざかっていくのを感じながら、魔法陣の放つ眩いまでの白い光に包まれた私は、思わず目を瞑った。